ハツキ島決戦
第253話 コレン補給基地
海岸線から1キロ離れているのに潮の香り漂う小さな丘。
以前は見晴台だった場所が高射砲陣地になっていた。
しかしそれももう過去の話。ここが高射砲陣地だったことを示す、高射砲と対空レーダー、弾薬庫はあっても、それを動かす要員は1人も居ない。
ただ1人だけ存在した統合軍中尉。
彼女は積まれた土嚢を腰掛けにして、遠く東の海を眺めていた。
「タマキ隊長。やっぱりここでしたか」
背後から声をかけられたタマキは振り向く。
やってきたのはナツコだった。タマキの顔を見て、子供みたいに無邪気な笑みを作っている。
「隣良いですか?」
タマキが頷いて見せると、ナツコは隣へと歩み寄って土嚢をまたぎ腰掛けた。
それからポケットから取り出したものを手渡す。その銀色の包み紙を見て、タマキは本当に貰って良いのかと首をかしげる。中身はチョコレートだ。物資統制下の今、その価格は高騰し続け容易には手に入らない。
「この間のキャラメルのお礼です」
「いつの――そういえば、そんなこともありましたね」
タマキはかつてこのコレン補給基地に訪れた時のことを思い出す。
まだツバキ小隊が正式に認可されていない頃。シオネ港からハイゼ・ミーア基地への道中、休憩に立ち寄ったのだ。
その時、タマキは自由時間にこの見晴台へ足を運び、そこでナツコへキャラメルを渡していた。
「でも高かったでしょう」
「タマキ隊長には助けられてばかりですから」
「それもそうね」
タマキはすんなりと受け入れてそのチョコレートを口に放り込んだ。
ナツコはそれを嬉しそうに眺めてから、もう1つ包み紙を取り出すと中身を口に放り込む。
第401独立遊撃大隊。――カサネが大隊長を務める大隊の所属となったおかげで、時折甘味の類いも配給されるようにはなっていたが、チョコレートのとろけるような甘さは格別だった。
ナツコも配給札をほとんどつぎ込んで闇市で購入した甲斐はあったと至福を噛みしめる。
「えへへ。他の人には秘密ですからね」
「良いでしょう。わたしはナツコさんとは違って口が口が堅いですから」
「私だって秘密はちゃんと守りますよ!」
ナツコはタマキの発言に対して異を唱える。
しかしタマキはじとっとした瞳でナツコの顔を見据え、どの口がそんなことを言うのかと無言のまま問い詰めた。
「あ、そう言えば私、キャラメル貰ったこと言っちゃってましたね」
「思い出したのなら結構」
本人が理解したのならそれで良いと、タマキは過ちを掘り返したりはしなかった。済んだ話をもう1度する必要はない。タマキは面倒ごとが嫌いだった。
「まさかあの時は、こんな形でこの場所に戻ってくることになるとは思いもしませんでした」
「はい。本当に。
長いこといろんな場所を駆け回ってきましたね」
ナツコは瞳を薄らと閉じて、これまでのことを思い返す。
ハツキ島が帝国軍の強襲を受け、シオネ港に撤退。
そこからここ。コレン補給基地を経由してハイゼ・ミーア基地へ。そこでツバキ小隊は正式に義勇軍として認可された。
その後はもう1度このコレン補給基地を経由してハイゼ・ブルーネ基地へ。トーコとアイノ――ユイと名乗っていた――と合流した場所だ。
帝国軍の上陸を受けて、デイン・ミッドフェルド基地へと撤退。あの場所での訓練がなかったら、今のツバキ小隊は無かっただろう。
更に攻勢を受けて撤退。デイン・ミッドフェルド基地を放棄しレイタムリット基地へ。そこも放棄してレインウェル基地へ。
統合軍の一番苦しい時期だった。
でもレインウェル基地での新年攻勢。帝国軍が正月未明から仕掛けた一大攻勢を、統合軍は防ぎきった。
それが惑星トトミの戦闘における一大転機となった。
反転攻勢に出た統合軍はレイタムリット基地を奪還。勢いのまま交通の要所、ラングルーネ基地を目指した。
ラングルーネ基地攻略が頓挫した後、タマキの命令無視を問われてツバキ小隊は惑星首都へ。
でもツバキ小隊はなくならなかった。
戦線に復帰すると、統合軍の作戦にしたがってトトミ中央大陸東部を転々とした。
魔女と噂されたブレインオーダーを確保するためボーデン地方へ。
それからレインウェル北部への輸送護衛。
そして荷物の受け取りのため宇宙海賊の元へ。
統合軍内の内通者が一掃されると再びラングルーネ基地へ向けて侵攻。
ツバキ小隊はラングルーネ・ツバキ基地の礎を作るなど貢献したが、〈パツ〉の出現によって攻勢を中断。
〈パツ〉攻略が終わるとそのコアユニットを輸送。
こっそり後をつけたのがバレて謹慎。この頃シアンと行動を共にした。
そして帝国軍の攻勢。
ラングルーネ地方を巡って一大会戦が勃発。
でも、宇宙戦艦〈しらたき〉の登場によって戦力バランスは圧倒的に統合軍側有利となった。
統合軍は全方面で攻勢に出た。
ラングルーネ基地から東へ。補給拠点としてサンヅキ拠点を占領。
東岸の港湾要塞、ハイゼ・ミーア基地を目指して更に東へ――
そのハイゼ・ミーア基地は、コレン補給基地よりずっと南西側にある。
統合軍は既にハイゼ・ミーア基地を通過していた。
ナツコはずっと東の方角を見つめる。
陸地が途切れ海が広がり、水平線の更に向こう側。
手を伸ばしても届きはしないが、それでも手を伸ばしてしまう。
これまでずっと望み、求めていたものが、あの水平線の向こうにある。
「この海の向こうにハツキ島があるんですね」
「ええ。やっとここまで到達できました」
タマキも小さく頷くと海の向こうを見つめる。
空は霞んでしまって、ハツキ島の姿を見ることは出来ない。それでも、この向こうにハツキ島が存在する。
「まさか帝国軍が、デイン・ミッドフェルド基地はおろか、ハイゼ・ミーア基地まで放棄するとは思いもよりませんでした」
「そのおかげでずっと早くここまで来られましたね!」
ナツコは喜ぶが、タマキは素直に喜べない。
口の中のチョコレートを転がして、大きくため息をつく。
「ここまではね。
ですがここから先はどうなることか――」
「でも、きっとなんとかなりますよ!」
何処までもナツコは楽天的だった。
きっとなんとかなる! と笑顔を振りまく。他のツバキ小隊の隊員も軒並みこんな感じだった。
悲観的に受け止めて胃を痛めているのはタマキだけだ。
――帝国軍は、デイン・ミッドフェルド基地、及び、ハイゼ・ミーア基地を放棄した。
統合軍諜報部の目をかいくぐり、大陸撤退作戦を成功させてしまった。
両基地に存在したはずの帝国軍部隊は、そのままハツキ島へと撤退。
統合軍はトトミ中央大陸からの帝国軍駆逐に成功したとも言える。
だがそれによって、ハツキ島奪還作戦の難易度は跳ね上がった。
ハツキ島は大陸から独立した惑星トトミ最大の島。
帝国軍の強襲上陸以来、降下拠点として要塞化が進められているはずだ。
そこに本来のハツキ島防衛部隊に加え、2基地の部隊を吸収。
現在の統合軍の海軍戦力では、上陸すらままならない可能性があった。
それでも、ナツコはもちろん、その他の隊員もようやっと故郷に帰れるとあって浮き足立っていた。
タマキにはそれを咎めることは出来ないし、ツバキ小隊の作戦参加を取りやめることも出来ない。
ハツキ島奪還を主目的とするツバキ小隊に、この作戦に参加しないという選択肢は存在しないのだ。
それでも今の状況は良くない。タマキは再び大きくため息をついた。
厳しいとは予想していたハツキ島奪還作戦だが、予想以上になってしまった。それなのに隊員たちは不安よりも、故郷に帰れる喜びが勝ってしまっている。
しかし無理矢理縛り付けてもそれはそれで逆効果だろうなと、タマキはまたしてもため息を吐いた。
そんな視線の先でナツコはにっこり笑っていた。
「いよいよハツキ島です。
これから先もよろしくお願いしますね! タマキ隊長!」
「そうね」
気のない返事をしてタマキは憂鬱そうに海の向こうを見つめた。
諜報部が情報取得を進めているが、未だにハツキ島の全容は明らかになっていない。どれほどの帝国軍が待ち構えているのか。対艦兵装はどれほどの規模なのか。何も分からないような状態だ。
不安は募るばかりなのに、隣でナツコはやはり楽天的に笑っていた。
「タマキ隊長は、特別な存在だったと思いますよ」
不意にナツコが呟く。
タマキは突然何事かと思ったが、以前この場所で話した内容を思い出す。
自分が特別な存在だと証明するために義勇軍の隊長を引き受けた。恥ずかしいことを口走ったと後悔するが、傍らのナツコは目をキラキラとさせていた。
「それはどうかしら。
結局、兄に頼りっぱなしだったし」
「そんなことないです。
今なら自信を持って言えます。
タマキ隊長が私たちの隊長だったから、ここまで来れたんです」
まるで悪意のない真っ直ぐな視線を受けて、タマキは思わず視線を逸らす。
それから海の方を眺めながらふてくされたように返した。
「わたしがわがままを聞いてくれる都合の良い隊長だったからでしょう」
「それは……ありますけど」
ナツコは隠し事をせず、申し訳なさそうにしながら返した。
タマキもそれに「でしょうね」と返す。自分が隊員たちに都合よく利用されているのは分かっていた。タマキも自分に都合が良いように隊員をこき使っていたのでお互い様だ。
「それよりあなたのほうがずっと特別な存在ですよ。
最近の戦果、もうわたしには理解出来ない状態になっています」
タマキは士官用端末をとりだして、隊員の戦果をまとめたデータを表示させた。
ここ最近においてはナツコの戦果がフィーリュシカのそれを上回るようになってた。
フィーリュシカのそれも異常な数値だ。それどころか、リルやカリラですら、普通の統合軍兵士と比べたら異常な程高い戦果を叩き出している。
そんなツバキ小隊で今最も戦果を叩き出しているのは、当初はまるで役立たずで、適性試験で極めて低い値を出したはずのナツコだった。
「そろそろ教えて貰いたいものです。
一体何をどうしたらこんなことになるのか」
問いかけに、ナツコは照れくさそうに髪をいじってから返す。
「私、集中してると、脳が活性化して、普段では見えないようなものまではっきり見えたりするんです」
「それは把握しています。
ですがそれは1つのことに集中できる環境で、極めて限定的な使用に留まっていたはずです。
だからわたしはあなたに狙撃手か観測手としての役割を期待しました。
だと言うのに最近は敵集団へと単独で突撃して戦闘をこなしています。これはこれまでのあなたの能力とはかけ離れたものです」
タマキが説明を求めると、ナツコはやはり照れているのか、おさげにした髪の先を指でいじりながら答えた。
「えへへ。ツバキ小隊のみんなにいろんなアドバイスを貰って、私なりに頭の使い方を工夫してみたんです。
1つのことだけに集中するんじゃなくて、もっといろんなことに同時に意識を向けられるようにって。
あ、シアンちゃんにもアドバイスを貰いました。
でも結局、ちゃんと自分の意志で扱えるようになったのは、フィーちゃんと戦った時です。
だから、これもフィーちゃんのおかげですね」
笑ってみせるナツコ。
だがタマキにとってはそれは質問の答えにはなっていないと目を細めるのだが、ナツコはそれに気がついていないようだった。
結局、ナツコがどうしてそんな特異な能力を有しているのかは本人にも分からない。
統合軍の脳波診断では集中時に思考能力が高まっていることは分かってもその原因は不明だった。
全てを明らかにするためにはもっと高度な知識を有した専門家にきかねばならない。タマキの知り合いに1人だけ、大戦時代の知識を有する脳科学者の心当たりがあったのだが、そのためだけに彼女へ連絡を取るのは癪だった。
そもそも向こうはナツコのことなど気にもしていないだろう。
「頭は大丈夫でしょうね」
念のため本人に異常がないか確認をとる。
しかしナツコは質問の意図がくめなかったようで、首をかしげて間抜けな顔で問い返した。
「そ、それは物理的な話です? それとも精神面の……?」
間抜け顔の彼女をタマキはじとっと見つめる。
何か悪いことを言ったのかと怯えるナツコの額へと、タマキは手のひらを当てた。
「両方です。
脳に異常は? 頭痛などはありませんか?」
問いに対してナツコは首をぶんぶんと横に振る。
「大丈夫ですよ。
使ってるときはちょっと熱くなりますけど、使い終わったら元に戻りますし」
タマキはナツコの頭をがっしり固定して、その瞳を真っ直ぐ睨み付けた。
しかし彼女が嘘は言っていなさそうなので直ぐに解放した。
「何か異常があれば直ぐに報告するように」
「はい。分かりました」
「約束ですよ」
「はい。約束です」
1度念を押したことだし大丈夫だろうと、タマキはそれ以上追求はしなかった。
原理不明の怪しい能力ではあるが、それが確かにナツコの思考能力を底上げして、普通ではあり得ない戦闘能力を授けているのは疑いようのない事実だ。
追々、機会が来たら詳細をアイノに見て貰うとしても、今の彼女は〈ニューアース〉に対する備えのため身動きがとれないし、ツバキ小隊もこれから開始されるハツキ島奪還作戦に参加しなければならない。
この話はこれまでとタマキは会話を終えると、土嚢から降りる。
「さあ、休憩はお終いです。
トレーラーの元へ戻りましょう」
「はい。
これからシオネ港で、そこから先は――」
タマキはその言葉を最後まで聞かずに高射砲陣地を離れて丘を下っていく。
ナツコは慌ててその背中を追いかけて、ツバキ小隊のトレーラーの元へ早足で向かった。
2人が戻ると既に他の隊員はトレーラー前に集合していた。
タマキは直ぐに乗車を命じることなく、整列を命じた。
横一列に並んだ隊員の前で、タマキはこほんと咳払いして話し始める。
「休憩はこれまでです。
これよりツバキ小隊は海岸線沿いを北東へ進路をとり、シオネ港へ向かいます」
「その先はようやくハツキ島だ」
「許可なく口をきかない」
話している最中に口を挟まれ、タマキはイスラを叱責する。とりあえず直ぐに与えられる罰を移動中に科しておくことにして話を進める。
「シオネ港で準備を進め、その後は海を越えハツキ島を目指します。
ハツキ島奪還は、ハツキ島義勇軍ツバキ小隊にとって最終攻略目標となります。
わたしも隊長として最善を尽くします」
その言葉に隊員たちは口元に笑みを浮かべる。
だがそんな浮ついた気持ちを、タマキが強い口調で抑え込んだ。
「――ですが、はっきり言います。
シオネ港から出撃した部隊は、統合軍本隊に先だっての強襲揚陸にあたり橋頭堡を確保するという非常に危険な任務となります。
帝国軍は必死に水際防衛作戦を仕掛けてくるでしょう。
それを突破したとしても、ハツキ島中央部までは厳しい道のりになります」
事実を突き付けても、ツバキ小隊にはどこか楽天的な、「何とかなるさ」という雰囲気が漂っていた。
そこにイスラが今度はすっと手を上げて発言許可を求める。
仕方なくタマキは発言を認めた。
「そうは言っても、ハツキ島奪還はあたしらの存在理由だぜ。
多少の無茶は承知のうえさ。ハツキ島のために戦えないなら、義勇軍を結成した意味がない」
カリラはともかくナツコやサネルマまで、その意見に好意的なようだった。
タマキはため息を1つついてから告げる。
「ハツキ島を取り戻したとしても、あなたたちがそこに居なければ意味はないでしょう。
ですから約束して下さい。どんな状況でもわたしが後退と指示したら後退です。
どんな攻略作戦でも、わたしが不参加と言えば不参加です。
命令には絶対に従って頂きますし、反論も一切認めません」
イスラが「待った」と声を発する。それと同時に、ナツコにカリラ、サネルマ、リルまでも手を上げていた。トーコすら何か言いたそうに目を細めている。
だがタマキはそれを一喝して黙らせる。
「そのかわり」
有無を言わさない強い語気に押されて、イスラは口を紡ぎ、それ以外の隊員も手を下げた。
タマキは全員が大人しくなったのを見届けてから続ける。
「――そのかわり、わたしからあなたたちに1つ約束します」
タマキは隊長としてその約束を口にした。
隊員たちは互いの顔を見合い、頷いて、最終的に名誉隊長であるナツコがツバキ小隊を代表して応じた。
「分かりました。
約束、ですからね」
「ええ。約束です。
分かって頂けたなら結構。
全員トレーラーへ乗車して下さい。カリラさん、長い道のりですが運転をお願いします」
元気よく返事をした隊員はトレーラーへと乗車していく。
ツバキ小隊はコレン補給基地を出立した。目的地はシオネ港。
ハツキ島へ、最も近い港だ。
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