第96話 〈音止〉起動

 雪崩のように邁進する帝国軍〈ハーモニック〉部隊。

 統合軍の誰もそれを止めることが出来ない。

 単体のスペックでは〈ハーモニック〉を上回るはずの〈音止〉に搭乗したトーコでさえ、それを素通りさせるほか策は無かった。


 健在な〈ハーモニック〉は57機。それが1つの生物のように寄り集まって進む様は壮観ですらあった。時折飛来するデイン・ミッドフェルド基地からの戦略砲撃すら、対空レーダーで着弾点を予想した〈ハーモニック〉はこともなげに回避する。


 トーコはそんな集団から距離をとりつつも注意を引きつけ、90ミリ砲の攻撃がある度にそれを回避していた。

 だけど、それも歩兵部隊が待避完了するまでのこと。それが終われば自分も待避しなければならない。でも、本当にそれでいいのか?


 トーコは不安でいっぱいになった。

 ここで待避したとして、その先はどうするのか。確かに今戦えば、間違いなく死者が出る。それも1人や2人では無い。部隊全滅の可能性すらあった。

 でも戦わなかったら生き残れるかというとそうでもない。基地を落とされ、行く当てを失い、荒野のど真ん中に取り残されてしまったら……。ツバキ小隊は短期戦闘用の装備しか持っていない。


「ねえユイ。コアユニットの出力なんだけど、100%は無理でも50くらいまで上げられない?」

「その議論は済んだはずだ」


 ユイはきっぱりと返した。それは確かだ。散々言い合って、それで無理だという結論に達したのだから。


「それでも、何もしないわけには行かない。今以上の機動力なら一撃離脱で攻撃し続けて時間を稼げるかも」

「だからそれを操縦しきれる能力がないって話だっただろう」


 話はそれで終わり、といった風だった。それでもユイも、敵軍を前に何も出来ないことに悔しさを感じているらしく、いつもより声が低く震えているのが分かった。

 トーコは意を決して最後の説得を試みた。


「私は、ナツコと約束した。

 ハツキ島を取り返すまで、ナツコを守るって。ここで戦わなかったら永遠にハツキ島は取り戻せなくなる。

 ユイだって友達と戦争のない平和な宇宙を約束したんでしょ。帝国軍が統合人類政府を降伏させて、それで戦争が無くなったら約束は守られたことになるの?」


 ユイは冷淡な声色で返す。


「なるわけがない」

「だったら、戦うべきだ。今この場所で〈ハーモニック〉と互角以上に渡り合えるのはこの機体しかいないでしょ」


 ユイは一瞬だけ言葉を詰まらせ、それでも応える。


「お前はあのクソガキとこうも約束していたはずだ。勝手に死のうとしないと。あの〈ハーモニック〉の集団と戦うのは、自殺行為以外の何物でも無い」

「分かってる。だから、力が欲しい。戦って、戦って、戦い抜いて、生き残るために!」


 返答をユイは鼻で笑った。トーコは「なによ」と折角かっこつけて言った台詞を笑われたことに腹を立てたが、お構いなしにユイは話し始める。


「認めよう。お前はボンクラ揃いの統合軍装甲騎兵パイロットの中じゃ十分に上澄みだ。だがな、それじゃあ駄目だ。その程度じゃ〈音止〉を操縦仕切れやしない。根本的に、常人の枠に収まっちまうようじゃ話にならない」

「それでも――」

「人の話は最後まで聞け」


 トーコの反論を一蹴し、ユイは続けた。


「1つだけ、方法がある」

「使おう」


 トーコは迷うこと無く即答した。しかし再度ユイが遮る。


「だから人の話を聞け。機能はある。だが正常に動作する保証は無い」

「調整はしたんだよね」

「やれることは全部やったさ」

「だったら問題無い。あんたはチビで口も悪いし性格も悪いしおおよそ人間の社会で生活できるとは思えないくらい人格が腐りきってるけど、それでも技術者としての腕は本物だから。あんたが調整したっていうなら、私は信じる」


 あまりに不要な前半部分にユイは顔をしかめた。

 しかし技術者としての腕を信じるという言葉には悪い気もしなかった。


「失敗したらただではすまない」

「失敗しない。大丈夫」

「愚かな考えだ。――だが、まあいいだろう。起動キーの下のコンソールボックスだ」


 ユイの言葉に、トーコは機体を後退させて〈ハーモニック〉の集団から距離をとると、急いでコンソールボックスを開けた。いつもならロックのかけられているそれだが、簡単に開いた。

 中には、起動スイッチと、コンソール内とケーブルで繋がった手で握れるサイズのグリップ。


「取っ手を持って真っ直ぐ引き出してこっちに渡せ」

「分かった」


 言われるがままに、グリップを掴み真っ直ぐ引き抜く。出てきたのは、湿っているのかぬらりとした光沢を放つ謎の材質で出来た長さ20センチ程度の針のような代物だった。


「何これ」

「おいバカ! 触ろうとするな! 全く信じられん! 一体何を考えてるんだお前は!」


 ちょっと触れようとしただけなのに罵倒され、トーコは表情をしかめながらも言われるがまま針には触れず、ケーブルを引き出しながらグリップをユイへ渡した。


「下を向け」

「操縦中だけど」

「いいから早くしろ」


 言われて、飛来した90ミリ砲を躱すと急いで下を向いた。


「体の力を抜け」

「操縦中――んんっ! な、なに!?」


 突然頭を押さえられたかと思うと、首筋に冷たいものを押し付けられた。一気に前身から力が抜け、直後に数回小刻みに体が震えた。

 うなじに違和感。コンソールから伸びたケーブルは、確かに首筋へと向かって伸びていた。


「まさかさっきの刺した?」

「刺した」

「嘘! 20センチくらいあったでしょ!」


 慌てて確認しようと首筋へ手を伸ばす。


「バカ! 触ろうとするな! 神経と一体化する有機ケーブルだ。何も問題は無い」

「は、はあ? 何よそれ」

「お前の脳と、〈音止〉に搭載されている拡張脳を繋いだ」


 言葉では何を言っているのか一瞬理解出来なかった。

 しかし、視覚でも聴覚でもなく、脳に直接『情報』が送り込まれて来る。


”二式宙間決戦兵器〈音止〉

 状態 : 待機 ”


「ちょっと待って、〈音止〉待機ってなってるけど」


 実際に〈音止〉は動いて、後退しながら時折飛来する砲弾を躱しているというのにどうして待機なのかと、受け取った情報を疑う。


「その情報は正しい。お前が操縦しているのは統合軍の〈I-K20〉にすぎない。言っただろう、〈音止〉は宇宙で最強の機体だ。そして、これを動かせるのはお前だけだ」


 〈音止〉はまだ起動すらしていなかったという事実。だがトーコはそれをすんなりと受け入れることが出来た。

 機体に対して過剰なほどの超高出力コアユニットに、それを全力駆動したとして尚持てあますような冷却装置。今まで一度も使用されたことのないセンサーも数知れず、これまで動かしてきたのは、機体のほんの一部の機能だったと言うのはさもありなんという話だ。


「〈音止〉を起動したら、何が出来る?」

「一度しか言わないからよく聞け。

 コアユニットを全力駆動させた場合でも機動力は4倍にはならない。瞬間的な反応速度は底上げされるが、それでも良くて2倍程度。〈音止〉の本質はそこではない。

 産み出された膨大なエネルギーによって、コアユニットと一体化した『拡張脳』が起動する。言ってみれば外付けの、超高性能な脳みそだ。

 これはお前の脳と有機ケーブルによって直接接続され、機体に装着したセンサから得られた情報を処理してお前に渡す。

 逆にお前は、拡張脳を介することで思考のみで機体の操作が可能になる。自分の体の一部のように、意のままに操れるだろう」


 ユイは早口でまくし立てるよう話したが、トーコはそれを理解出来た。

 ただ気がかりなことがあって、尋ねる。


「こんなのあるんだったら、どうして最初から使わなかったの?」

「リスクがある。そもそも正常起動可能か怪しいし、起動できたとして、お前の脳は至って普通の造りだ。拡張脳の扱う膨大な情報量に耐えられるようには出来ていない。脳が損傷を負う可能性が大きい」


 脳が損傷、という言葉にはトーコも迷った。

 それでも、「止めるなら今のうちだ」というユイの言葉を遮って応える。


「問題無い。ユイが調整したんだもの。だから大丈夫。やろう。〈音止〉なら、あの〈ハーモニック〉を足止め出来るんでしょ?」


 その問いにユイはかぶりを振って、不敵な笑みを浮かべた。


「足止めだと? 笑わせるな。〈音止〉は宇宙最強の機体だ。あの程度の数、殲滅可能だ」

「起動方法は? この起動スイッチ押せばいいの?」

「こっちで起動する。お前は操縦に集中して、一端フィーの援護が間に合う距離まで移動しろ」

「分かった」


 それは失敗の可能性を考慮しての事だったが、トーコは指示に従った。

 ユイは通信機を繋ぎ、タマキへと一方的に告げる。


「おいタマキ、聞こえているな」

『戦闘中にその口の利き方は――』

「それどころじゃない。こちらから話すことだけよく聞け」


 小言には付き合っていられないと、あろうことか隊長の言葉を遮ってユイは続ける。


「今から調整を忘れていた〈音止〉の機構について実地テストを行う。上手く行けばあの〈ハーモニック〉を殲滅可能だ。

 しかし上手く行かない可能性もある。その時はフィーにどんな手を使ってでもパイロットだけは回収しろと命じろ。こちらからは以上」


 タマキは何か叫んでいたが、ユイは一方的に通信を切った。


「もうちょっと説得のしようがあったんじゃない?」

「時間の無駄だ。それより準備は良いのか? まだ戻ることも出来る」

「愚かな考えだわ。準備は出来てる。早く始めて」

「愚かな奴め。だが度胸だけは認めてやろう。

 ――祈れ、備えろ。力を得る代償はそう安くはない」


 トーコは意識を操縦に集中した。

 その後ろでユイは〈音止〉の操作盤へ指を走らせ、幾重にもかけられたロックを解除。

 最終確認を求める表示が出たところで一呼吸置き、それから起動ボタンを叩いた。


 〈音止〉のコアユニット周囲に取り付けられていた制御棒が火薬の力によってはじき飛ばされ、露出されたコアが異様な光を放つ。同時に〈音止〉の装備する全ての冷却機構が立ち上がった。

 トーコの脳内に〈音止〉の起動シーケンスが直接情報として流れ込む。


”二式宙間決戦兵器〈音止〉

 起動最終確認

 全機構点検  : 正常

 冷却機構   : 正常稼働成功

 脳接続    : 確認

 拡張脳同調率 : 76% ―― 起動可能

 主動力機構  : 正常稼働 出力49%


 起動最終確認正常終了

 〈音止〉起動可能

 〈音止〉起動 : 是 / 否 …… ”


 最後に送り込まれた情報が、起動をするかいなか尋ねていることは理解出来た。

 トーコは迷うこと無く”是”を選択した。


”二式宙間決戦兵器〈音止〉

 全安全装置 : 解除

 主動力機構 : 全力稼働 出力99%

 拡張脳   : 起動

 …………全機構正常稼働確認

 ――〈音止〉起動 ”


 甲高い音が響き、〈音止〉のコアユニットから光の柱が立ち上がった。

 トーコの体感時間は無限と思えるほどに引き延ばされ、世界は色を失い、一面灰色に染まった。

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