第104話 休息

 衛生部中尉スーゾ・レーヴィからトーコの意識が戻ったという通信を受けたナツコは、テントの前でタマキの帰りを待った。

 年明けの迫る冬本番。山中にあるツバキ小隊の野営地は冷え込んだが、それでもナツコは気にもならないくらいだった。


 ランタンを片手に雪の残る道をしっかり踏みしめながらやってくるタマキの姿を見つけると、思わず駆けつける。

 もう夜だというのに出迎えを受けたタマキは驚いて、身につけていたマフラーをナツコの首にかけた。


「寒かったでしょう。こんな日に外で待つ必要はありませんよ。体調管理もあなたの仕事の内ですから」

「大丈夫です! 全然寒くなかったです!」

「大丈夫でしょうね」


 大丈夫と答えたのだが、むしろタマキはその言葉を疑ってナツコの額へと手を当てた。外にいて寒くないはずがないのだから。


「大丈夫ですよ」

「熱はなさそうですね。ともかく、早くテントに入りましょう。あなたは大丈夫でも、わたしは寒くてたまりません」


 タマキにそう促されると、ナツコも頷いてテントへ向かう。

 テントに入るとタマキの脱いだコートを受け取り、雪を払ってハンガーに掛ける。

 そこでようやく、本題を切り出した。


「あの! タマキ隊長! 少しよろしいですか?」

「面会ならまだ早いです。他に何かあれば伺いますが」

「トーコさんと面会をですね。あれ」


 釘を刺されたのにも関わらずまるで聞いていなかったナツコは面会を申請し、言ってから既に断られていることに気がついた。


「まだ早い、ですか?」

「意識は戻りました。後遺症の心配もありません。ですが、しばらく安静が必要です」

「そうですか……。でも、直ぐに元気になりますよね!」


 しょんぼりしたナツコであったが、トーコの体が回復に向かっていることに安堵して、これまで張り詰めていた緊張を和らげ笑顔を見せる。

 それに応えるよう、タマキも頷いて返した。


「はい。そのためにも今はしっかり休んで貰わなくてはいけません。分かりますね?」

「はい。分かりました。あの、面会出来るようになったら――」

「その時はこちらから知らせます」

「お願いします!」


 ナツコは深く頭を下げた。

 ナツコの聞き分けの良さに、タマキもほっと一息ついて、まずは訓練の報告を受けようとサネルマの姿を探すのだが、狭いテントの中に見当たらなかった。


「すいませんナツコさん。サネルマさんは?」

「あれ? ちゃんと居たはずです。あ、そこです」

「うん? あ、何をしているのですか」


 サネルマはと言うと、1人寝袋にくるまって寝息を立てていた。

 椅子に座ってリルとカードゲームで時間を潰していたイスラは、そんな様子を見て笑いながらも報告する。


「サネルマ副隊長殿なら訓練ではしゃぎすぎたせいで頭が痛いそうで」

「はあ。指揮官が真っ先に倒れてどうするつもりですか全く。報告を受けたいのですが、副隊長代理は誰ですか」


 問いかけに対してサネルマに後を託されていたフィーリュシカが音も無く手を上げて、タマキに対して詳細に訓練内容の報告を行う。

 機械のように正確な漏れの無い報告を受けたタマキは頷く。


「なるほどよろしい。フィーさん、報告ありがとうございます。

 サネルマさんについては、指揮官という立場にありながらはしゃいで体調を崩した点は問題ですが、しっかり業務を引き継いでから倒れたので不問にしましょう」


 倒れる前に「後は任せた」と一言フィーリュシカに言葉をかけていただけであったが、それによってサネルマは罰を免れた。

 

「それより、食事にしましょう」


 タマキの一言で、隊員は食事の支度を始める。

 ユイとカリラはレインウェル基地の整備施設に籠もって〈音止〉の修理をしているため、倒れたサネルマを除いた5人での食事となった。


          ◇    ◇    ◇


 目が覚めると、見慣れた天井があった。

 意識が戻ってから5日経過。トーコはまだ病室に閉じ込められていた。

 体を拘束するベルトこそ外して貰えたものの室内からは出して貰えず、ベッドから下りていいのは薄い仕切りの向こうにあるトイレを使うときだけという軟禁状態だった。


 シャワーを浴びたいと何度か申し入れても聞いて貰えず、1日に1回、希望すれば蒸しタオルで体を拭いて貰えることになった。

 自分でやりたいのだが、処置の影響だか異常な脳負荷の影響だかは分からないが、どうしても体の動きがぎこちなく、物を掴んだり細かい動作をすることが難しかった。

 かといって他人に頼むにしても、ユイは露骨に嫌がって適当に拭くし、上官のタマキに頼むのもはばかられるし、スーゾという衛生部中尉は妙に手つきがいやらしく触らなくても良いところまでしつこく触ってくるので困ったものだった。


 それでもその件についてタマキに報告すると、きつくおしかりがあったらしくスーゾは2000ワード程度の反省文を提出してきた。

 タマキ曰く、スーゾは女の子を見るとだれかれ構わず手を出す真性の変態だそうで、それ以降トーコは、スーゾと2人きりになるときは布団の中に拳銃を忍ばせるようにした。


 持っていても手先がしっかり動かなくては意味が無いので、ベッドの上で体を起こし、手を伸ばして指を一本一本動かすリハビリをするのが日課になっていた。

 まだ動かそうとしてから実際に動くまで時間差があるが、それでも動かしたいようには動くようになってきていた。


 そんな最中、氷嚢と点滴の交換のためスーゾが入室した。

 褐色の肌に、琥珀色の瞳。それは不思議な魅力があって、じっと見ていると吸い込まれそうになる。なるほど、確かにこれは女性でも魅了されてしまうと納得する。

 しかしタマキから忠告を受けていたトーコは、そんなスーゾに惑わされず、相手は真性の変態だと言い聞かせて冷たい対応をとり続ける。

 そんなことお構いなく、スーゾは独り言のように、されどトーコにしっかり聞こえるように愚痴を言い始めた。


「タマはさ、私のことを勘違いしてるんだよ。私だってだれかれ構わず手を出してるわけじゃないのよ。そりゃあ、女の子の方からアプローチしてくるのなら私としては受け入れますけどね、嫌がる女の子に無理強いするようなことしませんよ。そこのところだけは、誤解をといてもらいたいですね」


 言い訳がましいスーゾの言葉を適当に聞き流しながらも、トーコは手元の端末に先日受け取った反省文を表示させ、それをスーゾに見えるよう向けた。


「今の言葉は反省文のこの一節と矛盾してます」

「過去のことはいいじゃない」


 自分で書いた反省文から目を逸らすようにしながらも、スーゾは氷嚢を取り替え、次いで、点滴の交換に移った。

 作業をしながら、またしても愚痴を始めた。


「タマと来たら、私に対する偏見が酷いんだよ。私はね、確かにいろんな女の子に手を出しましたけれども、それは双方の合意の上であって全くの合法ですよ。

 それをタマは節操がないとか言うけどね、私が一番愛しているのは初等部のころからずっとタマなの。タマが遊んでくれないから、仕方なく他の女の子に手を出してるわけ」


 それはどうかと思う。なんて言いかけたが、触れない方がいい。ほとんど身動きのとれない状態で、見境無い変態に襲われたら逃れるのは難しそうだった。


「というよりトーコさん、私に対する態度が冷たすぎやしません? もしかしてタマに何か吹き込まれました?」

「事実を伺っただけです」

「絶対誤解してる! 前のあれは不幸な事故だったんだって! トーコさんの胸があまりに形の良い物だから、ついさわり心地はどうかなと思って確かめただけであって」

「それを事故とは言いません。隊長に報告します」

「あ、ちょっと待って。違う違う」


 スーゾは弁明と買収に奔走したがトーコは一切聞き入れなかった。

 そんなところにタマキが入室する。


「失礼します。あら、レーヴィ中尉。トーコさんも起きているようですね」


 スーゾの存在を確かめたタマキは、その琥珀色の瞳が珍しく泳いでいるのを見て何かあったのだろうと確信した。

 ベッド脇にある椅子に腰掛けて、点滴を替え終えて尚居残るスーゾに目配せして尋ねた。


「一体あなたは何をしたのですか」

「何って、氷嚢と点滴の交換に来ただけですよ? 本来なら中尉の仕事じゃ無いのに、いやあスーゾさんは友人の部下のためならば身を粉にして働く義理堅いお人ですよ」

「自分で言って恥ずかしくなりませんか。トーコさん、何かありました?」


 問われたトーコへとスーゾは必死に目配せするが、トーコは冷淡に答える。


「いえ、中尉は氷嚢と点滴の交換に来て下さっただけです」


 こっそりスーゾはタマキから見えない角度で親指を立てて、トーコの回答を褒めた。

 しかしトーコは続ける。


「ですが過去の事件について証言がありましたので、後ほど相談させて下さい」

「分かりました。伺います」

「違う違う。そういうんじゃないから。というかタマ――」

「ニシ少尉です」


 隊員の前であだ名で呼ばれたタマキはすかさず修正を強要し、スーゾもそれに応じる。


「ニシ少尉はトーコさんに対して、私に関する間違った説明をしたのではないですか?」

「事実を告げただけです」

「絶対盛りましたよね?」

「多少の脚色があったことは認めます」

「やっぱり! 事実に基づいた修正を要求します!」

「あなたが弱ったトーコさんに手を出すのではないかという懸念がぬぐえなかったための仕方の無い措置です。退院後に修正しておきます」

「退院後!? 今して!」

「それは出来ません。それに、修正点はごく僅かです。そもそもあなたの普段の行いさえまともなら――」


 2人の間に挟まれて言い合いを否応にも聞かされる羽目になったトーコは、仕方なく手を上げて言葉を遮った。


「すいません。隊長は私に用があったのではないですか?」


 タマキは1つ咳払いをしてから、スーゾへ告げた。


「レーヴィ中尉、少しトーコさんと2人にしてもらってよろしいですか?」

「もちろんですとも。そのために用意した病室ですからね」


 今のところ〈音止〉の拡張脳については統合軍への説明を一切行っていない。

 相手がスーゾとは言え情報を漏らすわけには行かなかった。スーゾも、突然運び込まれたトーコがタマキの部下というだけではない特別な存在であることは何となく把握していて、そういった空気を察したのか素直に受け入れて退室した。


 2人きりになるとタマキが切り出す。


「ごめんなさいね。スーゾも悪い人ではないのですけど、ちょっとトーコさんに嫉妬してるところがあって」

「私に? ああ、そういうことですか」


 先ほどの話では、スーゾはタマキのことを昔から好きだったらしい。

 そんなタマキが毎日のようにトーコのために見舞いに来るのだから、何かしら思うところもあったのだろうとは推察できた。


「隊長は、中尉に好意を寄せられていることには気づいていますか?」


 もしかして気づいていないのでは無いかと尋ねてみたが、タマキは頷いた。


「気づいてますよ。そもそも昔から直接そう言ってきますからね。

 ですが残念ながらわたしにその気はありませんから応じるつもりはありません。不幸な片思いだと諦めて貰うしか無いですね。大体あの人は節操なく女性とみれば手を出しているのだから――話が逸れましたね」


 タマキは幼なじみに対する思いを吐露しようと興奮した面持ちだったが、トーコの目を見ると言葉を句切り咳払いをした。


「本題です。〈音止〉の修理は順調に進み、今日中には動かせるようにはなりそうです。ただ、拡張脳に対する安全装置の付与を命じましたので、調整が完了するのはもう少し先になるでしょう」

「安全装置ですか? 機能を制限しなくても、警告の出た時点で使用中止するので問題ないはずです」

「ユイさんからも同じようなことを言われましたが、最終警告が無視された前例があるので安全装置は必要だと判断しました」


 トーコはそれには渋い表情を浮かべるしか無かった。

 無視したのが他でもない自分なので、余計なことを言えば過去の話を蒸し返されるだけだ。


「分かって頂けたようで大変よろしい。体の調子はどうですか?」


 問いかけにトーコは握った手を真っ直ぐ伸ばして、指を1本ずつ伸ばしていく。ゆっくりとしてはいたが、それでも動きは正確だ。


「体調は良くなってきましたが、しっかり動けるようになるのはもう少し時間がかかりそうです。病室からは出ませんから、室内でリハビリしてもよろしいでしょうか? トイレとベッドを往復するだけの生活はあまりに非生産的です」


 トーコの提案に対して、タマキは士官用端末を取り出すと保存されていた音声ファイルを再生する。

 それはトーコが1週間は大人しくしているとユイに約束したときの物で、それにもトーコは顔をしかめて渋い表情を浮かべるしか術が無かった。


「1週間は大人しくしている。約束したそうですね」


 頷くほか無く、そして頷くとタマキも笑顔を浮かべて続けた。


「リハビリはあと2日経ってからです。専用の施設も使えるよう申請しておきます。ただし、それはあなたが約束を履行した時の話です。よろしいですね?」

「はい。分かりました」


 トーコは力なく答えて、起こしていた体を横たえる。タマキはそんなトーコの額に氷嚢を乗せた。


「まだこれ必要ですかね。頭は大分冷えました」

「まだまだ冷やす必要があります」


 有無を言わさず乗せられて、トーコは反抗できるはずもなかった。それでも言葉だけ、問いかけるように投げかける。


「もしかして隊長、怒ってます?」

「怒っていますよ。ですが約束通りあなたがしっかり休んでくれたらのなら、考えをあらためます」

「それはどうも。では大人しくさせて頂きます」


 布団をたぐり寄せ、目を瞑る。

 散々寝たので眠くは無かったが、振りだけでもしておかなければならない。

 その様子をみたタマキは頷いて、立ち上がった。


「大変よろしい。ではしっかり休むように。レーヴィ中尉の証言については、体調が良くなってから伺います」


 言い残してタマキは退室する。

 残されたトーコは目を開けて、見慣れた天井を穴が開くほど見つめてみたが、散々眠ったはずなのに横になっていると眠気が押し寄せ、結局眠りに落ちてしまった。

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