一章 『コロニー騒動』

第1話 アリになった


 

 気が付くとそこは炭鉱の様な場所だった。

 発光源は見当たらないが、この炭鉱内は淡い橙色の光でほんのり明るい。そして土の香りが充満している。

 唯一目を疑う光景を挙げるとするならば、それは目の前で一列に隊列を組み固形物を運んでいる黒の生物達だろう。

 黒の生物達と言ってもゴキブリの事ではない。それよかいくらか、いや、全然マシな生物だ。

 そう、マシなのだが……。


「デカすぎないか!?」


 デカい。あまりにも巨大すぎる。こんな人間サイズのなど見た事も聞いた事もない。

 そもそもここは何処だ?

 確か俺は予備校の帰りだったはずだ。そんでそれから……それから……あれ? それからが思いだせない。頭をフル回転させても予備校の帰りまでが俺の最終記憶だ。


「っ!?」


 無意識に頭を抱えようとしたらその抱える腕が、手が無かった。そもそも五指の感覚すらない。しかし足の感覚はある。

 それもいくらか無駄に多く足の感覚があり、がっしりと地に足をついてるって感じだ。

 非常に安定感抜群である。


「ってんな事はどうでもいいんだよ! どうなってんの俺の体!?」


 明らかに俺の体に異常事態が発生している。

 そんな時は冷静さを欠いてはいけない。まずは状況確認だ。

 まず下を向いてみる。

 最初に目に映り込んだのはゴツゴツとした茶色の地面だった。それも地面と顔との距離はかなりスレスレ。


 「うん。近いね」


 顔を正面に戻す。

 視界の上辺りに二本の黒い棒がぷらぷらとちらついている。


 「うん。ぷらぷらしてるね」


 そして左右を確認すると、自分の顔の両斜め後ろ共に黒く細長い棒の様なものが左右に3本ずつ見えた。

 おかしな事にこの棒には感覚がある。まるで自分の足のような感覚があるのだ。


 「うん。神経通ってるね」


 そして背中にガサガサとビニールのような感触があるが、見えなかった。そこまで首が回せない。


「特徴からして……アリ? ゴキブリ?」


 顔と地面との距離が近いほどに低姿勢。

 六本の細長く黒い棒。これは足だろうか。

 そして視界の上辺りに見える二本の黒い棒。おそらく触覚だろう。

 最後に背中のビニールの様な物。羽……か?

 触覚に六本の足という時点でおそらく昆虫であり、人ではない。

 これら全ての特徴から真っ先に思い浮かぶのはアリとゴキブリだ。

 色が黒でなければ他にもいくつか候補の昆虫が浮かび上がるのだが、色が黒と限定されると俺が知ってる中じゃどうしてもこの二種類となってしまう。


「いや待てよ。ゴキブリってこんなに首動かせなくね?」


 俺は今、首を使って自身の体を確認した。それもしっかりと動かせた。

 対してゴキブリはどうだ。微弱には動かせるかもしれないが斜め後ろには動かせないだろう。

 以前ゴキブリをレアな虫だと思って幼少期に飼っていたことがあったけど、一度も奴が大きく首を動かしているところなど見たことは無かった。せいぜいカサカサと動くか、飛ぶかだ。

 

 ——これはあれだな。


「俺はアリになった」


 なった、じゃねーよ! これ完璧にアリだろうが!

 えーどうしようどうしようどうしよう。

 アリになったのなんか始めてだから心の準備がまだ出来てないんですけど!?

 俺の人生、ここまで絶望感を味わったの始めてだ。クリぼっちなんて屁でもねーよ。だってアリだよ? 人ですらない。

 だが、意外なことに案外冷静な自分もいて驚いている。

 鼻水垂れ流して転げ回ったりして発狂してもおかしくはないは場面なのだが、ゴキブリじゃなかったことが純粋に嬉しかったのかもしれない。

 ゴキブリだけは嫌だ。

 となると目の前を歩くアリ達は人間サイズの巨大なアリなどではなく、普通サイズの一センチ〜三センチくらいの大きさと言ったところか。人間基準で見てしまったから最初はびっくりしたぜ。


「でも……でもだ。でもだよ? 総合的に考えてこれはあれだな、うん。あれだ。夢だ。そうだ夢という奴だろう。現実にこんな事あるわけがないじゃないか」


 どうせ予備校の自習室で居眠りでもしてんだろ。帰り道もそう、全部夢。

 そうじゃないと、こんな人間がアリになるなんていう馬鹿げた現象信じられる訳がない。


「みな急げ! 同胞がお腹を空かせている! 早く戻るのだ!」


 アリの行列は「はいっ!」と声を揃えて返事をした。

 するとさっきまでとはアリの隊列の歩くスピードが劇的に上がった。

 てか今、日本語話してた。アリが日本語を話しやがったぜ。それに全員女性の声だった。

 一匹一匹が口元にある二対の顎で器用に固形物……食べ物かな? それを挟み、運んでいる。

 

 ——さてどうする。

 

 実際、特にこれといってやることがない。暇だし今指揮を執っていたアリと話しでもしてみようか。色々聞きたいこともあるし。

 そしてなにより……純粋にアリと会話してみたい。夢だけど。

 いざ歩みを進めるとなんとびっくり。この六本の足でまるで二足歩行をするかの様な感覚で歩けたのだ。これが全く違和感がない。

 アリの行列が過ぎ去り、先ほど指揮を執っていたアリが一匹になったところで俺は背後からこの黒く細い足でちょんちょんとお尻? を小突いた。


「ねぇねぇ、今大丈夫?」

「きゃっ! な、なんだ! 暇な訳がないだろうこの忙しい時に!」


 強い口調で振り返るアリ。

 俺を見るや否や、固まって動かなくなってしまった。


「おーい。大丈夫?」

「はっ……まさかお兄様だとは知らず、ご無礼をお許し下さい。それで……このアリアに何かご用でしょうか?」


 あれま。さっきまであんなに凛々しい態度だったのに急にしおらしくなった。口調も変わったし声のトーンも少し高くなった。


「いや大した用じゃないんだけどさ……え? お兄様? 俺が?」


 どどどういうこと!? 俺一人っ子だし妹なんていないよ!? まさか生き別れの妹なのか!? 父さん母さん! 一体どういうことだよ!

 まあ、夢に疑問を抱いたって無駄か。


「何をおっしゃられているのですか。お兄様はお兄様ではありませんか」

「そ、そうだよな! あはは、はは……」


【悲報】俺氏、アリの妹が出来る。


 証拠うpって言われてもめすアリの写真撮ってID付きで添付するだけだな。シュールかよ。


「あの……お兄様?」

「ああ、いやその……お腹空いちゃってさ」


 咄嗟に出た言葉だったが決して嘘ではない、実際本当に空いている。飯も食わず予備校の自習室に籠っていたからな。

 素朴な疑問だが夢の中でも食べる感触ってあるのかな。


「お、お腹をすすす空かされたのですか!? うぅ……分かりました。不肖ふしょうこのアリア、お兄様にお食事をして差し上げます」

「おう! ありがとう……ん? 差し上げますって……ふぐっ!?」

「んっ ……ちゅる……ぷはっ……んんっ」

 

 あ……ありのまま今起こった事を話すぜ!

 今俺は、俺の妹を名乗るアリことアリアにお腹が空いたと言ったんだ。お食事して差し上げますと言うから何かくれるのかと思いきや、いきなり接吻されて何か甘い液体状の物を俺の口内へと流し込みやがった。

 な……何を言っているのかわからねーと思うが俺も何をされたのか分からなかった……。

 頭がどうにかなりそうだった……。

 軽い当てるだけのキスだとかディープキスだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。

 もっといやらしい、ハードなプレイの片鱗を味わったぜ……。


「ぷはっ! ちょ、何やってんの!? あとご馳走さま!」

 

 突然のプレイにそりゃ驚いた。驚いたさ。しかし、「食べ物を頂いたら感謝の意を表す。それがどんな状況であれ怠ってはならない」と、俺は母さんに口酸っぱく言われていた。そしてその教えは、この状況下でさえ無意識の内に俺の口から体現された。

 母さん。あなたの教育はここで活かされたよ。


「あのっ、姉妹達としかシたことがないのですが、殿方であるお兄様とは、その……は、初めてなもので……きゃっ!」

「おい待て、その言い方は宜しくないぞ!? いけない言い回しだったぞ!?」

 

 アリアの触覚が顔を隠すように垂れ下がる。全然隠れてない。


「で、では! まだ仕事が残っていますのでししし失礼しますっ!」

「あっ、ちょっと待って色々聞きたいことが……」


 アリアはドタバタと炭鉱の奥のトンネルへ早歩きで行ってしまった。

 なんだよ、ちゃんと走ればいいのに。


「あっ……アリだから走れないのか」


 そう言えば聞いた事がある。

 アリは胃袋の他に素囊そのうっていう袋があって、そこに餌を溜め込んでいつでも吐き戻す事が出来ると。そしてそれを巣で待っている家族に口移しで渡すんだっけか……。なんかエロかったから覚えてたわ。

 正直な事を言いますとね、今のアレ、そんなに悪い気はしませんでした。

 すごいニュルッとして、かと思えば甘い液体状のドロドロした物が口の中にジュルッと入ってきて、ぞくぞくッてしました。はい。美味しかったです。

 しかし夢とはいえ俺のファーストキスがアリの妹によって奪われたわけなんだが。しかもハードなやつで。これが夢で本当に良かった。


「さて、これからどうしようかね」


 今分かっていることは、これは夢で俺は今アリだということ。そしてさっきのアリアというアリは俺の妹だということだ。

 ついに俺の妹欲しい願望が夢に現れたか。しかし何故アリなんだ!


「ん……何か甘い匂いがするな。どこからだ?」


 どこからともなく甘く良い香りが漂ってきた。

 それも胸をキュって締め付ける様な魅惑の香りだ。やること無いし匂いの元を探さない手はないな。

 俺は匂いの発生源を探すことにした。

 

 この炭鉱内は一方通行というわけではなく、前方も後方も五つのトンネルがあり、枝分かれしていた。

 ここがアリの巣ならば、トンネルを抜けた先にも複数のトンネルがあり、また抜けても複数のトンネルがあり、と、迷路のようになっていることだろう。


 だが心配ご無用。

 ただ匂いがするトンネルへ進めばいいだけのことである。それ程にこの匂いは強い。

 

「そして匂いが強く香るのは……前方の一番右のトンネルか」


 俺は一番右のトンネルへ向かい走る。否、走れなかった。

 というより自分が走っているつもりでも精々早歩き程度なのだ。まるで競歩をしている感覚。

 元々走るという概念がこの体にはないから仕方のない事だが、些か変な気分だ。

 アリにとってはこの早歩きが人間で言うところの走るという感覚なのだろうか。

 気を取り直し早歩きで一番右のトンネル内へ入ると、さっきまでの淡い橙色でほんのり明るかったのとは違い、ここははっきりとしたどちらかと言えば強く明るい橙色だった。

 そして今歩いている地面。さっきまでは割とゴツゴツしていたのだが、こちらは舗装された平坦な地面だった。

 しばらくトンネルを進んでいると前方から白く明るい光が今いる場所にまで差し込んできた。それと同時にどんどん魅惑の甘い匂いが濃くなっていく。



 ♦ ♦ ♦



「えっ、なにここ……」


 トンネルを抜けると、そこは真っ白で明るいドーム状のだだっ広い部屋だった。そして地面は土ではなく白い床。大理石に近い床だった。

 見渡す限りこの部屋は実にアリらしくない。まるで人間の女の子の部屋だ。

 アリが二匹は寝られるサイズのピンクの天蓋付きダブルベッドに、ハート型のクッションの様な物数点。アリを模した人形の様なものも数点。本棚もあった。

 何より驚かされたのはバスタブが部屋の中心に配置されていたことだ。

 なんでバスタブが!? と思ったらそのバスタブの中に誰か入っている模様。


「……っ! カムイ兄さま!? それともカルマ!? どちらですか!? み、見ないでくださいませ!」


 あら可愛い声……。どこからだ? バスタブの中か。

 

 案の定、バスタブで恐る恐る頭だけひょこっと出してこちらを向いているアリがいた。

 そう、アリだった。悲しいことにアリなのだ。こんなのはラッキースケベにすら含まれない。


「ねぇねぇ、ここってなんの部屋なの?」


 俺は特に動揺もなく普通に話しかけた。だってアリだもん。興奮の「こ」の字も感じない。


「カムイ兄さまですのね! ち、近づかないでくださいませ! 恥ずかしゅうございます…!」

「さっきからカムイって……もしかして俺のこと?」

「カムイ兄さまの他に誰がいますの!」


 まさか俺がカムイなんて中二チックな名前だとは。そしてまたアリスとかいう身に覚えのないアリの妹。


「早く出て行ってくださいませ! カムイ兄さまとて、このコロニー内でただ一匹の次期女王アリであるアリスの部屋への立ち入りは禁じられている筈ですわ! お母さまに言いつけますわよ!」

「別に何でもいいけどさ、君から香るその甘ったるい匂いどうにかしてくれる? さっきから胸がキュってして落ち着かないんだけど。ムズムズするっていうか」

「ひゃいぃっ! カムイ兄さまがアリスのフェロモンで発情していますわ! お、お、犯されますぅ! 嫁入り前のアリスの清い体がカムイ兄さまの薄汚れた欲望のおもむくままに汚されしまいますわっ! エロ同蟻どうありみたいに!」

「ええぇ……急に何を言いだすのこの子……」


 ただ匂いを指摘しただけでこの言われようはなんだ。確かに女の子に対して匂いをどうこう言ったのは軽薄だったと思う。それが例えアリだとしてもだ。

 しかしくさいとは一言だって言ってないじゃないか。寧ろ良い匂い過ぎて困るレベルだ。

 それとね、女の子が犯されるだの汚されるだの言うのはちょっとどうかと思うよ、俺は。

 挙句の果てにはエロ同蟻どうありときた。なんだよエロ同蟻って、エロ同人のアリ版か?      まさかアリの世界でもそのような嗜向品が往来しているとは……。てかすっげぇ語呂が悪い!


「はぅ……。本当にエロ同蟻のような展開が訪れてしまうなんて……」


 アリスの触覚が垂れ下がりピクピクと小刻みに震えていた。

 状況的に見れば、入浴中に雌アリのフェロモンに釣られて雄アリがのこのこ現れたわけだ。さぞや貞操の危機を感じていることだろう。

 だがしかーし。少々腹が立った。 お仕置きがしたい。


「……どうやら、そんなスケベな妄言を吐いた妹にはお仕置きが必要みたいだな」

「ふぇ?」


 なんかつい悪戯したくなるようなアリなんだよなぁ、この子。

 と、いう訳で、


「今からセクハラをします。異論は認めません」

「ふぇぇ!?」


 俺、有賀歩ことカムイは、妹の教育という名のもとにセクハラを実行する。

 これは、いずれ誰かがやらなければならない事なのだ。そしてそれは、兄であるこの俺がするまでよっ!

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