第137話 フミノ・ニシ

 ツバキ小隊はニシ家邸宅の和室を借りて布団を敷いた。

 使っていない部屋もあったが、和室が十分に広いので全員で1カ所にまとまることにした。床に直接布団を敷いて寝ることにもキャンプでの寝袋生活ですっかり抵抗はなくなっていて、空調も完備されたそこは天国のようですらあった。


 そんなツバキ小隊と別れ、タマキは1人自室で寝ると部屋に籠もった。

 昼過ぎまで寝ていたため布団に入っても寝付けず、個人用端末を取り出して兄から届いていたメッセージを全て無視して最近のニュースを調べる。

 そんな風にして夜も深まると、部屋の扉が開かれた。


「ノックくらいしたらどうですか」


 入室者にそう言うと、軽く2つ扉が叩かれた。


「開けてからしても意味ないでしょう」

「ノックしろって言うから」


 タマキは端末の明かりに慣れてしまった目で入室者を確かめる。

 入ってきたのはイスラだった。

 イスラは扉を後ろ手で閉めるとベッドの元で床に座り、背中をベッドに預ける。


「入室を許可した覚えはありません」

「家主の許可は取ったぜ」


 現在の屋敷の主であるフミノは、ツバキ小隊に邸宅内を自由に使って良いと許可していた。だからといって自室にまで勝手に入られてはたまらないとタマキは反論する。


「ここはわたしの部屋です」

「まあまあ。いいじゃないか」

「いいわけないでしょう。で、何のようですか」


 用が済むまで帰りそうに無いのでタマキは用件を尋ねた。

 用件もなんとなく想像がついていた。

 イスラは尋ねられてもしばらく黙っていたが、やがて切り出す。


「ラングルーネ基地でのことだ。あんときゃ言い過ぎた。悪かったよ」

「全くです」


 タマキは当然の如くそう返した。

 思いがけない言葉にイスラはタマキの方を見上げるようにして尋ねる。


「怒ってる?」

「まさか。あなた達がすんなり言うことを聞いてくれるとも思っては居ませんでしたから。――それでも、わたしの命令に背いて挙げ句の果てに解任しようとするとは思いもしませんでしたけど」

「やっぱり怒ってないか?」

「多少は」


 タマキは認めたが、イスラが口を開く前に次の言葉を発する。


「――ですが、よくリルさんを助けてくれました。それだけ出来れば他のことはどうだって構いません」


 イスラはその言葉に小さく笑った。


「やっぱり、ツバキ小隊の隊長はあんたしかいない。もう1回やってくれよ」

「考えておきます」

「いつ頃答えは出そうだ?」

「軍法会議の結果が出る頃までには」

「分かった。それまであんたに預けるよ。だが、皆あんたを待ってる。忘れないでくれ」

「はいはい。話が終わったなら出て行きなさい。何時だと思ってるの」

「分かってるって」


 イスラは立ち上がり部屋の扉に手をかける。扉を開けて去り際に一言残した。


「きっと無罪判決が出るさ。だからちゃんと考えておいてくれよ」


 イスラが退室した後、タマキは再び端末を手にして大きくため息をついた。

 処分内容についてはもう手が回っているだろう。

 軍法会議にもリルが手を回している。それでも判決内容に干渉することは難しいだろう。原因を取り除かない限りそう上手くはいかない。

 それでも、本当に無罪判決が出たらその時は――


 タマキは端末の電源を落とし闇に目を慣らすと、立ち上がって自室を出た。

 しばらく本星軍大学校に通っていたため長いこと帰っていなかった実家だが、闇の中でも記憶を頼りに歩いて行ける。

 廊下を進むと、居間の明かりがついていることに気がつく。

 居間の小さな明かりに照らされる机の元にフミノが居た。フミノはやってきたタマキへと視線を向ける。


「こんな時間に起きてくるなんて珍しい」

「寝付けないだけよ」

「1日中寝ているからですよ」

「わたしがいつ寝ようとわたしの勝手だわ」

「ええご自由に。それで、何か飲みますか?」

「ホットチョコレート」


 フミノは娘の注文を受けると立ち上がってキッチンへ向かう。手伝う気になれなかったタマキは椅子に座って待って、ホットチョコレートがやってくると礼を言って受け取る。

 熱々のそれは冷ますため机の上に置かれた。


「何を悩んでいるのです。答えは出ているのでしょう」


 フミノが唐突に声を発した。

 意表をつかれたタマキだが、1つため息をついて返す。


「この先どうなるか分かりませんから。母様はこれまでの経歴に満足していますか?」

「ええ、していますよ」


 フミノは間髪入れずに答えた。

 フミノは長いことトトミの兵学校で士官を鍛えてきた。トトミが戦場となった今となっては士官の教育課程が短縮され、仕事が減っているようだが、これまでずっと教育者として軍に貢献してきたのだ。


「母様は望んで教官に?」

「まさか。教官は嫌だと言ったのにもかかわらず、どうしてもやって欲しいと頼まれたので仕方なく引き受けたんですよ。それでも後悔はしていません。今では引き受けて良かったと、心から思っています」


 思いがけない言葉だった。

 ずっとタマキは、フミノが望んでトトミの教官になったのだとばかり思っていたから。

 少なくともタマキがトトミで過ごした中等部前期課程まで、フミノは教官の仕事を嫌がるような素振りを見せたことは無かった。


「そういえば聞いたことなかったけど、母様はこれまでどんな仕事をしてきたの?」

「あら、そういえば細かい話をしたことはありませんでしたね。どの辺りから聞きたいですか?」

「最初から」

「長くなりますよ」

「構いません。夜は長いですから。――熱っ」


 タマキはスプーンでホットチョコレートをかき混ぜて、スプーンに口をつけるとまだ熱かったと舌を出す。

 フミノは笑いながらも、コップを持ってきてそこへ水を注いだ。


「では昔話をしましょうかね」

「お願いします」


 タマキが水を口にして火傷した舌を冷やすと、フミノは話し始めた。


「私はハツキ島の生まれです。当時ハツキ島は枢軸軍の勢力下で、戦時だったので私は軍に志願しました。まだ枢軸軍が優勢な頃で、軍人は人気があったんですよ。私はパイロット養成学校に通って、宙間戦闘ポッドのパイロットになりました」

「宙間決戦兵器ではなくて?」

「あれが戦力として戦闘ポッドを上回るようになるのはスーミア機構が完成してからですから、〈ニューアース〉の登場とほぼ同時期ですね」

「なるほどね」


 話を遮ったタマキだが、頷くと再開を促した。

 フミノは水を1口飲んで話し始める。


「パイロットとして戦果を重ねた私は、枢軸軍の本星で士官になるための教育を受けました。それからはあの人――父さんが艦長を務める戦艦に乗って、宙間戦闘ポッド隊の飛行副隊長になりました。当時の飛行隊長と私は戦果を上げ続けて、連合軍側からはそれはもう恐れられ、『掃除屋』なんて呼ばれました。2人で敵の戦闘ポッド部隊を全部綺麗にしたんですよ。隊長は弱った敵にも容赦なく追撃をかけるから『料理人』なんて呼ばれてました。言葉通り、敵をむごたらしく料理してしまったんですよ」

「戦争法は?」

「宇宙が枢軸軍と連合軍の2国に塗り分けられていましたからね。戦争法を守らなくても注意する第3者は居ませんでしたから。今と同じです」

「それはそうでしょうけど……」


 流石にそれはまずいだろうとタマキは呆れた。

 今だって宇宙に存在する勢力は統合軍と帝国軍だけ。それでも戦争法に触れるような行為が行われれば民意が動く。

 そうならないように少なくとも統合軍は戦争法の遵守を徹底するよう通達しているし、戦争法についての教育課程を一般兵にまで組み込んでいる。

 それでも前大戦は100年以上続いただけあって、末期はその辺りが緩くなっていたのだろうとは何となく察することは出来た。


「ともかくウメキ大佐――隊長ね――と私は戦果を上げ続けた。あっという間に出世もしたけど、何年かしてカサネが出来て、私は出産と子育てのために枢軸軍本星に住むことにした。でも出産後は子育てを全部使用人がやってくれるものですから、暇になってパイロット養成学校の教官をするようになりました」

「その頃から教官だったんですね」

「ええ。たくさんのパイロットを宇宙に送り出しました。途中から宙間決戦兵器の操縦も覚えてそちらの教官もしたわ。

 ですがほとんどが〈ニューアース〉との戦いで散っていった。

 それでも何人かは生き残ってくれたわ。特にアキ・シイジを送り出せたのは、枢軸軍教官時代の最大の誉れです。彼女ほど優秀なパイロットは宇宙中探しても居ないでしょう。

 ――話が逸れましたね。

 あなたも産まれて、結局私は終戦まで本星に居ました。ですが講和条約がトトミで行われたでしょう? それを聞いて私は、ずっと離れていた故郷の事を思い出しました。

 それであなたたちを残して1人、戦後間もないハツキ島に戻ってきました。

 酷い有様ですよ。枢軸軍の統治から離れ連合軍統治となり、ハツキ島も何度か戦闘に巻き込まれていた。最終決戦がトトミ星系外縁部で行われたため、ハツキ島からも臨時徴兵が行われて治安が悪化していた。

 それで私はハツキ島のために何か出来ないかと、教官時代の経験を活かして、ハツキ島の女性を訓練して自治組織を作りました。ハツキ島自治防衛隊。ハツキ島婦女挺身隊の前身部隊です。

 ハツキ島に隠居していたリドホルム博士の協力もあって、まだほとんど普及していなかった〈R3〉を導入出来ました。当時としては最新鋭の陸軍組織だったと自負しています。

 その後元帥閣下が惑星トトミ首都に移住してきた際に、私もハツキ島から惑星首都へ転居しました。

 それからはまだ小さかったあなたを育てる傍らに、ハツキ島時代に培った陸軍運用について統合軍に講義したりして、そのまま陸軍士官の教官をするようになったわ。

 ハツキ島自治防衛隊の設立許可をコゼットに貰ったこともあって、彼女とは交友がありました。

 ですからあなたが初等部に入学する頃、実務に戻して貰おうとコゼットに頼みにいったんですよ。ですがあの人と来たら、それは認められないと」

「ムニエ閣下がですか?」


 コゼットがフミノの役職について意見するとはタマキには考えづらかった。

 フミノの枢軸軍時代最終階級は大佐。統合軍では旧軍の階級を引き継いだので、統合軍でも大佐だ。

 惑星トトミ時代のコゼットの階級も大佐止まりだったはず。アイレーン星系へ栄転となった際に少将に昇進したのだから。

 だからフミノの現役復帰についてコゼットが意見するというのはタマキの常識とは合わないことだった。


「ええ。不思議でしょう? 私も驚きましたよ。その頃宙賊問題が統合軍内でも大きく取り上げられるようになっていて、腕の立つパイロットはいくらでも必要だった時代ですよ。

 それなのにコゼットは、あなたをトトミから出すわけにはいかないと。教官を続けて貰わないと困ると」

「理由は尋ねました?」


 タマキの問いにフミノは大きく頷く。


「ええもちろん。彼女は答えてくれました。「いつかトトミが戦場になる。その時までに最高の陸軍士官を揃えたい」と」

「それはまさか――ムニエ閣下はトトミでの戦争を予見していたと?」


 統合軍の誰も予想していなかった惑星トトミでの戦争を、コゼットは当時から予見していたとしたら。当然、コゼットがその総司令官に就任したのも偶然では無い。


「そのようですね。ですがその頃、彼女が昇進のためアイレーン星系へ移るといった噂が流れていました。ですから言ってやったんですよ、だったら何故あなたは余所へ移ろうとしているのかと。あなたが教官をやればいいと。――当然、彼女に教官が務まるとは私も思って居ませんでしたけど」

「それで、閣下は何と?」


 フミノは手にしたコップを揺らして、少し間を置いてから答える。


「トトミが戦場になったとき総司令官として戻ってくるためだと。その時トトミを守る士官を育てられるのはあなたしか居ない。だから引き受けてくれと。

 そこまで言われて、私も折れました。それ以来トトミの兵学校で長いこと士官候補生達を鍛え続けました。

 コゼットは私との約束を守った。トトミ星系総司令官として彼女は戻ってきた。

 私も彼女との約束は果たしたつもりです。トトミの士官は、本星大学校卒業者にも劣らない、宇宙で最も優れた士官です。

 そんな彼らがトトミの地で懸命に戦い、圧倒的数的優位を持った帝国軍を同等の立場にまで叩き落とした。

 私はね、教官になって本当に良かったと思っていますよ」


 フミノの長い話が終わると、タマキはホットチョコレートをかき混ぜて、冷めてしまったそれに口をつける。


「ムニエ閣下は、どうしてトトミで戦いがあると分かったのでしょう?」

「さあ。それは分かりませんけどね、彼女の行動は大戦の終結から既に始まっていたと思いますよ」

「トトミ星系総司令官になるための、ですか?」


 コゼットが出世のために手段を選ばないのは知れたことだった。

 それが出世するためではなく、トトミ総司令官になるためだったとしたら。大戦終結から続く全ての行動が、このトトミの戦争のためだけのものだとしたら――。


「ええ。統合軍内にはコゼットにトトミ総司令官は早すぎるとか、向いていないとか言う人も居るようです。確かに彼女は経験は浅く、天才でも無ければ、惑星防衛の司令官として結果を出したわけでもありません。

 ですがね、彼女は無能では無い。

 そんな彼女が20年間、トトミでの戦いだけを考え続けた。

 一体誰が彼女に勝る戦略を提示できると言うのですか。私は彼女を信じて良いと思いますよ」


 フミノから告げられたコゼットの事実に、タマキはこれまで以上に彼女に対する興味が沸いた。


「ムニエ閣下と、1度直接会って話がしたいわ」

「私から取り次ぎましょうか?」

「最終手段として考えておきます」


 コゼットと直接話すのにはまだ準備が足りない。

 会って確認しておきたいことも多いが、まずは必要な情報を聞き出すための準備をしなければならない。

 コゼットがフミノに対してトトミ兵学校の教官を懇願し、フミノがそれに応えた以上、まさか面会の要求を断ってくることは無いだろう。

 タマキはコゼットとの繋がりを手に入れた。それは本来のタマキの目的に大きく近づく1歩に間違いは無い。

 それでもまだ足りないものも多い。


「あの子達、ハツキ島婦女挺身隊だったようですね。あなたが寝ている間にいろいろ聞かせて貰いましたよ。婦女挺身隊のこと、ハツキ島義勇軍のこと。どうしてこんな面白そうなことを私に報告してくれなかったのですか?」

「話したら自分も参加したいと言い出しかねないからです」

「あら、それはいけないことですか?」

「歳を考えて下さい。母様は教官としての努めを果たすことのみ考えるべきです」


 ついてくると言い出しかねないフミノに釘を刺すようタマキは言いつける。

 フミノにとってもハツキ島は故郷だ。それを取り返すための義勇軍となれば、本気で参加を考えかねない。


「分かっていますよ。ですが影ながら協力はさせて頂きますからね。サネルマには既にハツキ島政府関係者の避難先を教えています。公式な資金も直ぐに届くでしょう。必要であれば相応の軍備も――」

「ちょっと、あまり余計なことはしないで下さい」

「あら。どうしてあなたが口を出すの?」

「この人はもう……」


 今のタマキはツバキ小隊に対する一切の権限を持たない。

 フミノの暴走を止めるためには、それに見合った地位に立たなければならない。

 それは隊長の再任に他ならず、フミノはもちろん、タマキがその地位に立つことを望んでいた。


「分かっていますよ。あなたのことですから。

 彼女たちの目的はハツキ島を取り戻すこと。でもあなたは違う。あなたは、元帥閣下の足取りを追うため軍人になった。

 だからあの子達の隊長になるのが申し訳ないと思っているんでしょう?」

「それは――母様に隠し事は出来ませんね」


 隠していたことなのに、長いこと親元を離れていたのにもかかわらず、フミノはタマキの考えを言い当ててしまう。

 義勇軍という隠れ蓑を使って調査を進めるつもりだった。

 それでも、彼女たちは本気で故郷を取り戻そうと戦っている。それを自分が利用することに罪の意識を感じていたのも事実。


「それがあなたの心から望むことであれば、使えるものは何でも使いなさい」

「そうですよ! タマキ隊長が望むことなら、私たちだって協力します!」


 背後からの声にタマキは驚いて振り向いた。

 居間の入り口にはナツコが居て、その背後にはトーコ、イスラ、カリラ、サネルマ、フィーリュシカが顔を覗かせている。


「名誉隊長がこう言うんだ。あたしらは最終的にハツキ島が取り戻せれば途中で何をしようが構いやしないさ」

「お姉様の言う通りですわ!」

「隊長さんが目指す先でしたら、何処までもお供しますよ!」


 イスラとカリラにサネルマも意見に賛同すると、タマキは大きくため息をついた。


「あなたたちは。何時だと思ってるの」

「いいじゃありませんか。それよりタマキ、あなたはどうするのですか。元とはいえ彼女たちの隊長だったのでしょう? しっかり答えてやりなさいな」

「軍法会議の結果も待たずには何も言えません。そう言ったはずです」


 タマキは残っていたホットチョコレートを飲み干し、水を1口飲むと、席を立った。


「今日は寝ます。あなたたちも夜更かししないように」


 言い残し、タマキは隊員達の間をかき分けて自室へと戻っていった。

 残された隊員にフミノは優しく声をかける。


「あの子なら心配いりませんよ。もう答えは決めているはずですから。さ、今日はもうお休みなさい」

「はい、そうします。お母さん、お休みなさい」


 ナツコの言葉にフミノは微笑んで返す。

 隊員達は顔を見合わせ頷くと、寝床にしている和室へと戻っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る