第186話 レインウェル空中戦

 リルは飛び立ったのちしばらくは超低空飛行で飛んだ。

 宇宙海賊に義理立てするわけでは無いが、念のため飛行ルートから所在をつかまれないよう、対空レーダーの感知高度より下。そして道から外れた山地や森林地帯を移動。

 しかし急ぐよう指示を受けているため、離陸地点が特定されないようにある程度細工すると、高度を上げて統合軍の定めている〈R3〉用飛行ルートに入る。


 支流からレイタムリット・レインウェル間を繋ぐ本線へ入ると、適性高度まで上昇。

 認識灯を点灯させ、高度を維持してレインウェル基地へ向かう。


 リルの装備する〈DM1000TypeD〉はスポーツ向けの機体で長距離飛行には向いていないものの、距離的には十分無補給でレインウェル基地まで飛行可能だった。

 エネルギーパックが空になると飛行しながら交換し、取り外したものをバックパックへ放り込む。

 高度も速度も維持したままエネルギーパックを交換する程度、彼女にとっては造作もないことだった。


 車両で5時間以上かかった道のりが、空を移動すれば2時間とかからなかった。

 いよいよレインウェル基地の防空圏に入ろうと言うとき、リルの通信機に基地からの着信があった。

 防空圏への侵入と、基地への着陸許可をとらなければならないので、向こうから通信を入れてくれたのは手間が省けた。

 直ぐに視線でコンソールを操作して通信に出る。

 すると野太い男の声が響いた。


『こちらレインウェル基地! そちらに敵飛行偵察機が向かっている。迎撃に当たってくれ!』


 突然響いた慌てた様子の老人の声に、リルは困惑しつつも応じる。


「こちらハツキ島義勇軍ツバキ小隊所属機。レインウェル基地防空圏内侵入と基地着陸許可を求めます」


 相手方の要求を一切無視して自身の要求を伝えると、通信相手は更に続けた。


『緊急事態だ。こちらはトトミ星系副司令ドルマン中将。最優先で迎撃を』

「お言葉ですが閣下。中将だか副司令だか知りませんが、命令でしたら直属上官を通して頂けますか?」


 リルはテオドールへと統合軍規定に従うよう要求した。

 例えそれが元帥だろうが、上官から命令を受けて行動中の兵士に対して、別の行動をとるように命令することは不可能だ。

 直属上官の命令は全てに優先される。

 だがテオドールはそんなことは分かりきった上で命令を飛ばしているため続けた。


『繰り返すが緊急事態だ。基地の警報システムがハッキングされて作動しない。

 迎撃可能機は君だけだ。時間を稼ぐだけで良い。責任はこちらでとる。

 敵機を逃がすわけには行かん。奴は総司令官襲撃の実行犯だ』

「は? 総司令官襲撃って――あいつは無事なの!?」

『司令は現在衛生部に――ツバキ小隊所属リル――ムニエ? まさか司令の娘か?』

「関係ない。迎撃には当たるわ。うちの上官には後でそっちから説明を」

『任されよう。直ぐに追撃機も出す』

「敵機捕捉。通信終了」


 リルは通信を切ると、視界に捉えた敵機を注視する。

 注視点をズームして向かってくる敵機情報を確認。


「〈エリスモデル2〉。しかも目立つ塗装ね」


 明らかに軍用では無いスポーツ専用機。

 リルの〈DM1000TypeD〉と同じ、第3世代型飛行〈R3〉。

 機体性能が同程度なら1対1の戦いで負けるはずも無いと、リルはヘッドオンを挑む。

 互いに正面から突っ込む真っ向勝負。

 12.7ミリセミオート狙撃銃を構え安全装置を解除。

 小細工すること無く加速し正面から突っ込んでいく。


「――避けない。命知らずな奴」


 相対距離が瞬く間に近づく。だが相手は回避動作を一切見せなかった。

 ヘッドオンに乗るつもりだ。乗ってくるならそれで構わないと、リルは照準を調整。


 相手も狙撃銃を構える。

 クルミの銃床を持つリルの狙撃銃より更に古風な、銃の大部分が木製の、全長の長い狙撃銃。

 骨董品として飾られていてもおかしくない代物な上、飛行偵察機が装備するには長すぎる銃身。

 素人か、それとも使いこなす自信があるのか。リルにはまだ判別がつかない。

 相対距離400メートルまで接近すると、敵機狙撃銃が瞬いた。


「早い――」


 飛行偵察機同士の戦闘においては長すぎる射撃距離。当たらないだろうと高をくくりながらも半瞬だけ機体を下に振った。

 飛来した銃弾は僅かにリルの上数センチの距離。――狙いは極めて正確だった。


「こいつ!」


 リルも相対距離300メートルで応射。

 回避によって揺れた機体を安定させ、敵機頭部へと照準を定めトリガーを引く。

 寸分違えること無く頭部へ向けて放たれた銃弾だが、着弾の寸前敵機は機体を下に振ってそれをくぐった。そこから体を捻るように上昇し、リルとの距離をとる。


 リルはコアユニット最大出力で上昇を開始。高度を確保し、旋回するとレイタムリット方面へ抜けようとする敵機へ向けて降下開始。

 高度を速度へ変換し敵機を追う。背後をとれば相対距離300でも命中弾を出す自信はあった。


 急加速に体が軋むが、構わず速度を増す。

 高度は敵機より低くなったが、速度で優位に立った。距離を詰め、いよいよ相対距離300メートル寸前。

 狙撃銃を構え、コアユニットを狙う。


 敵機は機体を横方向に振った。水平方向の軌道。更に身を捻りながら反対方向へ。機体を左右に振って狙いをつけさせない機動だ。

 更に機動変化に伴う速度低下。機体の限界速度ギリギリまで加速していたリルとの相対距離があっという間に縮まる。


「無駄よ――何っ!?」


 トリガーを引ききる瞬間。攻撃を見切ったように敵機が斜め上へ上昇。

 攻撃回避と同時に、上昇による急減速でリルは敵機を追い越してしまう。

 オーバーシュートの刹那。背後からの攻撃をリルは機体をロールさせ躱す。指先の微細な動作でフラップとラダーをコントロールしてコアユニット出力を落とさぬまま減速。

 再びオーバーシュートを発生させて敵機を前に出す。


 リルは敵機を侮るのを止めた。

 機体特性に対する理解。操縦技能。長距離狙撃技能。そして総合的な空戦技術。全てが一級品だ。全力を賭さなければこの相手に命中弾を出せない――ばかりか、油断していれば地に落とされるのは自分だ。

 最初の一撃を気まぐれで回避していなければ、そこで決着はついていた。


 互いに機体をジグザグに飛行させて相手のオーバーシュートを狙う。

 実力の逼迫した2人の空中戦。オーバーシュートは幾度も発生し攻撃側が入れ替わるも、命中弾が出ることは無く決着がつかない。

 だがリルは機動の最中に敵機の弱点を掴んでいた。


(――左方向に対する機動が遅れる。こいつ、怪我してる)


 僅かな差。だが完璧と形容できるほどの右方向機動に比べ、左方向は一瞬反応が遅れる。

 これを利用しない手は無い。

 リルは機体を加速させて敵機を追い抜いた。オーバーシュートにより攻守が入れ替わり、敵機が狙撃銃を構える。

 バックモニターで攻撃の瞬間を見切り、攻撃と同時に左旋回で銃弾を回避。そして強烈なGに抗いながら旋回を継続。急旋回に機体が滑り、旋回半径を著しく縮める。

 一瞬だけ反応の遅れた敵機。急旋回によってリルはその側面をとった。


「今度こそ――」


 完璧に捉えていた敵機。それが急減速をかけた。

 推力偏向。フラップ操作。更に垂直に立てた飛行翼による抵抗。

 大きな速度差によってリルの視界から敵機が急激に遠ざかる。

 それでも片手で狙撃銃を構えて発砲。銃弾は失速した敵機のヘルメットを擦った。


 機体が空中分解しかねない急減速だった。

 操縦不能に陥ってもおかしくない失速を起こしながらも、敵機は狙撃銃を構えていた。

 信じられない光景にリルは短く声を上げる。それでも飛行偵察機乗りの直感が急降下をかけさせた。

 銃弾が脚部を抉った。即座に損害評価が為されるが、機体損害は軽微。装甲は削られたが骨格までダメージは達していない。


 だが物理的な損害以上に、精神的な動揺が走る。

 先ほどの急減速からの攻撃。それをやり遂げられる人間は、統合人類政府内には1人しか存在しない。

 機体を反転させた状態で下方向へハーフループを描きながら、リルは敵機を睨む。


「――ロジーヌ・ルークレア!! 何であんたがここにいるのよ! 総司令官襲撃ってどういうことよ! あんた、あいつの副官じゃなかったの!」


 リルの声にロジーヌは答えない。

 落下により速度回復した彼女は、飛行翼で空気を掴み飛行を再開。右旋回をかけながら高度を下げていく。


「洗いざらい吐かせてやる! このクソ女!」


 ハーフループを終えたリルはロジーヌを追うよう右旋回を開始。

 螺旋を描きながらも、互いに相手の背後をとろうと複雑な軌道をとる。リルが速度優位を活かしてロジーヌの外側軌道をとりつつ位置関係を保とうとすれば、ロジーヌは上昇しつつ旋回してオーバーシュートを狙う。

 前後関係は入れ替わりを続けるが、互いに隙を見せず攻撃機会を与えない。


 それでも状況はリルに有利な形へ運んでいた。

 ロジーヌは背後をとろうとする余り速度を落としすぎた。速度を落とすこと無く軌道変化によって背後をとっていたリルは大幅な速度優位を維持していた。

 既に十分速度の遅いロジーヌには、急減速からのカウンター攻撃を行う余裕がない。


 彼女が背後をとろうと速度を落とせば失速をおこすのでその瞬間を狙撃。

 そうしなかったのであれば、確実に仕留められる距離まで接近して狙撃。

 リルの残弾は1。再装填している余裕は無い。次で確実に決めようと距離を詰める。


 ロジーヌは旋回降下しながら、一瞬リルの方を目視確認した。

 リルはそれを行動開始の合図と受け取った。

 減速か、上昇か。どちらかかと思いきや、彼女は急降下を開始した。


「あんた正気!? クソ!」


 既に地面が近い。

 こんな高度で頭を下にして急降下など自殺行為に等しい。

 だがリルはロジーヌを追った。


 急降下による加速にあらがうように、機体の空中分解を防ごうとコアユニット出力を低下。フラップを展開。ロジーヌとの相対速度優位だけを保ちながら地面へ向けてダイブ。

 ロジーヌは追撃をさせまいと急降下しながらロール。

 応じるようにリルも機体をロールさせ相対速度を維持。


 地面が間近に迫る。

 ロジーヌは減速しない。

 このままでは地面に追突する。やむを得ずリルは機体を緩やかに起こして降下旋回へ切り替えた。


「あのバカ」


 地面に追突して死ぬだろう。

 そう思いながらも追撃姿勢をとるために大きく旋回。


 その目の前で、ロジーヌは機体を急激に起こした。

 急減速によって限界を迎えたフラップが吹き飛ぶが、それでも機体の空中分解までは至らない。

 彼女は地面すれすれで地面を蹴る。回転していた機動ホイールが吹き飛び、脚部パーツを損傷しながらも機体は上昇。飛行状態へ戻る。


「なによ今の!」


 無茶苦茶な急制動。

 それは彼女の得意とする急減速機動の応用だ。

 それでも高速で急降下しながら地面直前でやってのけたことにリルは驚きを隠せない。

 慌てて追撃するが速度はロジーヌが優位。大きく旋回していたリルは一手遅れた。

 

 ――このままだと逃げ切られる。

 

 諦めかけたリルの前で、ロジーヌはあろうことか急上昇を開始した。

 上方向へとハーフループを描き機体を反転。

 追撃をかけるリルへと向かって突っ込んでくる。


 互いに正面を向けた真っ向勝負。ヘッドオンだ。

 リルはその勝負を受けた。狙撃銃を構え、コアユニット最大出力で突っ込んでいく。

 有効射程はロジーヌが有利。

 少なくとも1発は何としてでも回避しなければならない。

 加速しながらも、機体をロールさせながら上下左右に振り狙いをつけさせない。


 相対距離400メートル。

 ロジーヌも機体を小刻みに動かし始める。

 互いに狙撃銃を構えるが、トリガーを引かない。


 瞬く間に相対距離200メートル。

 リルは照準器を覗き、攻撃の瞬間を見定めようと目を皿のように広げた。

 既に相対距離が100メートルを切っていた。

 一撃必殺の距離。だが互いに神経を研ぎ澄まし、敵の攻撃の瞬間を見定めようとしていた。

 一瞬で相対距離が0に。寸前で両者とも機体を捻る。垂直になった機体は僅か数センチの距離で交差した。


「曲がれええええ!!!!」


 リルは飛行翼を制御する指先を力一杯握り左旋回をかける。

 同時に推力偏向。フラップ展開。

 急減速に耐えきれなかったフラップが機体を守るため自壊し脱離。

 強烈なGを受けるが、それでも目一杯旋回をかける。

 飛行翼が軋み、急激な速度低下による失速が発生。失速は機体を横滑りさせて、限界を超えた旋回半径で機体をねじ曲げる。


 ロジーヌは斜め上方へ急上昇ををかけつつ急旋回。

 推力偏向。そして飛行翼が垂直に立てられる。最高速度まで加速していた機体が急減速に悲鳴を上げ、飛行翼に亀裂が走った。

 空中分解寸前で機体が静止、その場で反転し後方を向いた。


 互いに指向した狙撃銃。

 銃声が重なって1つだけ響いた。


 ロジーヌの左飛行翼先端を銃弾が抉る。

 同時に、リルの右飛行翼の根元が銃弾に抉られ、ポッキリと折れた。


「クソ! クソ! クソ!」


 呪詛を吐きながら、失速落下を始め操縦不能に陥った機体の制御を取り戻そうと、残った左翼を懸命に操作。

 視界の端に、損傷を負いながらもフラフラと飛行再開し飛び去っていくロジーヌの姿を捉えていた。


 高度が十分に下がっていたこと。急旋回によって失速状態にあったことが幸いした。

 リルは残っていた左翼を下にして地面へと突っ込む。

 翼を緩衝材として、激しい振動を堪えながら速度を落とした。

 翼が限界を迎えると強勢脱離。両手を顔の前で組んで、僅かな装甲を下にして軟着陸を強行。

 十数メートルだけ滑って、機体は停止した。


 機体は激しい損傷を訴えたが、損害状況を示す表示はオレンジに留まっていた。

 それでもリルは、機械の拳を地面に叩き付ける。

 絶対の自信を持っていた空中戦において、1対1で敗北を喫した。

 彼女の悲痛な叫びが、レインウェル基地東部、砂地地帯に響き渡った。

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