第211話 ナツコのお願い
「あの――」
1日の作業が終わり、明朝までの自由時間を言い渡された後、ナツコは自室へと戻るタマキを追いかけて声をかけた。
タマキは声だけはいつも通り。されど表情は厄介者を見るものであった。
ナツコは威圧されながらも、意を決して尋ねる。
「イスラさんとの面会はまだ許可が出ませんか?」
既にエノー補給基地に入ってから1週間が経過していた。
大隊から命じられる作業に奔走していて日中タマキを捕まえられないため、声をかけられるタイミングは限られている。
朝礼の後と昼食の後か、就寝前のこの時間帯だ。
「あのねえナツコさん。
あなたには昼も――いえ、朝にも言ったでしょう」
タマキは今度は声にもうんざりした気持ちを込める。
ナツコからすれば朝と夜に2回声をかけただけだが、タマキからすれば1日に3回。複数の隊員から同じような質問を投げかけられている。
対する回答も、毎度毎度同じことを返しているというのに、懲りもせず隊員たちは同じ質問を繰り返す。
だからタマキも、結局同じ回答を繰り返すしかなかった。
「面会が可能と判断すればこちらから速やかに連絡します。
何度も確認をとる必要はありません。
理解出来ましたか?」
「それは、分かってはいます。ですけど、容体とか――」
「理解出来ましたか?」
2回目、タマキは語気を強めて問いかけた。
ナツコはそれに気圧されつつも頷いた。
「はい。分かりました。
でも、あの――」
「理解出来たなら結構。
わたしはこれから大隊長のところへ向かいます」
「――はい」
仕事のあるタマキを引き留めるわけにも行かず、ナツコは返事と共に頭を下げて、それから宿舎へと戻った。
消灯時間までの限られた時間が、隊員に与えられる唯一の自由時間だ。
シャワーも浴びたいし、洗濯もしなければならない。
お菓子だって、自由に食べられるのはこの時間だけだ。
貴重な時間を無駄にしてはならぬと、ナツコは急ぎシャワーの支度を済ませた。
「サネルマさん。一緒に行きましょう」
まだ部屋に残っていたサネルマを誘うが、彼女はかぶりをふった。
「ごめんなさい。
少し用事があるので先に行っていてください」
「そうですか。
では先に――」
用事があるならと諦めかけたが、ナツコはサネルマの用事に心当たりがあり、言葉を句切って一呼吸置いてから尋ねる。
「タマキ隊長のところですか?」
「あ、分かる?」
「はい。私もさっき行ってきて。
でも、大隊長のところへ行くって」
「あら。となると消灯時刻まで帰ってこない奴ですかね?」
「多分」
タマキはここ1週間というもの、毎日のように自由時間となると押しかけてくる隊員から逃れるため、大隊長執務室に無理矢理用事を作っていた。
一般の隊員は大隊長執務室どころか、用がないかぎりは大隊司令部にも、士官用区域にも立ち入ることは出来ない。
タマキにそこで時間を潰されては、手の出しようがなかった。
「一応メッセージだけ送っておこうかな。
機嫌はどうでした?」
「今日はちょっと悪いかも」
「むむむ。
止めておくべきか、それでも送るべきか……」
サネルマは光り輝く頭に手を乗せて思案する。
彼女としては真剣そのものであったのだが、ナツコはそのポーズがちょっとおかしく見えて、笑いを堪えながら自分の意見を述べた。
「タマキ隊長、しばらく放っておいて欲しいみたいでした」
「うーん。
あまり催促するのは良くないですよね。
隊長さんも忙しいでしょうし」
「分かってはいるつもりなんですけど」
「悩ましいところですな」
ナツコもタマキが面会の話を切り出されるのをよく思っていないと重々承知の上で、それでも尋ねずには居られなかった。
サネルマもどうすべきか悩んだが、結局、メッセージを送るのを取りやめた。
「隊長さんを信じましょう」
「はい。そうしましょう」
ナツコは催促を諦めたサネルマと一緒に、一般兵のシャワーの行列に並びに向かった。
◇ ◇ ◇
ナツコはその日洗濯当番だった。
同じく当番のサネルマと2人、洗濯カゴを運ぼうとしたのだが、いつもより量が少ないと中身を軽く確かめる。
「あれ? カリラさんの分がないですね」
「忘れちゃったんですかね?
一応、締め切りまであと30秒くらいあります」
消灯時刻を過ぎたら洗濯場の使用許可が出ない。
なので隊員たちは話し合いの上、洗濯物の提出期限を決め、間に合わなかった物については自分で洗うか翌日に持ち越すという形で運用が為されていた。
サネルマは個人用端末で時刻を確認し、期限ギリギリまでは待とうとカウントダウンを行う。
しかしカウントはゼロを告げ、2人は目配せするとそれぞれ1つずつ洗濯カゴを持った。
丁度その時、部屋の扉が開いてカリラがやってくる。
カリラは洗濯カゴを持った2人を見ると、慌てて個人用クローゼットへと走った。
「まだ間に合いますわよね!?」
「ギリギリアウトですけど、直ぐ出るのでしたら」
サネルマがやんわりとそう告げる。
これがリルやフィーリュシカだったら時刻を1秒でも過ぎた時点でアウトなのだが、その辺りサネルマは優しかった。
カリラは身につけていた作業着を脱ぎ捨てて洗濯カゴへ向けて投げる。
やや手前に落ちるそれをナツコは前進してカゴで受け取り、更に下着類が投げられるとそちらも全てキャッチする。
「とりあえずそれだけ頼みましたわ」
「分かりました。
ところでカリラさん、最近ユイちゃんと別作業みたいですけど、何しているんです? 〈音止〉の修理かと思ったんですけど、そちらにもいないようですし」
「極秘ですわ」
カリラは一切教えることは出来ないと、そうきっぱり答えた。
同じく別作業をしているユイもフィーリュシカも教えてくれなかったので、これは本当に極秘の作業なんだろうと、ナツコは追求を早々に諦める。
乱雑に入れられた衣類をカゴに詰め直し運びだそうというとき、カリラが尋ねる。
「中尉さんがどちらにいるかご存じです?」
「大隊長に用事があるそうで」
サネルマが「今日は帰ってこない」と含みを持たせた笑みを向けながら答える。
対してカリラは目を細め、確認する。
「何か言ってまして?」
2人は声もなく首を横に振った。
カリラは一瞬だけ寂しそうな表情を見せて、「それなら構いませんわ」と2人に洗濯へ向かうように手を振った。
「あの、カリラさん――」
ナツコは何か言葉をかけようとしたが、肝心の言葉が出てこない。
そんな様子を一瞥して、カリラは再度手を振ってさっさと行くように示した。
「消灯時刻が迫ってますわ。
わたくしも直ぐシャワーに並びに行きませんと閉まってしまいますから」
「そうですけど、あの……。
そうですね。行きましょうサネルマさん」
結局かける言葉が見つからず、ナツコはサネルマと共に洗濯場へ向かった。
道すがら、人通りが少なくなるとナツコはサネルマへ声をかける。
「カリラさん、大丈夫でしょうか」
「うーん。無理してるように見えたけどなあ。
カリラちゃんが洗濯物出すの忘れるのも珍しいし」
「ですよね。
やっぱり、なんとかタマキ隊長にお願いしたほうが良いかもしれません」
「うーん。難しい所だけどなあ。
でもこのままだとカリラちゃん体調崩しそうだし、ちょっとお願いしてみよっか」
「はい!
お願いしますね、サネルマさん!」
頼まれたサネルマは、隣を歩くナツコの顔をじっと見つめた。
こういう場合、副隊長であるサネルマが交渉に行くべきではあるのだが、タマキがイスラの面会を拒み続けている理由が分からない以上、交渉のカードは最後まで温存しておきたかった。
「ナツコちゃん。
これは副隊長としてのお願いなんだけど、まずはナツコちゃんから隊長さんに話してもらっていい?
あくまで名誉隊長のナツコちゃんとしてのお願いって形で。
それで駄目だったら、不肖サネルマ・ベリクヴィスト。副隊長として正式に依頼に行きます」
「え、私ですか?」
サネルマが行ってくれるのだとばかり思っていたナツコは不意を突かれて驚いた。
しかしサネルマの意図しているところをなんとなくくみ取って、大きく頷いた。
「2段構えの作戦ですね!
分かりました! ナツコ・ハツキ一等兵、タマキ隊長にお願いしに行ってみます!」
「よろしく!
でも洗濯終わってからですからね!」
「も、もちろんですよ!」
そのまま洗濯カゴを放りだして向かってしまいそうなナツコだったが引き留められて、2人揃って洗濯場へと赴いた。
◇ ◇ ◇
大隊長の個室。1つしかない椅子に座って翌日のスケジュールを組んでいたタマキは、端末に届いたメッセージを開くと大きくため息をついた。
「最近またため息が多いな」
「これも全部あの大馬鹿者のせいだわ」
椅子をタマキにとられたので、立ったまま決済手続きを進めていたカサネが、ため息を耳にして声をかける。
「隊員からか。内容は?」
「眠れないから睡眠導入剤を処方して欲しいと」
「そろそろ面会拒否も限界じゃないのか?」
「わかってるわよ」
タマキだって、1週間ろくに理由も説明せず面会許可を出し渋り、それで隊員が納得するわけないと理解していた。
それでも、今の状態のイスラと隊員を会わせていいのか判断出来なかった。
だが結論を先送りするのも限界だった。
ナツコが精神的に不安定になってきている。
――実際このメッセージはタマキと話をしたいがためにナツコが適当にでっち上げた依頼だったのだが、タマキにはそう受け取られた。
「行ってくるわ」
「そうしてくれ」
「何。わたしが居ると不満?」
タマキは顔をしかめてカサネを睨んだ。
カサネは否定しようとして出しかけた謝罪の言葉を飲み込んで、頷いて返す。
「不満だ。
隊長だろう。しっかり隊員と向き合うべきだ」
「ふん。
お兄ちゃんのくせに上官ぶって」
「悪かった。だが、部下の意見は聞くべきだ。
突っぱねるにしても受け入れるにしても。
少なくとも隊員はお前を信頼している。
その信頼から逃げるな」
カサネのアドバイスに対してタマキは唇をとがらせて、不満一杯に椅子から立ち上がった。
「お説教はそれでお終い?」
「ああ。これっきりだ」
「そ」
短く返したタマキは、自分の荷物を持つと扉へと歩く。
開いた扉から半歩外に出て、それから振り返ってカサネへと声をかける。
「貴重なご意見どうも。
大好きよ、お兄ちゃん」
「ああ。行ってこい」
送り出されたタマキは、大股で歩き始めた。
◇ ◇ ◇
士官宿舎の通行許可を得たナツコは、警備ゲートを通ってタマキの部屋へ向かった。
ツバキ小隊の消灯時刻ギリギリだが、士官宿舎は夜間も仕事をする人が多いようで、共用スペースの電気もほとんどがついていた。
士官とすれ違う度に敬礼して、タマキの部屋まで辿り着くと扉を叩くが返答はなかった。
再度ノックしたところで、背後から声をかけられる。
「ごめんなさい遅くなりました」
「いえ、私の連絡が遅かったせいです」
「そうね。連絡は早いほうが助かります」
ナツコが一歩横にどくと、タマキが士官用端末を扉にかざした。
私室の扉が開き、先にタマキが入室し、許可を得たナツコがその後ろに続く。
「少し待ってて」
「はい」
タマキの部屋はよく整理されていて、掃除も行き届いていた。
机の上にあるのは古い写真立てだけで、薬品箱を出すために開けた引き出しの中も、一目で何処に何があるのか分かるよう整頓し尽くされていた。
「本日分だけで良いですね? ――何を笑っていますか」
タマキは睡眠導入剤の袋を差し出しながら、何やらにやけているナツコへ注意した。
ナツコは慌てて表情を戻したのだが、追求がやむことは無い。
「理由を説明なさい」
「いえ、あの、いまのは違くてですね――」
ナツコはしどろもどろになり誤魔化そうとするのだが、受け取ろうとした睡眠導入剤は引っ込められて、タマキは凄むように睨んでいた。
観念してついつい考えてしまったことについて白状する。
「すいません。
タマキ隊長の実家とは違うなあって思いまして」
「実家? ああ。そういうこと」
タマキの実家の部屋では、脱ぎ散らかされた衣服が散らばり、布団も畳まれておらず、机の上には乱雑に物が置かれていた。
タマキ自身、実家の状況については良いとは思っていないようで、真面目な表情で告げる。
「実家のことは忘れなさい」
「え? それは命令ですかね?」
「無論です」
「分かりました。
なるべく忘れられるように善処します」
トトミ首都にあるタマキの実家で過ごした日々を生涯忘れることは無いだろうけれど、命令だと言われた手前、一応ナツコは頷いた。
「まあ良いでしょう。
それで眠れないとのことですが、昼寝でもしましたか?」
「いえそういうわけでは」
「精神刺激薬類の摂取は?」
「ないです。
コーヒーも飲んでません」
「原因に心当たりが有りますか?」
問われて、何も考えずにここに来てしまったナツコは硬直し、懸命に言い訳を模索し始めた。
それでも気の利いた理由が思い浮かぶことはなく、結局本題について話し始める。
「あ、あの。
イスラさんの面会についてですけど、お話ししてよろしいですか?」
返答のかわりにタマキは大きくため息をついた。
しかし間を置いてから頷いて見せる。
「聞くだけ聞きましょう」
「ありがとうございます」
礼を言ったナツコは、頭の中で言うべきことを取捨選択して、必要な情報だけを手短に伝える。
「面会について、許可が出ないのは何か理由があるんだと理解はしています。
でも、カリラさんが最近様子がおかしいと言いますか、このままでは倒れてしまいそうで……。
カリラさんだけでも、ほんの少しで良いので面会させてあげることは出来ませんか?」
ナツコの頼みに対してタマキは顔をしかめて尋ねて返す。
「様子がおかしいというのは?」
「具体的に何かあると言うことでもないんです。
仕事も真面目にやってるんだと思います。
ですが、その、真面目すぎると言いますか、静かすぎると言うのでしょうか?
イスラさんが居ないのもあるんだと思いますけど、そうだとしても、覇気が無いというか、仕事以外には全く興味も無いみたいで」
あやふやな答えに、タマキは口元を歪めて訝しむようにナツコを見つめた。
対してナツコは頭を下げて、再度懇願する。
「上手く説明できなくてごめんなさい。
でも、今のカリラさんはとても見ていられなくて……。
どうかお願いします」
懇願に、タマキは小さくため息をつく。
「確認させてください。
そのお願いは皆さんで考えたものですか?」
「いえ。
私個人のお願いです」
タマキはそれを半信半疑で受け取りつつも、今回ナツコ個人で頼みに来た以上、残りの隊員が個人単位で要望を出しに来る可能性も考えた。
更にはツバキ小隊として意見を出してくることも考えられたし、タマキを飛び越え、大隊長や、名目上ツバキ小隊の指揮権を持つ総司令官に請願書をだす可能性すらあった。
それはタマキの望むことではない非常に面倒なことで、そういった事柄とカリラ個人に対する面会許可を出すのとどちらがいいのか天秤にかけ始める。
「……駄目、ですか?」
ナツコはタマキの表情を伺うようにして尋ねる。
まだ結論を出し切れていなかったタマキは大きくため息をついた。
「――わたしだって、許可を出せる状況なら出してます」
「はい。理由があるのは理解しています」
「理解した上で毎日頼みに来ると?」
「それはその、理解はしているんですよ? 本当です。
でもじっとしていられなくて……」
必死に弁明するナツコを見てタマキは内心ちょっとばかし笑いつつも、本題について思案するとやはり答えを出せない。
「――あの大馬鹿者がもう少しまともならこんなことで思い悩むこともなかったでしょうに」
「どの大馬鹿者です?」
ナツコは大真面目に尋ねた。
タマキは苦虫噛みつぶしたような表情で告げる。
「イスラ・アスケーグですよ。
――ともかく、これから部屋に戻りますね?
カリラさんにわたしの所に来るよう伝えてください。
消灯時刻を過ぎていますので他の隊員を起こさないように」
「はい!
しっかりと伝えます!」
その言葉を、ナツコはタマキが面会許可を出してくれるのだと受け取って、笑顔で返事をした。
「ありがとうございました、タマキ隊長!
それでは私はこれで失礼しますね!」
礼を述べ、退室しようとしたナツコを、タマキは引き留める。
「ナツコさん。何か忘れていませんか?」
「え? 忘れ物ですか?
ないはずですけど」
何も置いた覚えはないと、ナツコは自分が個人用端末をしっかり首から提げているのを確認して返した。
しかし詰問するように、厳しい口調でタマキは尋ねる。
「あなたはここに何をしに来たのですか」
「それはカリラさんに面会許可を出してくれるようにお願いに――あっ!」
実際はそうだったとしても、建前上はそうではなかったことに気がついたナツコは、慌てて体面を繕った。
「睡眠導入剤を受け取りに来ました!」
「そうでしたね。
念のため確認しますが、本当に必要ですか?」
「さっきまで必要だったんですけどね。
今考えてみると、もしかしたら無くても眠れるかも知れません」
眠れないなどと言うのは真っ赤な嘘だったと、タマキはそれで確信した。
しかしそれはナツコの精神面はそこまで差し迫った状況にないことを意味していて、タマキにとっては悩みの種が1つ減ることになった。
「よろしい。
必要の無い薬品は渡しません。
宿舎に戻りなさい。伝言だけ、よろしくお願いします」
「はい! 了解しました!」
ぴっと短く敬礼して、ナツコは退室した。
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