破れズボン、再び
第13話 A子の告白
ついに、この日が来た。
手術、やっぱり、痛いかな?
名声会W総合病院の本館二階カフェコーナー。
病院内に設置された休憩サロンだ。病院の正面玄関入って目の前の、中央エスカレーターを上がってすぐ横にある。吹き抜けのロビーが見渡せる、とても開放的でオシャレなスペースだ。南国風の観葉植物もセンスがいい。パフェにカップケーキ、パンケーキまであるらしい。待ち時間を潰したり、見舞客とお茶をする入院患者達で、そこそこ賑わっている。
例の持病の手術当日、まだ時間に余裕のあるA子は、一人ミルクティーをすすっている。 さっきから、松葉杖をついた若い男の子が、ケーキを片手に持ち、すごくゆっくりとしたスピードで、カウンターから座席へ運んでいるのが少し気になる。
あれ以来、ズボンの破れそうなサラリーマンを見かけていないが、A子は彼氏に痔のことを打ち明けた。かれこれ二週間くらい経つだろうか。
あの日のことを思い出すと、今でも赤面する。
二十九歳のA子にとって、それは人生で稀に見る緊張のワンシーンだった。
いつものように、仕事終わりに喫茶店で待ち合わせ、彼氏がグルメサイトで見つけた美味しそうなお店に行き、他愛のないことをあれこれ話しながら飲む。
程よく酔いがまわり、二軒目のバーで飲み直し始めてから、その時が来た。
「ねえ、実は私、病気なんだよね。」
「え、なに、病気ってなんやねん。」
彼氏は関西出身の三十三歳、名前はT輔。A子の会社の取引先に勤めている。大学に入ると同時に上京しているというのに、いつまでも話し方を変える気はないらしい。おまけに、少々声がでかい。
「ぢ……実は……」
「なに?どないしてん。」
予想以上に手強い病名だった。
この世に痔という病気があることをA子は恨んだ。
「ぢ………じかん、大丈夫?」
「へ?時間は全然大丈夫やけど。何やねん、早よ言えよ。深刻な病気なんか?」
「うん……いや、深刻といえば深刻かな……いや、でも、大したことないからやっぱりいいわ。」
「おいおい、そこまで言うといてそれはないやろう。言うてみいや。俺に何かできることがあれば手伝うし。ほら、言ってみ。」
「うん、そうだよね。……言うわ。」
A子は腹をくくって、ふーと深呼吸してから、やっと相手に聞こえるくらいの小さな声で告白した。
「…………痔。」
「え、じ?って……おまえまさか……あの、痔?」
A子はすがる様な目でT輔を見ながら無言で頷いた。
T輔は目を丸くして、少し驚いた様子を見せてから、
「A子、おまえ今までずっとひとりで……」
そこまで言ってから、うつむいて黙り込んでしまった。
「や、そんな深刻でもないから大丈夫なんだってば。しゅ、手術したらすぐ治るらしいし。
すぐっていうか、ちょっと入院しないといけないみたいだけど。ごめん、心配させるつもりじゃなかったんだよ。
ていうか、私のこと、もう嫌いになっちゃったよね。ほんと、なんか、変なコト言ってごめん。」
やはり言わずにいれば良かったかなと、どっと後悔の波が押し寄せてきた。
気まずさから、訳もなく謝るA子。
次第に、T輔の肩が震えだした。
えっ、T輔、まさか泣いてる?私のために?
A子がじーんとして、もらい泣きしそうになったその時。
「ぶあっはっは、あかん、我慢でけへん。」
と、T輔が笑いだした。
A子は、何が起きたのかわからず、
「へ?」
と首をかしげた。
T輔の笑い声は止まらない。
「まじで、A子、おまえ痔やねんて、そんな真剣な顔して笑かすなよ。でも、笑ったらあかんよな、ごめんごめん。はっはっはー。」
きょとんとするA子にはおかまいなしで、T輔は続ける。
「ちゅーか、痔?!あかん、ツボ入った、ニヒヒヒ……」
A子は慌てて、
「ちょ、ちょっと、声デカ過ぎだって!! もう、やめてよ、恥ずかしいんだから!」
と、T輔を制した。
「笑われてもいいと思っていたけど、本当にそんなに笑うなんてヒドイよ!」
と怒ってはみたものの、なんだか全てが可笑しくなってきて、気がつけば、T輔と一緒になってひとしきり大笑いしていた。
そしていつの間にやら、出かかった涙も、不安な気持ちも、どこかへ飛んで行ったのだった。
ミルクティーが残り半分くらいになったとき。
A子は、今朝家を出るとき、あわててコートのポケットに突っ込んできたネックレスのことを思い出した。
……やっぱり。
取り出して見ると、ネックレスのチェーンがだんご状にからまっていた。
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