第285話 カリーナ・メルヴィル
フノス首都星系のリゾート区画。
ショッピングエリアを歩き回り連合軍が居ないか探し回っていたユイだが、長距離の徒歩移動など久々ですっかり足が痛くなってしまった。
次から歩くときはしっかりしたブーツを履こうと後悔して、逃げるように通り沿いの喫茶店へ入る。
道路側が一面ガラス張りの明るい店内。
今時こういう店は枢軸軍勢力圏内では見ることもない。
ユイは端末を取り出してクレジット残高に余裕があることを確認してから席へ座る。
リゾートなど初めてなので、喫茶店でいくら徴収されるのか未知数だったのだ。
席に据えられた端末を確認する。アイスコーヒー1杯200クレジット。
軍の施設内食堂でちょっとしたディナーが食べられる値段だ。ユイの感覚からすると通常の5倍ほどふっかけられている。
これがリゾート価格という奴なのだろうと、ユイは受け入れて支払い処理を行った。
注文するとしばらくして給仕がトレイを運んで来た。
こんな所に人手を使うのかとユイは驚くばかりだった。
お高い、人の手で運ばれてきたアイスコーヒー。
それだけで不思議と美味しそうに感じるものだ。だが1口飲んでみても、それを美味しいとは思えなかった。
そもそもユイにはコーヒーの美味しさなんて分からない。それでも注文したのは、こういう店で一体何を注文するのが正しいのか分からなかったからだ。とりあえず注文画面の最初にあった物を頼んだに過ぎない。
どうせ高いなら飲みたいものを頼めば良かったと、周りの客が皆、色とりどりの飲料を口にしているのを見て項垂れる。
しかし注文端末を見るとどれもやはりお高い。フノス原産フルーツジュース1杯500クレジット。
新任少尉の懐には少し厳しい。
「申し訳ございません、お客様。
混み合って参りましたので、相席よろしいでしょうか?」
端末とにらめっこしていると給仕に話しかけられた。
ユイは自分は何かやらかしたのかと気が動転したが、言われた言葉の内容を理解して、肯定を返す。
「は、はい。大丈夫です」
「ありがとうございます。
ではお客様、こちらへどうぞ」
ユイの座っていた席の向かい側へ、女性客がやってくる。
歳は多分同い年くらい。
彼女の肌は白く、髪は金色で短く切りそろえていた。
その顔には見覚えがあった。――のだが、どこで見たのかまで思い出せない。かなり最近見た気がするのだが、他人のそら似のようにも思える。
「ごめんなさいね。相席だなんて」
「い、いえ、私は気にしませんので」
ユイがそう言って首を振ると、彼女は席に腰を下ろした。
直ぐに端末を操作して、先ほどユイがあまりの価格設定に躊躇したフルーツジュースと、大層な名前のつけられた仰々しい焼き菓子を注文する。
「1人で観光?」
女性に問われる。ユイはどぎまぎしながらも何とか受け答えした。
「いえ仕事です」
間違っても軍人であるとは言えない。
彼女もその答えに頷いて見せた。
「そうよね。何のお仕事?」
「機械部品の納入で」
「機械部品? 例えばどんな物?」
「え、ええと、あまり詳しくは分からないんですけど……」
ぐいぐいと質問を飛ばしてくる彼女。
ユイはしどろもどろになってしまう。軍人だと疑われるようなことがあってはいけない。
実態はともかく、今のユイは枢軸軍の新鋭戦艦〈しらたき〉の艦長だ。
所属が明らかにされたらフノス国防軍に拘束されるかも知れない。
「ふうん。分からないんだ」
彼女がそんな風に言うので、ユイは慌てて取り繕う。
「はい。その、新人で、事務員なので」
「そっか。でも事務員だからこそ自分が扱う商品くらい分かってた方が良いと思うわ」
「私もそう思います」
余計なことを言ったのは失敗だったと後悔する。
いつだってこうだとユイは頭を悩ませる。やらかしては後悔ばかり。
対して向かいに座った女性は、ユイとは正反対の性格をしているようだった。明るくはきはきと話す、快活な印象の女性。
ユイは彼女のことが気になってついつい尋ねた。
「お姉さんもお仕事ですか?」
「私は休暇で観光。
と言ってもお守りみたいなもんよ。付き添いで仕方なく来ただけ。
よりにもよって何でフノスなのよ。――何て、あなたに愚痴っても仕方が無いわね」
彼女は不機嫌を隠さず述べる。
付き添いで仕方なくとは言うが、いくら中立とはいえ簡単に来れる場所ではない。
それなりに裕福で、往復の宇宙船を用意出来るほどの後ろ盾が無ければ辿り着けない場所なのだ。
ユイは気になってつい尋ねてしまう。
「どちらの出身です?」
その質問を彼女は口元にだけ微笑みを浮かべて答えた。
「連合側と枢軸側どっちから来たのか聞きたいの?
だとしたら連合側勢力圏の出身よ。
あなたは――反応を見れば分かる。枢軸側ね」
図星をつかれてユイは反論できない。
それに彼女はユイが枢軸側の出身だと知っても態度を変えたりしなかった。
「と言っても関係ないわ。
フノスは中立でしょ。私たちもそうあるべきだわ」
「私も、そう思います」
リゾート区画は来る者を基本的には拒まない。
例外は戦争の火種を持ち込む人間だ。もしここで喧嘩をはじめようものなら拘束されて厳しい罰を受けるだろう。
そもそもユイは喧嘩を嫌った。相手が連合側の人間だからと言う理由で争う気にもならないし、争ったとして勝てる見込みはない。
「どうして戦争が続くんでしょう」
「宇宙全体でエネルギー資源が枯渇寸前だからでしょ。
それで100年以上戦い続けて、止め時が分からなくなってるのよ。
もう誰も、どうして戦争を続けてるのか分からない。それでも止まらない。止め方を知らないから。
どっちかが滅ぶしかないわ」
彼女は冷淡にそれが事実だと告げる。
でもユイはその言葉を信じたくないと首を横に振った。
「どっちかが滅ぶだなんて、私は嫌です。
私とお姉さんみたいに、立場は違っても仲良く出来る可能性があるはずです。
エネルギー問題さえ解決できたら、戦争のない平和な宇宙も夢じゃないと思います」
「戦争のない平和な宇宙ね。
今時おとぎ話にだって存在しないけど、夢を見るのは自由だわ。
それに、物さえ足りているなら分け合えるのも事実は事実よ。
おひとつどう?」
彼女は焼き菓子の載った皿をユイへと差し出した。
ユイはお礼を言って1つ手に取って囓る。甘いのだが少ししょっぱい、不思議な味だった。
甘味にはうるさいユイだがそれが美味しいかどうかは分からない。
それでも連合側出身の彼女と、お菓子を分け合えたのはユイにとって大きな出来事だった。
戦争中だろうが、個人と個人なら手を取り合える。
だとすればエネルギー問題が解決すれば、枢軸側も連合側も仲良く出来るかも知れない。
そしてきっと、親友のアイノ・テラーはエネルギー問題を解決できる。ユイにはそんな確信があった。
「ありがとうございます。あなたと相席できて良かったです」
「そんなに美味しかった?」
彼女はふざけてそう言うが、ユイの本当に伝えたいことはしっかりと伝わっていた。
彼女は続ける。
「私も、あなたみたいな人に会えただけでも来た甲斐があったわ。
名前聞いても良い?」
「はい。ええと、ナギです」
本名は言えない。
止むなくナギの名前を口に出す。遺伝子的にはほぼ一緒だから構わないだろう。
ユイが聞き返すと、彼女は微笑んで答えた。
「レミーよ。よろしくね、ナギ」
「はい。レミーさん」
ユイは彼女の名前を口にして、何かが頭に引っかかる。
レミー。
何処かで聞いた名前だ。何処だっただろうか――
記憶がつながり、思い出す。
レミー・メルヴィル。宇宙海賊の副艦長で通称オフィサー・メルヴィル。
彼女自身自分の名前を口にすることはないが、そういう名前だとパリー艦長から聞いたことがあった。
そして彼女のことを思い出すと、目の前に居るレミーが誰に似て居るのかはっきりと確信を持てるようになった。
オフィサー・メルヴィルの生真面目そうな顔とは異なって明るくきりっとした顔つきをしているが、確かに彼女には面影があった。
そしてユイはオフィサー・メルヴィルには妹が居ると、やはりパリーから聞いていた。
「もしかして、メルヴィルさんの妹さんですか?」
「姉さんを知っているの?」
彼女の顔色が変わる。
真剣にユイに対して問いただそうとした刹那、次の言葉は爆音で遮られた。
通り側の一面ガラス張りの壁が大きく揺れる。
彼女は慌てて立ち上がると窓側へ。爆発音のした方向を確認した。
「皆様落ち着いて下さい。
エネルギーラインの破裂があったようです。
危険ですので、屋外に出ず店内でお待ち頂きますようお願いします」
店員が声を張り上げる。
しかしレミーを名乗った彼女は、国防軍が区画封鎖を始めているのを見て、即座に店員へ詰め寄った。
「裏口あるでしょ。使わせて。悪いようにはしないわ」
5000クレジットの支払いコードを突き付けると、店員は関係者専用の通用口を手のひらで示した。
彼女は早足でそちらへ向かう。
「え、ちょっと待って」
明らかに怪しい動きを見てユイも立ち上がり彼女の後を追いかけた。
爆発と区画封鎖。国防軍が活動を開始したとみて間違いない。
通用口を通り抜け建物の裏手へ。
建物の密集したフノスリゾート区画の狭い裏路地を進む。
左腕にしていた腕輪を外し縁を軽く撫でた。
アイノが作ったその腕輪は、空間を折りたたんで内側に格納している。
ユイは腕輪の内側に生まれた真っ黒な空間へと臆せず手を突っ込み、目当ての物を見つけると引っ張り出す。
枢軸軍のビームライフル。
大気圏内では有効射程も威力も落ちるが、市街地内で使うならこれで十分。
エネルギー充塡。威力を調整し、レミーが走って行った路地へと突入し構える。
途端、銃身が跳ね上げられ、何が起こっているのか分からないうちに拳銃を突き付けられた。
「あなたも軍人ね。
どこにこんな物騒な武器を隠してたの?」
レミーは銃口をユイの頭部へ向けたまま、ビームライフルを奪い取り弾倉のエネルギーケージを取り外して地面に落とした。
「ここは中立地域ですよ」
ユイは両手をゆっくり掲げながらそう述べる。
「先に武器を構えたのはそっちよ」
「先に逃げたのはそっちです」
「ナギだっけ。偽名よね」
「レミーだって偽名です」
レミーを名乗る彼女はユイを壁際へ歩かせ、後ろ手に拘束バンドを取り付けると他に武器を持っていないか身体チェックを行う。
「ちょっと、止めて下さい」
「ビームライフルを持ち込めたんですもの、拳銃くらい持ってるでしょ。
ほら――本物?」
「本物です! もう、止めて下さい!!」
絶対何か仕込んでいるだろうと彼女はユイの胸をまさぐったのだが、生憎そこに武器の類いは隠されていなかった。
結局武器は見つからず、彼女はユイの端末を取り出してロックの解除を開始する。
「所属と名前」
「ここは中立地域ですよ」
「それはこっちの台詞よ。
一体枢軸軍はフノスで何をやらかすつもりなのよ」
「それはこっちの台詞です。
フノス国防軍にクーデターの話を持ちかけたのは連合軍です」
「そんな訳ないでしょ。
――国防軍がクーデター? 本気で言ってる?」
ユイは声を出さずに頷いて見せた。
彼女は耳に手を当てて、通信機へと問いかける。
「コゼット居る? 居るわね。フノス国防軍に動きがないか調べて。
そう、今よ。――政府中枢に部隊? 動向を探って。過去の履歴も追えたら追って」
彼女は通信を終えるとため息交じりにユイへと語りかける。
「どうもあなたの言ってることは半分くらい正しいみたい」
「私、ウソはついてません」
「連合軍がクーデターを持ちかけたなんて信じられないわ。
情報の出所は?」
「それは――」
本当のことを伝えてしまって良いのかユイは悩んだ。
口を割ろうとしないユイへと、彼女は語りかける。
「悪いようにはしないわ。
もし本当に連合軍がクーデターに関与していることが証明できるなら、あなたの安全を保証するわ」
そこまで言われて、ユイは口を開いた。
「リドホルム博士です」
「リドホルム? 錬金術師レナート・リタ・リドホルム? 技術総監の?」
「そうです」
彼女はユイに正面を向かせると、表情を読み取ってウソを言っていないか判断しようとする。
どうにもウソは言っていないようだがまだ判別がつかない。彼女は続けて尋ねた。
「他には。国防軍の首謀者とか、連合軍側の人間の名前とか聞いてないの」
「それは――。あ、確かユスキュエル――」
「ユスキュエル・イザート?」
「はい。そう聞きました」
今度こそ彼女は大きく表情を歪めて、ユイへその場で大人しくしているように言いつけるともう一度通信を繋いだ。
「コゼット。ユスキはそこに居る?
居ないわね。発信器つけてたでしょ。場所追って、大至急。
――外された? 3つも仕掛けたのに?
分かった。あいつの通信履歴調べられる? とりあえずここ1時間くらい。
フノス国内へ繋いでない? あなたそういうの調べるの得意でしょ。安心して、バレても私がなんとかする。
結果出たら教えて――もう分かったの?
フノス国防軍の首都防衛連隊司令所? 秘匿コードってことは大佐以上ね。そこまで分かれば十分よ。
乗組員全員に緊急招集かけて出港準備を」
通信を終えると、彼女は渋い表情を浮かべ、ユイの手から拘束バンドを取り外した。
「悪かった。
完全にこっちの責任だわ。
あのクソガキがカジノに行きたいなんて言い出すのはおかしいと思ったわ」
「分かってくれれば良いんですけど、あなたも知らされていなかっただけなんですね」
「恥ずかしい限りだわ」
彼女は奪っていたビームライフルを返却する。だが地面に落ちたエネルギーケージは拾い上げると自分のカバンへとしまい込む。
みすみす枢軸軍の人間に武器を返すつもりはないようだった。
「カリーナよ。カリーナ・メルヴィル。
今度は本名よ。あなたは?」
名乗られて、拘束を解かれた安堵感から、ユイはついつい本名を告げてしまった。
「ユイ・イハラです」
空気が凍り付く。
天才的な作戦指揮能力を有し、少尉ながら新鋭戦艦〈しらたき〉艦長を任され、滅亡寸前だった枢軸軍を立て直したユイ・イハラの名を知らない人間はこの宇宙に居ない。
「ユイ・イハラってあのユイ・イハラ?
〈しらたき〉艦長の?」
「あ、それは、その……建前上はそうなってます」
「建前上?」
「くじ引きで決めたんです。艦長。
だから私は、名前だけのお飾りなんです」
カリーナは絶句し、しばらく声も出せなかった。
連合軍にとっては悪魔であり疫病神であり、国民最大の敵であるユイ・イハラが、こんな威厳の欠片もない、間の抜けた小娘だとはカリーナに予想出来るはずも無かった。
「じゃ、じゃああなた、初戦後の追撃戦はどうしたのよ。
〈ニューアース〉の移動ルート特定して追撃してきたでしょ」
「それは操舵手がワームホール内で転舵しちゃって、外に出たら偶然〈ニューアース〉が」
「セルゲーレ星系の小惑星帯の戦闘は?」
「セルゲーレ? 確かに小惑星帯を通りましたけど、貝にあたって食中毒で倒れていたので、唯一無事だった通信士の子に全部任せてました。戦闘があったんですか?」
唖然とするカリーナ。
肩を落とし、当時のことを思い返すと気分を悪くして告げた。
「私たちはあの場所で地獄を見たのよ」
「そう、なんですか」
少なくともユイは当時、通信士のフィーネから何も報告を受けていなかった。
彼女はアイノが命じた「気持ち悪いから艦を揺らすな静かに目的地へ向かえ」という命令を忠実に実行して、翌日には何事も無いままセルゲーレ星系を抜けていたのだ。
「カリーナさん、〈しらたき〉と戦ったんですか?」
ユイは恐る恐る尋ねた。
〈しらたき〉はアイノが設計した宇宙最強の戦艦だ。
並の連合軍戦艦なら射程外から一方的に消し飛ばせる。彼女の言う「地獄を見た」というのは本当にその通りだったのだろう。
カリーナは頷く。
「ええ。何度も戦ったわ」
「何度も?」
そんなはずはないとユイは首をかしげる。
〈しらたき〉と戦って生き残れる艦は宇宙でたった1隻だけだ。
だがそんなユイの疑問を払拭するように、カリーナは告げる。
「連合軍大佐、カリーナ・メルヴィル。
新鋭戦艦〈ニューアース〉の艦長よ」
彼女の告白に今度はユイが言葉を失った。
ユイが士官になってからというもの、〈ニューアース〉との戦いに明け暮れていたのだ。
その艦長が目の前に居る。
それでもユイはこういうとき何と言ったら良いのか、どう行動すべきか分からず、混乱した挙げ句に手を差し出した。
「ええと、枢軸軍少尉、ユイ・イハラ。
一応〈しらたき〉の艦長です。よろしくお願いします」
ユイが差し出した手を、カリーナはしっかりと握り返した。
「よろしくユイ。
もし良ければもう少し話さない? 姉さんのこととか、これからの宇宙のこととか」
「はい。私も、カリーナさんとお話ししたいことがあります」
路地を進みながら、2人は新鋭戦艦艦長として話し始めた。
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