回想
第277話 3人目の助手
宇宙の外れに存在する惑星系。そのうちの何も存在しないはずの領域。
そこは枢軸軍ですら近寄らない虚無の領域のはずだった。
アイノ・テラーは1人宇宙艇を走らせながら、周辺宙域を観測。
通常のあらゆる観測装置には反応なし。
だが自分で手術を施し認識領域を拡張した脳は、その宙域に巨大な質量の存在を告げる。
人類には認識出来ない星が存在する。もとい、存在するはずの惑星が、外部から認識出来ないよう隠匿されている。
もしそれが意図的に施されたものだとすれば、一体誰がどのような手段によって行ったのか。
そこまでして隠された星には何が存在するのか。
科学者として興味が尽きることはない。
危険は承知の上だ。助手の2人は留守番に残してきた。
未知の星の重力圏内に到達。
されど重力が働かない。見てくれの物理パラメーターだけでなく、実際に物理法則を書き換えている。
それはアイノが考案した深次元物理理論に近しい働きだ。
尚のこと興味を引かれ宇宙艇を星のあるだろう地点へと向かわせる。
目の前に広がるのは無限遠の宇宙だ。
だが確かにこの先に星が存在すると脳が告げている。
宇宙艇を進める。
観測装置の情報に変化。大気の存在が報告される。
当たりだ。
観測装置に検知されない星。
その内側に入り込めた。
広がっていた無限遠の宇宙が歪む。
光景が目まぐるしく移り変わり、その先に開けてきたのは水に覆われた青い惑星だった。
恒星からの距離から考えて、水が存在できるはずはない。
大気温度は予想されたよりずっと低い。地球型人類でも酸素マスクさえつけたら生存可能な温度だ。
物理法則の書き換えは、外部からの隠蔽だけではなく、惑星内部の環境情報にすら影響を与えている。
アイノは惑星を周回。
地図情報を作成し、大海に浮かぶ小さな島に座標を定めて降下を開始する。
海は青く澄んでいた。
水の中にはクラゲのような何かが浮かんでいる。
拡大鏡で観測すると、それは人間の脳のような形状をしていた。
白く濁る半透明の外皮に覆われている。そして海を漂う無数の個体がか細い金色の糸で繋がっていた。
「思考クラスタか? となるとネットワーク型生命体?
物理法則改変の正体はこれか」
画像を取得。後で詳しく解析しようと各種データを端末に詰め込んでいく。
惑星全体を隠蔽し、環境そのものを自分たちの生存に適したものへ書き換える知的生命体。
局所的な物理法則改変ならでかいコンピュータなり、超高出力のエネルギー機関を用意してやれば原理上可能だ。
だれもそれをやらないのは、ほんの僅かな物理法則改変に対して必要な物資が割に合わないからだ。
人類は枢軸軍と連合軍の2つに分かれて戦争中で、過去の技術や知識をすり減らして闇に葬る仕事で忙しすぎる。
それをこの知的生命体と思われるネットワーク型生命は、恐らく惑星中の海に存在する個体を相互に接続し、超大規模演算を可能とする思考クラスタを形成している。
それだけではない。
アイノが外科手術によって獲得した、人間には認識出来ない領域に存在する物質の認知。
ここの生命体は先天的にその領域を認識する能力を持っているはずだ。
そうでなければ惑星を隠せるはずがない。
宇宙艇が島に接近。降下姿勢に入る。
島の観測情報を確認。陸地は僅か400平方メートル。
地殻流動によって形成されたのだろう。
島は新しく、黒い岩がむき出しで所々煙を吹いている。
海面から出ている部分がたったこれだけでも、海中を住処とするここの生命体にとっては大災害だったことだろう。
だがだからこそ、この区域だけは向こうからも容易に手出しは出来ない。
相手が友好的である保証はないのだから、安全に越したことはない。
種族間戦争を仕掛けるとしてもそれは最後の手段だ。
宇宙艇が島に着陸。
地面はまだ固まりきっていないアスファルトのように粘度があった。
アイノは野外活動向けに服を着替え、靴を履き替える。
宇宙服を改造した物だが、未知の惑星でもやっていけるだろう。
酸素マスクを装着。宇宙艇の扉を開け外へ。
計器によると島には生命体反応なし。
アイノはまず地表の探索を行う。
最近死んだ個体が地表に打ち上げられているかも知れない。その予想は当たった。
地表にむき出しになった岩に、未知の生命体の組織と思われる物質が付着していた。
細胞を壊さないよう採取し保管ケースへ。
いくつか回収していると、不意に金色の糸のような物体が風に流れてきた。
「おっと。
見えていないとでも思ったか?」
アイノは後ろに飛び退いてそれを避けた。
金色の糸は力なく風に流される。アイノは躊躇無くその先端をつかむ。
「ほう、隠れてたか。
単体でも意志はあるのか」
金色の糸を引くと、岩の下に身を隠していた――というよりは身動きのとれなくなっていたこの星の住人の姿が明らかになる。
部分的に計測器に引っかからないよう認識情報を書き換えていたが、もうその力も無いらしい。
だがアイノが掴んだ金色の糸は、手の内をするりと抜けると真っ直ぐに彼女の首筋へと突き立つ。
「神経を介して脳の制御を奪おうとするとは知能があるじゃないか。
だが相手が悪かったな。おっと抜かなくて良い」
自分の脳をいじっていたアイノには、脳へと侵入してくるその金色の手を防ぐことなど容易かった。
もしその生命体が本来の力を有していたのならそうも言っていられなかったかも知れない。
だが目の前のその個体は体力を失い死の淵に瀕していた。
最後の抵抗も失敗し、後は尽きるだけだ。
「どうして死のうとする。
自分の脳を焼くつもりか? 止めとけ。そんなに気持ちいいもんじゃない。保証する」
アイノは言葉を紡ぐ。
相手に聞こえているはずはない。何しろ耳がないのだ。
それでもアイノの脳と直接繋がれた金色の糸を介して、言葉によらず意思の疎通が出来る。
”我々の情報を渡すわけにはいかない”
「残念。もう手遅れだ。
別に貴様らを根絶やしに来たわけじゃない。
ちょっとした知的好奇心だ。少し調べたら直ぐ帰る」
”この星に部外者の立ち入りは許されない”
「それももう手遅れだ。
それより貴様、こんな場所で死ぬつもりか?」
アイノは岩の下敷きになった生命体へ尋ねる。
その個体が受けた損傷は外側の半透明な皮膚のような部分だけのようだが、それでも仲間から切り離されているのだ。
人間で言えば脳と皮膚しか持たない生命体。
仲間と集まりネットワークを形成することで初めて生存が許される生き物。
地表に叩き出された時点で死はもう確定している。
”そう”
生命体は死に対して何も思うことはないかのように、淡々と意志を示した。
「生きたいとは思わないのか?」
”どうして?”
何故生きたいのか? そんな疑問にアイノは回答を持たない。
だが別に答えが必要だとも思わなかった。
アイノは脳科学者だ。哲学者ではない。
そして目の前に未知の生命体。
それも脳科学者にとって絶好の研究対象ともなれば、利用しない選択はあり得ない。
あり合わせの答えで適当に話を進め、この生命体を自分の研究所に持ち帰る。
アイノが考えたのはそれだけだ。
「バカなことを聞くじゃないか。
貴様は今生きている。
命が必要無いのなら、地表に出た時点で死ねば良かった。その程度の力はあるのだろう」
”地表に出た群れは地形の修正を行う使命がある”
「使命ときたか。
お前にこの地形をどうにか出来るか?
そんなもの、海の中の集合でなければ為しえない。お前は群れにとっては不必要になったんだよ」
”理解している。だから活動停止を待っていた”
アイノはニヤリと品のない笑みを浮かべる。
「オーケー。
そこまで理解出来ているのなら十分だ。
群れはお前を必要としない。お前は単独では生存できない。
そこでだ。このあたしが貴様に生きる力を与えてやろう。
海の中に引きこもる連中には決して持ち得ない、個体として生き残る力だ」
”どうして?”
「貴様の持つ力が知りたい。
何を認識しているのか。どうやって物理法則に干渉するのか。
その研究にちょっとばかり協力して欲しい」
”違う”
アイノの言葉を生命体の意識が遮った。
”個体として生きる意味を尋ねてる。
群れとしての生存は必要。だが個体が生き残る理由は存在しない”
単体生存可能な地球型人類と、群体でしか生存できないネットワーク型生命体の決して埋まることのない溝。
この生命体には、個体が生存する意味を理解出来ない。
「さっきも答えた。
貴様は今生きている。それで十分だろう。
内心どう考えているのか知ったこっちゃないが、それでも間違いなく、貴様の本能は生存を求めている」
回答に対して、若干の間を置き生命体が意志を伝える。
”あなたは先ほど生きたいと思わないのか質問した。
こちらから聞きたい。あなたは何故生きたいと思う?”
もちろんアイノはその問いに答えを持たない。
でもそんなもの、やはりどうだってよかったのだ。
アイノは満面の笑みを浮かべて回答する。
「あたしの研究に力を貸すというなら教えてやろう。
だがまずもってその前に、生きていなければ生きる理由も分からない。そうだろう?」
”そう”
「交渉成立だ。
では研究所まで案内しよう」
アイノはそれで了承を得られたと一方的に決定して、生命体の元に赴き上に乗っていた岩をどける。
それから個体を抱えるように持ち上げて宇宙艇へと運び入れた。
丁度空いていた脳髄収容ケースに保存液を満たすと生命体を浮かべる。
離陸した宇宙艇は重力を振り切り惑星を後にする。
惑星から離れると、最早宇宙艇の計器からは星の姿は見えなくなった。
◇ ◇ ◇
「お前だ。出ろ」
アイノの使命を受けて、牢に入れられていた少女は外に出された。
美しい銀色の髪に、燃えるように赤い瞳。
1週間ばかり前にアイノ達が襲撃した宇宙連絡艇の乗客であった彼女は、収容生活を経て少しやつれていたが、それでもその美貌が消えることはない。
少女はアイノとその助手達に連れられて、ベッドの1つだけある小さな部屋に通された。
清潔で、隅々まで掃除の行き届いた部屋だ。
少女はベッドに座るよう言われて従った。ここではアイノの命令が絶対だ。破った収容者は罰を受ける。
「体調はどうだ?」
問われて、少女は答えなければいけないと口を開くが、思うように声が出ない。
喉を押さえていると少女の背中を、黒髪の助手――ナギが優しく撫でる。
「無理しなくて大丈夫ですよ。
まず体温から測りましょうね」
優しい声に少女も少しばかり落ち着いた。
アイノと助手達は少女を気遣いながら健康状態を確認していく。
突然拉致された彼女は食事をあまりとれていなかった。点滴が繋がれ血液に栄養が供給される。
それ以外は外傷もなく、健康だと判断された。
「お名前は?」
ナギが尋ねる。
すっかり落ち着きを取り戻した少女は、怯えながらもその問いかけに答えた。
「……フィーリュシカ・フィルストレーム」
「ふぃーぬ……? ええと、略して良いです?」
黒髪の助手の問いかけに少女は頷く。
舌を噛みそうな名前だとは昔から散々言われてきた。名前を省略されるのには慣れていた。
だがそんなやりとりをアイノが切り捨てる。
「どうでもいい。
横になれ」
少女――フィーリュシカは言われるがままベッドに横たわった。
呼吸器がつけられ、全身麻酔が施される。
少女の意識はあっという間に闇に落ちた。
「頭の悪い女にはもったいない身体だ」
アイノは用意していた培養装置を開ける。
中に入っているのは、例の生命体の入った脳髄収容ケース。
その生命体は金色の糸をケースの存在を無視して外に出すとアイノの額に突き刺す。
”研究に力を貸すとは言っていない”
「そうだったか?
だがここまで来る間も死ななかった。
生きたいと思っているのだろう」
”生きたいのではない。生きる理由が知りたい”
「どっちも変わりやしない。
安心しろ。質の良い体を用意してやった」
生命体に対して仮死化処理が施される。
アイノの脳と接続していた生命体だが、一切の抵抗はなく仮死化処理を受け入れる。
こうしてアイノ・テラーによって、地球型人類の身体に対する、未知の生命体の脳髄移植が行われた。
◇ ◇ ◇
「人間の手はそっちに曲がらないのよ」
ベッドの上で奇妙な動きを繰り返していた生命体。人間の身体には無事に移植されたのだが、その動きは不自然極まりないものだった。
絶対に曲がってはいけない方向に曲がった右手首を見てシアンが注意する。
だがその生命体は言葉の意味を理解出来ない。
もがくように不気味な動作を繰り返し、その度に身体を損傷する。
「声聞こえてんの?
あたしはここじゃあんたより先輩なのよ。つまり姉さんなの。それを無視するわけ?」
シアンが何を言っても聞く耳を持たない。
言葉を介したコミュニケーションについて、話す方もおろか聞く方すらままならない。
彼女はまだ人間の身体を与えられてそう時間がたっていない。赤ん坊も同然だった。
「直ぐ慣れるだろう。
肉体の損傷はいくらでも修理出来る。問題は無い」
「お母様!」
様子を見に来たアイノの姿に、シアンは歓喜の声を上げて駆け寄った。
それからうさんくさい者を見るように例の生命体を一瞥して問う。
「でもこんなのが研究の役に立つの?」
「立つさ。こいつには地球型人類には観測できない領域を観測する能力がある。
その力はこれから絶対に必要になる」
アイノは自信満々にそう告げるのだが、肝心の生命体は身体を起こすのに失敗しベッドから転がり落ちていた。
アイノはシアンと、医療キットを運んで来たナギに向けて指示を飛ばす。
「しばらく肉体を壊しすぎないよう教育してやれ。
こっちで修理パーツ培養しておく」
「任せて、お母様。
あのバカに人間の常識を叩き込んでおくわ」
シアンは指示を受けて、張り切って生命体の元へ向かいベッドに運び上げる。
ナギも折れてしまった生命体の右手首の手当に当たる。
アイノが退室しようとすると、ナギがそれを呼び止めた。
「アイノ様。この子の名前はどうしましょう?」
「何か無いのか?」
アイノは本人に尋ねたが満足な回答は戻ってこなかった。
「個体名は無いらしい。
こっちでつければ良い。他と区別がつけば良いさ」
ナギはそれを一任されたと受け取り思案する。
そして手術前に聞いた、この身体の持ち主の名前を思い出し――そうとしたが難解な発音の名前は霞がかかったように全容を思い出せない。。
「元の子の名前、フィーネ……なんでしたっけ?
舌を噛みそうな名前だったのは覚えているのですけど」
「しー、なんとかじゃなかった?」
シアンもうろ覚えの記憶を探ってみたがやはり正確な名前は思い出せない。
アイノはじれったいあまり後のことは丸投げした。
「何でも構わん」
もう言うことは無いとアイノは退室する。
結局、生命体の呼称については定まることは無く、それぞれがフィーやフィーネと、勝手に呼び方を決めた。
アイノと助手3人。それ以外は拉致した実験材料だけの研究所だ。
1人呼称があやふやな助手がいようとも、何の不都合も存在しなかった。
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