第302話 冷やし中華始めました!

「ユスキュエルだそうです」


 フィーリュシカから告げられた内容を、ナツコが口頭で述べる。

 その内容にアイノが噛みついた。


「殺したぞ」

「生きていたそうで」

「何故その時言わない」

「わざと外したと思ったと」

「あたしにそんな技量があるはずないだろ!

 だから銃は嫌いなんだ」


 私に怒られても、とナツコは個人用担架を下ろし、格納庫に設置された休憩スペースへとフィーリュシカの体を横たえる。

 本人曰く、切断された脳と肉体の接続部分は、自力で修復可能らしい。


「〈音止〉は拡張脳もう動かないよ」

「見ればわかる」


 トーコの言葉をアイノは一蹴して、それから〈音止〉コクピットから整備員の手を借りて降りてきた人物の姿を見る。


「お前はここで何してるんだ」

「アイノが呼んだんじゃないの?」


 アキの姿を見て驚愕するアイノ。トーコにとってその態度は予想外だった。

 アキは笑いながら告げる。


「心配で見に来ちゃった」

「大人しくしてろと言ったはずだぞ。

 まあいい。戦えるか?」

「あー、ちょっと無理。昔の1割も戦えないと思う」

「1割ならトーコよりましだ」

「そんなことない」


 トーコの反論をアイノは完全に無視して、アキに戦わせようとする。

 しかし彼女が1人では歩けないのを見ると、それも難しいと判断せざるを得なかった。


 だが〈ニューアース〉から飛び立った銀色の〈ハーモニック〉は真っ直ぐに〈スサガペ号〉へ向かってきている。

 艦としては足の速い〈スサガペ号〉だが宙間決戦兵器には劣る。

 戦闘しようにも強襲輸送艦であるため非武装の輸送艦相手にしか勝てない。

 誰かがなんとかしなければならない。


 その時オフィサー・メルヴィルが艦内放送で告げる。


『射出機作動中』


 誰かが出撃しようとしている。

 後部格納庫から前部射出機の様子は覗えない。


「戦闘ポッドでなんとかなる相手じゃないぞ。

 相手はユスキュエルだ。恐らくスーミアの戦闘データを持ってる」


 アイノがブリッジに通信を送るのだが、メルヴィルはそれは分かっていると返す。


『こちらでは出撃指示を出していません。

 何者かが勝手に出撃しようとしています』

「どこのバカだ」


 アイノの言葉に応じるように、艦内通信を使い、映像配信がなされる。

 宙間決戦兵器のコクピットに乗った男性。

 ぱっとしない、陰の薄そうな顔をした彼。見た目は30代くらいに見えるが、明日になったら忘れてしまいそうな没個性的な人物だった。


『事情は把握しました!

 一式宙間決戦兵器で出ます!!』

「把握できてない。止めろ」


 アイノが言いつけるのだが、すでに遅かった。

 彼は出撃を告げる台詞を叫んだ。


『冷やし中華始めました!!』


 それを合図にして射出機が一式宙間決戦兵器を撃ち出す。

 小麦色に塗装された、洗練されていない突貫工事で作られたようなデザインの宙間決戦兵器。

 それは向かってくる〈ハーモニック〉の進路を塞ぐようにして進む。


「何ですかあれは」タマキが問う。

「一式宙間決戦兵器〈冷やし中華〉。〈音止〉設計する前に試作した実験機」

「何故そんな名前をつけましたか」

「前に説明しただろ。ユイが決めたんだ。アマネも許可したぞ」

「そんな話――されましたね」


 タマキは以前、そんな話を食事時に聞いたことを思い出す。

 アイノは自分が設計したロボットについて命名案を求めたところ、昼食の注文の話だと勘違いしたユイ・イハラが「冷やし中華」と回答し、結果その通りに申請された。

 当時の上官――アマネ・ニシもそれを「新しい発想だ」と承認した。

 そんな馬鹿げた話だった。


「あの台詞は何ですか!! 冷やし中華始めましたって!」


 自称冷やし中華学会権威であるナツコが食いつく。

 アイノは答えるのも嫌そうにしながらも律儀に返した。


「アクアメイズで中華料理屋が夏に冷やし中華を販売開始するときの定型文だ。

 面白いかと思って言わないと出撃できなくした。

 ――微塵も面白くなかったがな」

「ならそんな設定消しなさいよ」


 うんざりしたようにタマキが言うと、アイノもうんざりした調子で応える。


「そのつもりだったが、興味がなさ過ぎて忘れてた」


 あまりに馬鹿げた話にタマキは唖然とする。

 しかしそんなことを話している場合ではない。トーコが本質を尋ねる。


「で、あれは勝てるの?」

「機体スペックは〈音止〉に匹敵するが、まあ無理だろ。

 パイロットがクソ雑魚。トーコ以下だ」

「じゃあ無理だね」


 トーコは自分より弱いと聞いて、それでは〈ハーモニック〉相手には勝てないだろうと判断した。

 隣ではアキが「そんなことないと思うよ」などと主張していたので、トーコはそちらに問う。


「知り合いなの?」

「あなたのお父さん」


 トーコは言っていることの意味を理解するのに時間を要した。

 そして先ほどの彼の姿を思い出し、自分の頭を押さえた。悪い冗談にもほどがある。

 トーコはアキを問いただす。


「他に居なかったの?

 男なんて星の数ほどいるでしょ」

「星の数を把握してるの? それって恒星の話? それとも――」

「もういい。あんたは黙ってて」


 トーコはまだ話そうとするアキへ踵を返し〈音止〉へと向かう。

 それをアイノが制止した。


「何のつもりだ」

「だって〈冷やし中華〉は勝てないんでしょ。

 生き残っているうちに加勢すれば勝機もあるかも」

「バカを言うな。

 拡張脳のないお前じゃ話にならん」

「分かってるけど、他に居ないでしょ」

「アキにやらせた方がましだ」

「こんな自分で歩けもしない人間に何をさせるっていうの。

 コクピットにも乗れやしないでしょ」

「乗せてくれれば乗れるよ」


 トーコはアキの車椅子を軽く蹴って「バカ言ってないで」と言い捨てた。

 彼女は真っ直ぐに〈音止〉へと向かう。アイノが再び制止をかける。


「基礎講習終えただけのお前が拡張能なしで何ができる」

「拡張脳があればいいんですよね!」


 トーコが反論するより先に、ナツコが口を挟んだ。

 アイノは「何を言っているんだこいつは」と、自信満々のナツコの顔をにらみつけた。

 ナツコはそれに怯まず胸を張って宣言する。


「私が拡張脳の代わりに計算します!」


 アイノはあきれ果てながらも、バカげた宣言をしたナツコへ言いつける。


「お前が一体何の代わりになるんだ。

 追加で1人死ぬだけだ」

「そんなことありません。きっと大丈夫です」


 根拠もなく言い張るナツコ。

 トーコはその手を取って共に告げる。


「上手くやるよ。だから任せて。

 私たちは戦って生き残る」


 さあ行こうとトーコがナツコの手を引き、2人は〈音止〉コクピットへと向かう。

 アイノはまだ止めようとするのだが、アキがやんわりと告げた。


「大丈夫大丈夫。なんとかなるよ」

「お前の大丈夫は――」

「あてにならない?」

「あてになるから嫌なんだ」


 アイノは全てを諦めたように告げる。

 後部座席にナツコを乗せた〈音止〉は対外ゲートを通って宇宙空間へと飛び出した。


「有機ケーブル繋いで」

「はい」


 ナツコはコンソールから有機ケーブルを引っ張り出す。

 1度繋いだことがあるので手順は把握していた。

 鈍く光る先端部分を躊躇なく首筋に突き刺す。一瞬体から力が抜けるが、直ぐに有機ケーブルは神経と一体化した。


”みえてます?”

”みえた”


 有機ケーブルを介して意識の共有ができているのを確認。

 〈音止〉の制御コンソールからメッセージが飛ぶ。


”情報 : 拡張脳新規接続

 警告 : 拡張脳複数確認

  : 循環接続

 処理 : 第一拡張脳接続完了 正常動作確認

 処理 : 第二拡張脳接続完了 正常動作確認”


 ナツコの左右1つずつある特異脳が〈音止〉に認識される。

 トーコは〈音止〉の設定変更。新規拡張脳へはエネルギー供給せず、仮想的に存在するものとして扱う。

 〈音止〉の出力制限を解除するため、拡張脳起動シーケンスを流す。


”二式宙間決戦兵器〈音止〉

 起動最終確認

 全機構点検  : 冷却機構破損

 冷却機構   : 起動失敗

 脳接続    : 確認

 第一拡張脳同調率 : 99% ―― 完全同調

 第二拡張脳同調率 : 99% ―― 完全同調

 主動力機構 : 正常稼働

 起動最終確認終了

 〈音止〉起動可能

 〈音止〉起動 : 是 / 否 …… ”


 拡張脳――ナツコの特異脳との同調率が異様な数値を示している。

 実の母親であるアキの特異脳を上回る同調率。

 だが数値が高いのであればそれは喜ばしいことだ。トーコは意識を送り”是”を選択した。


”二式宙間決戦兵器〈音止〉

 全安全装置 : 解除

 主動力機構 : 全力稼働 出力99%

 拡張脳 : 並列稼働中

 ……冷却機構起動失敗

 ――警告無視

 ――〈音止〉起動”


 冷却機構はオーバーヒートして起動できない。

 冷やすべき拡張脳が完全に破壊されているが、コアユニット側の冷却にも問題が生じる。

 最大出力を発揮できるのは極めて短時間。


”できるだけ短時間で決めたい”

”はい! 分かりました!

 センサ情報拾えそうです。処理して渡しますね。

 ――あれトーコさん。何ですかこれ”


 有機ケーブルを介した情報のやりとりを試行するナツコ。

 彼女はトーコの脳に存在する、不可思議な一時記憶領域を見つけた。


”多分、拡張脳の情報量に耐えるためにできた領域。

 といってもちょっとしか役に立たなかったけど”


 拡張脳による情報供給過多を受けた結果として生まれた領域。

 これによってトーコは大量の情報に対する若干の耐性を得ていた。


 それでも次から次へ送りつけられる拡張脳からの情報に対して、その領域はあまりに小さい。

 直ぐに記憶領域は情報であふれ、結局通常の脳領域へと情報が浸食する。


 拡張脳は、アイノが外科手術によって摘出し、高出力のエネルギー源と接続することで稼働させていた演算ユニットだ。

 機体センサやトーコから与えられた計算結果を、人間が理解できる形に加工して渡すことしかできなかった。


 だがナツコは違う。

 何を算出すべきか。どこへ値を渡すべきか。

 自分で考え、自分で選択し、自分で実行できる。


”これって理解できます?”


 試しにトーコの一時記憶領域へと周辺情報を押しつける。

 その一時記憶領域は、ナツコの持つ一時記憶容量よりずっと大容量で、それでいて十分高速に書き換え可能だった。


”あれ? 凄い。――理解できる”


 周囲の空間情報と、存在する物質の保有エネルギー、未来位置予測を同時に書き込んだ。

 それはトーコにも同質な情報として認識可能だった。

 書き換え速度が上がっていっても、切り替えられる情報に対してトーコは完全な理解を得られた。


”全部分かる! 宇宙が視えるよ!”

”行けそうですね! 操縦はお任せします!”

”了解。任された”


 ナツコは特異脳の演算速度を引き上げる。

 2つの特異脳は超高速演算を開始。

 計算に必要な数式や物理パラメータはナツコの一時記憶領域に保持。

 それ以外の空間情報や未来位置予測の情報をトーコの一時記憶領域に保持。


 演算を実行するのに速度の遅いナツコの長期記憶領域を使用しなくてよくなったため、演算効率が飛躍的に上昇。

 広大な宇宙空間に対する空間認識と未来位置予測をかけるのに十分な演算速度が得られた。


 トーコの認識能力が引き上げられ、宇宙は静止したように静かになった。

 演算において不要な情報を切り捨てる必要がなくなり、宇宙はありのままの色彩を持ったまま、時間だけが止まったように動き出す。


〈音止〉は戦闘中の〈冷やし中華〉と〈ハーモニック〉のもとへ真っ直ぐ飛び込んだ。

 至近距離で共鳴刀の一撃を受けた〈冷やし中華〉が正面装甲を剥ぎ取られて吹き飛ぶ。


「邪魔だから引っ込んでて」


 トーコは通信機へ向かって叫ぶと、〈冷やし中華〉の後部ハードポイントから近接武装を抜き取り、後ろ蹴りで機体を後方へと送り出した。

 パイロットの男性からの返答を完全無視。余計な情報は必要ない。


『僕は宇宙を再定義するんだ!』ユスキュエルがオープンチャンネルで叫ぶ。

「失敗したことをいつまでも!」


 トーコはユスキュエルの声に叫び返し、邁進して近接戦闘に持ち込む。

 武装は共振ブレードと〈冷やし中華〉から奪い取った近接武装、深次元ブレードだけ。

 だがこれだけあれば十分だった。

 深次元ブレードの刀身を展開。通常次元と深い次元の中間物質で形成された、半透明の刃が鈍い灰色に揺らぐ。


『失敗は君だろう!

 アキの劣化コピーの失敗作如きが!』

「あいつに作られた覚えはない!!」


〈音止〉は真っ直ぐに飛びかかり、共振ブレードを横薙ぎに払った。

 あまりに単純な動きなはずなのに、その攻撃は〈ハーモニック〉の右手に握られた共鳴刀を捉えた。

 共振を起こし、瞬間的に無限大の振幅を与えられた両者の武装が破砕される。


”転移砲来ます”

”了解。ちゃんと視えたよ!”


 〈ハーモニック〉の構えた右腕。

 未知の形状の武装が積まれていたが、ナツコはそれを転移砲と判断。

 前回作った転移砲の攻撃モデルをベースにして、新規転移砲の仮モデルを作成。

 トーコの一時記憶領域を使って計算することで、あっという間にモデル精度が向上。

 攻撃の存在確率を高精度で予測した。


「そこだ!」


〈音止〉が左手に持った深次元ブレードを振るう。

 刀身が転移法の攻撃に触れると、空間の揺らぎとして存在していたそれは、深い次元からの干渉を受け自己崩壊。

 歪んだ空間を邁進し〈音止〉は距離を詰める。


『何故視える!?

 凡人には視えないはずなのに!!』

「残念だけど全部視えてる。全部ね」


 トーコが学習したサブリ・スーミアと〈ハーモニック〉の戦闘データ。

 ナツコが学習したユスキュエル・イザートの戦闘データ。

 事前データは十分。

 

 トーコの一時記憶領域を使った超高速演算は、物理演算による短期未来予測の精度と予測期間、確率・統計に基づく長期未来予測の予測精度を劇的に向上させた。

 さらにトーコの一時記憶領域を用いることで、演算結果やりとりのラグが極限まで小さくなる。


”撃滅可能”


 完全未来予測を可能とした2人。

 あらゆる勝利への道筋を算出し、確定した未来へと向けて突き進む。

 ユスキュエルの攻撃は絶対に当たらない。

 〈音止〉の攻撃は全て命中する。


 トーコは〈ハーモニック〉へと張り付き、縦横無尽に深次元ブレードを繰り出す。

 物理的強度を無視した近接攻撃が、〈ハーモニック〉装甲を抉り、武装を破壊し、可動部分を損傷させていく。


”瞬間移動来ます!”

”了解”


 ユスキュエルの戦闘思考を先読みし、空間が歪むより先に瞬間移動の使用と、再出現位置が予測される。

〈ハーモニック〉の姿がかき消えた瞬間に再出現位置への攻撃が完了。

 深次元ブレードが転移砲を切り裂き分解する。さらに切り返しが首筋を深く抉った。

 もうユスキュエルを完全に追い詰めていた。

 

「戦争のない平和な宇宙の邪魔をしないなら見逃すけど」


 トーコの問いかけに、ユスキュエルは最後の共鳴刀を引き抜いて応じる。


『そんなもの、夢の中にしか存在しない!

 宇宙は、僕が、再定義するんだ!!』


 共鳴刀の攻撃は〈音止〉装甲に掠りもしなかった。

 反撃の深次元ブレードが〈ハーモニック〉右腕の関節部分を両断する。


「そんな宇宙は夢の中にすら存在しないよ」


 トーコは冷たく言い捨てると、〈ハーモニック〉が伸ばした左手を関節可動部分から切断。

 それでも〈ハーモニック〉は機体ごと体当たりさせようと突進する。

 その先の未来は拡張脳を使わなくても予想可能だった。


 深次元ブレードが〈ハーモニック〉正面装甲に突き立つ。

 物理的強度の一切を無視し、刀身は装甲を貫き、コクピットブロックを貫通し、零点転換炉まで達した。


 ユスキュエルの最後の絶叫が木霊する。

 

 臨界爆発に巻き込まれないよう、深次元ブレードを手放したトーコはスラスター噴射で〈音止〉を後方へ飛び退かせた。

〈ハーモニック〉は零点転移炉から真っ白な光を吹き出し、膨張したエネルギーに飲まれる。

 光の奔流は膨張しきると一瞬で収束し、後には塵一つ残らなかった。


「今度こそ終わりましたね」


 ナツコが声をかける。

 トーコは〈音止〉を制限駆動状態へと移行させて、首筋から有機ケーブルを引き抜くと応える。


「そうだね。

 ナツコ、頭は大丈夫?」

「はい。熱はありますけど冷やせば――

 あ! 〈冷やし中華〉!!」

「無理して作らなくてもいいからね」

「料理の話じゃないです。

 一式宙間決戦兵器のほうです」

「ああそういえば。

 まあ損傷たいしたことなさそうだし、自力で帰るでしょ」


 装甲に直撃を受けてはいたが、駆動系にも動力系統にもダメージなし。

 ほっといてもなんとかなるだろうとトーコは判断した。

 事実、〈冷やし中華〉は低速ながらも、〈スサガペ号〉へと向けて宇宙を泳ぐように進んでいた。


「トーコさんは大丈夫です?」

「不思議と吐き気はない。

 頭痛は酷いけど、直ぐ治ると思う」

「良かったです。

 結構雑に扱ってしまったので」

「拡張脳よりずっとマシだった。

 さ。〈スサガペ号〉に戻ろう」

「はい! これでようやく、故郷に帰れますね!」


 ナツコは〈ニューアース〉とユスキュエルを倒したことで、ようやく故郷のハツキ島へ帰ることができると笑顔を浮かべる。

 それに対して、トーコは浮かない顔をしていた。


「故郷ね」


 物憂げな表情をするトーコ。

 ナツコはそんな彼女へと朗らかに告げる。


「無理してレインウェルに帰らなくてもいいんですよ。

 学生時代にいじめられてても、友達が居なかったとしても、私はずっとトーコさんの妹ですからね。

 一緒にハツキ島に住みませんか?」


 提案にトーコはむすっとした表情を返す。

 ナツコは何を怒っているのかと首をかしげたが、直ぐに思い当たって素早く首を振る。


「ち、違うんです。

 見たくて見たわけじゃなくて、〈ハーモニック〉の戦闘データ探してたら偶然見つけてしまっただけで――」

「どいつもこいつも人の記憶をなんだと思ってるんだ」


 トーコはわざと機体を大きく揺らしながら〈スサガペ号〉へと帰投した。

 態度は怒っているように見せていたが、別にナツコに対して本気できれてる訳でもない。

 いじめられてたのは初等部前期課程の頃の話だし、友達が居ないのも事実。

 挙げ句に一度死亡通知を出されたせいでレインウェルには文字通り帰る場所なんてない。


 ハツキ島への移住提案は、トーコにとって嬉しいことだった。

 ちょっと怒って見せただけなのに本気になって謝る可愛い妹も居るし、変人揃いではあるが友達も居る。

 戦争も終わり仕事を失うだろうから、心機一転、新しい場所で生活を始めて見るのも良いかもしれないと思い至った。


          ◇    ◇    ◇


〈音止〉が〈スサガペ号〉の後部ゲートへと入る。

 ゲートが閉まり、重力・空気濃度が整えられると格納庫への扉が開く。

 ブリッジ要員までが格納庫に集まり大勢の人に出迎えられる中、〈音止〉が簡易係留されると、コクピットを開いてナツコとトーコが外へ飛び出した。


 こういうとき一番に駆けつけてくるイスラとカリラ、サネルマがまだ宇宙空間を脱出艇で彷徨っているので、周りを取り囲んだのはキャプテン・パリーやロイグ・アスケーグを始めた宇宙海賊の面々だった。


 だがアイノがやってくると、彼らはすかさず道を開く。

 小さな歩幅で2人の元へと歩み寄るアイノ。

 彼女はナツコの前に立つと頭を下げるよう要求し、従ったナツコのヘルメットを取り外す。


「なんです――痛い痛い!! 痛いです!」


 髪の毛を引っ張り、ナツコの頭を揺さぶるアイノ。

 彼女はその中身を見通さんばかりに目を細めて見つめるのだが、結果は芳しくなかったらしい。

 後ろを振り返り、フィーリュシカへと視線を向ける。


「おい。こいつは一体何者だ」


 身体を動かせないフィーリュシカは答えられない。

 通訳のためにとタマキが向かうのだが、それより先に、車椅子に乗ったアキが2人の元へたどり着くと、力の入らない足で立ち上がった。


「――大きくなったね」


 アキは2人を抱きしめる。

 トーコは恥ずかしそうにしていたが拒否することはなかった。

 反面、ナツコは何が起きているのか分からずきょとんとしている。そんな彼女へとアキが声をかける。


「フユコでしょ?」

「ナツコです」

「あれ?」


 アキは思っていたのと違う結果が返ってきたのでアイノへと視線を向ける。

 だがアイノは彼女以上に何が起きているのか把握していない。

 もう一度アイノはフィーリュシカへと問いかけた。


「どういうことだ」


 フィーリュシカはタマキの脳へと“手”を伸ばし、意識を介してタマキへと回答を伝える。


「ナツコさんはアキさんの娘だと」

「聞いてないぞ」

「聞かれていないそうです」

「報告の義務がある。事前に伝えろ」

「だそうです」


 タマキはフィーリュシカへとそう投げかける。

 彼女は意識を介して”そんな義務はない”と伝えたのだが、タマキは意図してそれを報告しなかった。


 アイノの追求の矛先は既にフィーリュシカではなく宇宙海賊へ向かっている。

 こっそりと逃げだそうとしていたパリーとロイグだが、アイノの視線に捉えられるとその場で直立不動の姿勢をとる。

 逃げるつもりはないという意思表示であろうが、その目線はアイノから逸らされた。

 2人に代わってオフィサー・メルヴィルが答える。


「廃棄しろと伝えられましたが、方法は指定されなかった。

 ロイグが未熟児を育成する技術を有していたので、彼が育て、ハツキ島の孤児院へ送りました。

 名前についてはこちらのミスです。申し訳ありません」


 アイノは報告を受け、実行した主犯であるロイグを睨む。

 彼は命令に背いた行動を咎められるのではないかと背筋を凍らせたが、アイノは大きくため息をつくと顔をしかめて告げる。


「何故報告しなかった。生育可能ならそう伝えるべきだ」

「はい。おっしゃるとおりです」


〈スサガペ号〉の債権を握られる宇宙海賊はアイノに逆らえない。

 その上ロイグは妻の主治医であったアイノに対して個人的な借金がある。言いつけられたらハイと答えるほか選択肢はない。

 返答を受けた後、アイノは顔をほころばせた。


「――だが良くやった」


 許しを出されたロイグはパリーと抱き合い、無事を祝う。

 一方、ナツコとトーコはお互いの顔を見つめ合う。


「つまり私とトーコさんは本当の姉妹だったんですね」

「そうみたい。あんまり似てないけど」


 ナツコはアキの顔を見やる。

 年齢を重ねて老けてきては居るが、確かにトーコの顔立ちと似通っていて、彼女が本当にトーコの肉親であると分かる。

 その点、ナツコの顔とは共通点を見いだすのは難しかった。瞳と髪の色くらいしか似ていない。


 でもナツコは深く考えることもなかった。

 ナツコの故郷はハツキ島で、孤児院の院長夫婦が彼女にとっての両親だ。

 出自が分かったとしてもそれが変わることはない。


 〈ニューアース〉の残骸が、最後の爆発を起こして宇宙に散った。

 宇宙へ舞う光の軌跡を見て、全ての戦いが終わったのだと再認識する。

 ナツコは大きく声を上げた。


「さあ、ハツキ島に帰りましょう!」


          ◇    ◇    ◇


「綺麗なもんだ」

「そうですわね」


 脱出艇のコクピットでイスラとカリラは宇宙を見上げる。〈ニューアース〉最後の爆発は花火のように宇宙を鮮やかに彩っていた。

 

 後ろの座席にはリルが座り、脱出艇は後部クレーンでサネルマの乗った脱出ポッドを牽引中だ。

 大型の脱出艇をブリッジへと送ったため、こちらは小型脱出艇。

 脱出ポッドを牽引しているため重量がかさみ、推力不足でゆっくりとしか進めていなかった。

 それが爆発の余波を受け、せっかく前向きに動き始めていた機体が後方へ流され始める。


「外れ引いたな。

 早く助け来ないかな。今頃向こうは宴会だろうよ」

「全く、お姉様を最優先しないだなんてあり得ないことですわ」

「お。なんか見えたぞ。お宝かも」


 突然、イスラが窓の外を指さした。

 カリラもノリノリで外を見て宝物を探す。彼女にとってイスラの言うことは正しい。彼女がお宝と言えばそれはお宝なのだ。

 やがて黒い小さな物体が漂流しているのを見つけた。

 リルは1人冷めた様子でバカなやりとりをしている姉妹を見ていた。


「いいから針路戻しなさいよ。

 外に何かあったって、回収できやしないんだから」


 クレーンは脱出ポッドを牽引しているし、この脱出艇に船外の漂流物を回収する能力はない。

 ――はずだったのに、イスラはその”宝物”の方向へと舵を切った。


「お姉様、若干右。そうです。船首を上向きに。このままゆっくり真っ直ぐ……」

「届きそうだ。足持っててくれ」

「かしこまりましたわ」


 窓を開けようとするイスラとカリラ。

 当然、そんなバカな行動は許されない。

 ここは宇宙だ。車の窓を開けるのとは訳が違う。


「少しは頭使いなさいよ!

 宇宙よ宇宙。あんたらの〈R3〉は宇宙空間で活動できるように作られて居ないでしょうが」

「ちょっとくらい大丈夫だって。

 リルちゃん操縦桿握っててくれ。真っ直ぐ持っててくれりゃいい」

「はあ!?

 バカ言わないで、宇宙艇の操縦なんて知らないわよ! 人の話を聞け!!」

「リルちゃん酸素マスク」


 イスラはそれだけ言うと有無を言わさず脱出艇の窓を開放した。

 酸素マスクを噛み、片足をカリラに支えられて船外へ。

 漂流物へと手を伸ばすが若干届かない。


「おチビちゃん足持ってくださる?」

「操縦桿握ってんのよ!?

 大体こっちは肋骨折れてんのよ!」


 それでもリルは律儀にカリラの足を持った。

 やがて船外に飛び出していたイスラが目標の漂流物を掴み合図を出す。

 直ぐに3人は船内に戻り、脱出艇の窓は閉じられた。


「だからバカは嫌いなのよ」

「金髪おチビちゃんみたいなことを言いますのね」

「一緒にしないで。戻ってきたなら操縦替わりなさいよ」


 リルはカリラへと操縦桿を握らせ、自分は後部座席に戻る。

 この中では一番怪我が重いのだ。ゆっくり休みたかった。

 それでもバカをやらかしてまで回収してきた漂流物がなんなのかは気になる。

 リルはイスラへ尋ねた。


「下らないものじゃないでしょうね」

「そう思ったんだがなあ。なんだこれ?」


 漆黒の、光を全て吸い込んでしまうのではないかという輪っか。

 見ようによっては腕輪のようにも見えるが、装飾の類いは一切ない。


「なんでしょう?

 妙な違和感があるのは確かですが、どういった代物なのかは分かりませんわ」

「後で調べてみるしかないな」

「下らないものだったじゃない」


 リルはゴミを回収するために痛い思いをさせられたことが許せずむくれるが、からかわれるのが分かりきっていたので直ぐに取りやめる。

 幸い気がつかれなかったようで、イスラは脳天気に笑って告げる。


「ともかく回収するものは回収できたし、さっさと〈スサガペ号〉へ戻ろうぜ」

「だから助けに来てもらわないと無理だって言ってるでしょ」


 リルに言われて状況を思い出したイスラ。

 推力を調整して〈スサガペ号〉へと向けてのんびり進みつつ、向こうから迎えに来てもらうほかない。


「早く助けに来ないかな」

 

 イスラは呟く。

 結局、〈スサガペ号〉に回収されるまでの30分ばかり、脱出艇の3人と脱出ポッドのサネルマは宇宙を漂い続けた。

 

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