最終決戦
第291話 〈しらたき〉宙へ
「こんなことも分からないんですか?」
宇宙戦艦〈しらたき〉艦内。
食堂に併設された厨房でナツコは認識の違いを指摘する。
冷やし中華の起源とは。冷やし中華とは何か。真に正しい冷やし中華とは。
そんなお説教をくらうのはアイノの使用人であるナギ・イハラと、宇宙戦艦〈しらたき〉の料理人トメ・ウメキ。
ナギは好奇心一杯にナツコの言うことに真剣に耳を傾け、トメも老人らしいのんびりとした調子で孫の小話に耳を貸すようにしていた。
「この冷やし中華は間違っていますよ。
本当の冷やし中華がなんなのか、私が教えてあげます」
「うーん。アクアメイズではこうだったんですけどね」
「だからこれは間違ったレシピなんです」
ナギの作って見せた冷やし中華は、小麦を主原料とした麺を使い、タレは醤油ベース。具はキュウリ、トマト、錦糸卵、ナス、ハムに胡麻を振りかけ、傍らにはカットされたスイカが並ぶ。
ナツコは本来あるべき冷やし中華の姿を図説して、この部分が違う。そもそも中華料理にスイカを使うのはおかしい。地球時代の文献の記述はこうであると、相違点を並べ立てる。
「なるほど。勉強になります」
「奥が深い料理だったんだねえ」
ナギとトメはすっかりナツコの冷やし中華に対する熱意に感化され、なるほどメロンかと納得しつつあった。
だがそんな2人に対して、お菓子を取りに厨房にやってきたアイノが釘を刺す。
「そいつの言うことは無視して良い。
冷やし中華のレシピは変えるな」
「アイノ様がそう仰るなら」
ナギは頷くが、ナツコがそんなのは許さないと声を上げる。
「ちょっとアイノちゃん! 冷やし中華の正しいレシピはこっちなんですよ!」
「うるさい奴め。
正しくなくてもいい。あたしゃこれまで食べてきた冷やし中華が好きなんだ」
「な、なんということを! 冷やし中華学会に対する冒涜です!」
ナツコはこと冷やし中華が関わると融通が利かない。
アイノに対しても本来の冷やし中華があるべき姿を説こうとするのだが、当然彼女はそんな与太話に付き合おうとはしなかった。
「バカバカしい。
おいばあさん。このアホ女を厨房には立たせるなよ」
「まあまあ。艦長さんがそう言うならそうしますけどねえ」
「あ! アイノちゃん酷い! 私の仕事を奪わないでくださいよ!」
「お前の仕事は部屋で大人しくしてることだ。
これ以上騒ぐならつまみ出すからな」
厳しく言いつけられて、アイノも一切取り合うつもりも無いと回収すべき物を回収すると厨房から出て行ってしまう。
ナツコはその背中を見送るしか無かった。
「ぐぬぬ。
アイノちゃんったら、惨い仕打ちを」
「アイノ様は食事にこだわりがありますからね」
ナギがおっとりとそう述べる。
確かに言われてみればと、ナツコは過去のアイノの言動を思い返す。美味しくない保存食には手をつけなかったり、ことあるごとに合成肉では無く養殖肉や天然肉を要求する。
アイノにはアイノなりの食に対する考えがあるのだろう。
「でも厨房に立つなは酷すぎますよ」
「艦長さんも本気で言ったわけじゃないと思いますよ。
人も増えたし、手伝って貰えると嬉しいんだけどねえ。
ナツコちゃん手際が良いし働き者だから」
トメにそう言われてナツコも嬉しくなった。
「えへへ。じゃあアイノちゃんにばれないようこっそり手伝います!」
「そうして貰えると助かるわあ」
3人はナギの作った冷やし中華を食べると後片付けを始める。
途中、ナギがアイノの私室掃除のために離れると、ナツコとトメは2人で作業を続ける。
「そういえばトメさんって〈スサガペ号〉に居ました?」
ナツコは気になっていたことを問う。
〈しらたき〉厨房の調味料レイアウトは、以前〈スサガペ号〉の厨房で見たものと同じだった。
だとしたら同一人物が料理人だった可能性があると勘ぐったのだ。
「ええ、居ましたよ。
長期航宙に出るので料理人が欲しいと頼まれましてねえ」
「あ、やっぱりトメさんだったんですね。
ずっと料理人をしているんです?」
「ええ。昔から枢軸軍の軍艦に乗ってはお料理とかお掃除をさせて貰ってたんですよ。
〈しらたき〉が出来たとき丁度退役になったんですが、その手続きで軍の施設に出向いたら、そこでアイノさんに用務員として雇われまして。
ありがたいことにそれからずっと〈しらたき〉で働かせて貰ってます」
「じゃあベテラン中のベテランですね!
良い機会なので勉強させて貰います! 私、冷やし中華に関してはその道の第一人者であると自負してますが、料理人経験は浅いので」
「教えられることもあまりないと思うけどねえ。
でも手伝ってくれるならまずは仕込みから始めましょうか」
「はい! 頑張ります!」
◇ ◇ ◇
「もうお昼ですよ。いつまで寝ていますか」
「……今日は休みです。休みの日くらい好きなだけ寝させてよ」
寝起きのタマキはそこで違和感に気がつく。
脳が段々と覚醒していくと、その違和感の正体をつきとめた。
「母様? どうしてここに?」
タマキは飛び起きて寝起きの瞳をこすった。
元ユイ・イハラの私室。現在はタマキが借りている〈しらたき〉の船室に、何故か母親のフミノ・ニシがやってきていた。
彼女はトトミ首都に居るはずだった。
「テラー大佐に呼ばれました。
宙間決戦兵器の教官が必要だと」
「母様が教官? ああ、トーコさんの。確かに適任ね。
――待って母様。アイノとは知り合いなの?」
フミノは大きく頷く。
「ええ。おじいさまの友人ですから。
昔何度か家にも来てましたし。タマキだって小さい頃に会ったはずですよ」
「何歳の頃の話ですか。覚えているわけないでしょう。
どうして帰宅したときに教えてくれなかったのですか」
「聞かれなかったもの」
「そういうことを言う」
全く侮れない母親だ。
平然とこうやって娘をからかって遊ぶのだ。
「それで、タマキこそどうしてここに居るの?
カサネからはハツキ島に居ると聞いてましたよ」
「わたしは最後まで戦います。
宇宙軍士官の教育課程もとっていますから、艦隊戦でも役に立てるでしょう」
「あら。それもおじいさまのため?」
問いかけにタマキは一呼吸置いてから答える。
「それもありますけど、今はハツキ島婦女挺身隊のためにここに居ます。
彼女たちが戦うと決めたのだから、わたしは隊長として手を貸します」
タマキの答えに、フミノは柔和な笑みを浮かべた。
「そう。
それならば彼女たちの隊長として、しっかり頑張ってらっしゃい」
前向きなフミノの言葉。
タマキは問う。
「止めないの?」
「私があなたのやることに反対したことがありますか?
あなたがやりたいと思ったのならばそれはやるべきことです。
ただし、やるからには中途半端は無しですよ」
「当然です」
「ならばこんな時間まで寝ていてどうしますか。
やるべきことをやってらっしゃい」
タマキは反論できずに言葉を詰まらせる。
頬を膨らませようと、睨みをきかせようと、フミノには通じない。
「分かりました。起きれば良いんでしょ」
「良いも悪いも決めるのはあなたですよ」
「はいはい。
母様こそ、しっかり教官の仕事果たして下さいね。
トーコさんが〈ハーモニック〉相手に負けたら母様の責任ですよ」
「理解してます。
必ずレインウェル軍曹を一人前の宙間決戦兵器パイロットにして見せましょう」
「本当に、お願いしますよ」
「無論です」
フミノは再度きっちり起きなさいねと言いつけると部屋を後にした。
タマキはもう一度目をこすり、ベッドから降りると起きる準備を始めた。
◇ ◇ ◇
惑星トトミ内の無人島に停泊する〈しらたき〉。
その元へ昼過ぎになってから来客があった。
1つは宇宙海賊キャプテン・パリーとその一味。彼らは〈スサガペ号〉で〈しらたき〉に横付けすると、早速荷物の移動を始める。
もう1つの来客は、統合軍の軽フライヤー。
それはとても軍の所有機とは思えない乱暴な機動で着陸をかまし、あわや〈しらたき〉と衝突寸前であった。
〈しらたき〉ブリッジで管制を担当していたシアンは激怒したが、当のフライヤー操縦手は何事も無かったかのように平然と外へ出る。
「クレア、あなたは一度免許の更新試験を受けるべきです」
フライヤーの操縦を担当したクレア・ベクイットへ苦言を申し立てるコゼット・ムニエ。
だがクレアはその必要は無いとかぶりを振る。
「ご安心下さい。
無免許なので更新の必要はありません」
「そう。それは良かった。
免許取得できるまで操縦桿を握らないように」
「帰りはどうなさいます?」
「あなたはそんな心配せず、私の言ったことにハイと応じれば良いのよ」
「はい。分かりました!
流石はご主人様。頼りになりますね」
話のかみ合わないクレアに呆れるが、コゼットには彼女以外に信頼のおける人間が居ない。
運転には問題はあるが、身の回りの世話を任せる分には優秀だし、届いた電子書類を分類しておくくらいの事務作業も出来る。
2人は揃って〈しらたき〉へ乗艦し、到着の報告をナギに対して行うとあてがわれた居室へ向かう。
その途中で射撃練習へと向かう途中のリルとすれ違い、コゼットは思わず声をかけた。
「やはり乗艦していましたか」
「不満?」
「いいえ別に。
好きにしたらよろしい」
「ええその通りよ。
あんたがあたしのやることに口出しする権利なんて無いんだから」
コゼットはどうしてこんなことになったのかとため息をつくが、リルに無理矢理退艦を求めることもない。
ツバキ小隊がハツキ島を取り戻し役目を終えた今、こうして〈しらたき〉に乗り込んでくるのは予想出来たことだ。
「少し話いいかしら?」
「いいわけないでしょ」
コゼットの要求をリルは突っぱねる。
だが回答を一切無視して、クレアがリルの手を引いた。
「お嬢様ったら、そう仰らずに。
お飲み物もお持ちしますから」
「その呼び方止めろって何度も言ってるでしょ。
ちょっと離しなさいってもう」
だがリルもクレアの手を振りほどこうとはしない。
そのままコゼットの部屋まで連れて行かれ、不満一杯の顔をしながらもベッドに腰掛ける。
コゼットは椅子に座って、クレアへ紅茶を要求すると話し始めた。
「アキの娘はどう?
サブリには勝てそうなの?」
「そんなのあたしに聞く必要ある?」
リルは不機嫌を隠さない。
コゼットもバカバカしい質問をしたと顔をしかめた。その話は教官のフミノや最終的に出撃判断をするアイノへとするべきだ。
「ユスキュエルってどんな奴なの?」
今度はリルから尋ねる。
コゼットは彼についてはあまり話したくは無いという表情を一瞬見せたが、それでも語り始めた。
「一言で言うなら嫌なヤツ。
自分だけが天才で周りの人間は全部取るに足らないゴミ、みたいな態度を隠しもしないような人間だった。
それでも〈ニューアース〉設計の実績があるし〈ニューアース〉無しには連合軍は戦えなかったから誰も文句は言えなかった」
「あんたはともかく艦長も何も出来なかったの?」
コゼットは艦長が引き合いに出されると悲しげな表情を浮かべ、それから一呼吸置いて答える。
「そうね。そうなってしまうでしょうね。
艦長だけは彼のやることに意見していたけど、結局彼は聞き入れなかった。
最終的には艦長が彼を始末しようとして、失敗に終わった。
ユスキュエルは狡猾で用心深かった」
リルは「ふうん」とだけ相づちをうつ。
あんたはその時なにしてたのかと問い詰めてやろうかとも考えたが、コゼットが動いたところでどうしようも無かったのだろうと口をつぐむ。
所詮コゼットは〈ニューアース〉ではサブオペレーターだ。
それこそ、〈ニューアース〉設計技師であるユスキュエルに対しては何一つ出来なかったであろう。
「そんなヤツにあんたの知り合いはついたのね」
「サブリね。
彼女はユスキュエルに協力したと言うより、〈ハーモニック〉が欲しかっただけでしょう。
あくまで彼女の目的は〈音止〉に勝つことですから」
「アキ・シイジに彼氏を殺されたってヤツ?
戦争中でしょ。逆恨みも良いところよ」
「その意見は正しいですよ。
ただ、正しい意見だけが人を動かすとは限りませんから」
「あんたの周りは厄介な人間ばっかりね」
リルの言葉にコゼットは下唇を噛んだ。
憎たらしいことばかり言うが、自分の娘で、そして自分はその教育を放棄している。
今更彼女の性格について文句を言う権利など持ち合わせていない。
「で、アイノは信用して良いの?
形はどうあれ〈ニューアース〉の艦長殺してるんでしょ」
「その話は――しない訳にもいきませんね。
実際に艦長へとどめを刺したのは紛れもなくアイノ・テラーです。
彼女もその点については認めていますし、弁明するつもりもないと言っています。
信用に値するかどうかは、私には結論を出せません。
ニシ元帥閣下も、カリーナ艦長も彼女のことを信頼していたのは確かです。
それに彼女の手助けが無ければ〈ニューアース〉と戦えないという事実もあります」
「で、仕方なく信用してると」
コゼットは再び顔をしかめると、懐に手を入れて拳銃を取り出した。
女性向けの護身用拳銃。珍しい5発しか装填できないリボルバー。
元々アイノの銃であり、前大戦の最終決戦で〈ニューアース〉艦長カリーナ・メルヴィルを撃った直後、コゼットへと投げ渡したものだ。
それがリルの目の前に差し出される。
「何のつもり」
「あなたが持っていてください。
私はアイノ・テラーの評価について保留しています。
彼女が信頼に値する人間なのか。それともユスキュエルのように、相容れぬ存在なのか。
もし彼女が後者であると判断したならば、その時はあなたがアイノを殺して」
その頼みをリルは拒絶した。
「はあ?
そんなの自分でやりなさいよ」
「そうしたいのですが、私は彼女の近くに居られませんし、利き腕がこんな状態なので銃もまともに扱えません」
「自業自得よ」
言い捨てるがリルは顰めた目で拳銃を睨む。
他の誰かに頼めば良い。
そうも思うが、コゼットが一体他の誰に頼めるというのか。
アイノの助手は決して主人を裏切ったりしないだろう。
タマキはアイノ・テラーの監視者として適任な気もするが、アマネ・ニシの孫娘に頼める内容では無いかも知れない。アマネはアイノ・テラーに対して全幅の信頼を寄せているのだ。
それ以外のツバキ小隊の面々については、アホばっかりで話にならなかった。
「受け取るだけ受け取っておいてやるわ」
「そうして下さい」
リルは拳銃を手にした。
子供でも扱える拳銃だ。リルの小さい手には丁度良かった。
弾は1発だけ。生憎この種の予備弾をツバキ小隊は保有していない。
銃も今では生産されていない旧式のものだった。
「古くさい銃だわ」
「あなたのその銃も大概でしょう。
今時木製のストックだなんて」
「はあ?」
リルは自分が肩から提げていた狙撃銃について、まさかコゼットからそんな風に言われるとは思ってもみなかった。
彼女の顔を睨むが、あまりに無為な行動だった。
彼女は何が問題なのか以前に、そもそも今の発言に問題があったこと自体を認識していない。
「何か言いたいことがあるならどうぞ」
コゼットは怒ったような表情で告げる。
リルは冷めた目でそんな彼女を見た。
今更コゼットの評価が変わるはずもない。既に地の底に落ちていて下がりようがないから。
いくらその狙撃銃が、リルが飛行狙撃競技の大会に初めて出て優勝を飾った際に、母親がお祝いにと買ってくれたものであったとしても。
リルがそれを堅いクルミの銃床で何度肩を痛めようと使い続けていたとしても。
コゼットがそんなことを微塵も覚えていないとしても。
リルにとっては最早どうでもいい話だ。
「別に。
それよりハツキ島でロジーヌを見たわ。逃げられたけど」
「最終便で宇宙へ出たようですね。
サブリの側につくはずですから〈ニューアース〉に乗り込むでしょう」
「そ。それだけ分かれば十分よ」
リルは受け取った拳銃をしまうと立ち上がる。
そしてクレアが持ってきたアイスティーを一気に飲み干すと、余計なことを言われる前に立ち去ろうとした。
コゼットがその背中へ声を投げる。
「リル。この戦いが終わった後の話ですが――」
切り出された言葉をリルは一蹴した。
「後の話は終わらせてからにして。
あんたのやることはいつだって中途半端なんだから」
「いつだっては余計です」
反論を無視してリルは退室していった。
コゼットは紅茶に口をつけ、深く深くため息をついた。
◇ ◇ ◇
「おっ。通った」
イスラは食後の暇つぶしにと、レナートが残した論文の暗号解読を進めていた。
自分に残す以上、他の人間――ロイグやカリラ――に解けない内容でなければならないだろうと目星をつけて、幼少期のレナートとの思い出を元に解読キーを模索していたのだが、そのうちの1つが当たった。
隠されていたデータが解凍される。
1つはイスラへのメッセージ。もう1つは権利情報を記した書類データ。
とりあえずメッセージの方を開いて表示させる。
イスラのことを気遣う書き出し。
それからロイグがバカな詐欺と女に引っかからないよう見張りを頼む内容と、妹のカリラが大きくなるまで守ってあげるようにとの文面。
「もう立派に育ったさ。
親父の方はやらかしかねないけど」
イスラはメッセージを読み終えると権利情報を開く。
どうせロイグに遺産を残すとバカなことに使い込むから名義をこっちにしたんだろうと予測しながらも書類を表示させると、その内容に息を呑んだ。
「なるほどね。
こりゃあ良い物貰った」
記されていた権利情報は、レナート・R・リドホルム級強襲輸送艦〈スサガペ号〉に対する債権について。
レナートが所有していた債権は、イスラへと相続されていた。
「あらお姉様。
何か良いことありまして?」
「ああ。母さんからのちょっとした贈り物さ」
やってきたカリラへとイスラは権利証書を見せた。
内容を見てカリラもニヤリと笑う。
「お父様に見せたらさぞかし驚くでしょうね」
「ああ。いくらで買ってくれるか。
いや、売るにはもったいないな。こいつの使い方は追々考えるか。
残り4分の3の債権者とも折り合いつけなきゃどうしようもないし」
4分の1とはいえ、宇宙最高の航行能力を持った宇宙艦に対する債権だ。
宇宙海賊には返済する能力は無さそうだし、しばらく好き勝手こき使うことも可能であろう。
暇つぶしは終わったとイスラは立ち上がり、カリラと共に格納庫へと向かう。
〈しらたき〉格納庫の片隅にはハツキ島婦女挺身隊用のスペースが設けられて、〈R3〉の整備場になっていた。
〈スサガペ号〉が到着したので、そちらへと〈R3〉を移すように言いつけられていた。
「〈空風〉の改造は終わったのか?」
「ええ。後はお父様に製造を任せた3極式世界面変換機構を積み込むだけですわ。
――完成していればですけれど」
「きっと上手くやってるさ。
技術に関してはあのおっさんも使い物になる」
「そう信じることにしますわ」
カリラは〈空風〉のフレームとコアユニット、ブースターを換装し、基礎設計にも手を加えた。
産み出されたのは〈空風〉を越える〈空風〉。
3極式世界面変換機構による物理法則改変を前提として、真に宇宙で最速の機体となるよう改造されたそれは、最早〈空風〉と呼べる代物では無かった。
「機体名は? 自分の名前を入れるのか?」
「いいえ。そうしたい気持ちもありましたけれど、ベースの設計が〈空風〉の物ですから。
わたくしの名前を冠する機体は完全に1から設計した機体のために残しておきますわ」
「そりゃ楽しみだ。
それで?」
カリラは端末を示す。この宇宙において最速となった機体。
その名称をイスラが読み上げる。
「〈
「お姉様がそう仰るなら間違いありませんわ」
カリラはイスラの賛同を得られたことで機体名を確定させる。
宇宙最速の超高機動機〈颪〉。
当然、統合軍の規定する安全規格にも製造規格にも通るような代物ではないが、カリラにはこの機体を使いこなせる能力がある。
「あたしの機体は?」
「そちらも後はお父様次第ですわ。
と言っても、3極式世界面変換機構を積み込めるようにした程度の小変更ですから、最悪無くても今まで通り動きます」
「そりゃいいね。
ようやっと故障を気遣って動作させる必要がなくなるわけだ」
今まで本当に気遣っていたのか? と一瞬気になってしまったカリラだが、イスラが言うことはいつだって正しい。
疑問を飲み込んで、「これでお姉様は無敵ですわ!」と宣言する。
「〈アヴェンジャー〉も動かせるな。
リルちゃんの変態機は?」
「そちらは反動抑制のために物理法則改変機構を組み込んでいますわ。
大幅にマージンをとって組み込みましたから、もう壊れたなんて言わせませんわよ」
「そりゃあリルちゃんも喜んでくれるよ」
それでもリルなら壊しそうだなと、イスラは半分笑いながら応えた。
〈R3〉の改造は一通り間に合わせた。
フィーリュシカの専用機と、ナツコの〈ヘッダーン5・アサルト〉もハツキ島決戦での損傷を修理済み。
新生ハツキ島婦女挺身隊の装備は整った。
「親父から通信だ」
イスラは端末にかかってきた通信を開く。
直ぐにロイグの情けない声が響いた。
『ああ、イスラ。カリラもそこに居るか?』
「居ますわよ」
『そうか、それは良かった。
1つ頼みたいことがあるんだが――』
不穏な空気を察してカリラが問う。
「まさかとは思いますけれど、製造委託していた世界面変換機構が出来ていないなんてことはありませんわよね?」
『そっちは心配ない。
問題は別の機構なんだ。
〈スサガペ号〉に積まれていたレナートの秘密機構なんだが、ちょっと問題があってな』
2人は顔を見合わせた。
レナートが組み込んでいた秘密機構の存在を初めて知ったからだ。
その話は技術者である2人にとって、非常に興味を引く内容だった。
「どういう問題だ?」
イスラが問うが、ロイグは明瞭な回答を返せない。
『どういう問題か、と問われると難しい所だ』
「問題点が明らかになっていないとなると大問題ですわね。
どうして早く相談してくださらなかったのです?」
『不用意な通信は慎むようオフィサーに言われていたんだ』
2人はもう一度顔を見合うと肩をすくめた。
それからイスラはカリラへと「なんとか出来るか?」と問いかける。
「お母様の残した物でしたら読み解けるかも知れません。
時間は余りないですけれど機材は揃っているのでしょうね?」
『ああ必要な物は揃えた。
そっちに〈パツ〉のコアユニットもあるだろう。機材の問題は無いはずだ』
「なるほどね。〈パツ〉コアユニットわざわざ回収したのはその機構のためか。
ま、親父が困ってるなら手を貸してやるか。こっちの仕事も丁度終わったところだし」
カリラも頷いて、設計データを寄こすようにと要求を出す。
問題点の洗い出しをカリラが担当することになり、彼女は〈R3〉の運び出しをロイグへと押し付けると、早速作業に取りかかった。
◇ ◇ ◇
数日にわたって、トーコはフミノの元で訓練に明け暮れた。
戦闘シミュレータを使って宙間決戦兵器の操縦方法を習得。
更にその先の実戦技能について、前大戦時に行われていた厳しい手ほどきを受ける。
夕方になると疲れ果てたトーコは〈しらたき〉格納庫の片隅で死んだように休息をとる。
夕食の時間を終えたら訓練が再開される。
トーコは食事よりも休息を優先していた。
そんな状態が毎日続いたので、見かねたナツコが食事を持って格納庫を訪れる。
「トーコさん生きてます?」
「死んでる」
「食べないと本当に死んでしまいますよ。
少しでも良いので食べてください」
トーコは横になったまま、目を薄らと開けてナツコが持ってきた食事を見る。
消化に良い物をと工夫したのだろう。穀物を柔らかく煮込んだスープであった。
「それ熱い?」
「ぬるくしてあります」
「食べさせて」
「分かりました」
ナツコはスープをトーコの口に運ぶ。
胃は食べ物を拒絶しようとしたが、トーコは無理矢理それを飲み込んでいく。
「フミノさん、トーコさんは筋が良いって褒めてましたよ」
「あの鬼――じゃなくて教官が?」
「はい。アキ・シイジを教えたときのことを思い出すって。
――そんなに厳しいです?」
「私が未熟なだけかも」
トーコは身体を起こすと、後は自分で食べるからと食器を受け取った。
胃に物が入ると身体の方が空腹を思い出したようで、食事の手が止まらなくなる。
あまりに急いで食べ過ぎてむせると、ナツコがトーコの背中を叩き、落ち着いたところで水を渡した。
「ありがと」
「いえいえ。
まだ訓練、続けるつもりですか?」
ナツコの言葉にトーコはしっかりと頷く。
「続ける。
中途半端な状態で勝てる相手じゃないのは分かってるし。
アキ・シイジはあの程度の訓練、ものともしなかっただろうし」
トーコの体調を心配するナツコだが、彼女の意志は否定しない。
彼女は最初からそのつもりで〈しらたき〉に乗り込んだ。
ナツコがこの場所に来たのもトーコを止めるためではない。彼女の力になるためだ。
「無理しないでって言ってもトーコさんは聞かないでしょうけど、私が手伝えることがあれば何でも言ってください。
私、しばらく休養を言いつけられて暇しているんです」
「そうみたいね。何かあれば真っ先に相談するよ」
「はい、是非! 約束ですからね!」
トーコはしっかりと頷いて返す。
ナツコは食器を片付けると、まだトーコが話を聞いてくれそうなのを見て語りかける。
「お母さんのこと、分かって良かったですね」
「何も分からないよりはね。
ちょっと殴りづらくなったけど」
それでも会ったら殴るけどねと宣言する。
冗談ですよね? と疑うナツコだが、トーコはアキ・シイジについては再会できたらぶん殴ると決意を固めていた。
「あの人、パイロットとしてはやっぱり凄いよ。
大戦中の戦闘ログ追ってるけど正気じゃない。拡張脳使っても真似できないかも。
――何て言ってたらいつまでたっても訓練終わらないかも知れないけどさ。
間違いなくアキ・シイジは特別な人間だよ」
トーコは憂鬱気味に言った。
宙間決戦兵器の操縦技法を学べば学ぶほどに、どれほどアキ・シイジが異常な存在だったのか分かってしまう。
そんな彼女にナツコは優しい言葉をかける。
「私にとってはトーコさんも特別な人ですよ。
トーコさんが居なかったら私も、ツバキ小隊もここまで来れなかったはずです」
トーコは真っ向から肯定は出来なかった。
確かに〈音止〉でそれなりの戦果を上げては来たが、拡張脳があったからだ。
それでもナツコが気遣ってくれるのは嬉しかった。
「ありがと。そう言ってくれるのは嬉しいよ。
でも私が死なずにこれたのはナツコのおかげだからね」
「私ですか?
そんなに大したことをした覚えはないですけど」
首をかしげるナツコに対して、トーコは冗談めいて「ならそうなのかも」と軽く返した。
ナツコは「そんな言い方ってどうですか」と憤慨したがやはりトーコは軽くあしらって、もう話はお終いと会話をしめる。
「きっと次が最後の戦いになる。
お互い頑張ろう」
「そうですね。
はい。頑張りましょう」
次の戦いについて意志を固めると、トーコが次の訓練まで寝ると言いだしたので、ナツコは食器を持って格納庫を後にした。
帝国軍によるハツキ島強襲に端を発したハツキ島婦女挺身隊の戦いは、行き着くところまで行き着いて〈ニューアース〉との決戦までもつれ込んだ。
この戦いが終われば、またハツキ島へ戻れる。
ナツコも出来る限りのことをしようと、食堂へ向かいながらも脳の奥。異常発達した脳組織――特異脳へと意識を向ける。
得意脳内部に新規構築中の領域は上手く作り込めそう。
これが構築完了すれば今まで以上に皆の力になれる。
それまでは料理を頑張ろうと、ナツコはたまっていた食器に立ち向かい、洗い物に取りかかった。
◇ ◇ ◇
無人島にやってきてから10日。
ついに〈しらたき〉が〈ニューアース〉の接近を捉えた。
〈ニューアース〉は真っ直ぐにトトミ星系を目指している。
アイノは出撃命令を下した。
各員、出撃前最終確認を進めていく。
教官という役割を終えて退艦することになったフミノへと、トーコとタマキは別れを告げるため〈しらたき〉の昇降口に立つ。
「レインウェル軍曹。短い間でしたが、あなたは立派に私の訓練をやり遂げました。
あとは実戦で結果を残すのみです。存分に暴れてらっしゃい」
「はい。ありがとうございました、教官」
トーコはフミノへと敬礼を送る。
僅かな間の訓練ではあるが、トーコは宙間決戦兵器パイロットとして必要な技術の習得を済ませた。
続いてタマキが別れを告げる。
「では母様、行ってきます」
「ええ。家で待っています。
やると決めたからには全力を尽くしてらっしゃい」
「はい。そのつもりです」
タマキも敬礼し、フミノはそれに返礼した。
フミノを始め、最終戦闘に参加しない人員は退艦していく。
離陸を告げるサイレンが響く。
艦を離れた人達に見送られながら、遂に宇宙戦艦〈しらたき〉と強襲輸送艦〈スサガペ号〉は、〈ニューアース〉との決戦に向けて出撃を開始した。
宇宙へ飛び立った〈しらたき〉は〈ニューアース〉迎撃予定地点を目指す。
そこはトトミ星系外縁部。
前大戦時、最終決戦の前哨戦が行われた宙域だった。
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