第103話 コゼット・ムニエ③

 コゼット・ムニエは新しい総司令官席の座り心地を確かめて、レイタムリットと遜色ないことに満足する。

 座っていることの多い仕事柄、椅子の質には妙なこだわりがあった。それに最近、歳のせいか長時間座っていることがきつくなってきた。


 本星に居座るぶくぶくと太った将官たちのようにはなりたくないと思うものの、実際に好き勝手やっていたこれまでとは話にならないほど、総司令官という立場は自由を奪った。

 ちょっとした散歩の時間すら満足に与えて貰えず、そのくせ食事だけは不必要なほど豪勢で、これは太るのもやむなしであろう。

 とりあえず手を打てるところは打っておこうと、食事については量を減らすよう言いつけておいた。1つの建物内しか移動しない立場なのだから、それに相応しい摂取カロリーだけ摂取できれば良い。


 それでも急に食事を減らしたせいか、夕食まで2時間もあるというのに胃は空腹を訴えていた。習慣ほど恐ろしい物はないと、コゼットは炭酸水を胃に流し込んで空腹を誤魔化す。

 夕方の戦略会議まで時間が迫っていた。会議と言っても自分の仕事など大したことでは無いが、欠席するわけにはいかない。

 そんな訳でコゼットは憂鬱な気分を抱えながらも、会議に向けて事前資料に目を通し始めた。

 いくつかの資料を見終わって注釈を加えていると、部屋の扉が叩かれた。

 こんな時間に唐突に総司令官の執務室を訪ねてくるのは、副官のロジーヌ・ルークレアだけだ。


「開いてますよ。どうぞ」

「失礼します」


 ロジーヌは丁寧に頭を下げて入室した。真っ赤な髪をしていながら、反面その肌は雪のように白い。鋭い目つきながら女性らしいプロポーションのいい体つきをしていて、30歳手前ながら未婚なこともあり、若い士官はもとよりおじさま連中にも言い寄られている。

 しかしこれまで誰に対してもたなびくことはなく、誰も彼もがその理由を考えたものだが、コゼットはその答えを知っている。

 ロジーヌは同性愛者で、既に意中の女性がいるからだ。

 何度その女性宛の恋文を検閲のために読まされたか数えようとも思わない。最近では中身を確かめるのも馬鹿馬鹿しくなってしまった。


 そんなロジーヌだが職務態度は至ってまともだ。時折思い出したように作成される恋文を除けば、こんなに優秀な副官もそうはいないであろう。だからコゼットはロジーヌを決して手放そうとはせず、全幅の信頼を寄せていた。


「お電話ですが、どうしますか?」

「どうしますかとは、どういうことですか?」


 珍しいロジーヌの物言いに問い返すと、その問いを予想していたのか即座に返す。


「発信者が名前を名乗らず、司令に繋げば分かると」

「そんな怪しい電話を取り次ぐつもりですか?」

「着信元が司令のプライベートアドレスでしたので、何か心当たりがあれば、の話です」


 コゼットは釣り上がった目でロジーヌを睨む。

 怒っているわけではない。生まれつきこういう顔で、ただどうしたものかと悩んでいるだけだ。

 プライベートアドレス宛に電話なんて何年ぶりだろうか。わざわざ電話をかけてくる人間の心当たりは全くなかった。

 それでも、アドレスを知っているとあれば知り合いには違いないので、ロジーヌへ取り次ぎと、退室を命じた。

 ロジーヌが執務室を去ってから、コゼットは机の上の端末を手にする。


「どちら様ですか」


 開口一番尋ねる。

 通話状態が良くないのかノイズがのっていたが、相手は答える。


『やあ相棒。久しぶり』


 その一言で、コゼットは通話相手が誰なのか理解した。

 女性ながら、少年のようでそれでいて凜々しい声。

 忘れるはずもない。前大戦時の戦友で、数少ない親友だ。その声が年相応に落ち着きを見せていたとしても、間違いようが無かった。


「久しぶりね、サビィ。少し声が落ち着いたわ」

『お前はちょっと老けたな』

「余計なお世話よ」


 サビィこと、サブリ・スーミアはコゼットが士官学校に通っていた頃からの友人だった。

 彼女は宙間決戦兵器のパイロットとして訓練を受け、卒業間近になると自身が考案した2脚人型宙間決戦兵器の操縦コンソールを開発した。

 辺境の連合軍宇宙基地でテスト中、枢軸軍の円筒型宙間決戦兵器中隊の強襲を受け、あわや撃墜される寸前だったが何とか見逃して貰えて事なきを得た。

 その時基地でオペレーターとしてサブリをサポートしていたのがコゼットで、2人は意図しない活躍によって、新造戦艦〈ニューアース〉の乗組員として取り立てられた。


 そういった経緯もあってペアを組むことが多かったのだが、戦後、サブリはコゼットの前から姿を消した。

 コゼットも探そうとはしなかった。

 サブリが姿をくらます理由も分かっていたし、会ったところでどうしようもないことも分かっていたから。


 サブリは連合軍と枢軸軍の最終決戦に置いて〈ハーモニック〉で出撃し、枢軸軍の〈音止〉と戦った。3対1という数的優位な状況であったが、連合軍〈ハーモニック〉小隊は大敗。2機は撃破されパイロット死亡。サブリは生き残ったが、機体は大破し重症を負った。


「それで、突然何の用? あなたは知らないでしょうけれど、今の私にはそれなりの立場があるのよ」


 感傷に浸っている場合では無いと用件を尋ねると、サブリは笑って答える。


『総司令官様だろう? 知ってるよ。その総司令官に尋ねたいんだが――』


 言葉を句切る。

 一呼吸おいて、サブリは低い声で尋ねた。


『デイン・ミッドフェルドの戦いで妙な動きをする〈音止〉が居たようだが、パイロットは誰だ?』


 感情を押し殺した声。

 大戦の終結から20年経つというのに、サブリはまだあの時の事を忘れては居なかった。

 無理も無い。

 〈ハーモニック〉の小隊には、サブリの恋人も含まれていた。それがサブリの目の前で、〈音止〉によって殺されたのだ。

 サブリは以来、〈音止〉パイロットへの復讐だけを目的に生きるようになった。


「あのねえサビィ。私が総司令官であることは知っていても、総司令官がどういうものか知らないようなので教えてあげますけれどね。総司令官はそんな、前線で起きた細かい戦いの1つ1つまで知っていられるような立場ではないのよ」


 サブリは一呼吸置いて、質問を変えた。


『だったら単刀直入に聞くが、シイジの居場所を知っているか?』

「知らないわよ。私も探してはいるけどさっぱり」


 もう一度サブリは間を置いて、今度はさっぱりした口調で答えた。


『そうかい。悪かったな。忙しかっただろう? 総司令官様は』

「そうでもないわ。丁度暇していたところ。でも、次からはここへはかけてこないで、直接会いに来て頂戴」

『それができるわけないだろう』


 それはそうだ。お互いに立場というものがある。

 コゼットもそれを良く理解していた。


 サブリはコゼットが何も言わないでいると、唐突に尋ねた。


『お前の復讐は終わったのか?』


 コゼットは眉をひそめ、言葉を詰まらせる。

 戦争によって大切な人を失ったのは、サブリだけでは無い。

 コゼットもあの最終決戦の最中、最愛の人を目の前で殺された。

 だからコゼットにはサブリの気持ちが痛いほど分かったし、サブリも、コゼットが内心にどんな思いを抱いているのか知っていた。


「お生憎様。でも必ず復讐は果たすわ。私がしたくもない結婚なんてしてまで今の立場に居るのも、ただ自分の復讐を果たしたいがためですもの。だから――」


 コゼットは声のトーンを落とし、くぐもった声で静かに告げる。


「――アイノ・テラーは私の獲物よ。見つけても絶対に手出ししないで」

『怖いね。分かった、そうするよ。見つけたら真っ先に知らせる。そっちも、シイジを見つけたら、頼むぜ?』

「そうね。考えておいてあげる。それじゃあね、サビィ。久しぶりに話せて良かったわ。ユスキによろしく伝えておいて」

『残念。あいつとは口をきくほど仲良くはないのさ。自分で伝えてくれ』

「あら残念。じゃあ切るわよ。くれぐれも、もうかけてこないように」


 コゼットはサブリの返答を聞かずに、そのまま通信を終了した。

 サブリが古くからの友人であることは事実だ。

 だが、今の自分には立場という物がある。


 大戦後20年。サブリが何処で何をしていたかはさっぱり分からない。

 ただ少なくとも今どこに居るかは分かった。

 サブリは帝国軍に与している。それも、恐らく最もろくでもない形で。


 どうしてこんなことになってしまったのか。

 分かっていれば、決戦後に声をかけておくべきだった。

 今更後悔したところでどうしようもないことだが、それでも悔やんだ。


 分かっていたとしても、あの時の自分は何も出来なかっただろう。

 目の前で最愛の人を殺されて、右腕を警棒で叩き落とされた。意識を失う寸前、目の前に居たのは悪魔の科学者アイノ・テラーと感情無き殺戮兵器。

 気がついたときには病院にいて、それも目が覚めると直ぐに仰々しい衣装を着せられて、講和条約と統合人類政府樹立の書類にサインさせられた。


 何が起こっていたのか理解したのは式典が終わった後だ。

 そんな状態の自分に、サブリのことまで気遣っていられる余裕などあるはずもなかった。

 それでも、もう少しましな未来だって得ることは出来たかも知れない――


「馬鹿な考えだわ」


 独り呟いて、妄想を振り払う。

 過去を変えることは出来ない。どんなに科学技術が発展したところで、人間が何か出来る瞬間は今しか無いのだ。


 ――デイン・ミッドフェルドの戦いで妙な動きをする〈音止〉が存在した。


 サブリから聞くまでそんな事実知りもしなかった。だが確かに、データ上では撃破者不明の〈ハーモニック〉が三十数機も存在していた。

 なるほど。サブリが疑う理由も得心いった。

 だがそんなものは疑わせておけば良い。どうせシイジは発見できないのだから。


「ロジーヌ」

「お呼びでしょうか、司令」


 短く名前を呼ぶと、扉を開けて執務室にロジーヌが入室した。

 会議へ向かうため資料の入った端末をロジーヌへ差し出すと、用件だけ伝える。


「先ほどの通信ですが通話相手としてよろしいものではありません。以降は取り次ぎはおろか、着信も禁止します。それとここの通信ネットワークに妙なものが仕込まれていないか検査するように手配しておいて。

 では、これから戦略会議に向かいます。会議室まで同行を」

「かしこまりました」


 ロジーヌは端末を受け取ると、2つ返事で了承して通信の設定変更とネットワーク検査の実施要求を行う。

 コゼットはそんなロジーヌを引き連れて、戦略会議の行われる会議室へと向かった。


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