第97話 灰色の時間

 頭にハンマーでも叩き付けられたのだと思った。

 でも直ぐにトーコは、叩き付けられたのが”情報”であることを理解した。


 〈音止〉のメインディスプレイでは無く、脳内に直接景色が映る。

 色彩を失った灰色の世界。そこで自分は全長7メートルを超える巨人として存在していた。

 体の動きは酷く鈍い。

 出力は上がっているはずなのにどうして? 問いかけると答えが送られてくる。

 動作はいつも以上に速い。ただ遅いと感じているだけだった。

 認識能力と思考速度が拡張脳によって人間の限界を超えるほど強化され、体感時間が引き延ばされているのだ。


 〈ハーモニック〉の集団は彼女の目の前を横切ろうとしていた。外側にいた3機が、〈音止〉の異常な出力を察知して90ミリ砲で攻撃を仕掛ける。

 発砲炎の1つ1つ。空気に溶けて消えていくまでの様子すらはっきりとらえていた。


 放たれた90ミリ徹甲弾。弾道予測線を確認しようとしたが、その必要も無かった。

 徹甲弾は宙をゆっくり進んでいるようで、即座に拡張脳はその軌道を計算し尽くした。

 環境情報と、センサーが得た情報、それに拡張脳に収められた弾道特性のデータから、徹甲弾の軌道を寸分違わずトレースする。


 更に拡張脳はその最適な回避軌道すら算出し、トーコはそれに従い機体を動かした。

 自分の体を動かすように。いや、自分の体よりも直感的に。〈音止〉は思った通り、考えた通りに動いてくれる。

 体感時間が引き延ばされているせいで動きは遅く、まるで重い液体の中を移動しているようだった。灰色の時間の中では全ての動作が遅くもどかしい。


 ほんの少し機体を動かしただけで90ミリ徹甲弾は擦ることも無く通り過ぎた。

 左手を前に突き出し、反撃の122ミリ砲を構える。

 〈ハーモニック〉は緊急後退をかけていた。緊急後退は移動パターンが予測しやすく、後退後に急な動作変更も出来ない。現在の移動速度・方向、機体にかかっている荷重分布、関節部分の微細な動きさえトレースしてしまえば――


 頭の中でトリガーを引ききった。

 色の失せた白い発砲炎が瞬くが音は聞こえない。

 放たれた122ミリ徹甲弾は吸い込まれるように――いや、〈ハーモニック〉の方が122ミリ徹甲弾の軌道上へと吸い寄せられるように移動して、その正面装甲を撃ち抜き破壊した。


 ――この機体なら、戦える。


 足を踏み出し、ブースターを全開にして突撃した。瞬間的な速度はいつもの2倍は出ている。それは〈ハーモニック〉の移動速度とは次元が違い、あっという間に距離を詰めていく。


 突如異質な行動をとった〈音止〉に対し、〈ハーモニック〉の集団は初めて前進速度を緩めた。

 突撃する〈音止〉を迎え撃つよう、包み込むように円弧を描く陣形へ転換。陣形変更と同時に、90ミリ砲が放たれた。微妙に間隔をずらしながらの、回避先を潰すような砲撃。

 それはよく統制され、芸術品のようですらあった。

 だがトーコはその全ての砲弾の軌道を完璧な精度で予測していた。


”回避可能”


 拡張脳は当然のようにそう告げる。トーコはブースターの出力を微細に調整し、スラスターによる制動も最大限活用し、〈音止〉の突撃を損なわぬよう最低限の動きで砲弾を回避し続ける。雪を巻き上げ、時には装甲騎兵ばなれした動作すらして、邁進する。


 ――体が重い、もっと軽く。


 回避は出来ても動作がいちいちもどかしい。

 そんなトーコの思考に応えるように拡張脳は提案する。その全てを承認し実行に移した。

 全ての爆発反応装甲を自爆させ切り離す。右腕の88ミリ砲、左腕サイドアームの55ミリ砲を投棄。対〈R3〉爆雷、25ミリガトリング砲も投棄。武器は122ミリ砲と、共振ブレード。強制パージのできなかった頭部の40ミリ砲だけになった。


 突如自爆した〈音止〉に対して、命中弾を出せたと〈ハーモニック〉たちは攻撃の手を緩めた。

 その隙を逃さず、トーコは陣形中央奥に位置し4機の〈ハーモニック〉に護衛されていた、大隊長機と思われる機体へと122ミリ砲を向け、回避不能となるタイミングでトリガーを引く。


 自爆による黒煙に包まれた〈音止〉から放たれた122ミリ徹甲弾は、護衛機の隙間を通り抜け、回避行動をとった大隊長機の正面装甲を撃ち抜きコクピットブロックを破壊した。


”警告 : 脳蓄積疲労 34%”


 脳内に警告メッセージが送り込まれた。

 自分の脳は拡張脳の扱う情報量に耐えられない。それは痛いほど良く分かっていた。

 起動した瞬間から頭は張り裂けそうで、使えば使うほどズキズキと痛む。

 押し寄せる吐き気を堪え、気を失わないように目を一杯に見開いていなければならなかった。

 頭の中は燃えるように熱く、汗が際限なくあふれ出てくる。

 ――それでも、戦うと決めたんだ。


 意識を無理矢理集中させ、自分を半円状に取り囲んでいる55機の〈ハーモニック〉を睨む。拡張脳は、直ぐに答えを出した。


”殲滅可能”


 拡張脳は容赦なく、しかし正確に、最適な軌道を示してくれた。

 それに従い砲弾を回避し尽くし、122ミリ砲が装填完了する度に攻撃に転じる。

 発砲の度〈ハーモニック〉は1機ずつ減っていったが、積載した砲弾が24発しか無かったことに気がつく。

 事もあろうに88ミリ砲は既に投棄してしまっていた。


 砲弾を節約しようと、脳負荷を無視して拡張脳に余分な演算を押し付け、1発で2機撃破出来るような軌道を算出させる。頭は痛み、吐き気は堪えきれないほどになったが、拡張脳はそのわずかな可能性しか無いような答えを出してくれた。


 それに従い機体を動作させるのに、極度の脳負荷から目眩がし意識を失いかけたが、それでも気力を振り絞って動作させ続け、計算通りに撃ち放った122ミリ砲弾は1機目の脇腹を貫通しコクピットブロックに致命的な損傷を与え、その余力でもってもう1機のコアユニットを半壊させた。


”警告 : 脳蓄積疲労 82%”


 しかしこの選択はあまり良い物では無かったと、トーコは後悔する。

 脳疲労が増えるばかりで、僅かな可能性を生み出すのに余分な操作が際限なく増える。効率的とは言えなかった。

 それきり同時多数撃破は諦め、それでも1発で1機撃破に加え、他の機体にも何らかの損傷が与えられるように122ミリ砲弾を放っていく。全て撃ち尽くす頃には、30機の〈ハーモニック〉を撃破していた。


 たった1機の装甲騎兵を撃破出来ず、多大な損害を受けた〈ハーモニック〉の集団は、残った機体を分散させて〈音止〉を取り囲むように陣形変更を始めた。

 122ミリ砲を投棄したのを見て距離をとれば一方的に攻撃可能だと考えたのだろう。

 しかし大隊長機を失い中隊長機も複数かけていた〈ハーモニック〉の集団は、当初の完璧に統制された軌道とは言いがたい、歪な陣形をとっていた。


”危険 : 脳蓄積疲労  97%

 警告 : 冷却機構負荷 91%”


 脳疲労を告げる警告は、遂にいつ停止してもおかしくない危険性を訴え始めた。

 トーコはもう感覚が麻痺していて、体が熱いのか冷たいのかすら分からなくなっていた。

 それでもトーコを突き動かしていたのは、拡張脳の算出した答えだ。


”殲滅可能”


 〈ハーモニック〉の残骸から共鳴刀を回収し、展開と同時に手近な機体へ投擲する。

 投射機を使うのではなく、左手に持ったそれを強引に投げつけた。瞬発力の強化された〈音止〉の投擲を敵機は回避出来ない。だが振動障壁がそれを防いだ。


 振動障壁は起動と同時に機体の動きを制限する。その隙にトーコは一気に機体を肉薄させ、左手で引き抜いた共振ブレードを振るう。

 袈裟斬りの1振りを敵機はすんでの所で回避した。それも計算の内。後退し回避した機体は振動障壁が復旧し、陽炎の如き揺らぎに覆われた。その瞬間、振り抜きかけていた共振ブレードを握り直し、真っ直ぐ突き立てる。

 共振ブレードが振動障壁と反応し、局所的に無限大の振動となって共振破壊を巻き起こした。装甲を完全に無視した一撃はコクピットブロックを貫く。


 救援に入るつもりだったのか、2機の〈ハーモニック〉が接近戦を仕掛けてきた。

 右手には共鳴刀。こちらも防御を無視する近接武器だが、既に爆発反応装甲を捨てたもとより軽装甲な〈音止〉にとってはそんな機能あってもなくても変わらなかった。


 90ミリ砲の援護を受けて、2機の〈ハーモニック〉が突撃してくる。

 

 ――〈音止〉に近接戦闘を挑むなんて、なんて愚かなのだろう。

 

 トーコは拡張脳を介して、〈音止〉の特性を十分に把握していた。

 瞬間的な超高機動力。拡張脳が可能にする人間の如く複雑な動き。

 これは近接戦闘において、最も効果を発揮する。


 90ミリ砲の攻撃をいなし、接近する機体の動作を見極める。

 横薙ぎに震われた共鳴刀の一撃を上体を反らして回避し、もう1機が至近距離で放った90ミリ砲の攻撃を緊急後退で避ける。


 緊急後退の勢いを、左足を踏み込み、滑らせ、弧を描くようにして受け流すと共振ブレードを共鳴刀を構えていた機体へ向けて投擲。ブレードは正面装甲に突きたった。


 仲間の死を前にしても、〈音止〉が武器を失ったのを見て好機と思ったのか、90ミリ砲を構えていた機体はそれを投棄し、右手に共鳴刀を構え突撃を仕掛けた。


 機械的で単純な、装甲騎兵らしい突撃。

 〈音止〉は武器を失っていたが、それでも1対1で負けるはずは無かった。

 愚直に震われた共振刀の一撃を後ろに飛び退いて回避。


”最終警告 : 脳蓄積疲労99%”


 目の前の敵よりも、自分の脳を苦しめる拡張脳による負荷のほうがトーコにとっては厄介だった。

 ――それでも、1機でも多く仕留める。


 敵機は共鳴刀を横薙ぎに振るった。

 トーコはそれをかがみ込みくぐるように回避。雪原に左手をつくとそこを起点に機体を反転させ、後ろ蹴りを敵正面装甲へ叩き込んだ。

 爆発反応装甲が起爆するが構うこと無く足を押し付け、脳内でトリガーを叩きアンカースパイクを作動。射出された杭は正面装甲を撃ち抜く。

 破損したアンカースパイクを破棄。足を引き抜き、立ち上がる。


 まだ〈ハーモニック〉は20機ばかり残っている。

 拡張脳は算出した答えを提示し続けていた。


”殲滅可能”


それを信じて、飛来する90ミリ砲弾を回避しつくし次の攻撃の手段を算出させる。

 だが〈音止〉は戦えても、パイロットのトーコは限界を超えていた。


”緊急停止 : 脳蓄積疲労101%”


 ――まだ、まだ戦える。

 トーコは頭の中でそう叫び続けていた。

 しかし色を失っていた世界は一面真っ赤に染まり、それが最初から赤だったのか、それとも本当は黒だったのか分からぬまま、目の前は真っ暗になり、同時にトーコの意識も闇の中へと沈んでいった。

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