第212話 ブレインオーダー2.0
消灯時刻を過ぎてから呼び出されたカリラは、タマキに連れられて衛生部の建屋に入った。
入院区画の2階。個室の並ぶ区域に、イスラの病室はあった。
タマキが部屋の前で立ち止まる。
振り返った彼女はタイマーを起動した端末を見せて告げた。
「面会時間は5分だけです。
体調は回復に向かっていますが、まだ安静が必要なことは間違いありません。
いいですね?」
「もちろんですわ」
カリラが2つ返事で了承すると、タマキはうんざりした様子で次を告げる。
「個人での面会を希望しますか?
そうでないのであればわたしも同伴します」
「可能でしたら希望しますわ」
同伴を拒否されたタマキはむすっとした表情を一瞬だけ見せながらも、「いいでしょう」とそれを了承しつつ、条件を加えた。
「面会するにあたり条件があります。
彼女との物のやり取りは一切禁止です。渡すのも、受け取るのも。
データの類も禁止です。発覚した場合は以降面会の一切禁じます。
よろしいですね?」
「いったい何を危惧されていますの?」
「質問には回答しません。不満があるのならわたしが付き添います」
「不満はありません。何も受け取りませんし渡しません。お約束しますわ。
これでかまいませんか?」
「大変よろしい。面会時間は5分です。扉を閉じたら始めます。
くれぐれもわたしを必要以上に待たせないように」
「心得ておりますわ」
カリラは自分の端末のタイマーを4分半でセットして、扉の前を開けたタマキに一礼して中へ入った。
スライド式の扉が閉まるとタイマーのカウントをスタートさせる。
そのまま視線を上げると、ベッドに横たわるイスラの姿に目を奪われた。
窓から入る灯りと、手元の端末に照らされたイスラは、涙を流していた。
「お姉様――」
カリラは思わず駆け出した。
突然の来客にイスラは驚きながらも、涙をぬぐってそれを出迎える。
「おお! カリラじゃないか。てっきりタマちゃんだと思ってたぜ。
にしたってこんな時間に――」
「お姉様!」
カリラは横たわるイスラをぎゅっと抱きしめた。
イスラは怪我人に対してはやや強烈なそれを受け入れて、頭をなでる。
「心配かけて悪かった」
「いえそんなこと。
わたくしこそ、わたくしのせいで、お姉さまが足を――」
「足? ああ、そういやそんなこともあったな。
ま、こんなもん痛み止め飲んでりゃ痛くもないし、義足さえ届けばなんとでもなるから構やしないさ。
高機動機に乗れなくなっちまったのはちと残念だがな」
「でもお姉様、先ほど涙を」
「おっと。恥ずかしいところを見られちまったな」
イスラは微笑んで、カリラの抱擁をとくと椅子をすすめた。
カリラが椅子に腰掛けると話を続ける。
「片足失ったのは大した問題じゃない。妹を守れたんだ、名誉の負傷さ。
問題なのは統合軍の藪医者とタマちゃんだよ。
あの藪医者ときたら3週間はおとなしくしてろとぬかしやがる。
タマちゃんまで一緒になって出撃どころか軽作業も外出も禁止だとのたまうんだ。
あたしはどうしてもそれが辛いんだ。
目の前に帝国軍が迫ってるってこの一大事に、少なくとも3週間は出撃できないなんて、生殺しってもんじゃないぜ」
「お姉様……?」
イスラは片足を膝から下、すっぱり切断したのだ。
3週間どころか、義足を付けたとして歩けるようになるのは当分先になるだろう。
だというのにこの3週間出撃できないと嘆くイスラに対しては、さしものカリラでさえ困惑した。
「しかしお前が来てくれてよかったよ。タマちゃんに意見書を出そうとするんだが受け取ってくれやしないんだ。
お前から渡してくれないか」
そう言って、イスラは紙に手書きされた意見書の束をサイドテーブルの引き出しから取り出した。
「これが軍医向けの退院許可意見書。こっちがリハビリ許可の意見書。
こっから先はタマちゃん向けだ。退院許可と、作業復帰許可と、出撃許可。
念のため副隊長あてと名誉隊長宛ても作った。こっちも渡してくれ」
思わず受け取りそうになるカリラだったがすんでのところで受け取りを拒否した。
「申し訳ありませんお姉様。
中尉さんが面会許可を出す条件として、お姉様から何も受け取らないことと」
「おっとそう来たか。
いやはや最近のタマちゃんは酷いもんだぜ。
こっちがちょっとした怪我したと知るや鬼のように嫌がらせをしてきやがる。
だが問題ない。データ版も作ってある。この意見書を――」
「データも受け取り禁止だと」
端末を振るイスラに対してカリラはきっぱりとそう告げた。
イスラは今度こそ顔をしかめて、手にした端末を布団の上に落とした。
「全く酷い話だ。そう思うだろう?」
「思いますけれど、今のお姉様には休養が必要ですわ。
しばらくは体を休めてくださいまし。無理をされてはいけませんわ」
「無理なんてしてないぜ。明日ともいわず、今すぐだって退院できるさ。
ま、どうせ退院許可は出ないだろうから、大人しくしてるしかないんだろうけど」
イスラは残念そうに、カリラへと退院許可を催促するようにと含みを持たせて告げた。
しかしカリラが退院については難色を示しているのを見て話題を切り替える。
「そんな話はいいや。
さっきも言ったが義足じゃ高機動機の操縦は難しいからな。
〈空風〉はお前が使ってくれ」
提案にカリラはかぶりを振った。
「そんな。
あの機体はお姉様のような天才にしか乗りこなせませんわ。
特にわたくしなんて、人より少しばかり射撃が苦手ですし」
「問題ない。お前はあたしの妹だ。できないことなんてありゃしないさ。
それに射撃下手なんて簡単に解決できる。
当たる距離まで近づきゃいいんだ」
「ですが――。いえ、そうですわね。
約束いたしますわ。わたくしが、お姉さまの分まで戦います」
しばらく帝国軍と戦えないと嘆いていたイスラが少しでも安心できるようにと、カリラはそう答えた。
だがそれにはイスラは賛同できないらしく首を横に振る。
「あたしの分はあたしが復帰したとき用にとっておいてくれ。
お前はお前の分を戦えば良い。
――それに、約束してくれるなら別のが良い」
「何でも言ってくださいまし」
言葉通り、イスラの頼みなら何でも聞くと、カリラは真剣な表情を向ける。
対してイスラはにっと笑って返した。
「一緒にハツキ島へ帰ろう」
その言葉に、カリラは大きく頷く。
「約束いたしますわ。
そのためにわたくしたちはここに居るのですもの」
「そうだったな。
頼むぜカリラ」
「はい。必ず」
その時、カリラの端末が小さくアラームを鳴らした。
入室から4分半の合図だ。あと30秒で部屋を出なければ、タマキから口うるさく怒られるばかりか、次の面会許可を得るのが難しくなってしまう。
「そろそろ時間のようですわ」
「そうか。次はゆっくり来てくれ。
――と、その前に」
腰を上げたカリラを、イスラは「1つだけ」と呼び止めた。
「ティレーおじさんは覚えてるか?」
懐かしい名前にカリラは2つ返事で答えた。
「もちろんですわ。
堅物でクソ真面目で融通の利かない面白みのない技術者ですけれど、お父様に変わってわたくしたちを学校に通わせてくれた恩人ですもの」
質実剛健を良しとするニルス・ティレーと変態機を愛するカリラはそりが合わない。
カリラの言葉に笑いを堪えながら、イスラは続ける。
「なんと今はトトミ首都で統合軍の技術教官してるらしい」
「あの軍属嫌いが?
珍しいこともあるものですわね」
「だろう?
引き留めて悪かったな。話はそれだけだ」
「?
はい。分かりましたわ。
失礼しますお姉様」
恩人の話ではあるが今すべき話だろうかと疑問を持ちながらも、カリラは退室した。
部屋の外で待っていたタマキはタイマーを確かめて、少しばかり時刻をオーバーしていたのを見なかったことにして話しかける。
「話したいことは話せましたか?」
「はい。感謝しますわ中尉さん」
「それはどうも。
何も受け取ってないでしょうね?」
「もちろんですわ」
カリラは両手を振って身の潔白を証明しようとする。
タマキはそれを疑いながら告げる。
「はっきり言いますが、わたしは軍医の指示に従うつもりです。
少なくともあと2週間は大人しくさせます。
これについてまさかあなたから意見はないでしょうね」
カリラはイスラが即時退院を望んでいるのを思いながらも、彼女の身体の安全を考えるのならば軍医の指示に従うべきだろうと頷いた。
「わたくしも今お姉様に必要なのは休養だと考えていますわ」
「大変よろしい。
既に消灯時刻は過ぎてますので、静かに宿舎へ戻るように」
「かしこまりましたわ」
カリラはタマキに宿舎前まで付き添われ、そこからツバキ小隊の部屋へと向かった。
音を立てないように入室し、ひっそりと外出着から寝間着に着替える。
着替えの途中、硬い物が床に落ちる音がした。
何かポケットに入れていただろうかとカリラは端末の明かりで足下を照らす。
そこには見慣れないデータチップがあった。
指先で拾い上げ、近くでまじまじと見つめる。
「古い規格ですわね。
こんなもの持ち歩いてましたっけ」
寝間着に着替えてからベッドに入る。
2人用のベッドだったが、ナツコが大の字で寝ていたので無理矢理端っこに押し込んだ。
寝ぼけて何事か戯言を口にしていたが、無視して端末を取り出す。
明かりが漏れないように布団の中で、端末に外付けのデータリーダを取り付け、先ほど拾ったチップを差し込む。
ウイルスチェックをかけて問題無いことを確認してから、データチップの中身を閲覧する。
古い規格のデータチップにそぐわない、最新バージョンの図面データが入っていた。
何が入っているのかと好奇心でデータを解凍。端末に図面を表示させる。
表示されたそれに、カリラは息を呑んだ。
(――義足の設計図)
設計者の署名にはイスラ・アスケーグと記されている。
紛れもなく、イスラが作成した義足の設計図だった。
彼女はそれをカリラに気付かれないようにポケットの中へ忍ばせてきたのだ。
だがカリラには受け取ったデータをどうすることも出来ない。
ただただ自分の無力さを嘆く。
(ごめんなさい、お姉様。
設計図だけあっても、今のわたくしにはこれを製造できる環境が――)
そんなカリラの脳裏にイスラが去り際にした話が思い浮かぶ。
――ニルス・ティレーがトトミ首都で統合軍の技術教官をしている。
統合軍技術教官という立場に居る彼ならばこの設計図を形に出来る。
そして彼はイスラとカリラの父であるロイグとは古い友人だ。娘からの頼み事とあれば、引き受けてくれるだろう。
カリラはイスラにはしばらく休養をとっていて欲しいと望んでいた。
しかし他ならぬイスラがここまでするのならば、自分もそれに助力しようと覚悟を決めた。
通信許可の取り方。データの偽装方法などに考えを巡らせ、直ぐに答えを出していく。
決行は明日。
タマキの機嫌が良さそうな時を見計らって。
やるべきことが決まると途端に無力感が押し寄せて来た。
イスラは片足を失っても、まだハツキ島を取り戻すため戦おうとしている。
カリラはイスラのことで頭がいっぱいで、目の前の作業に没頭していなければどうにかなりそうだった。
(わたくしがもっとしっかりしていれば――)
あの時もしも降り注ぐ瓦礫を対空ミサイルで吹き飛ばせていたら、こんなことにはならなかった。
戦闘行動中の結果に「もし」は無いかも知れない。
それでも、カリラは自身の不甲斐なさを嘆いた。
(もっと、もっと――
お姉様のように強く。戦える力がわたくしにあれば――)
目を強く瞑って願う。
そんなカリラの脳裏で何かが瞬いた。
最初それを、端末の明かりかと思った。
しかしカリラが目を開けて見ると端末のディスプレイは消灯している。
もう一度目を瞑り、先ほど何かが瞬いた場所を注視する。
歪な、いままで見たこともないフォントで描かれた文字が浮かんでいた。
『Brain Order 2.0
Activate? yes / no』
ブレインオーダー2.0。
恐らくレナート・リタ・リドホルムが開発し、カリラの脳内に残したであろう戦うための知識。
これはそれを有効化するかどうかの確認だ。
「――迷うはずがありませんわ」
カリラは頭の中でYesを選択する。
脳の中枢部分。厳重なロックをかけられていた区画への神経接続が開始された。
脳内の神経回路がつなぎ替えられる激痛によって、彼女は意識を失った。
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