第300話 最終決戦 後編
時間が静止したようにすら感じる世界の中で、ナツコはユスキュエルの装備する機体へと意識を向ける。
〈アルケテロス〉。ユスキュエルが開発した彼専用の機体。
基礎フレームは素材を複雑な形に加工することで、効率よく力を分散させて軽量ながら重砲運用可能としている。
主武装が右腕42ミリ対装甲砲。サイドアームとして口径30ミリほどの滑降砲を装備しているが用途不明。投射機でも火砲でも無さそう。
副武装に左腕14.5ミリ機関銃。左腕の骨は砕かれているが機体フレームは健在。投棄せず装備し続けている。
機体動力源は零点転移炉。ナツコには原理が分からないため出力予測は不可能。
フィーリュシカからおおよそのパラメーターを与えられたので、深く理解しようとせずその程度の出力能力が有るとだけ把握しておく。
特殊機構として空間の歪みを使った瞬間移動。
移動可能距離、所要時間不明。
空間の歪みを副次的要因による認識でしか捉えられないナツコには予見不能。ただフィーリュシカなら空間が歪む前兆を捉えられる。
こちらは〈ヘッダーン5・アサルト〉。第5世代型突撃機。
機体損傷は無し。ただし左腕20ミリ機関砲は投棄済み。
機動力では劣るし、個人用担架にフィーリュシカをくくりつけている。彼女を守りながら戦わなければいけない。
その分、フィーリュシカの”手”を扱える。
”手”は深い次元へと直接干渉することで、通常次元の物理法則を一時的にねじ曲げられる。
武装は左腕リボルバーカノン。
後は個人防衛火器と左利き用の拳銃〈アムリ〉。
近接武装として振動ブレードとハンドアクス。
対歩兵爆雷は先ほど使ったので打ち止めだ。
エネルギー残量は十分。冷却剤も問題無し。
冷却塔増設済みの改造機体のため、コアユニット動作率100%での長時間連続稼働可能。
特異脳の最終確認。
左右、両側の特異脳全力稼働可能。
周辺情報観測、短期未来予測、長期未来予測、肉体制御を並列実行。
ブリッジ内部に存在する全物質の存在座標と保有エネルギーを観測し、力学的な未来位置予測をかける。
ユスキュエルとその乗機〈アルケテロス〉の動きに関しては、思考という無限乱数が介在するため、確率と統計による長期未来予測を実施。
予測された未来位置に基づいて肉体を制御し、〈ヘッダーン5・アサルト〉を操る。
ユスキュエルはナツコが相手だからと侮っている。
攻めるなら今が好機。
ナツコは邁進し一気に距離を詰める。
接近に対してユスキュエルが反応。だが待避しようとはしない。もう一度接近戦を受けるつもりだ。
反応速度は人間の限界を超えている。
だが特異脳による認識能力の強化は、超微小時間で反応するユスキュエルの動きすら捉える。
彼は接近に対して近接戦闘を受けるように振る舞いながらも、折れた左腕を動かして14.5ミリ機銃を指向させる。
ナツコはその動きを読み取り、絶対に命中弾が出ないルートへ移動。
即座に動作を修正されるが、対抗するように位置取りを微調整。
時間的にはごく僅か。
表面的には距離を縮めているだけだが、2人の脳内では激しい未来位置予測の応酬が繰り返された。
――反応速度が速すぎて未来予測が追いつかない。
ユスキュエルはナツコの未来位置予測が導き出す結果を学習し、予測精度を向上させていた。
次第にユスキュエルの反応がナツコの予測を上回っていく。
――だったらその反応すら予測してみせる。
ナツコは右脳側特異脳だけで未来位置予測をしながら、左脳側特異脳で長期未来予測をかける。
それはユスキュエルの学習経路すら予測し、本来無限乱数であるはずの人間の思考を予測可能な数式に置き換えた。
〈アルケテロス〉の銃口がナツコを捉えた。相対距離僅か2メートル。
銃口が火を吹いたが、銃弾は〈ヘッダーン5・アサルト〉の正面装甲へ浅く入り、DCSで外側へ逸らされた。
ナツコは更に1歩踏み込み、引き抜いた個人防衛火器を放つ。
至近距離からの小口径高速弾。
しかしユスキュエルは瞬間的に攻撃へと反応し、〈アルケテロス〉の薄い装甲とフレームで攻撃を凌ぎきった。
――反応速度が一瞬上がった。予測パラメータ修正。
特異脳は冷静に敵機行動を分析。
見積もりが甘かった〈アルケテロス〉の反応速度を再評価しパラメータ修正。
〈アルケテロス〉は一度距離をとった。
同時に42ミリ砲が構えられたが、ナツコは構うこと無く前進。
42ミリ砲の発砲にあわせてリボルバーカノンを放ち、砲弾を空中でぶつけて軌道を逸らす。
そのまま近接戦闘へ持ち込む。
「この凡人風情が!」
ユスキュエルもナツコの能力について把握しつつあった。
特異脳による未来位置予測は、彼の反応速度と戦闘知識による優位を覆しつつあった。
それでも彼は近接戦闘を仕掛けられるとそれに乗る。
ナツコが至近距離で構えようとした個人防衛火器を、〈アルケテロス〉左腕14.5ミリ機関銃の銃身が弾く。
武装を取り落としたがナツコは攻撃を続行。
右腕から移動用ワイヤー射出。ワイヤー先端のハーケンが〈アルケテロス〉左腕。先ほどアンカースパイクが突き立った箇所に命中。
ハーケンが展開し傷口を押し広げると、躊躇すること無くDCSのコマンドを叩く。
>DCS 運動制御 : 内破
ワイヤーを伝って運動エネルギーが送り込まれる。
想定されていない内側からの攻撃。衝撃に耐えきれず左腕基礎フレームが破損。
〈アルケテロス〉が14.5ミリ機銃を強制脱離させた。
ユスキュエルは与えられた運動エネルギーを転置して移動に回す。
姿勢を低くして切り上げるように42ミリ砲を向けるが、既にナツコはその側面へ移動していた。
〈ヘッダーン5・アサルト〉の回し蹴りが〈アルケテロス〉右側面を強く叩く。
「この僕を――」
機体重量の軽い〈アルケテロス〉は蹴り飛ばされ床を転がる。
ナツコの追撃は止まらない。
ユスキュエルの左腕に刺さったままのワイヤーを引き戻し、合わせるようにハンドアクスを投擲。
ユスキュエルは腕から無理矢理移動用ワイヤーを引き抜き、損傷の激しい左腕でハンドアクスを受け止める。
装甲の剥がれた左手にハンドアクスが突き立ち鮮血が舞った。
痛覚を遮断していたユスキュエルはそのまま戦闘を継続。
ナツコもこの程度で彼が倒れるとは思わず、追撃に走っていた。
リボルバーカノンを放ちながら飛びかかるように突撃。
砲撃によって移動経路を制限したところへと、振動ブレードを引き抜いて突き出した。
寸前、〈アルケテロス〉後部ハードポイントから落ちた共鳴刀が、ユスキュエルによって蹴り上げられた。
漆黒の刀身が振動ブレードの進路を塞ぎ、共鳴によって両方の刀身が粉々に砕ける。
ナツコはこの行動すら予測済み。
〈アルケテロス〉正面装甲へと向けてリボルバーカノンが指向完了し――
”空間湾曲検知”
フィーリュシカの声。同時にユスキュエルの姿が陽炎のように揺らめきかき消えた。
特異脳が高速演算を行い、世界が静止する。
灰色に染まった世界の中、かき消えたユスキュエルの姿がナツコの背後に現れていた。
構えられる42ミリ砲。
だが仮想トリガーが引かれるより早く、空気の壁がユスキュエルへと襲いかかった。
フィーリュシカの”手”を介した深次元干渉。
砲撃直前だった42ミリ砲の砲口を塞ぐようにして大量の熱エネルギーが叩き込まれる。
空気が膨張し、装填済み砲弾に異常を生じさせたばかりか、〈アルケテロス〉を衝撃波で弾き飛ばす。
床を転がったユスキュエル。
彼は直ぐに姿勢を立て直した。
動作不良を起こした42ミリ砲が脱離されその場に落とされる。
ナツコは彼へとリボルバーカノンの砲口を向けて静かに告げた。
「もう勝ち目はありません。
あなたの負けです」
「いいや。僕は負けない。負けたりしない。
僕は天才なんだ!! 宇宙の真理が、僕を負けさせるわけがない!!」
〈アルケテロス〉右腕に装備されていたサイドアームが射撃可能位置へ移動。
戦闘継続の意思を向けた彼へと対して、ナツコはリボルバーカノンの仮想トリガーを引ききった。
回避・防御不能。
放たれたリボルバーカノンの専用砲弾。
だがそれは、空中で突然陽炎のように揺らいで消えた。
”空間湾曲検知”
――攻撃が見えない!?
特異脳が異常事態を告げる。
ユスキュエルは確かに攻撃を放った。
だがナツコにはそれを認識することが出来ない。
リボルバーカノンの砲弾を消し去るほどの攻撃が、認識出来ないが何処かに存在している。
緊急回避をとろうとしたナツコの視界に、6つの空間の歪みが赤く映った。
――フィーリュシカの認識を介して、見えないはずの攻撃が可視化されている。
瞬時に理解したナツコは回避を開始。
向かってくる空間の歪みの隙間に身を投じる。
その瞬間、赤い光が弾けた。
攻撃は空間構造を歪ませて、その空間ごと破壊する。巻き込まれたリボルバーカノンの砲身が捻れてしまい、修復不可能な損傷を負った。
「良く避けたじゃないか。
フィーネの眼を使ったな。
そうでなければ君には転移砲の攻撃は見えないだろう」
ナツコはリボルバーカノンを投棄した。
ユスキュエルの右腕。転移砲の砲口は正確にナツコを捉えている。
通常火砲ではあり得ない攻撃軌道・破壊能力。そして認識不可能という異次元の武器。
「もうお遊びはお終いにしよう。
凡人は所詮凡人だ。
小細工をいくら積み重ねたところで、天才には届かないんだよ」
転移砲が駐退した。
攻撃は見えない。だが確実に、不可視の攻撃が放たれたのだ。
”空間湾曲検知。眼を共有する”
フィーリュシカからの提案を、ナツコは拒否した。
”駄目です。フィーちゃんの能力は全部攻撃に使わないといけません。
レインウェル防衛戦で使ったアレ、直ぐに出来ますか?”
”問題無い”
”ではお願いします”
意識を介しての会話は直ぐに終わり、ナツコは戦闘へと集中する。
不可視の攻撃を避けなければいけない。
特異脳へと意識を向ける。
左右両方の特異脳に制限をかけず、とにかく最大量の演算能力を要求した。
不可視の攻撃を見なければいけない。だが不可視である以上、見ることは出来ない。
だったら――
――見えないものを見ようとするな。見えるものだけ見れば良い!
異常発達した脳組織が燃えるように熱くなり、灰色に染まった世界を構成するあらゆる物質の存在座標を捉える。
転移砲の攻撃はナツコには認識出来ない。
それでも攻撃が存在する以上、認識出来る物質に対して何らかの作用を施す。
そして攻撃はフィーリュシカの視覚を通して1度見ている。
転移砲による攻撃を表現する仮のモデルを作成。
当然、1度見ただけの原理不明な攻撃だからモデルは不完全だ。
だが無限分の1秒ごとに空間情報を取得。
認識出来る世界面における、通常とは異なる物理法則による変化を読み取り、仮のモデルのパラメータを逐次修正。
不完全だったモデルが精度を上昇させていく。
攻撃自体は認識不可能だから確実な回答は得られない。
それでも、攻撃の存在する確率の高い場所は計算によって導き出せる。
灰色に染まっていた世界。転移砲の攻撃が存在する可能性の高い領域が赤く光った。
「――そこだ!!」
転移砲による攻撃が炸裂。
存在していた6つの歪みが、周囲の空間をねじ曲げて破壊する。
――〈ヘッダーン5・アサルト〉はその6つの歪みをくぐり抜けるようにして前進していた。
「フィーちゃん!」
”了解した”
ナツコはホルスターから拳銃を引き抜く。
左利き用の拳銃〈アムリ〉。
その銃口は真っ直ぐにユスキュエルへと向けられた。
ナツコがDCSのコマンドを叩くのと同時に、フィーリュシカが残っていた全ての”手”を伸ばして深次元へと干渉する。
>DCS 電磁気制御 : 銃身
”深次元干渉 : 透過”
放たれた拳銃弾は展開された電磁レールによって加速されて、真っ直ぐに回避行動中の〈アルケテロス〉正面装甲へ。
〈アムリ〉の9ミリ拳銃弾では電磁レールで加速しても〈アルケテロス〉の正面装甲を貫けない。
だがフィーリュシカによる深次元干渉によって、拳銃弾を構成する物質の存在確率が書き換えられる。
仮想的に存在しなくなった拳銃弾は正面装甲をすり抜け、ユスキュエルの体内で実体化。
その肺胞を引き裂いた。
いかに痛覚を遮断しようとも、肺を内側から抉られては耐えられなかった。
ユスキュエルは吐血してその場へと倒れ込む。
執念で転移砲を構えようとするも、飛び込んだナツコがそれを踏みつけ、アンカースパイクによって機体から引き剥がした。
「――ごの゛僕がっ、こんな小娘に――」
「小娘でも、誰かと力を合わせれば、あなたみたいな人にだって届くんです」
ナツコはユスキュエルへと拳銃の銃口を向けたまま、アイノへ目配せする。
倒すことは倒した。これから彼をどうするかはアイノが決めることだ。
シアンの応急処置を終えたアイノは立ち上がると、ユスキュエルの元へ向かう。
その途中、〈ニューアース〉ブリッジに警報が轟いた。
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