第101話 拡張脳

 ユイが出て行ってからしばらくして病室に入ってきたのはタマキであった。

 トーコは頭が痛むのを堪えながらも、同時に押し寄せる強烈な眠気とも戦いながら、入り口の方へとなんとか視線を向けた。


 タマキは先ほどまでユイが座っていたキャスター付きの椅子に腰掛け、こちらが起きていることを確認すると大きくため息を吐く。

 開口一番怒られるものだとばかり考えていたので、それには拍子抜けした。


「怒らないんですか?」

「お生憎様。ユイさんに怒るなと厳しく言われてきたので」

「それで、いいんですか?」

「よくはないですけど、わたしだって怒らなくて済むなら怒りたくはありません」

「そうでしょうね」


 タマキはそういう人間だ。それでもユイに言われたからといってまるでお咎め無しと言うからには、何かしら条件を呑まされてのだろうとは察することが出来た。

 処置と引き替えに処置内容について秘匿したり、〈音止〉の改造と引き替えに1週間の休養を押し付けたり、ユイはそう言う所に関してはずる賢い。


「この部屋、隊長のおかげですか?」


 話題を切り替えて尋ねると、タマキは首をかしげた。

 言葉がたりなかったのだろうと、トーコは少しだけ付け足す。


「個室ですし、士官用ですよね。新米軍曹には普通使わせてくれません」

「ああそういうこと。手を回したことは事実です。兄と、衛生部の友人から。でも決定がされたのはそれとはそう関係もないでしょう」

「どういうことです?」


 問いかけると、タマキは嫌そうにしながらも答えた。


「あなたの行動の善し悪しはともかく、結果として〈ハーモニック〉33機撃破という大戦果をあげました。これは戦術の域を超えて、帝国軍の戦略決定にすら影響を与えかねない戦果です。

 しかしたった1人の兵士が上げた戦果としてはいささか過剰すぎます。あなたの存在が露呈すれば帝国軍は手を尽くして殺しに来るでしょう。

 事実を伏せ、あなたの存在を隠蔽するためにこうして隔離されたわけです」

「なるほど」


 説明されると納得できた。そういった事情であれば下士官に個室を与えることもあり得るだろう。事実、自分でも信じられないくらいの戦果を上げたのだ。

 でもタマキが本当に伝えたかったのは冒頭の「行動の善し悪しはともかく」の部分であろう。

 怒ることを止められているから、こうして地味に行動を批判しているのだ。怒られていないから反論することも出来ないし、こっちのほうが厄介だ。

 いたたまれないので早々にこの話題は止めにして、別の話を切り出す。


「さっきの話ですとお兄さんは無事だったんですね」

「ええ。しぶとい人です」

「総司令官はすぐにレイタムリットを放棄したと聞きましたが、追撃はなかったのですか?」

「追撃はありました。ですが上手いこと撤退させたようです」

「意外ですね」


 前線基地を放棄して撤退しているというのに、敵の追撃を追い払うことが出来るとは。余力を残して撤退した恩恵だろうか。にしても、全軍を撤退するとなればそうそう反撃部隊の用意まで手が回らないだろうに。

 そんなことをぼんやりする頭で考えていると、疑問に答えるようタマキが口を開く。


「総司令官閣下は山道に援軍を伏せていました。数にして20万。帝国軍の追撃部隊は5万程度でしたから、攻勢を中断して撤退するほかなかったようです」

「待って下さい。20万なんて援軍、どこから出てきたんです? そもそもそれだけ戦力があれば、レイタムリットを放棄する必要も無かったのでは? 反転攻勢で追撃部隊だって殲滅できたでしょう」


 その問いかけにはタマキは大きくため息をついた。


「仰るとおり。20万なんて援軍が存在するはず無かったんです」

「ではどうして?」

「ハリボテみたいなものです。非武装の〈R3〉を稼働だけさせて20万の援軍が居るように偽ったんですよ」

「そんな機体が突然沸いてくることもないですよね? 動かすのに人も必要です」

「わたしもそう思いました。ですが、機体は最初からレイタムリットの近くに用意されていたんです。人も、ハツキ島や大陸東部からの避難民に1週間ばかりの即席訓練だけ受けさせて何とかしたようです」

「その機体ってまさか――」


 20万機も〈R3〉が用意されている状況なんて普通では考えられない。

 それだけ稼働機体があれば統合軍は有効活用していたことだろう。それを使わず、捨て石同然の遅滞作戦に投入されたことから見るに、恐らくその機体はろくでもない機体だ。

 そして、そんなろくでもない機体ながら、大量生産されて在庫が余りまくった機体をトーコは1つだけ知っていた。


「そうです。〈ヘッダーン2・アサルト〉です」

「やっぱり……。でもコアユニット周波数で機種は――あ、ばれないのか」

「そこが上手いところです。〈ヘッダーン2・アサルト〉ははっきり言って欠陥機ですが、コアユニット設計だけは良かったので〈ヘッダーン3・アサルト〉にその基礎設計を引き継ぎました。

 最前線に〈ヘッダーン2・アサルト〉が配備されることは通常ではあり得ないので、良く似ているコアユニット周波数であれば〈ヘッダーン3・アサルト〉だと判別されます」


 欠陥機の〈ヘッダーン2・アサルト〉であれば帝国軍も何らかの偽装作戦だと見抜けただろうが、伏せた状態でコアユニット周波数のみを感知させれば〈ヘッダーン3・アサルト〉だと勘違いする。

 こちらは優秀な機体で、最新鋭機〈ヘッダーン4・アサルト〉が配備されて尚、サポートと予備部品の生産が続いている傑作機だ。それが20万も存在するとなれば、一時後退するのもやむ無しであろう。


「でも20万機もよく動きましたね。新品のまま保管庫に放り込まれていたんでしょうけど、それでも生産から何年も経っていますから」

「最低限起動だけするよう整備したようです。それでも何割かは起動しなかったそうですが、結果として20万機稼働しました。欠陥機でも、動作信頼性だけはヘッダーン社の面目躍如といったところでしょうか」

「直ぐばれそうですけどね」

「部隊を撤収させるのに十分な時間は稼げたのだからそれでいいのでしょう」


 一通り話をし終わるとタマキは一息ついた。

 トーコはそんな様子にいよいよ本題について触れるんだろうなとは思いつつも、気の利いた別の話題も無かったのでそれが切り出されるのを大人しく待った。


「さて、本題ですが――」


 前置きして、タマキは語り始める。


「拡張脳という危険きわまりない機構についてはユイさんから説明を受けました」

「危険だと決めつけるのは――」

「話は最後まで聞く」


 釘を刺され、仕方なく口をつぐむ。タマキは続けた。


「使用者に人間離れした認識能力と思考速度を与える。ただしそれ自体が危険を伴い、通常の人間の脳では耐えられない。

 拡張脳は実験中に偶然得られた、人間の脳の思考中枢と良く似た物質で、複製はおろか原理も構造も不明。劣化コピーすらまともに作り出せない。

 しかも使用者を選ぶようで、拡張脳との遺伝子一致率が高い人間でしか扱えない。

 ユイさんを含む技術研究所開発班は、訓練生を含めた全統合軍兵士の遺伝子情報を照合し拡張脳との一致率の高い人物を探した。

 彼女たちが設定した拡張脳を起動可能な遺伝子一致率は70%。これを上回る人間は、統合軍にたった1人。当時訓練生だったトーコ・レインウェルだけだった」


 それで私か。

 トーコは小さく呟く。

 それでユイの言っていた〈音止〉を起動できるのはお前だけだ、という言葉の意味が良く分かった。


「安全を期してハツキ島の砂丘地帯での起動実験を行うことを決定し〈音止〉を移送したが、そこで帝国軍の強襲揚陸という大問題が発生した。だが幸運にも、トーコ・レインウェルは〈音止〉の実験担当技術者ユイ・イハラと合流でき、ハツキ島を脱出した。

 ――と、ここまでがユイさんから説明を受けた内容の概略です。質問があればどうぞ」


 1つ気になったことがあり尋ねた。


「ハツキ島での起動実験を予想していたのに、直ぐに使わなかったのは何故?」

「技研は拡張脳の起動にあたり前提条件をつけていたそうです。

 いくら拡張脳の力を得られると言っても、使用者に装甲騎兵の操縦適性が無ければ何も出来ません。それどころか、拡張脳の能力を使い切れず機体を自壊させる恐れがあった。

 そこで技研が設定した条件は、操縦者の装甲騎兵操縦適性が統合軍に所属する全てのパイロットの中で上位0.3%に収まること。

 これは余談ですが、ユイさんの案では全宇宙で最上位の装甲騎兵操縦適性を持つことだったそうなので、技研案ではかなり緩くなっています」


 上位0.3%で緩いとはとんでもない基準だ。

 散々ユイが出来損ないだ、ど素人だ、新米だ、下手クソだと罵倒していた理由も分かってしまった。


 だけど結局、ユイは拡張脳の使用を許可した。

 でもそれは実力を認めたからでは無い。使わなかったら死ぬような状況だったから、奇跡的に正常動作する可能性に賭けたに過ぎない。

 そしてそれは半分くらいは上手くいって、半分くらいは失敗だった。

 トーコの脳は拡張脳を起動し使用することは出来たが、その情報量に耐えることは出来なかったのだから。


「もう1つ良いですか?」


 質問の許可を求めると、タマキは頷く。


「隊長の意見を聞かせて下さい。今後、拡張脳は使用すべきだと思いますか?」


 タマキは悩んだ素振りをみせて、それからゆっくりと声を発した。


「はっきり言います。わたしは、使う必要がないのなら使うべきでは無いと考えています。原理不明の上、使用者に過大なリスクが生じるのでは、兵器としては欠陥品と判断せざるを得ません。

 ですが、わたしはトーコさん。あなたに逆に尋ねたいのです。

 あなたは今後も拡張脳を使って戦う意思がありますか?」


 問いかけには即座に頷こうとした。

 でも首が動かなかったので、代わりに声を発する。


「はい。あります。

 確かにリスクはありますが、使いこなすことは不可能では無いと考えています」


 タマキはそれに今日一番大きなため息で答えた。


「あなたはそう答えるだろうとは思っていました。言っても聞いてはくれないのでしょうけど、忠告しておきます。

 戦闘中に意識不明になるような使い方は一切厳禁です。よろしいですね」


 今度は動かせる範囲で精一杯首を縦に振って答えた。


「はい。心得ています。今回みたいなことは起こしません。もう大丈夫ですから安心して下さい」


 タマキはため息交じりに答えながら立ち上がった。


「良いでしょう。あなたの言葉を信頼します。ユイさんにはわたしから伝えておきます。あなたは体を休めることだけ考えていて下さい」


 言い残してタマキは退室しようとしたが、その背中へと声を投げる。


「もう1つ」

「なんです」


 タマキは振り向くと同時に応じた。

 トーコは消え入りそうな声を精一杯張り上げて尋ねる。


「面会の予定は?」

「希望者は後を絶ちませんが許可は出しません。それまで話し相手はわたしとユイさんと、衛生部のスーゾ・レーヴィ中尉だけです」


 きっぱり断られたのだが、それでも諦めきれずに告げる。


「少しでいいのでナツコと話しを――」

「おやすみなさい。トーコさん」


 もうそれ以上答えるつもりはないようで、タマキは病室から出て行ってしまった。

 ――絶対怒ってる。

 分かりきっていたことだが、タマキはご立腹の様子だった。

 身動きのとれないトーコには為す術もなく、頭の痛みを堪えながら、押し寄せる眠気に身を預けるしかなかった。

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