第118話 〈音止〉突撃

 ユイが後部座席の操作盤を叩くと、小さく音がして起動キーの下、拡張脳使用のためのコンソールがロック解除された。

 トーコはそこから有機ケーブルの接続された管を引き抜く。


「珍しいね。ユイが拡張脳の使用に反対しないなんて」


 てっきり生死が関わるような状況で無ければ使用許可が出ないと思っていた拡張脳について、ユイは自らその使用をタマキへと示唆した。

 今の状況は反撃を受けてしまえばツバキ小隊の全滅を招きかねない状況ではあるのでそれを考慮した可能性も考えられるが、それならば敵が打って出てきたタイミングに起動すればいい話だ。


 トーコの考えとは余所に、ユイはいつものふてぶてしい態度のまま答える。


「お前がパイロットとして成長するより、拡張脳に慣れさせた方が伸びしろがあると見切りをつけたんだ」

「それはどうも」


 隠すつもりなど一切無い下手クソ扱いにはトーコも辟易としていたが、言い返す気も起こらず適当に相づちを返した。


「だがお前が下手クソでいい理由にはならん。拡張脳は所詮、思考と認識能力の増強装置に過ぎない。〈音止〉を動かすにはお前の操縦技能が必要不可欠だ。それも絶対的な、他のボンクラ共とは比較にならないほどに。

 〈音止〉の性能を引き出すためには、お前は宇宙で最強のパイロットでなければならない。それを肝に銘じておけ」

「了解。期待にそえるよう努力する」

「当然だ。下を向け」


 トーコは言われた通り下を向き、ヘルメットを押さえてうなじを露出させる。

 ユイはそこへと、迷うこと無く有機ケーブル接続のための管を突き刺した。


「んっ」


 一瞬首筋に冷たい物が押し付けられたかと思えば、全身から力が抜ける。

 トーコは思わず声を出し、体が勝手にびくんと動いた。


「これ、慣れないなあ」

「直ぐ慣れる」


 ユイは応じながら、足下のコンソールから今し方トーコへ突き刺したのと同型の有機ケーブル付きの管を取り出す。

 それを、躊躇無く自身の首筋に突き刺した。

 突然の行動に驚いたトーコだが、脳内に直接情報が送られてくる。


”視えているな?”


 戸惑いながらも、こんな情報を送ってくる相手の心当たりはユイしか居ない。

 頷いてみたがそれは意味の無いことだと直ぐに理解して、意識を集中して脳内からメッセージを送る。


”視えた。こっちも届いてる?”

”問題無い。口を開くよりこっちの方が合理的だ。どうせ拡張脳が起動されたらお前は口をきけなくなる”

”そうなの?”


 そういえば前回は拡張脳起動後はユイとは一言も口をきいていなかったと思い出しながら尋ねる。


”きけないことは無いが、拡張脳によって思考能力が強化されたお前は体感時間が引き延ばされる。その状態で喋ったとしてもこっちには理解出来ん。生憎こっちは普通の脳だ。まあ常人とは比較にならんほど天才ではあるが”

”最後の一言は余計でしょ”


 口に出すのはやめておこうと思っていた言葉が、脳から勝手に漏れて送信されてしまった。こういう面ではこの意思疎通手段は不便きわまりない。


”ともかく、以降はこれで話せ。拡張脳起動後は通常の通信はこっちで受ける”

”了解。ユイはこれ、慣れてるんだね”


 一切無駄な情報を送ってこないユイに対して尋ねると、脳内に送られてきた情報だけ見てもふてぶてしい態度なんだろうなと思うデータが送られてきた。


”当然だ。あたしゃ天才だからな”

”はいはい。それで、その天才さんは拡張脳使っても酔って吐いたりしないよね? 酔い止めの訓練受けてたみたいだし”


 ちょっと意地悪だとは感じながらも送りつけた情報に対し、ユイはこれまでの3倍のペースで情報を送り返した。


”訓練だ? ふざけるな。あんなものは断じて訓練では無い。生意気なクソガキのストレス発散以上の価値などあるものか”


 訓練の教官はリルだったことを思い出したトーコは、それはさぞかしいいストレス発散になっただろうなと、少し羨ましい気持ちすら抱いた。


”吐くときは静かにね。あと巻き散らかさないで”

”掃除するのはあたしだ。前回お前の分を掃除したのもだ。それに、心配には及ばん。これまでの反省を活かし、最新型のエマージェンシーパックを装備している”


 自慢げな情報が送られてきたかと思えば、視覚情報に直接、後部座席に取り付けられた新型エマージェンシーパックの設計図が送りつけられた。

 トーコは視界を遮るそれを邪魔だと思いつつも、便利だとも思った。


”凄いね。でも出来たら前の席にもつけて欲しかった”

”このあたしを誰だと思ってる。当然、操縦席にもつけた。お前の嘔吐物を掃除するのはもう御免だからな”

”嬉しすぎて涙が出そう”


 脳から要求を出すと、操縦席側の最新型エマージェンシーパック使用方法が送られてきた。ワンタッチで直ぐ使用でき、防臭機能つきで交換も楽ちんと、確かにこれまでにない力の入れようであることはトーコにも伝わってきた。


”冗談は終わりだ。拡張脳の危険性については説明の必要はないな。保護機構はついたが過負荷には注意を払え。お前が集中するほど拡張脳は詳細な情報を送りつける。必要に応じて扱う情報量を切り替えろ”

”分かった、やってみる。それじゃ、そろそろ起動するよ”

”ああ。繰り返すが過負荷には注意しろ。全てをお前が対処する必要は無い。面倒なことはフィーに押し付けろ”

”考えとく”


 短く情報を送りつけると反論を受け付けず、通信機を呼び出してタマキへ告げる。


「ツバキ8、拡張脳準備完了。以降通信はツバキ9へ。攻撃、開始します」


 トーコは意識を拡張脳へと向け、呼び出された〈音止〉の起動プロセスを起動最終確認が終わると同時に即承認した。


”二式宙間決戦兵器〈音止〉

 全安全装置 : 解除

 主動力機構 : 全力稼働 出力99%

 拡張脳   : 起動

 接続脳保護 : 有効

 …………全機構正常稼働確認

 ――〈音止〉起動 ”


 全ての冷却塔が立ち上がり白煙を吹き出すと同時に、〈音止〉のコアユニットが全力稼働を開始し甲高い音と共に光の柱を出現させた。

 トーコの体感時間は無限と思えるほどに引き延ばされ、世界から色が消え、一面灰色に染まる。


 脳内へと膨大な情報が叩き込まれ、途端に頭が沸騰しそうなほど熱を持った。

 拡張脳からの情報量を最小まで絞って尚、それはあまりに多く、脳を焦がす。


 ――突撃開始。


 トーコは機体を敵陣地へと向けて飛び出させた。

 拡張脳の使用に耐えられる時間は10数分。あまり悠長なことはしていられない。


 重い液体の中にいるようなゆっくりした動きで敵陣地へ邁進するが、周りの世界はそれより更に遅く、鈍い。

 それでも微々たる動作を繰り返し、確実に迎撃へ向けて動いている。


 敵歩兵78。〈バブーン〉3、うち1は中破。

 優先攻撃目標として後方から増援に向かってきている〈バブーン〉を指定。

 トーコが視線を向けロックした対象へと集中すると、拡張脳は敵機の現在位置、速度、保有エネルギー、荷重分布から詳細な移動予測を算出。

 122ミリ砲を向けようとするが、それより早く前線の敵から攻撃が放たれた。


 対装甲砲弾にロケット弾頭。それに重装機から誘導弾も放たれている。

 意識を広域へ修正。拡張脳へ回避機動の算出を命じる。即座に情報の塊を頭に叩き付けられ、気を失わぬよう歯を食いしばりながら回避行動をとる。


 突撃速度を緩めぬ最小限の動きで対装甲砲弾とロケットを回避。誘導弾はある程度引きつけてブースターで緊急回避してさばき、必要に応じて頭部25ミリ機銃で叩き落とす。


 ――この誘導弾、速い。


 増援として到着したバブーンから放たれた誘導弾は、対歩兵マイクロミサイルと対装甲ミサイルの中間程度の大きさで、手数も両者の中間程度。

 ただ発射後加速用のブースターが過剰に積まれているらしく、通常の誘導弾頭に比べて10倍の速度が出ている。


 誘導弾の1つに意識を集中させ拡張脳に詳細なデータを調べさせる。

 すぐに答えが出され、それが運動エネルギーによる破壊を目的とした高速弾頭であると判明。

 恐らく、機動力に優れた〈I-K20〉対策として帝国軍が開発した新型弾頭。

 超高速に耐えうるパッケージングから炸薬を積む余裕は無く、誘導方式も発射機によるレーザー誘導と判断。

 〈I-K20〉には通用するかも知れない兵器だが、〈音止〉相手には通用しない。


 トーコは脳の中枢を強く集中させる。

 体感時間が更に引き延ばされ世界は静止したように静かになった。代償として脳が悲鳴を上げ、吐き気がこみ上げる。

 精一杯目を見開き意識を保ち、飛来する18発の高速誘導弾の軌道を詳細にトレースさせる。


”回避困難、防御可能”


 全ての誘導弾を回避することは出来ない。しかし、機体にダメージ無く防御することは可能。

 高速誘導弾の軌道と〈音止〉の装甲データから、拡張脳は最適な防御姿勢を算出。

 トーコはそれに従い機体を操縦しようと試みる。マイクロ単位の精度が要求される上、装甲騎兵離れした動作をしなければならない。

 それでも、拡張脳を動かすパーツでは無く装甲騎兵パイロットとして認められるには、この程度の操縦、やってのけなければならない。


 トーコは拡張脳を介して〈音止〉の動作をイメージし、機体の全てを自分の意識の元へ置く。体を動かすように、複雑な機構を持つ7メートルの巨体を指の先まで完全にコントロール仕切る。


 機体を横っ飛びさせ、右手を地面につくとその反動で飛び上がるようにして落葉樹の幹へ足をつく。木は〈音止〉の重量に耐えられないが、荷重分布をブースターとスラスターで調整し、一瞬だけかかる加重を0に。

 その姿勢のまま飛来する誘導弾へ視線を向け、頭部の25ミリ砲で横腹を叩く。軌道を逸らされた誘導弾は連鎖するように別の誘導弾へと直撃、更に連鎖が続く。

 木を蹴りつけへし折りながら飛び出すと、機体を加速させ瞬間的に誘導弾の無くなった空間へ滑り込ませる。


 誘導弾は軌道修正するが、残り11発。

 直撃コースをとる3発を25ミリ砲で叩き落とし、誘導弾へ向けて機体を翻しながら前進。

 8発の誘導弾が命中。しかし誘導弾の隙間を縫うように移動した〈音止〉の装甲を擦るように舐めただけだった。

 高速弾頭故に180度回頭することは出来ず、そのまま目標をロストしてある物は木を突き破り、あるものはあさっての方向へ飛んでいった。


 全ての攻撃をかいくぐると、122ミリ砲と88ミリ砲を後方の〈バブーン〉2機へ向ける。

 回避機動は算出済み。

 トーコは回避不能となるタイミングに脳内でトリガーを引き発砲。命中確認もせず、邁進しながら25ミリ砲で歩兵を薙ぎ払う。


 放たれた122ミリ砲は榴弾だったにも関わらず、その質量だけで〈バブーン〉の正面装甲を叩き割り起爆。乗組員共々撃破。

 現実世界では同時だったが、トーコの体感時間の中では遅れて88ミリ砲弾がもう1機の健在だった〈バブーン〉へ命中。こちらは徹甲弾で、正面装甲を撃ち抜き後部のコアユニットまで弾頭が到達。コアが臨界を起こし、その場で光の柱を上げてはじけ飛んだ。


 25ミリ砲で歩兵を1人1人潰し、背中に積んだ共振ブレードを引き抜く。ブレードは白銀の光沢を持つ刀身を展開させると、微細振動を始め光の粒子を纏って輝く。


 最早敵に抵抗するだけの攻撃能力は残っていない。トーコは最大加速で機体を敵陣に突入させると、緊急後退をかけた中破した〈バブーン〉の操縦席へ向けて共振ブレードを突き立てた。

 共振ブレードは、振動障壁以外に対しては通常の高周波ブレードのように作用する。それは〈バブーン〉の装甲を切り裂き、その内側を加害するに十分な威力を持っていた。


 破壊した〈バブーン〉を飛び越えるように移動すると、装填完了した88ミリ榴弾を残っていた歩兵へ向けて放ち、25ミリ砲で掃討をかける。


”雑魚は余所へ任せろ。先へ行け”

”でも”

”時間が無い。急げ”


 ユイはメッセージを送ると同時に何か声を発していた。

 引き延ばされた体感時間によって、音の周波数を上手く読み取れず何を言っているのか分からなかったが、しゃべり終わると拡張脳がそれを解析してデータとして表示する。


「先へ行く。ここは任せた」


 タマキもそれに許可を出したらしく、(トーコの体感時間で)しばらく後には先行指示が共有された。


”分かった。先行する”


 ユイへと情報を送り、通信は任せて機体を全速力で山頂へと向ける。

 研ぎ澄まされた認識能力によって山中に伏せられた敵すら即座に発見出来る。索敵情報は戦術データリンクを通して統合軍へと共有し、指揮官機や面倒そうな重装機・中装機。それに狙撃手だけを25ミリ砲で確実に撃破し、数が多い敵部隊には122ミリか88ミリの榴弾を叩き込んで部隊を半壊させ、後退を余儀なくさせる。


 〈音止〉が残した敵も、部隊から先行しているフィーリュシカによってほとんどが撃破され、作戦遂行能力を失った部隊はそれに続くツバキ小隊によって掃討された。


 幾重にも張り巡らされた敵防衛陣地を突破し、山頂が射程に入った。

 帝国軍はこちらの方面を脅威とみたらしく、山頂に据えられた迫撃砲による支援砲撃が向けられていた。

 拡張脳を起動した状態の〈音止〉に、曲射弾道でゆっくり落ちる迫撃砲弾が当たるはずはなく、後方のツバキ小隊を狙った砲撃も、サネルマの対空レーダーに捉えられ回避行動がとられる。

 命中コースに落ちるような砲撃はフィーリュシカによって撃ち落とされた。


 既に拡張脳によって増強されたトーコの認識能力は、山頂に布陣する敵情報をとらえていた。

 全ての情報を統合軍の端末で読み取れる形式に変換し共有。

 山頂拠点には歩兵186。装甲騎兵3。


 ――装甲騎兵は全て〈ボルモンド〉。〈音止〉の脅威となる敵は、存在せず。


”殲滅可能”


 拡張脳が算出結果を示し、立て続けに次の情報を送りつけてくる。


”警告 : 脳蓄積疲労84%”


 悠長なことをしている暇は無かった。

 既に対装甲騎兵部隊が集中配備されているが、正面突破するしかない。

 脳疲労は限界に近く、既に感覚が麻痺し始めていた。


 トーコは止まることも、速度を緩めることすらせず、待ち構えていた山頂拠点の対装甲騎兵部隊の正面へと突っ込んだ。

 対装甲砲。対装甲ロケット。誘導弾。無反動砲。拠点攻撃用爆弾から紐でまとめたグレネードまで、あらゆる手段で攻撃が仕掛けられた。


 放たれた攻撃へと意識を極限まで集中。

 灰色の世界の中で、時間が止まったかのように全ての攻撃が空中で静止した。


”回避困難、防御可能”


 認識能力と思考能力を限界まで引き出した分、急速に脳疲労が蓄積される。

 鈍器でぶん殴られたような衝撃が頭を駆け巡ったが、それでもトーコは突撃を止めない。


――回避パターン修正要求。敵殲滅を優先。


 命令を受けて拡張脳は新しい回避機動を提案した。

 損傷率28%。右腕と装甲をいくつか失うことになるが、こちらの方が殲滅までの所要時間が短い。


 攻撃を優先し、122ミリ砲による砲撃で〈ボルモンド〉を吹き飛ばし、88ミリ砲で敵陣の迫撃砲を破壊する。

 飛来する弾頭は脅威度の高い物から25ミリ砲で撃ち落とし、直撃するが機体への損傷が少ない物はそのまま通した。


――ユイは怒るだろうな。


 考えたが、余計な思考によって一瞬意識が薄れ体感時間が引き戻されそうになると慌てて集中し直す。

 分かってはくれないだろうが、多分文句は言いつつ修理はしてくれるだろう。

 そう信じて誘導弾の直撃を右腕で受ける。

 右腕ごと88ミリ砲を投棄。それを盾にしつつ残っていた〈ボルモンド〉を122ミリ砲で撃ち抜く。〈ハーモニック〉対策に少しだけ混ぜていた徹甲弾は、〈ボルモンド〉の正面装甲を易々と切り裂き、余力を持って最後の1機の〈ボルモンド〉まで貫通。


 これで装甲騎兵は居なくなった。

 それでもまだ、誘導弾の高速弾頭を抱えた重装機が存在する。優先して25ミリ砲でその機体を狙っていくが、ここで弾切れ。

 対歩兵用のガトリングくらい残しておくのだったと後悔したが、まだ122ミリ砲は残っているし、こちらは機動力編重で防御を捨てていると言えど7メートル級2脚人型装甲騎兵。素手でも重装機〈R3〉を完全破壊可能な設計をしている。いざとなればアンカースパイクでも移動用ワイヤーでも、歩兵相手ならどうにでもなった。


 敵陣に突入し、逃げ遅れた重装機を足蹴にして破壊。左手首から移動用ワイヤーを射出し先端のハーケンで別の重装機を貫くと、そのまま振り回して周囲の歩兵をなぎ倒す。それを投棄した勢いを使って防衛陣地を飛び越え、装填完了した122ミリ榴弾を山頂拠点、ST山地司令部へと放った。


 分厚いコンクリート製の司令部はその直撃を耐えた。

 だが拡張脳は攻撃成功を報告する。

 建物自体は無事でも内側には十分な危害を加えた。榴弾の炸裂によってはじけ飛んだ内壁の破片が、ST山地における防衛指揮をとっていた帝国軍大隊長へ致命傷を与えたのだ。


”警告 : 脳蓄積疲労90%

 報告 : 接続脳保護機構 情報量制限50%”


 大隊長を狙う攻撃に多くの思考能力を使ったため、蓄積疲労が危険領域にまで突入した。

 同時に新たに組み込まれた安全装置が作動し、扱える情報量が半分にまで制限された。

 急速に体感時間が元に戻り、意識を現実世界へと持って行かれてしまうようだった。

 今まで静止しているようにすら見えた敵機が、ゆっくりと動作を始める。


 ――まだ、やるべき事は残ってる。


 飛び上がった状態から着地。安全な着地姿勢の計算が間に合わず、脚部関節にダメージ。

 

”損傷軽微、機動力8%減少”


 残っている思考能力と認識能力をフルに使って、歩兵の脅威となる敵機情報を取得。

 共振ブレードを投擲し、122ミリ砲を放ち、ワイヤーを振り回し、もう1本の共振ブレードを横薙ぎに払う。

 蹴りまで使ってとにかく敵を排除。

 だが熱を帯びた脳が、またしても急速に現実へと引き戻されていく。


”危険 : 脳蓄積疲労95%

 報告 : 接続脳保護機構 情報量制限25%”


 4分の1まで制限された情報量では、全ての攻撃を把握しきれない。

 通常の弾道予測線を起動しそれに合わせて回避しながら、遂には緊急後退まで使って攻撃を躱す。


”無茶はしない約束だ”脳にユイの言葉が響く。

”分かってる。でも――”

”援軍は間に合った。後はそっちへ引き継げ”


 ユイは通信機へ向けて何か喋っていた。

 体感速度は元に戻りつつあったが、それでも何を言っているのか聞き取れない。

 拡張脳はその音声データをトーコに読み取れるよう処理できる余力がなかった。


”早く下がれ。下がり次第〈音止〉を待機状態にする。5秒以内に下がらなければ強制終了する”

”――了解”


 トーコは渋ったが、122ミリ砲を1発敵集団へと向けて放つと、ツバキ小隊のいる方面へと後退を開始。

 入れ替わるようにしてフィーリュシカが敵集団へ88ミリ砲を放ち、20ミリ機関砲によって敵を蹂躙し始めた。


”二式宙間決戦兵器〈音止〉

 待機状態移行工程開始

 冷却機構  : 負荷90% 冷却継続

 主動力機構 : 通常稼働移行開始

 全安全装置 : 再起動 ―― 成功

 脳接続   : 切断 ―― 完了

 拡張脳   : 休止状態移行開始


 〈音止〉待機状態移行成功

 ……主動力機構  : 制限稼働 出力19%

 …………冷却機構 : 通常稼働移行

 拡張脳 : 再起動可能迄要30000秒…………”


 トーコは意識を完全に元に戻され、その違和感に操縦を誤りそうになりながらも機体を後退させ続けた。

 ユイは吐くものをあらかた吐き終えると、トーコへ声をかける。


「おい、無事か」

「んー」


 トーコは後退を取りやめると、俯いたまま手をばたばたと振って正面のコンソールを叩き始める。


「おい何をしている。お前――」

「んん」


 トーコは声にならない声を上げながらコンソールを叩いていたが、やがてその手がコンソール上に新たに設置された緊急ボタンを叩いた。

 操縦席に新型エマージェンシーパックが展開されると同時、トーコはそこへとこみ上げていた物を吐き出した。


 それはしばらく続いたが、状況を報告するよう求めるタマキの通信が響くと、トーコは一時その作業を取りやめて応答する。


「ツバキ8、意識有り。戦闘継続、限定的ならば可能――失礼」


 通信を遮り、作業の続きを再開。

 遮られたことをタマキは咎めようとしたようだが、嘔吐音をきくと「早めに済ませて」と告げる。

 全て吐き終えたトーコは再び通信を繋ぐ。


「失礼しました。ツバキ8、戦線復帰します」


 喉を胃酸で焼かれながらも、枯れた声で告げる。

 タマキは本人にでは無くユイへと確認をとった。


『ツバキ9、ツバキ8の状況は?』

「あらかた吐いてすっきりしたようだが、バイタルは正常とは言えない。発熱が酷い」


 散々吐いて吐くものもなくなるほどだったユイの声は更に枯れていた。

 返答するタマキの声からは呆れていることが見て取れるほどだった。


『あなたも酷そうね。後方待避を』

「後方のどちらです?」


 意見するようにトーコは尋ねる。


『あなたという人は……』


 タマキは今度こそ呆れきった様子だったが、それでもトーコの意見は的外れでも無い。

 どこに敵が潜んでいるかわからない山の中で後方待避するのは危険だ。しかもバイタルが正常とは言えないパイロットを乗せた、小破した装甲騎兵で。


「体調が優れないのは認めます。ですが砲撃支援でしたら可能です。自分の安全のためにも、ツバキ小隊の近くに居させてもらえませんか」

『よろしい。良いでしょう』


 トーコの予想に反して、タマキはすんなりと意見を受け入れた。

 ただし、条件付きで。


『ツバキ9、ツバキ8の監視を。作戦継続困難と判断したら報告を』

「了解。任された」


 条件を受け入れたユイに対してトーコは不快感を示すも、無視された。

 通信を終了するとトーコは122ミリ砲の残弾数を確認しながら、ツバキ小隊の後方へと機体を移動させる。


「普段は隊長と、喧嘩ばっかしてるくせに、こういうときばっか、結託して」


 頭は高熱と痛みに満たされて、口も思うように動かず上手くしゃべれない。

 先ほどのタマキへの応答は上手く誤魔化せたが、操縦しながらとなるとそうもいかなかった。

 それでもユイはいつも通り接する。


「言葉を選べ。今すぐお前を下ろしても良いんだぞ」

「そしたら、パイロット、イスラだからね」

「それだけは御免だ。――で、無事なようには見えないが、正直に言え。状態は?」


 トーコは頭痛を堪えつつ、可能な限り短くまとめて答える。


「良くは無い。頭痛と熱で死にそう」

「だろうな」


 これだけだとタマキに告げ口されてしまいそうだと、トーコは続ける。


「でも、前よりずっとマシ。操縦も、後ろから撃つだけなら、問題無い。危険は、排除したし。後は掃討戦」


 たどたどしい物言いをユイは黙って聞いたあと、中空を見上げるようにして、それから答えた。


「確かに、脳の状態は最悪じゃない。むしろ――」

「むしろ何? というか分かるの?」

「お前の首筋に何が刺さってるのか忘れたのか?」

「あ」


 首筋には有機ケーブルが接続され、それはユイの首筋にも繋がれている。

 つまり脳の情報を読み取られていたのだ。頭痛のせいで詳しくは分からないが、かなり深いところまで調べられている。


「抜いてよ」

「下向け」


 トーコは言われるがまま下を向く。

 ユイは刺さっていた管を真っ直ぐに引き抜いた。

 途端に、トーコの体から力が抜けて、小刻みに体が跳ねる。


「ん、んんっ――」

「変な声を出すな」

「だって……」


 神経を直接刺激されているのだ。思わず声が出てしまっても仕方が無いだろうと抗議しようとするトーコを前に、ユイは一切の感情無く自分の首筋に刺さった管を引き抜いて元のコンソールボックスへ戻した。

 それを見せられては言い返せず、トーコは震える手で有機ケーブルをコンソールへ戻した。

 それから、頭の中に感じた違和感について尋ねる。


「私の脳の中見たでしょ」

「必要な措置だ。いらん記憶まで見えたりもしたが、面白くも無かった」

「クソったれだ」


 トーコはいつか殴るカウントを10発分くらい加算すると、わざと大きく揺れるように〈音止〉を横移動させ、フィーリュシカを援護すべく122ミリ砲を放った。

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