第135話 ニシ家邸宅

 タマキは自室のベッドの上で寝付けずにぼーっとしていた。

 寝付けないのも無理は無い。昨日の昼頃からずっと眠っていて、既にもう昼過ぎ。1日以上寝ていることになる。

 それでも何もやる気にならないし、そもそも何もしなくても怒られることは無い。

 謹慎中というのも良い身分だとあらためて思った。

 実家にいればこうして寝ているだけでもご飯は出てくるし、いつでも暖かいシャワーを浴びられる。

 何から何まで上手くいかない戦場とは大違いだ。


 ただこの謹慎中という身分には時限爆弾が取り付けてあって、しかるべき日時になると自動的に謹慎処分は終了し、恐らくは戦場に送り返される。

 後送され父親の思い通り情報将校や上級将校の副官にされる可能性もあるが、嫌がられると分かっていてわざわざそんな事を言ってきたりしないだろう。

 何となく兄のカサネが身元を引き取ることになるのだろうとは感づいていた。


 それはそれで断りたい気持ちもあったが、トトミ大陸の戦いが一筋縄ではいかないことは十分に理解していた。統合軍と帝国軍の戦力は拮抗。これからも一進一退の戦いは続くであろう。

 ならばカサネの独立大隊で、小隊長でも任されるのは悪くない。間違っても無謀な作戦に投入されることは無いだろうから。


 タマキが物思いにふけっていると、部屋の扉が叩かれた。

 相手にするつもりは無かったのだが、何を思ったのか扉が開かれる。

 面倒臭いと思いながらも仕方なくタマキは口を開いた。


「もー、お昼はいいって言ったでしょ。お腹空いたら食べに行くから置いておいてよ」

「えっ」


 ベッドで横になったタマキの視界に映ったのは、何故かタマキの初等部時代の制服を着たナツコだった。

 目を疑い、その後に寝ぼけているのでは無いかと頭を疑った。

 でもどうやらそれは幻覚でも夢でもなさそうだった。


「何」


 目を細め、脅すように口にする。


「い、いえ、ごめんなさい」


 扉は閉じられ、廊下を走っていく音だけが響いた。

 タマキは一度布団をかぶったが、こうしているわけにはいかないとかぶったそれを蹴飛ばして起き上がる。


 ――何だか分からないが、とんでもなく面倒なことになっている。


 タマキは直感で理解した。

 直ぐに部屋から出ようとするが、今の自分の見てくれが余りよろしくない状態にあると気がつき思いとどまる。

 1日中寝ていたため髪はぼさぼさだし、服も寝間着のままだ。

 戸惑いながらも、まずは落ち着いて身支度からはじめた。


          ◇    ◇    ◇


「お昼はお腹空いたら食べに行くからいいと」


 事実を報告したナツコはツバキ小隊の隊員から白い目を向けられる。


「呼びに行ったのではなくて? どうしてお昼ご飯の話をしてきたのです?」


 カリラの問いにナツコは答えられない。

 助けを求めるように、フミノ・ニシ――タマキの母親へと視線を向ける。


「あの子は昔から面倒臭がりでね。家に帰ってくるとずっとああなんですよ。本星の士官学校に通ったら変わるかと思っていましたが、その程度で変わるようなものでも無かったみたいです。でももう起きてくるでしょう」


 フミノは50代半ばの物腰の柔らかな女性だった。

 ただ実年齢より幾分か若く見え、体は歳の割りに鍛えられていた。それはフミノがトトミ惑星首都士官学校の訓練教官を務めており、若い学生を鍛え上げるため自らその訓練に付き合っているからであった。


「それよりお昼はまだなのでしょう? 用意しますよ。タマキも入れて8人ですね」

「あ、手伝います。これでも私、中華料理店で働いていたんです!」

「おう、頑張ってこい」

「誰しも1つは取り柄があるものですわね」


 ナツコの他には誰も手伝いを名乗り出なかった。

 そんな状況にトーコがおずおずと手を上げて「野菜切るくらいなら」と申し出たが、ナツコがここは自分に任せて欲しいと断った。


 ニシ家邸宅はトトミ惑星首都、軍関係者向けの屋敷が集まる区域にあって、ひときわ広い敷地に、旧枢軸軍時代の建築様式で建てられた豪邸であった。

 暮らしているのはフミノ1人だが、屋敷の掃除のため数日に1度使用人がやってくるらしい。

 そんな豪邸だけあってキッチンも立派で、ハツキ島の中華料理店よりも整った設備に、圧倒的な清潔感とあってナツコも息巻く。


「おおっ! これが最新世代の厨房――わあ、コンロがガスじゃ無くてエネルギー転換式です!」

「今はこっちのほうが主流みたいですよ」

「凄い! 流石惑星首都!」


 田舎者のナツコにとってはどれも目新しいものばかりだった。されど料理を手伝うと言ってついてきた以上遊んでばかりはいられないと気を引き締める。

 借りているタマキのセーラー服を汚さないようにエプロンを着け、髪の毛が落ちないよう三角巾を巻くと、良く手を洗ってから厨房につく。

 ナツコは本職の経験を遺憾なく発揮して、フミノの指示に従って食材をさばいていった。


「まあまあ。ずっと家にいて欲しいくらいだわ」

「えへへ。料理だけは自信があるんです! 食材があれば地球時代の冷やし中華だって作れますよ!」

「あら懐かしいわね。枢軸軍の首都星系にいたときよく食べたわ。元帥閣下が好きでね」

「そうなんですか!? でしたらきっと気に入ると思います! なんと言っても、古代の文献を調べて行き着いた、本当の冷やし中華ですからね!」

「それは是非作って欲しいわ。でもその前に、怪我をちゃんと治さないとね」

「いやこれはそんな大したことでは――分かります?」


 一度も言っていなかったはずの怪我の話をされてナツコは戸惑って聞き返した。

 実際全身傷だらけで、特に右肩は乱暴な処置もあって未だに痛みが引いていないような状況だった。


「これでも軍で教官をしてますからね。しっかり処置はしました?」

「はい。――と言っても無免許なんですけど、義勇軍だとなかなか衛生部の人に見てもらえなくて」

「あら、それは大変ね。軍医に知り合いが居るから連絡しておくわ。それにしても、無免許で処置をしたの?」

「はい。ユイちゃん――あの金髪の小さい子です」

「あああの子。ユイ?」

「はい、ユイちゃんです。腕は良いんですけど、嫌がらせの如く麻酔をけちられてですね……いえ、今のは多分私の気のせいです」

「ふうん。ユイね。それは腕が良いでしょうね」

「あれ? 知ってるんですか?」

「少しだけ。でも、彼女なら信頼出来るわ」


 フミノは何処か昔なじみに会ったときのように表情を和ませて、リビングの端っこで寝転がって端末をいじっているユイへと一瞬視線を向けた。


「さあ、タマキが起きてくる前に完成させましょう」

「はい! そうですね!」


 2人は協力して8人分の昼食を作っていった。


          ◇    ◇    ◇


 リビングには来客があった時用の大きな机が運び込まれ、既に昼食を食べていたフミノを除いた8人が集まる。

 後からやってきたタマキは空いている席を示されて、座ろうとしたがその場にいる面子を確かめると眉を潜めて問いかけた。


「待って。リルさんは?」


 その場にリルは居なかった。

 もしかしたらあの後――

 脳裏に嫌な想像が浮かんだタマキへと、サネルマが表情を明るくして答える。


「リルさんは元気ですよ。ただレインウェル基地に用事があるそうで途中下車しました」

「そうですか。無事なら良かった。――レインウェル基地? まさか……」


 タマキはリルがレインウェル基地に向かう理由に1つ心当たりがあった。

 だがそれはリルにとっては大きな決断であろう。


「とにかく、ツバキ小隊の再会を祝して食事にしましょう!」

「はあ……。ツバキ小隊ね」


 サネルマに促されるとタマキも着席し、挨拶が済むと各々食事をはじめる。

 食事の最中、本題について口火を切ったのはサネルマだった。


「ツバキ小隊としては、隊長さんに再任して頂きたいのです」

「わたしは次の監察官を派遣して貰うように命じたはずです。そもそも、何故あなたたちがここにいるのですか。――いえ、大体何があったかは想像もつきますが、念のため事実報告をお願いします」


 依頼を受けたサネルマは、カサネとの面会の結果謹慎を言い渡されたことを告げる。

 その報告にタマキは呆れ果てて大きくため息をついた。


「本当に困ったシスコンですね……。わたしならともかく、あなたたちの言いなりにまでなるようでは立場に対する責任というものが無さすぎます」

「でも、お兄さんのおかげでこうしてまた会えました。もう一度お願いします。隊長さんにツバキ小隊の隊長を引き受けて頂きたいのです」


 またもタマキは大きくため息をついた。


「説明はされたでしょうけれど、わたしはこれから軍法会議にかけられます。有罪になろうが謹慎期間が延びるだけですが、有罪判決が出れば義勇軍の監察官に就任することは出来なくなります」

「それは承知してます。ですが、無罪判決が出たら引き受けて下さいますよね?」

「そう簡単に無罪判決は出ません。誰か手回しはしました?」


 問いかけには誰も反応を返さない。

 恐らくカサネは何らかの手を回している。そしてリルも、手段を選ばずに手回しをするはずだ。

 そしてもう1人、何かやってそうな人物へとタマキはじとっと視線を向ける。

 案の定無視されたが、この様子から見て何かしら行動は起こしたのであろう。


「あの! 私たちはタマキ隊長を必要としてます! タマキ隊長も、私たちのことを必要だって言ってくれました!」

「わたしがいつそんなことを言いましたか」


 ナツコの言葉にタマキは冷たく返すが、ナツコはきょとんとして答える。


「え? カサネさんからそうききました」

「あのバカ」


 今度こそタマキは顔を赤くして机を叩いたが、ツバキ小隊はそんなタマキを見て笑うばかりだった。


「とにかく、ツバキ小隊としては全会一致でタマキ隊長の再任を望んでいます」

「仲間を見捨てるような命令を出す隊長をですか?」

「タマキ隊長がそんなことしないって皆分かってます! ねっ、イスラさん」


 話を振られたイスラは口に食べ物をほおばったままうんうんと頷いて見せる。

 タマキはもう一度ため息をつく。


「少し考えさせて下さい。事の発端はどうあれ、この機会は私にとってもあなたたちにとっても貴重なものです。今後どうするべきか、じっくり考えるべきです」

「私たちの意思は変わりません!」

「ですから、もう一度その意思についてよく考えるべきだと言っています。この話はこれで終わりです。――ところでナツコさん、どうして私の昔の制服を着ているのですか」


 途端に話を変えられたナツコはぽかんとしながらも、セーラー服の事を思い出した。

 襟の浅い、胸当ての無いセーラー服で、襟には白の親子線が入り、紺色のスカーフをスナップ式のスカーフ通しに通すタイプだった。袖にも白の親子線が入り、胸ポケットには校章らしき意匠が施されている。


「はい。1着しか無い普段着を洗濯に出してしまったので、代わりにとお母さんから貸して貰いました。でもこの制服大きくて。中等部のですよね?」

「え? それは初等部のものです」

「え、でもこれ胸囲110とかありましたよ」


 その瞬間隊員から失笑が漏れた。

 タマキは睨みをきかして一番近くにいたサネルマを問い詰める。


「何が可笑しいのですか、言ってみなさい」


 サネルマは笑いを堪えながらも、正直に回答した。


「いえ、隊長さんは昔から大きかったんだなあと思っただけです」

「はっきり言いますが勘違いも良いところです。その類いの服は大きめに作られていると言うだけです。全く、母様も母様です。もっと小さい服がいくらでもあったでしょうに、わざわざこんなものを引っ張り出して」


 タマキは憤慨するが、隊員達はそんな様子を見て面白可笑しく笑っていた。

 こうしてツバキ小隊のニシ家での謹慎生活が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る