第232話 灰色の時間
不要な色情報が切り捨てられて、ナツコの認識する世界は灰色に染まっていた。
身体が酷く重い。
認識能力が常人の数百倍に引き延ばされて、全ての動きがゆっくりに感じる。
まるで重い液体の中に浮かんでいるようで、瞬きする間すら永遠のように思えた。
そんな世界の中で、あらゆる物体に作用するエネルギーを表した数式だけが浮かんでいる。
遅すぎる時間に酔って身体が吐き気を訴えるがとりあえずそちらは無視。
右脳の一番奥にある、過剰に発達した脳組織へと現在の状況を叩き込む。
〈ヘッダーン5・アサルト〉は損傷軽微。
ブースター燃料、スラスター燃料共に使いすぎた。残りは僅か。
散弾砲の残弾は今のカートリッジに6発。予備カートリッジは残り1。
焼夷弾投射機は破損して投棄。
炸裂鉄杭弾は装填済みが1。予備が1。
機体機構は左腕の移動用ワイヤーを切り離した以外は問題無し。
DCS正常動作中。変換可能エネルギーは、運動、電気、音。プログラム学習済みは運動のみ。
コアユニット負荷率32%。まだしばらくは戦闘動作可能。
残りエネルギー20%。エネルギーパックはそろそろ替え時。バックパックにまだ4つ予備があるので問題無し。
個人防衛火器は5.7ミリ小口径高速弾50発の弾倉が装着済み。予備弾倉1。
拳銃は9ミリ弾を使う左利き用〈アムリ〉。弾数は15+薬室に1発。
フィーリュシカの装備は〈アルデルト〉。
炸裂鉄杭弾の直撃を受けているが機体機能に問題無し。
貫通弾は9。身体機能にも問題は無い様子。
88ミリ砲、20ミリ機関砲共に弾切れを起こしている。
88ミリ弾は残り5。
20ミリ機関砲弾は弾薬庫を搭載せず、弾倉による給弾方式。1弾倉50発入り。予備弾倉2。
個人防衛火器はナツコの装備する物より大型の軍規格品。弾薬は同じ5.7ミリ小口径高速弾で弾数も50。
拳銃は大口径対装甲拳銃。弾数は2。しかも1発撃ったら手動で薬莢排出と次弾装填をしなければならない。その分威力は高いが、〈ヘッダーン5・アサルト〉の装甲は耐えうる。当たり所に注意すれば問題無し。
攻めるなら今が好機。
フィーリュシカは再装填のため動き始めている。
機体編重と関節の微細な動きを認識し、微少時間後の動きを予測。20ミリ機関砲の弾倉交換に手をかけるつもりだ。
エネルギーパックを交換。
〈ヘッダーン5・アサルト〉の設定を変更。
機体操作を全てマニュアルに切り替え、視線認識の設定を最適化。
脳の思考速度を落とし計算負荷を減らす。普段の感覚の10倍まで認識能力を落とすと、止まっていたかのように思えた世界がぬるりと動き始める。
フィーリュシカが後退を開始。
速度は大幅に〈ヘッダーン5・アサルト〉が勝っている。
左腕散弾砲を軽く振る。
重量分布から薬室内の弾薬に装填されている破片弾の位置を予測。
弾道学の知識を元に、21発ある破片弾全ての射撃後の軌道を概算。
フィーリュシカまでの距離はわずか10メートル。
20ミリ機関砲弾の弾倉が装填された。
砲口が指向するが、機体各部の荷重分布と、関節の動き。〈アルデルト〉の機体特性を元に動きを予測。絶対に砲口が指向できない方向へと身体を滑り込ませる。
フィーリュシカは機動ホイールを空転させ、積んでいた88ミリ砲弾の1つを投棄。反動で左腕の指向速度を無理矢理増す。
ナツコはその動きすら予測して、フィーリュシカの左側面へ回り込む。
マニュアル操作で最適な高度での短距離跳躍。スラスター噴射で位置を微調整。
完璧に側面をとった。相対距離は4メートルを切っている。
思考速度を最高まで引き上げる。灰色に染まった世界が時を止めた。
現在位置に合わせて破片弾軌道を再計算。今度は概算では無く、破片弾1つ1つの詳細な軌道をマイクロメートルオーダーで算出する。
――これは、避けられない!
フィーリュシカは20ミリ機関砲を指向させながら防御態勢をとっている。
現在位置と機体各所の保有エネルギーから3秒以内にとれる全ての運動軌道を予測。
そこから算出した、破片弾の全てを回避・防御不可能な点へと砲口を向け、仮想トリガーを引ききる。
炸薬が弾け、砲口から弾薬筒が投射される。
そこから飛び出した21発の破片弾がフィーリュシカに襲いかかる。フィーリュシカは人間離れした操縦で微細に機体を動かして破片弾6発を回避し、残りの15発を僅かなフレームで防ぎ、あるいは軌道を逸らした。
――弾薬筒内の破片弾分布の見積もりが甘い。
ナツコは命中弾が出せなかった要因を即座に明らかにすると、先ほどの予測データと実際の破片弾軌道を元に誤差を算出。破片弾軌道の計算式に誤差から導き出した補正項を適用。
後退を続けるフィーリュシカが20ミリ機関砲弾を放っている。
普通に撃っても当たらないことを理解しているのだろう。砲口はナツコの足下に向いている。機関砲弾はチタン合金製の床材に当たり跳弾。その後〈ヘッダーン5・アサルト〉右脚部へ命中。命中位置と破壊エネルギーから、脚部関節機能低下は明らかだ。
攻撃用の軌道計算を行っているのとは別の脳領域が回避パターンの算出を開始。
灰色に染まっていた世界に、機関砲弾の予測軌道が赤く浮かぶ。
流石はフィーだ。ナツコは感心した。
攻撃軌道は多くの回避コースを確実に潰している。更にそこに対する回避パターンのいくつかは次弾を回避不可能にしてしまう。
予測精度を向上。
こちらの次の攻撃が着弾する時刻までの、あらゆる敵機攻撃パターンを予測。
その全てを回避可能なコースへと機体を機動させる。
〈ヘッダーン5・アサルト〉が注意情報を吐き出す。
機体の中央処理演算装置が制御コマンドを処理できる最小時間単位で指令を送り続けられ、コアユニットが常に戦闘時最高出力での駆動をされたため、機体負荷の急上昇が掲示されていた。
負荷率50%を突破。排熱機構が、このまま動作を続ければコアユニットが融解する恐れがあると注意喚起する。
ナツコはとりあえず無視。今はそんなことまで考えている余裕は無い。
機体設定の管理区画にある注意・警告についての項を変更。雑多な内容は全てシャットアウトした。
フィーリュシカの攻撃を全て回避。機体左脚部関節の横、僅か60マイクロメートルの位置を通り過ぎた機関砲弾を確認して、ナツコは攻撃に転じる。
〈アルデルト〉の旋回速度では今のナツコが操縦する〈ヘッダーン5・アサルト〉の全力機動に砲口を追従させ続けることは出来ない。
完全に無防備な左側面をとっていた。
先ほど設定した補正項を含む計算式を元に、散弾砲の全破片弾の軌道を算出。
〈アルデルト〉がどのような動きをしても回避不可能な点へと散弾砲を向けると、タイミングを見計らって仮想トリガーを引く。
フィーリュシカは回避機動をとるが全てを回避出来ない。左腕20ミリ機関砲を盾のように構えて攻撃を受けた。
21発の破片弾の内、5発が回避され、5発が装甲、あるいは機関砲で防がれ、7発が軌道を逸らされた。
残った4発が薄い装甲を突き破り内部の肉体を加害。
灰色の世界に、フィーリュシカの鮮血が赤々と舞った。
――命中。でもダメだ。
当てただけ。とてもフィーリュシカを行動不能に出来るダメージでは無い。
狙うなら〈アルデルト〉コアユニット排熱口。もしくはエネルギーパック接続部分。
計算精度を下げ、そのかわりに予測期間を延ばす。
十秒先までの行動パターンを計算能力の許す限り算出し、その中から実現可能でありなおかつ即効性の高い物を選択。
砲撃音。
88ミリ砲から榴弾が撃ち出された。
ナツコの死角を使って装填を進めていたのは確認していた。行動予測にも88ミリ砲の射撃は折り込み済み。
射撃体勢をとらず発射したため、反動をもろに受けた〈アルデルト〉がナツコの方向へと急加速してくる。
以前〈アヴェンジャー〉を装備したシアンが使っていた技術だ。
加速しつつ急旋回したフィーリュシカは限界を超えた速度で20ミリ機関砲指向させてくる。
88ミリ砲の発射エネルギーを元に、〈アルデルト〉が得られる運動エネルギーを算出し、そこから砲口の指向予測を計算。
現在位置を原点として回避パターンの算出をやり直す。予測期間を縮め、精度を上げる。
回避は問題無し。空いた思考領域で攻撃パターンを――
脳が突如としてエラーを告げた。
突然沸いたノイズに対して解析を開始。解析完了。
〈アルデルト〉が通常ではあり得ない運動法則に従って旋回速度を増している。
――物理法則を書き換えた。
そうでなければ説明がつかない。
今のナツコの思考演算能力を持ってしても、一体どのようにして物理法則を書き換えているのかは分からない。
けれど、書き換えられた物理法則がどうなっているのかは、実際にその法則に基づいて動いている物体を解析すれば明らかに出来る。
〈アルデルト〉の動作に注目して子細に位置の変化を観測。
通常の運動方程式と異なる動作をしている部分を拾い出してリスト化。羅列された数式を解析すると、明確に不自然な物理パラメーターが判明した。
――重力加速度をいじってる。
〈アルデルト〉の質量を誤魔化して、本来よりもずっと軽い物体として動いている。
だが変更点が明らかならば対策も可能だ。
重力加速度を、変更されたであろう値に設定して運動予測を再計算。
そこから回避パターンを算出。初動が遅れたのがまずかった。全てを回避可能なパターンが見いだせない。
被弾の影響を最小限に抑える回避パターンを選定。
スラスターで空中制動をかけ、着地と同時に加速。
最初の1発が機体正面装甲を抉る。
衝撃に腹部が痛むが、脳が強制的に痛覚を遮断。大丈夫、大したダメージじゃ無いから気にする必要は無い。ここまでは想定内。
DCSの制御コマンドを送信。
>DCS 運動制御 : 制動
機関砲弾を受けたばかりの腹部に、自分で運動エネルギーを叩き込む。
急減速した機体は残り2発の機関砲弾をなんとかやり過ごした。そこから速度を取り戻し再びフィーリュシカの左側面をとる。
書き換えられた重力加速度は時が経つにつれて急速に本来有るべき値へ戻っていく。
本来の質量を取り戻した〈アルデルト〉がフレームを軋ませながら右脚で床を蹴った。
接近戦を挑むつもりだ。
ナツコ散弾砲を向け、粗い計算ではあるが破片弾軌道を概算。
1発だけ撃って後退。
命中弾は期待していなかったが、フィーリュシカの左肩に破片弾が1つ突き刺さった。
連続では物理法則を書き換えられない?
有効射程も持続時間も分からない未知の現象だ。数式で表せなければナツコには予測できない。
しかし解析を進めておかなければいざというときに対処出来ない。頭の片隅で物理法則改変について解析を進めつつ攻撃予測を開始。
フィーリュシカは88ミリ砲を指向させている。
照準は後方のコンテナ。中身は表面の表記とコンテナ構造に従うのなら爆薬。
箱の中に入っているため詳細な組成と量が分からない。事前に開けて確かめようにも爆薬入りのコンテナを撃ち抜くのに適した装備をナツコは所持していない。
概算で爆発のエネルギーを見積もり、DCSにエネルギーを急速充塡開始。
88ミリ砲が放たれる。
機関砲の砲口の動きから意識を逸らすこと無く回避行動開始。
背後で爆発。爆発の閃光を元にエネルギーを再見積。これからやってくる爆音と衝撃波の威力を算出し、回避パターンを修正。
前進し衝撃を背中で受ける。飛び散ったコンテナ片はなるべく回避し、無理な物は装甲でさばき、大きな破片はハンドアクスで叩いて軌道を逸らした。
隙の大きい回避行動にフィーリュシカが20ミリ機関砲を照準してくる。
贅沢は言っていられない。残り少ないブースターを使って急加速。
機体負荷的にも、DCS連続使用にかかるエネルギー的にも、直ぐにでも底を尽きそうなブースター・スラスター燃料的にも長期戦は出来ない。
短期決戦を挑むしか無いが、まだ物理法則改変について十分なデータが集まっていない。
それでも止むなく攻勢に転じる。
放たれた機関砲弾を避け間合いを詰める。相対距離5メートルまで近づけば命中弾を出せる。それ以上近づけば、より精確に狙いをつけられる。
機体負荷は75%を越えている。特に冷却装置の負荷が高い。
機体各所の冷却バランスを再設定。緊急で必要の無い関節部分の冷却を取りやめ、コアユニットの冷却に集中して貰う。他が動いていてもコアが止まればどうしようもない。
前進を続け相対距離5メートルまで接近。
左側面をとるように旋回。散弾砲は今のカートリッジに残り3発。全て撃ちきるつもりで、3発とも破片弾の軌道を概算しておく。
照準は20ミリ機関砲。まだ予備弾倉も残る厄介な武装を先に潰す。
旋回しながら更に接近。通常なら機関砲の指向は追いつかない。物理法則改変の兆しにだけ注意を払い、相対距離3メートルまで接近したところで攻撃開始。間髪入れずに残弾3発を全て投射した。
フィーリュシカもこちらの狙いに気がついている。
防御も回避も不能。機関砲機関部へ破片弾がねじ込まれるように撃った。
即座に機関砲が機体から切り離される。
――脳に違和感。
書き換えられた物理法則を探索。またも重力加速度。機体から離れた機関砲の質量が本来よりずっと軽く扱われている。
軽々と放られた機関砲は破片弾を受けて軌道を変える。
本来フィーリュシカに命中するはずだった破片弾すら吸収され、フィーリュシカの手元へと戻っていく。
再び違和感。
フィーリュシカと機関砲の間の空気が突如沸いた熱によって急速に膨張し始めた。
2つ同時に行われた物理法則改変。
予想外のことにも脳だけは冷静に、粛々と計算を進める。
熱膨張によって飛んでくる機関砲。書き換えられていた重力加速度は本来の値に戻りつつある。
しかし大した速度では無い。直撃すればダメージは受けるが回避は容易だ。
それよりも問題はフィーリュシカが左手で構えた個人防衛火器。
銃口の向きから弾道予測。
熱膨張の影響がまだ完全に計算されていない。質量の軽い小口径高速弾は風の影響で簡単に弾道を変えてしまう。
銃口から逃れるようフィーリュシカの背後へ回るが、機関砲を投棄した左腕の動きは早い。
逃げ切る前に3発撃ち込まれる。距離が近いため着弾まで僅かに2ミリ秒。
銃弾は精確にエネルギーパック接続部を狙っている。
>DCS 運動制御 : 反射
制御コマンドを送りDCSを作動。運動エネルギーの壁を作ると、小口径高速弾は容易く軌道を変えて装甲を叩いた。
背後へ回ると散弾砲のカートリッジを交換。
フィーリュシカはその間に距離をとりながら88ミリ榴弾を空中に投げた。
直ぐに狙いが分かる。移動用ワイヤーの照準が砲弾の信管へと向けられている。空中で爆発させる気だ。
ワイヤーが射出された。安全距離はとっている。
しかし攻撃が若干ズレていた。これでは起爆しない。ワイヤー先端のハーケンが88ミリ榴弾の後部に突き立った。
ワイヤーが巻き取られ砲弾はフィーリュシカの背後へ。そこから機体旋回とワイヤー伸長によって砲弾が振り回される。
遠心力で振り回された砲弾が迫る。
〈アルデルト〉の旋回速度よりずっと早い。それにその気になればいつでも起爆できるであろう。
重装機を支えるワイヤーは散弾砲では切断できない。
砲弾から距離をとりつつ、個人防衛火器と、装填完了している88ミリ砲についても回避パターンを予測しておく。
更に散弾砲の攻撃についても計算開始。
計算タスクが多くなりすぎて頭が異様に熱くなるが、冷たくなるよりマシだ。
散弾砲を立て続けに2発発射。
装甲を貫通した破片弾は6発。いくら血を流してもフィーリュシカの動きは一切衰えない。
88ミリ砲弾が迫っている。だがこれ以上進めば88ミリ砲の射線上に身をさらすことになる。
どっちに行っても地獄だ。
思考演算速度を更に上げて未来予測。
極めて細い道だが回避可能なルートはある。――それもフィーリュシカの物理法則改変に邪魔されなければの話だけど。
右脚のアンカースパイクを起動。速度が落ちると即座に解除しフィーリュシカから距離をとるように移動。
脳に違和感。88ミリ砲弾に突き立っていたワイヤーに電流が走る。
雷管が起爆し榴弾が弾けた。
距離は僅かに3メートルばかりだったが、手に取らなくてもよく知った88ミリ榴弾だ。破片の軌道は大方予測済み。
誤差を修正しつつ回避ルートをとる。
しかし同時にもう1つ違和感を検知。
〈アルデルト〉が通常より早く旋回している。解析するまでも無く重力加速度が書き換えられている。
向けられた個人防衛火器が火を噴いた。
フィーリュシカとしては珍しいフルオート射撃。
全ては回避出来ない。
脆弱部を右腕装甲と、左腕から切り離した散弾砲で防御。
88ミリ砲が指向している。
火器管制から炸裂鉄杭弾の投射コマンドを送信。
両腰から、2つの弾頭が射出された。
フィーリュシカがそのうち1つを88ミリ榴弾で撃ち落とした。榴弾は余力を持ってナツコの頭上まで到達すると爆発。
>DCS 運動制御 : 加速
DCS制御コマンドを叩き、得られた運動エネルギーを適切に割り振って加速して金属片の雨を最小限の被害でやり過ごす。
右腰のエネルギーパック接続部がやられた。まだ片方残ってる。何とかなる。
ナツコの放った、撃ち落とされなかった方の炸裂鉄杭弾が空中で滞空し、高速回転しながら金属杭をばら撒いた。
フィーリュシカから距離がある位置だったので金属片の1つとして掠りもしない。
でもそれで良かった。
280発ある金属杭の全ての動きをトレース。
炸裂鉄杭弾の有効攻撃範囲をマイクロメートルオーダーで算出。次弾装填と同時に、重量分布から金属杭の偏りを算出。それに応じた攻撃範囲を計算。
機体負荷が95%を越え、警告無視の設定すら無視して警告を飛ばしてくる。
冷却機構がほとんど機能していない。
関節部分の発熱も問題だが、コアユニットが融解寸前を訴えて白い煙を吹き出し始めた。
次で決める。
個人用端末に保存されていたDCSのマニュアルを取得。電気エネルギーに対するプログラムについて、電子データを直接読み取って脳の記憶領域に焼き付ける。
左腰のエネルギーパックを新品に交換。
右手に個人防衛火器、左手にハンドアクスを持った。
フィーリュシカは残弾の無くなった88ミリ砲を投棄。
〈アルデルト〉も限界が近い。重りを積んでおける状況では無いだろう。
どちらが勝つにしても決着はもう直ぐだ。
ナツコは残っていたブースターとスラスターを全て使い切って全力加速を開始。
距離を詰めると、フィーリュシカの斜め前方へ炸裂鉄杭弾を投射。
フィーリュシカはそのうち近い方へと右腰の移動用ワイヤーを射出。
個人防衛火器で妨害するがどうせ1つは囮だ。ハーケンが炸裂鉄杭弾に突き立つ。同時に物理法則改変によって信管が無力化。どんな方法をとったのかまでは解析しない。今はそれ以外にやるべきことが多すぎる。
〈ヘッダーン5・アサルト〉の中央処理演算装置が入力処理を受け付ける最高速度と同速でプログラム作成開始。
刻々と変わる環境情報に対応して修正を施しながら新しいDCS動作プログラムを作り上げていく。
最終警告 : 異常発熱検知
冷却機構再起動失敗
コアユニット融解寸前
直ちに機体動作を停止せよ
物騒な警告が表示された。
当然無視。
フィーリュシカが個人防衛火器を向けて攻撃してくる。もう1つの炸裂鉄杭弾は無害だと判断してくれたらしい。
残弾が僅かなため1発ずつ精確に狙いをつけての射撃。
だけど、この先の動きはきっと予測できないだろう。
跳躍。
突如飛び上がったナツコ。フィーリュシカの攻撃は全て空を切った。
ナツコの飛び上がった先には自分で放った炸裂鉄杭弾がある。
ナツコはそれを個人防衛火器の銃身で叩き、フィーリュシカの方向へと打ち出した。
そしてそのまま自身も真っ直ぐフィーリュシカの元へと落ちていく。
自殺行為に他ならない。それでも勝機をつかもうとするならこうするほか無かった。
フィーリュシカは一歩後退し、床に転がっていた88ミリ砲に対して物理法則改変を行う。本来の質量を無視された88ミリ砲が、片足で蹴り上げられて宙を舞う。
信管を起動させた炸裂鉄杭弾が高速回転を開始。
認識速度の引き延ばされたナツコの視界の中では、その回転周期も、打ち出される金属杭の1つ1つもとてもゆっくりに見えた。
環境情報を再取得。
作成したプログラムに修正を施すと、DCS制御コマンドを送りつけた。
>DCS 電磁気制御 : 電磁遊離
ナツコの周囲に展開された電気エネルギーが、飛び交う金属杭の軌道をねじ曲げる。
DCS起動と同時に、コアユニットが限界を迎えた。
融解を越え、制御不能に陥ったコアユニットが臨界反応を引き起こし緑色の光と共に黒煙を上げ爆発した。
爆発の衝撃に背中を押され、ナツコはフィーリュシカとの距離を一気に詰める。
暴れ回る金属杭の軌道は全て計算済み。
ナツコに貫通弾を与えるようなものは、展開された電気エネルギーによって無理矢理軌道を変更される。
振りかぶったハンドアクスを振り下ろす。
宙を舞った88ミリ砲は、質量がほとんど無いおかげで容易に排除できた。
盾を失ったフィーリュシカへと金属杭の雨が降り注ぐ。
〈ヘッダーン5・アサルト〉の動力が予備動力に切り替わる。
ここで攻めない手は無い。まだ残っている運動エネルギーを使って一歩踏み出す。
フィーリュシカの個人防衛火器は全弾撃ち尽くしている。そして彼女の〈アルデルト〉も限界を突破していた。細かく動いて降り注ぐ金属杭を防いでいるが、次々に貫通弾が発生する。
遂にコアユニットが黒煙を上げ、パーツを撒き散らし始めた。
それは〈ヘッダーン5・アサルト〉も同じだった。
このまま予備動力が尽きたらナツコの身体は機体重量に耐えられない。
不要なパーツから投棄しつつ、手に持った個人防衛火器を振るう。
個人防衛火器同士がぶつかり火花を散らす。
軍規格品のフィーリュシカのほうが強い。分かっているのでナツコは即座に個人防衛火器を投棄。
姿勢を低くして下をくぐり抜けた。
完全にフィーリュシカの間合いの内側へ入った。
――これで決める!!
右脚を軸にして、左足で後ろ蹴りを繰り出す。
蹴りはフィーリュシカの腹部を捉えた。
そのまま力強く脚を押し込む。
アンカースパイク作動。
緊急制動用の金属杭が、〈アルデルト〉正面装甲を穿った。
――浅い。
金属杭が突き立ち、歪んだ正面装甲。
だが威力が足りなかった。
思考を切り替え次の行動へ移行。
左脚部パーツを投棄して足を引き抜く。
薙ぐように振るわれた個人防衛火器をハンドアクスで受け止め、滑らせて刃を引っかけ、そのまま捻る。
フィーリュシカの手から個人防衛火器を絡め取り床へと払い落とした。
フィーリュシカの動きがいつもより鈍い。
アンカースパイクの一撃は行動停止に至らずとも、それなりのダメージを与えている。
ハンドアクスを振るい、先ほど穿った腹部の傷を狙う。
フィーリュシカは正面装甲をパージし、それを盾にして後退。
追いすがると彼女もハンドアクスを手に応戦してきた。
斧の鈍色の刃が空中でぶつかり火花が散る。
瞬間、ナツコは残っていた右脚のアンカースパイクを作動。
先ほど無茶な使い方をしたため床には突き刺さらない。だが作動によって生じた衝撃が、フィーリュシカのハンドアクスを押し込む。
フィーリュシカは機体のほとんどを既にパージしていた。彼女は衝撃に堪えきれずハンドアクスを投棄。
ナツコは右脚部パーツも投棄して前へ踏み出す。
その手首を鋭い蹴りが襲った。
本来の動きを取り戻したフィーリュシカの蹴りに、ハンドアクスを取り落とす。
追撃で繰り出される蹴り。
ナツコは残っていた装備を全てパージして撒き散らす。
正面装甲を生身で蹴りつけたフィーリュシカは苦悶の表情を浮かべる。しかしその場で踏みとどまり、驚異的な体幹で片足立ちのまま前進し再び蹴りを繰り出す。
蹴りは空中を舞っていたエネルギーパックを打ち出し、それがナツコの眉間を襲う。
エネルギーパックが飛んでくることを予想出来ても、鈍い運動神経ばかりはどうしようも無い。せめて当たり所が悪くならないように頭を動かすのが精一杯だった。
エネルギーパックが当たった衝撃が脳を揺らした。
思考演算が途切れ、一瞬意識が本来有るべき速度に引き戻される。
それでも左手で、拳銃を引き抜いた。
初弾装填済み。ダブルアクション。トリガーを引ききれば弾は出る。
だがトリガーが引かれることは無かった。
引き抜いた拳銃〈アムリ〉はまだ照準を定めておらず、指もトリガーにかかっていない。
ナツコの視線の向こうでは、フィーリュシカが対装甲拳銃を構えていた。
銃口はナツコの頭部を捉え、指はトリガーを半分引いた状態で止まっている。
負けた。
銃口からの距離僅か50センチ。
〈ヘッダーン5・アサルト〉を失った生身のナツコに、どうにか出来る状況では無かった。
認識能力が通常に戻り、世界は色を取り戻し、確実に動き始めた。
ナツコは拳銃のトリガーに指をかけないまま、ゆっくりと下に降ろす。
それから、フィーリュシカへ尋ねた。
「どうして、撃たないんですか?
戦ってる間だってそうです。狙うのはコアユニットとかエネルギー循環系ばかり。
もっと簡単に勝つことも出来たはずです」
問いかけに、フィーリュシカは小さく首をかしげ、それから真っ直ぐにナツコの目を見て答えた。
「自分は、あなたを守るよう命令を受けている」
その言葉にナツコは思わず反論した。
「どうしてそんなことが言えるんですか!
私はあなたを殺そうとしたんですよ!」
激昂して問いかけてもフィーリュシカの態度は変わらない。
ナツコの攻撃をいくつも受けて、まだそこかしこから出血しているような状態なのに、いつものように感情薄く、淡々と言葉を紡いだ。
「それでも、命令とはそういうこと」
ナツコは涙が溢れた。
フィーリュシカがどうしてタマキの命令を無視してこんな行動にでたのかさっぱり分からない。
でも、フィーリュシカはフィーリュシカだ。
「ねえフィーちゃん。お願いです。一緒に基地に戻りましょう。
私もタマキ隊長に謝ります。罰も半分、私が受けます。
だから、一緒に来て下さい。私にはまだ、フィーちゃんが必要なんです」
フィーリュシカは静かに首を横に振った。
「それは出来ない」
地下施設にサイレンの音が鳴り響いた。
統合軍のものでも帝国軍のものでも無いサイレン。
それを合図に、フィーリュシカは構えていた対装甲拳銃に安全装置をかけホルスターへと収めると、ナツコへ一歩歩み寄った。
「ナツコ」
短く名前を呼ぶ。
気が変わってくれたのかと表情を明るくしたナツコだったが、フィーリュシカの次の言葉は謝罪だった。
「ごめんなさい」
「え?」
ナツコの視界いっぱいに光が満ちた。
天使の羽? ――違う、金色の糸のようなものだ。
以前見たことがある。そう〈パツ〉迎撃作戦の時。
脳がけたたましく異常を訴える。
ナツコの思考領域に外部から何かが侵入している。
奪い取られそうになる脳の制御権を守るため、侵入してきた金色の異物を思考演算によって切断、排除。
しかし異物はもう1つ侵入していた。
脳疲労が蓄積しすぎていたナツコに、それを防ぐ手立ては無かった。
ナツコの意識は闇に落ち、その場で前のめりに倒れる。
その身体を、フィーリュシカが優しく支えた。
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