第105話 退院
衛生部の診察室。タマキの視線の先で、スーゾは今し方出たばかりの検査結果を見つめる。過去の記録とも比較して、頭を悩ませながらも結論を出した。
「うん。大丈夫そう。脳波は問題無し。むしろ以前より良くなってるくらい」
結果にタマキは安堵して胸をなで下ろす。
トーコが意識を取り戻してから7日が経ち、退院前の最終判断として健康診断及び脳波検査を行ったのだが、そのどちらでも問題は見つからなかった。
「では退院させても問題ありませんね」
「衛生部としては問題無し。結果まとめて診断書つくって送っておくね。今日中で良いよね?」
「はい、午前中にお願いします」
「えっ。いや、いいけどさ」
期限を短くされたことには驚きも見せたが、スーゾは頷く。どうせ本来の自分の仕事ではないので、持ち場に戻る前に片付けてしまうつもりだった。
「ねえタマ。トーコさん治ったら、前線に行くんだよね?」
「それがわたしたちの任務ですから」
「ま、そうだよね。私は戦闘には参加できないけど、応援してるよ。頑張ってね」
「どうしました? 珍しいですね」
普段見せないしおらしい態度に、タマキは何かあったのかとスーゾの琥珀色の瞳をのぞき込む。スーゾはとぼけた様子を見せながらも答えた。
「いやあ。レインウェルの前線で負けちゃうとさ、次は基地での戦闘になるでしょ? で、負傷者たくさん出るじゃない? そうなると防疫担当の私にまで医療科の仕事が舞い込んでくるんだよね。ただでさえ冬期で忙しいっていうのに」
「呆れた」
全く自分のことしか考えていないスーゾにはタマキも肩をすくめた。
それでも恐らく半分くらいは冗談で言っているのだろうとは理解していて、検査に付き合ってくれた礼を言うとタマキは立ち上がる。
「あの病室はいつまで使えますか?」
「明日までは貸し切りにしてある。必要なら延長も出来るよ」
「いえ、構いません。そうも言っていられない状況のようですし」
「そうだよね。あ、預かってた装甲輸送車両どうする?」
「まだ預かっていて下さい。必要な時に返してくれれば好きに使っても構いません」
「うん、そうさせて貰ってる」
話はこれで終わったと、タマキは診察室から退室しようとする。
その背中にスーゾは声をかけた。
「また無事に会えるよね」
タマキは振り向かないまま答える。
「ええ、きっと」
確約なんて出来ない。これから始めるのは、惑星トトミの運命を決めてしまうような戦いだ。それでも、それだけ言い残してそのまま退室した。
タマキはその足でトーコを待たせている検査室へ向かい、扉を叩いて入室許可を得ると中へ入る。
「お待たせしました」
検査室ではトーコとユイが待機していた。
トーコはベッドに腰掛けてじっとしていたが、ユイはタマキの元へずかずかと歩み寄る。
「結果は?」
「問題はないと。診断書は午前中にはまとめてくれるそうです。ユイさんの所感は?」
「ひとまず脳負荷は問題無し。処置の影響もおさまっている。脳波検査の結果が問題無いなら退院させて構わない」
「なるほど。よろしい」
ユイの所感も問題なしということで、タマキは待機していたトーコの元へ向かう。
話を聞いていたトーコはようやく退院許可が出ることに内心大喜びだったが、結果が告げられるまでは平静を装う。
「トーコ・レインウェル軍曹」
「はい」
名前を呼ばれ、トーコは返事で応える。対してタマキは粛々と結果を告げた。
「健康診断、脳波検査ともに問題無し。担当官の許可も出ましたので退院を許可します」
「はい!」
今度は喜びを隠さず返事をした。トーコの笑顔にタマキは顔をしかめながらも、本人の状態を伺う。
「診断結果だけを見れば問題ありませんが、あなた自身何か気がかりな点はありませんか?」
「全くありません」
「正直にお願いします」
再度問いかけると、トーコは包み隠さず話した。
「正直なところ、眠りすぎて気分が悪いです。これ以上の入院は健康を害します」
それにはタマキもため息をついた。すかさずトーコは端末を取り出してそれを示す。
「隊長。申請を出しておいたので許可を願います」
「元気そうで大変よろしい。全く、わたしがどれだけ心配したと思っているのですか」
「心配して下さったことには感謝しています。でも、申請を許可して頂けるのならそれ以上に感謝します」
「あなたもツバキ小隊に染まってきたようですね」
残念なことですが、と付け足したにも関わらずトーコは笑顔で頷く。
タマキは呆れながらも士官用端末を取り出して、トーコの提出した申請を確かめ始めた。
これまで停止されていた、売店利用や基地内飲食を含む統合軍兵士に与えられた権利関係をひとまず全て元に戻し、シャワー使用申請を許可。
「飲食は構わないが刺激物はしばらく口にするな」
横からユイが口を挟んだので、タマキは飲食関係についてはスーゾから借りた衛生部権限を使って刺激物の服用を1週間停止。
「刺激物って具体的には?」トーコが尋ねる。
「カフェイン、アルコール、強い香辛料に薬品関係」
「まあそれくらいなら」
「お前に選択の権利は無い」
ユイの物言いにはトーコも不快感を露わにしたが、タマキは今回に限っては全面的にユイの意見に賛成であった。薬品の服用を許可制にして、トーコ宛に配給されていた睡眠導入剤や胃腸薬、痛み止めの類いを一時配給停止にする。
「リハビリ施設の使用許可はとっています。今日、明日だけですが活用して下さって構いません。訓練場の使用は却下します。激しい運動も明日までは禁止、したほうがよろしいでしょうね?」
「当然だ」
ユイが頷いたのでタマキはトーコの言い分にはまるで耳を貸さず運動禁止を命じた。
それから――
「面会を求める申請が出ていますが、どうしますか? 本人が拒むなら許可は出しませんが――」
「拒まないので全部許可して下さい」
「そう言うでしょうね。よろしい、面会は許可します。ただし明日までは建物からは出ないこと。それが約束出来なければ一切の許可を出しませんが、約束できますか?」
「もちろんです。約束します」
2つ返事でトーコが答えると、タマキはこれまでチェックした申請を全て通した。
「今の言葉は録音しておいた方が良い」
「お気遣い無く。録音済みです。トーコさんも確認しましたね」
タマキは今し方交わした約束の音声ファイルを再生して、トーコに再度確認を迫る。
「確認しました。約束は守ります。――そんなに私、信頼出来ませんか?」
「信頼はしています。ですが、あなたが時折その場の勢いで行動することも事実です」
それは信頼していないのでは、とトーコは愚痴ったがタマキは聞こえなかったことにして、話を終わらせた。
「ではトーコさん、一度病室に戻って着替えを済ませて下さい。以降、過ごし方は任せますが――注意事項を繰り返す必要もないでしょうね」
「はい、心得てます」
「大変よろしい。では退室を」
促されて、トーコは足取り軽やかに退室した。
ユイもその後に続いて出て行こうとするが、タマキはそれを呼び止める。
「ユイさん少し。〈音止〉の件です」
「何が知りたい?」
単刀直入に尋ねたユイに対して、タマキも隠すこと無く尋ねる。
「拡張脳に対する安全装置の組み込みはどうでしたか?」
「上手くいった。脳負荷が高くなると扱う情報量を制限してオーバーヒートを防ぐ。即座にシャットダウンする方法も考えたが、拡張脳の使用が戦闘中に限られる以上、この方が総合的に見て危険は少ないだろう」
「よろしい。それでは、拡張脳の利用について危険性は排除できたと考えてもよろしいですか?」
「それには頷けない。人間の限界を超えた能力を提供する以上、リスクは回避出来ない。拡張脳というシステムについては、あたしですらその全容を把握していない。何が起こるかは分からん。だが、使える物は使うべきだ。
リスクをゼロには出来ないが低くすることは可能だ。あたしも〈音止〉には同乗する」
リスクがあるから使えないと、切り捨ててしまうには惜しいシステムであることは事実だ。
ただタマキは、ユイの言葉に全面的に同意できるわけでも無かった。
「拡張脳の使用について、リスクを極力低減しつつ使っていくという方針については同意します。ただ、1つ大きな問題があります」
「何だ、言ってみろ」
ユイは上官に対しても臆すること無く尋ねる。タマキも相手に一切配慮すること無く答えた。
「〈音止〉の同乗者に関する問題です。同乗したところで、拡張脳が使用された途端に酔って吐いて気絶するような人間は居ない方がマシです」
その言葉に、ユイは濁った碧眼でタマキを睨んだ。
「どうしろって言うんだ」
「気絶しなければよろしい。吐かなければ尚のことよろしいし、酔わなければ最高です」
「トーコを補助できる人間はあたしだけだ」
「理解しています。ですから、あなたには酔わないための訓練を受けて頂きます。訓練官はリルさんです。本日午後は彼女の指示に従って訓練を行うこと。それが出来ないのなら、〈音止〉への同乗を禁止します」
「一体お嬢ちゃんに何の権限があるというんだ」
ユイは敵意をむき出しにして問いかけたが、タマキは動じずに指揮官端末を突き出す。
「残念ながら、〈音止〉の所有者はツバキ小隊です。隊長であるわたしは、〈音止〉に誰を乗せるか、誰を乗せないか、選択する権利があります。他に質問があればききますけれど、どうしますか? 訓練を受けたくないとおっしゃるならわたしは一向に構いませんよ」
ユイは小さな拳を握りしめたが、渋々とながら受け入れるしかなかった。
「訓練を受ければいいんだろう」
「そうです、受ければいいのです。それとこれは命令ではなく推奨ですが、隊長の心証は損ねない方が身のためですよ。頭の良いあなたは分かっているとは思いますが、念のため」
もうユイは反論する気もなくして、不機嫌そうに鼻を鳴らして捨て台詞を残すと退室していった。
「小癪なクソガキめ。いつか後悔するぞ」
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