第229話 アイノ・テラー

 雨雲が空の低い位置にたちこめ、どんよりと暗い朝だった。

 もともと湿地帯であったラングルーネ地方北部では珍しい天気でもない。

 まだ雨は降っていなかったが直に降り始めるだろう。もしかしたら霧も出るかもしれない。


 ツバキ小隊の起床時刻より前。

 整備士のユイ・イハラは薄暗い倉庫を移動して、閉め切っていたシャッターに手をかけた。

 昨日は大隊施設課が整備用ハンガーの設置をするとかで倉庫内で作業していた。

 そのせいで〈音止〉は倉庫の裏に駐機したままだ。〈音止〉をこれ以上修理するつもりは彼女にはなかったが、倉庫に残っていた私物のいくつかを積み込んでおきたかった。

 ガラガラと音を立ててシャッターが開いていく。


 その音を遮って、1発の銃声がひんやりとした倉庫の空気を震わせた。

 ユイは目の前のシャッターにあいた小さな穴を見て作業の手を止める。


「朝っぱらから酷い話だ。

 誤射にしたってたちが悪い」


 ユイの愚痴に対して、背後に立つタマキはよく通る声で告げた。


「誤射ではありません。

 ゆっくりと手を挙げて、こちらを向きなさい。

 アイノ・テラー」


 アイノ・テラーと呼ばれたユイは肩をすくめながらも言われた通りに振り返り、両手を掲げる。

 タマキは拳銃を真っ直ぐに構え、その銃口をユイの眉間に向けていた。


「人違いだと思うね」

「祖父の残した航宙日誌を読みました」


 間髪入れずにタマキが告げると、ユイは観念したのか、呆れたようにため息をついて愚痴る。


「アマネのジジイ。だから紙の日誌なんてつけるのはやめろと言ったんだ」

「祖父は今どこにいますか?」


 タマキは単刀直入に最も気になっていることを尋ねた。

 しかしユイは問いかけを無視して逆に問いかける。


「日誌は全部読んだのか?」


 返答の代わりに拳銃弾が飛ぶ。

 金色の髪をかすめた拳銃弾がシャッターに新たな穴を穿とうとも、ユイは眉1つ動かさなかった。


「16年前、宇宙戦艦を奪ったあなたを追って祖父は出撃し、行方を眩ませた。

 答えなさい。祖父は今どこにいますか」


 タマキが鬼気迫る表情で再び尋ねた。

 引き金にかかる指に力がこもる。

 それでもユイは問いかけを軽くあしらった。


「答えてくれなくたって構わん。読んでないのは分かってんだ」

「だったら――」


 なんだというのか。言いかけたタマキの足元から金属音が響いた。

 転がってきたのは筒状の物体。

 ――フラッシュグレネード。

 認識すると同時にタマキは腕で両目を覆った。

 直後に閃光が瞬く。


 防衛行動は間に合った。

 しかしタマキの体が何者かに押し倒される。生身ではない。〈R3〉を装備した誰か。

 タマキの手にした拳銃が蹴り飛ばされ、丸腰になった彼女はうつぶせに組み伏せられた。


「――フィーさん、どうして……?」


 組み伏せていたのは〈アルデルト〉を装備したフィーリュシカだった。

 彼女は感情のない声で短く謝罪した。しかし力が弱められることはない。


「折角アマネのジジイが日誌を残したんだ。

 全部読んでおくべきだった。そう思うね」


 あざ笑うわけでもなくただ冷淡にユイは告げた。

 その背後、開きかけていたシャッターが大きな力で無理矢理破られる。


「お母様! お迎えに上がりました!」


 姿を見せたのは〈アヴェンジャー〉を装備したシアン。

 「ご苦労シアン」ユイは礼を言うと、背中を向けた〈アヴェンジャー〉に飛び乗った。機体重量に対してかなり小型のコアユニットをうならせて、〈アヴェンジャー〉は倉庫から出ていく。


 組み伏せられたタマキの視界の先、破られたシャッターの向こう側に〈音止〉の姿が映る。

 トーコまで加担しているというのか。

 驚愕するタマキの腕を、フィーリュシカは拘束バンドで後ろ手に縛った。

 解こうとすれば自力で外せる程度の拘束。彼女たちにとって僅かな時間を稼ぎさえすればそれで十分なのであろう。


「あなたたちは一体――」


 タマキの拘束を完了したフィーリュシカはただ無感情に答えた。


「申し訳ありません隊長殿。

 後日必ず説明する」


 言い残すとフィーリュシカはタマキの制止もきかず、〈音止〉と〈アヴェンジャー〉を追って倉庫から飛び出していった。

 タマキは床を這って、壁際の棚を目指す。

 工具箱の蓋が開いている。結束バンドを切断するのは容易いはずだ。


「タマキ隊長!? 何があったんですか!? 今、フィーちゃんが外に――」


 ナツコが破られたシャッターの隙間から顔を出した。両手を縛られて床を這うタマキを見て素っ頓狂な声を上げる。

 彼女は早朝のランニングを日課にしていた。今日も起床時刻前にランニングに出て、フィーリュシカが飛び出して行くのに遭遇したのだろう。

 駆け寄ろうとする彼女へ向けて、タマキは叫ぶように命じた。


「わたしはいい。

 すぐに後を追って! なんとしてでも連れ戻して!」


 命令を受けたナツコの行動は早い。

 短く返事をすると、即座に踵を返し〈R3〉ターミナルのある管理等へと向かう。


 「後から行きます」タマキはナツコの背中へ声をかけ、工具箱の元まで這った。

 後ろ手でカッターを手にして、刃を出すと結束バンドを断ち切る。

 両腕が自由になると立ち上がり、管理棟へと駆け出した。


 すでにナツコは出撃していた。

 タマキはターミナルに設置された緊急警報装置へと駆け寄り、躊躇することなく腕を振り下ろす。

 朝の静けさを破って、けたたましいサイレンが僻地の更生施設に鳴り響く。

 ――タマキの手は、まだ警報のボタンに触れていなかった。


『――緊急警報。帝国軍攻撃部隊の出撃を確認。全統合軍兵士は攻勢に備えよ』


 発信元はラングルーネ・ツバキ基地。

 帝国軍の攻勢が開始されていた。

 よりにもよって、最悪のタイミングだ。


「こんなときに!!」


 タマキは怒りに任せて警報装置を叩き付け、隣にある通信機を手にした。

 士官用端末のカバーに挟んであった紙切れを取り出す。

 以前リルから受け取った、総司令官コゼット・ムニエのプライベートアドレス。

 素早くアドレスを打ち込み通信機を耳にあてがう。


『――リル?』


 コゼットは直ぐに通信に出てくれた。

 帝国軍攻勢開始の報を受けて叩き起こされたのだろう。返ってきたのはどこか眠たげな声だった。

 タマキは答える。


「申し訳ありません総司令閣下。

 リルさんからアドレスを教えていただきました。

 ツバキ小隊隊長のタマキ・ニシです」

『ああ、あなた。

 そうね。あの子から私に連絡を寄こすはずも無いわね。

 それでわざわざ連絡してきた要件は?』


 コゼットはタマキからの連絡が緊急の要件だと理解しているようだった。

 話が速いと、タマキは端的に告げる。


「アイノ・テラーが統合軍内――いえ、ハツキ島義勇軍ツバキ小隊内に潜伏していました」

『ええ。こちらも把握しています。まだそこにいますか?』


 返答に、タマキは意表を突かれ言葉に詰まる。

 コゼットはアイノを恨んでいるはずだ。なのに、彼女の存在を把握していたという。


「いえ逃げられました。今、隊員に追わせています」

『シアンとフィーネ――フィーリュシカでしたね。彼女たちも逃げましたか?」


 コゼットは完璧に状況を把握していた。

 タマキが言葉を失うと、コゼットは続ける。


『その反応からするとアイノと一緒ですね。

 でしたら問題ありません。好きにさせておけばよろしい。

 追跡に出た隊員もしばらくすれば戻ってくるでしょう。

 あなたの部隊は何人残っていますか?』


 警報を受けた隊員がターミナルに集合しつつあった。

 タマキは通信機を手にしたまま、手を振って機体装着の指示を飛ばす。

 それから声を潜めてコゼットの問いに答えた。


「わたしを含めて歩兵4です」

『少ないですね。

 いいでしょう。ツバキ小隊を総司令官直轄とします。ひとまず出撃して第401独立遊撃大隊として戦闘を。

 アイノ・テラーと助手たちについては一切口外禁止とします。あなたのお兄さんにでもです。よろしいですね』


 尋ねたいことはたくさんあった。

 だがタマキはこの状況でコゼットの命令に背き質問を飛ばすことはできなかった。

 全てはユイの言う通り。アマネの残した日誌を読まなかった自分が悪い。


「了解しました」

『よろしい。

 では士官としての仕事に戻って』

「了解。通信を終了します」


 タマキは通信を終了しようとした。

 それをコゼットの方から『待って』と制止される。

 タマキは通信機を手に「はい」と声をかけ発言を促した。


『リルはそこに居ますか?』

「はい。代わりましょうか?」

『いいえ。その必要はありません。

 あなたを義勇軍付監察官に再任命した際、フミノに伝えさせた私の言葉を覚えていますね?』

「はい。忘れるはずがありません」


 コゼットは娘――リル・ムニエのことをよろしく頼むと伝言を残した。そしてそのことを本人には決して伝えないようにと。


『でしたら結構。

 直ぐ出撃を。何かあればこちらから直接指示を出します』

「了解」


 通信終了間際、コゼットが思い出したように一方的に告げる。


『話の続きは帝国軍の攻撃を凌いでから。

 その時はあなたの質問にも答えましょう。

 では失礼』


 通信が切断される。

 タマキが振り返ると〈ヘッダーン4・ミーティア〉を装備したサネルマが待機していた。

 通信が終わったのを見て彼女が声をかける。


「隊長さんすいません。

 問題が発生しまして、何名か行方不明者が……」


 緊急出撃が命じられたというのに集まったのは僅か4名。うち1人は片足をなくしたイスラだ。


「謝るのはこちらです。

 行方不明者については移動しながら説明します。

 ナツコさんの機体と通信が繋がらないか確認を。繋がったら呼び戻して」


 サネルマは敬礼して応じ、通信機を手にナツコの〈ヘッダーン5・アサルト〉へと通話が繋がらないか試みた。

 その間にタマキは〈R3〉装着装置に入り、指揮官機〈C19〉の装着を開始する。


 コゼットは質問に答えると約束した。

 だとすれば、今は攻撃を仕掛けてくる帝国軍に対応しなければ。

 ここで負けてしまえば折角掴んだアマネへの手がかりも、アイノ・テラーとその仲間たちの情報も無駄になってしまう。


 出撃可能なのは僅かに4人。

 小隊どころか分隊を名乗るにも人数が足りていない。

 それでも、大隊の一員として機動防衛に徹することは可能だろう。

 〈C19〉を装備し終えたタマキは出撃の号令を発した。


「これよりラングルーネ・ツバキ基地に攻勢開始した帝国軍部隊を迎撃します。

 ツバキ小隊、出撃!!

 ――イスラ・アスケーグ。あなたは居残りです」


 何を思ったのか汎用〈R3〉のパーツを引っ張り出していたイスラへと釘を刺すと、タマキは僅か3人の隊員を率いて出撃した。


          ◇    ◇    ◇


 飛び出していったフィーリュシカを連れ戻すよう命令を受けたナツコは急いで管理棟に入り、〈R3〉ターミナルの装着装置に入った。

 何があったかは分からない。

 でも緊急事態なのは間違いなかった。

 早朝、出撃許可のない状態での出撃。それに、タマキを拘束していた。

 タマキが連れ戻せと命令した以上、それに従うのがナツコの役目だ。


 装着装置に個人用端末をかざして認証を通すと、登録された自分の機体を選択する。

 〈ヘッダーン5・アサルト〉。

 ヘッダーン社が開発した最新の第5世代型突撃機にして、現在の統合軍における主力中の主力〈R3〉。


 機体選択後、装備構成の選択画面が表示された。

 追跡戦となれば汎用型で良いだろうと一番上を選択。決定しようとしたが、思い出したように視線を下へ向ける。


 登録された装備構成の一番下。

 そこにはナツコの個人用端末に記録されている装備構成が読み出され表示されていた。


 レインウェル基地での特別訓練。

 ツバキ小隊の全員に1勝するという目標達成のため、トーコと一緒に考えた、対フィーリュシカ用の特別構成。

 大隊のターミナルと接続されているため、登録されている全ての武装が装備可能だった。


 ナツコは汎用型をキャンセルして、その特別構成を選択。

 相手はフィーリュシカだ。手段を選んではいられない。


 〈ヘッダーン5・アサルト〉の装備が完了すると、武装が次々に装着されていく。

 実戦では使用経験のないものばかりだが、シミュレータで使い方は一通り学習済みだ。

 追跡距離がどれほどになるのか分からないのでエネルギーパックと水を多めに積み込む。

 最後に、外付けしたホルスターへと、左利き用の拳銃〈アムリ〉を収める。


 機体、装備のセルフチェックが完了。

 出撃可能の緑色のランプが点灯し、装着装置前面のゲートが開かれた。


「ハツキ島義勇軍ツバキ小隊、ナツコ・ハツキ一等兵。

 出撃します!」


 ナツコは機動ホイールを最高速度で回転させ、勢いよく装着装置から飛び出した。

 管理棟正面から外に出ると、フィーリュシカの装備する〈アルデルト〉の痕跡を追って、ラングルーネ・ツバキ基地から北西方向へと進路をとった。


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