第130話 最後の命令
「ツバキ7、聞こえたら応答を」
先行し火力支援の配置についているフィーリュシカ、カリラと合流するため進みながら、タマキは通信機に3度目の要請を行う。
墜落したリルとはまだ連絡が取れていない。
リルの機体〈DM1000TypeE〉は競技仕様で本来通信機はついていなかった。後から外付けした通信機は衝撃によって破損しやすい。
それがハツキ島婦女挺身隊所有の安物なら尚更だ。
墜落した衝撃で壊れたと考えるのが妥当だった。
幸いなことにリルの現在位置だけは共有出来ていて、索敵の行われていない市街地を慎重に進んでいることは確認できた。
「安い通信機積んだのが失敗か? そうは言っても飛行偵察機に外付けできる通信機なんて知れてるっちゃ知れてるが」
「どんなにお金をかけても壊れるときは壊れますから。敵の攻撃が弱まりました。ツバキ4、先行して〈G-2〉へ。高所に上がってルートの確認を」
「分かったよ。しかし2人きりで大丈夫か?」
イスラは被弾し負傷しているサネルマの方を見るが、視線を向けられた彼女はふふんと鼻を鳴らして胸を張って見せた。
「副隊長にお任せ下さい! 隊長さんはしっかり守りますよ!」
「頼りになる副隊長だこと。んじゃ、行ってくるよ」
イスラは機体を加速させ指示されたポイントへと向かった。
ブースト燃料節約のため通常の機動走行であったが、速度重視の機体なだけあってあっという間にタマキ達の視界から消える。
「恐らく戦況は拮抗するはずです。もう少しだけ辛抱して下さい」
「お気遣いなさらず。この程度なんともありません」
タマキは怪我をしているサネルマを気遣う。
しかし彼女は平気だと息巻いて、タマキの前に出ると移動ルートを先へ進んでいく。
「あなたの仕事はわたしの護衛です。離れすぎないように。――何?」
突然、タマキの端末がアラームを鳴らした。
作戦行動中に鳴ったと言うことは最優先命令の発令に他ならない。
タマキは路地へと身を隠すとサネルマを手招きで呼び寄せ、端末を確認。
「嘘でしょ」
「どうしました?」
路地に入って来て早速端末をのぞき込もうとするサネルマ。
タマキはその視線を遮りながらも答える。
「即時撤退命令です」
「あら。折角戦術データリンクのハッキング切ったところなのにですか?」
「敵の攻勢も大人しくなってようやく戦える状況が出来たというのに――まずい。このまま統合軍が撤退したら最前線の3人が孤立するわ」
撃墜され不時着したリルと、それを救援に向かったナツコとトーコ。
3人は統合軍の前線ラインよりも前に出ていて、敵に見つからぬよう行動しているだろうが、戦線を支える統合軍が居なくなれば帝国軍は追撃に出てくる。その時発見されない保証はない。
「ツバキ6、8。事情が変わりました。時間は稼いでみますが、可能な限り急いで」
タマキはトーコからの返答を受けると、続いて中隊長のジャコミノへと通信を繋ぐ。
「こちらツバキ。現在前線に味方機3孤立中。撤退は救援の後速やかに行います」
この程度の意見、当然認められるであろうとタマキは踏んでいた。その後に駄目元で援護の要求をするつもりでいたのだ。
しかしジャコミノは、いつもの陽気な調子で返答する。
『それはいけない。即時撤退命令だからね。今すぐに全ての兵を引き上げないといけないんだ。もちろん、君たちにも従って貰うよ』
「はい?」
あまりに唐突に信じられない返答を受けたタマキは思わず聞き返した。
しかしそれはいけないことだったと考え直し、言葉を選んで再度通信を繋ぐ。
「ツバキは既に救援を出しており、多少の時間さえ頂ければ孤立機は問題無く撤退可能です。この時間は全体の撤退時間に比較すれば微々たるものです。そして行動に際してツバキより他の戦力は必要ありません」
本当は支援が欲しいところだが単独で実行可能だと言い切る。
ここまで言えば拒否されるはずは無いだろうという意見。そのはずだった。
『駄目だ。即時撤退命令が出されたら全ての行動を中止し撤退する。君も士官学校で習っただろう?』
「助けられる兵を見捨てろとおっしゃるのですか?」
今度こそタマキは感情を滲ませ言葉を発する。
それでもジャコミノは気色悪いくらいに陽気に答えた。
『そうだとも。命令に従うのが軍人の勤めだろう?』
「この無脳が何を偉そうに」
一度通信機に入らぬ声で呟き、それから怒りを抑えながら声を発した。
「救援可能な味方を見捨てる事は出来かねます。ツバキは単独で救援を行い、その後撤退します」
『命令を無視すると言うことかな?』
「わたしが学んだ士官学校では即時撤退命令が出されようとも、救援中の味方まで見捨てろとは習いませんでした。解釈の違いです。それを命令無視と言われても、わたしには理解しかねます」
『ならば中隊長として命令させて貰うよ。今すぐに撤退しなさい』
やっぱりあの時に殺しておけば良かった。
タマキは後悔しながらも、良く通る明瞭な声で返答する。
「これは報告です。ツバキは単独で救援を行い撤退します。こちらからは以上」
『いいのかい? 義勇軍が命令無視したとなればどうなるか、考えての事だろうね?』
切り出された言葉にタマキは顔をしかめた。
タマキは統合軍士官だ。命令無視すれば当然罰せられるが、そんなことはこの際どうでもいい。申し訳は立つだろうし、そもそもタマキの後ろには兄のカサネと父のタモツが居る。こんなつまらない命令無視は痛くもかゆくも無い。
だが義勇軍。ハツキ島義勇軍ツバキ小隊は違う。
つまらない命令無視でも、統合軍の命令に背いたとあれば義勇軍は解隊されてしまう。
居場所を帝国軍に奪われた彼女たちが作った新しい居場所が、消えて無くなってしまう。
それはタマキにとっても承服しかねることだった。
「隊長さんの判断は間違って居ません」
通信内容を聞いていたサネルマは真っ直ぐにタマキを見据えた。
タマキはゆっくり頷き、指揮官用端末を見てリルたちの撤退ルート。そして新たな救援ルートを策定する。
それからジャコミノへの質問に回答した。
「これは統合軍士官タマキ・ニシ少尉としての発言です。あなたの命令は支離滅裂で従うに足る根拠は微塵も存在しません。よってわたしは命令を無視します。以上」
言い終わると同時にタマキは指揮官用端末から通信チップを抜き取り、配線を引きちぎって地面に落とすと踏みつぶした。
「あの、隊長さん? どういうおつもりで?」
「サネルマ・ベリクヴィスト兵長。あなたにツバキ小隊隊長として最後の命令を伝えます。一度しか言わないのでよく聞くように」
タマキの有無を言わせぬ雰囲気にサネルマは黙って頷く。
「ツバキ小隊を率い、統合軍の命令に従い撤退を。撤退後は監察官不在を理由にレイタムリット基地まで後退。現地でカサネ・ニシ中佐と面会し、次の監察官派遣を要求。以降はその指揮下に入りなさい。よろしいですね?」
「それでは隊長さんは?」
「わたしは遅れている3人の救援に向かいます。ステルス機構もレーダー錯乱も使ってませんから1人で用は足ります。その後は、まあ解任されるでしょうね。それより命令が分かったら返事」
要求にサネルマは応じない。
時間はそれほど残っていない。タマキは業を煮やし告げた。
「サネルマさん、あなたはツバキ小隊の副隊長です。あなたがツバキ小隊を守らずに誰が守るというのです。隊長なんてのは替えのきくものです。ですがこの場所は、失えば戻ってきません。あなたたちの目的は何ですか? 故郷を取り戻すことでしょう? だったら、そのために出来ることをしなさい。分かったら返事を」
サネルマは俯いて手を震わせていたが、最後の言葉に顔を上げる。
そして迷いの無い真っ直ぐな瞳をタマキへ向けて応えた。
「――分かりました。不肖サネルマ・ベリクヴィスト。ツバキ小隊副隊長として、命令実行に努めます」
「大変よろしい。一度〈G-2〉で合流を。通信機使えなくしてしまったのであなたから指示を出して」
サネルマは副隊長権限を使って、前線で支援攻撃をしているカリラとフィーリュシカ、先行しているイスラへ向けて通信を繋ぐ。
「ツバキ2より前線展開中の各機。統合軍が撤退準備を開始しています。ツバキも撤退のため〈G-2〉で合流を。最優先命令です」
突然のサネルマからの命令に戸惑ったのか、うわずった声でカリラが了解を返す。
しかしフィーリュシカは納得しなかった。
冷淡な事実のみを伝えるような声で告げる。
『ツバキ2に指揮権はない』
「ツバキ1より撤退指揮をとるよう命令を受けています。従って下さい」
返答にフィーリュシカは若干の間を置いたが了承を返す。
移動を開始したタマキは、初めて指示を出したサネルマを褒める。
「上出来です。曲者ばかりで苦労はあるでしょうがその調子でお願いします」
「はい。ですが隊長さん――」
「駄目です」
何か喋ろうとしたサネルマだが、ぴしゃりとそう言われると口をつぐんだ。
タマキが命令無視の責任を全て1人で受け入れると決断した以上、もう後戻りは出来なかった。
◇ ◇ ◇
「撤退ってどういうこった。これからって時によ」
合流地点に先に着いていたイスラは到着したタマキへと早速苦言を述べる。
遅れてカリラとフィーリュシカも合流し、その前にサネルマが立った。
「統合軍より即時撤退命令が発令されました。これよりツバキ小隊は戦線を離脱。中継基地まで撤退します」
その言葉にイスラは噛みつく。
「おいおいバカ言っちゃいけないぜ。リルちゃん達が敵地に残ってる。撤退するならさっさと助けに行こう」
「いいえ。即時撤退命令です。これより撤退を開始します」
サネルマがはっきりとした口調で言うと、イスラはひらひらと手を振ってからかうように笑った。
「駄目だ駄目だ。副隊長閣下じゃ話にならん。我らが少尉殿、黙ってないであんたから言ってくれ」
カリラとフィーリュシカの目線がタマキへと向けられた。
タマキはうんざりした様子で一歩前に出ると、いつも命令を下すときのように告げる。
「言葉通りです。これからあなたたちには撤退して頂きます。撤退指揮はツバキ2に委任しますのでそちらに従って下さい」
その言葉に、イスラは笑った顔をカリラへ向ける。
「おいカリラ。何を言っているんだか理解出来ないんだが、お前は分かったか?」
「お姉様が理解出来ないことをわたくしが理解出来るわけありませんわ」
「だよなあ。ちょっとおかしいぜ少尉殿。まさかとは思うが、あたしらにリルちゃんや、助けに行ったナツコちゃんとトーコちゃん見捨てて先に逃げろって言ってんじゃないだろうな?」
目を細め睨みをきかせるイスラ。
対してタマキは毅然とした態度で応える。
「何度も言わせないで下さい。今すぐに撤退しろと言っています。頼んでいる訳ではありません。これは命令です。あなたたちは婦女挺身隊ではありません。義勇軍です。軍人である以上、命令には従って貰います」
イスラは表情を真剣な面持ちに切り替えると吐き捨てるように言う。
「見損なったよ」
「待って下さい。違うんです――」
「喋らなくて結構。あなたは撤退指揮をとることだけに集中しなさい」
思わず事情を説明しようとしたサネルマを遮るようにタマキは腕を伸ばす。
遮られた彼女はその場で踏みとどまり口をつぐむ。
「見損なって貰って結構。ですが命令には従って貰います」
「あんたの命令なら戦って死ねと言われようが従ってやるさ。――だがな、仲間を見捨てて逃げろなんて命令には従えない」
「あなたに命令を拒む権利はありません」
「いいやあるね。義勇軍特例だ」
イスラはタマキを指差し宣言した。
義勇軍特例。
義勇軍規定に存在する、義勇軍が統合軍から派遣された監察官に対して、命令の拒否権と、その解任を発動出来る権利。
「命令が義勇軍の主目的から外れる場合はその命令を撤回出来る。
あたしらの目的は故郷を取り戻すことだ。だがそれはただハツキ島を占領すればいいって話じゃない。元通りの、帝国軍に占領される前の故郷を取り戻すことだ。
そのためにはナツコもリルも、トーコだって必要だ。あんたの命令はそれに反している」
「だからわたしを解任すると?」
タマキが問う。
イスラは間を置きながらもそれに頷いた。
「本当に残念だけどな。行くぞカリラ」
「はいお姉様」
カリラは未練があったらしくタマキの方へ視線を向けていたが、イスラが声をかけるとそれに従った。
タマキの制止を振り切ってサネルマが2人を引き留めようとする。
だがそれより前に、2人の前にフィーリュシカが立ち、進路を60ミリ砲の砲身で塞いだ。
「おいフィー、そこをどけ」
「それは出来ない。ここから先へは進ませない」
無感情な瞳がイスラへと向けられる。
イスラが振動ブレードに手をかけると、フィーリュシカは対装甲拳銃のグリップを掴む。
相対距離は僅かに2メートル。
近距離戦ならば圧倒的に高機動機の〈空風〉が有利だが、相手はフィーリュシカだ。それにイスラも味方に対して攻撃を行いたくはなかった。
一触即発の空気が流れるが互いに微動だにせず正対し続ける。
その沈黙を、フィーリュシカが破った。
「隊長殿。1つ質問してもよろしいでしょうか?」
「1つだけなら。手短に」
返答を受けたフィーリュシカは尋ねる。
「上官命令とは、いかなる理由があろうとも従わなければならないものでしょうか?」
その問いかけにタマキは一瞬言葉を失った。
タマキも上官命令を無視してここにいる。
だがここで彼女たちに「場合によっては命令を無視しても構わない」などと言えるはずが無かった。やがてタマキは答える。
「ええその通りです。軍人である以上、どのような命令にも従わなければなりません」
返答にフィーリュシカは頷き、回答に対して礼を言った。
それからイスラへ視線を向ける。
「この先のルートは危険。あなたたち2人は北側ルートを進んで。自分が直進し敵の注意を引きつける」
予想外の言葉に意表をつかれたイスラ。しかし言葉の意味を理解するとカリラと頷きあう。
「分かった。そっちは任せた」
「あなたの事ですから心配は不要なのでしょうけれど、ご武運を」
移動を開始する2人。
2人以上に意表をつかれていたタマキは少し遅れてそれを咎める。
「待ちなさい! フィーさん! あなたは自分が何をしているのか理解しているのですか!」
「理解している。命令には従わなければならない」
「だったら何故!!」
タマキの叫ぶような質問に、フィーリュシカは吸い込まれそうなくらい無感情な瞳を向け、淡々と答えた。
「自分は上官より、助けられる味方を決して見捨ててはいけないと命令を受けている」
言葉に、タマキは全ての思考が停止するほどの衝撃を受けた。
その言葉はタマキが誰よりも良く知っている言葉だった。
それを何故フィーリュシカが――
考えたがそれどころではないと、移動開始しようとする彼女へ声を投げる。
「あなたの上官はわたしです! わたしの命令に従いなさい!」
「この命令は他全ての命令の上位に存在する。よってあなたの命令には従えない。命令違反に対する罰則は受ける。だが今は救援を優先させて頂く」
フィーリュシカはきびすを返し移動を開始した。
タマキは拳銃に手をかけようとするも、腕は少し上がっただけでそれ以上ぴくりともしない。
呆れ果てたタマキは大きく大きくため息をついた。――無謀にも敵地へ向かう3人の背中を見送って。
「全く、本当に最後まで厄介な隊員でした。面倒なことばかり押し付けて」
「隊長さんの教育の賜ですね」
余計な一言を放ったサネルマへタマキの恨めしげな視線が向く。
「あなたもわたしの指示に反対ですか」
「納得はしてません。ですが、責任持ってツバキ小隊を撤退させます」
「大変よろしい。
ともかくこうなった以上作戦は変更です。わたしはあなたたちと行動を共にするわけにはいかないから中隊長の所に行って暴れてきます。
こっちのことは任せました。救援完了次第全員で撤退して下さい」
「はい、不肖サネルマ・ベリクヴィスト。撤退指揮任されました!」
びしっと敬礼をきめたサネルマに対してタマキは返礼すると、きびすを返し中隊本陣へと向かう。
命令無視したのが自分であると印象づけておかなければならないというのが建前。
ストレス発散の捌け口が欲しいと言うのが本音。
何にせよ謹慎は避けられない。しばらく大人しくする分、前借りで暴れておいても罰は当たらないだろうと、どこか上機嫌ですらある表情でタマキは走り出した。
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