灰色の時間

第86話 冷やし中華お待たせしました!

「冷やし中華お待たせしました!」


 威勢の良い声と共に、お盆にのせられた”冷やし中華”が運ばれてくる。

 声の主、ナツコ・ハツキは小柄な少女で、あまり目立つような容姿ではなくどちらかというと地味なタイプであったが、短い黒髪を後ろで2つおさげにしているのが特徴で、「これを切ったら誰だか分からなくなる」と本人も自覚しているほど、ぴょこぴょこと動くおさげは良い目印になっていた。


 冷やし中華はそんなナツコの得意料理で、故郷のハツキ島にある中華料理店で働いていた際に、古代文献を調査して地球時代の本当のレシピを再発見。

 一躍有名となった冷やし中華は経営の傾きかけた中華料理店を若干持ち直してしまうほどで、ナツコは大将(店長)から多大な感謝をされ、それを誇りに思っていた。


 そんな料理をどうして突然作り始めたかというと、ナツコの所属するハツキ島義勇軍ツバキ小隊に置いて、ながらく命令無視の罰として特別雑用係を任命されていたトーコ・レインウェルがその任期を満了し無事に解放されたお祝い、というのが半分。

 もう半分は、トーコにハツキ島の人気料理を味わって貰いたいというナツコの思いがあったこと。

 ツバキ小隊の隊長を任されたタマキ・ニシ少尉はそういった隊員の気持ちをくみ取って特別に、小さな談話室の貸し切りと、食材の調達、食堂の一部使用許可を取り付けた。


 冷やし中華はナツコと、その手伝いをするツバキ小隊副隊長、サネルマ・ベリクヴィストの手によって着席して待つ隊員達の前へと次々に運ばれてきた。

 トーコは初めて見る冷やし中華を不安そうな目で眺め、向かいに座る整備士の少女、ユイ・イハラは出てきたそれを活力のない濁った瞳で睨み付けた。


「これが、冷やし中華?」

「はい! そうです!」


 トーコの問いかけにナツコは自信満々に答えるが、ユイは納得しない。


「あたしの知ってる冷やし中華と違う」


 ユイは手にしたフォークでそば粉と卵を練り込んで作られた冷やし中華の麺を持ち上げて、こんなんじゃなかったと呟く。


「それはですね! これまで冷やし中華と伝えられてきた料理は実際は全く別のものだったんですよ! 今ここにあるのは、地球時代の冷やし中華を完全再現したものなんです!」

「少なくともあたしゃメロンの乗った中華料理の存在を知らん。うちの星じゃスイカだった」


 フォークを器用に使って添えられたメロンに鶏ガラスープがかからないよう救出したユイは取り皿にそれを待避させ、「一緒に食べると美味しいですよ!」と言われても聞く耳を持たなかった。


「へー、ユイちゃんは何処の星で冷やし中華食べたんだ?」


 〈R3〉整備士のイスラ・アスケーグが尋ねると、ユイはつまらなそうにしながらも答える。


「アクアメイズの近くの工業人工衛星。籠もりきりになるとよく出前を頼んだ」

「アクアメイズね」


 タマキはユイの口から出てきた地名を復唱する。

 アクアメイズは前大戦の英雄、ユイ・イハラ提督の出身地として知られる惑星だ。ユイ・イハラというそのままの名前を偽名として使用しているユイがわざわざそんな地名を語るとは、全く手が込んでるとタマキも呆れすぎて逆に感心した。


「食べてみたら絶対気に入りますよ! なんたって、地球時代のグルメですからね!」


 ユイは「どうだか」と大して期待することもなく冷やし中華に手をつけた。

 食事の合図がされると、他の隊員も冷やし中華を食べ始める。


「ほうれん草のごま和えと芋のミスマッチ加減が酷いですわ。折角冷やしているのですから、もう少しさっぱりしたもので統一できませんの?」


 イスラの妹であり、整備士兼変態〈R3〉コレクターのカリラが率直な感想を述べると、イスラもそれに賛同した。


「そうそう。合成肉のハムとか、キュウリとか。そう考えるとユイちゃんのスイカ案も悪くない」

「ちょっとちょっと! カリラさんもイスラさんも、地球時代のレシピに文句つけないで下さいよ!」


 ナツコにとっては古代文献を調べて見つけ出した完全再現レシピの上に、更に試行錯誤を繰り返して辿り着いた味のバランスなのだ。他のいかなることでもそうそうむきになったりしないナツコだが、冷やし中華のことについては別だ。

 ナツコは自分が地球時代の冷やし中華レシピについての第1人者であると誇っていた。


「ね、美味しいですよね! トーコさん!」

「うん。美味しいよ」

「クソまずい保存食を美味しいっつってるお前が言ってもあてにならん」

「む。何、私が何を美味しいって言おうと勝手でしょ」


 味覚音痴を指摘されたトーコはユイに噛みついたが、ユイはそんなの知った風ではなく、黙々と冷やし中華に手をつける。

 そんな傍らではサネルマがこっそり、持ち込んでいた調味料を冷やし中華に注いでいた。


「ところでこのにがしょっぱいのは何だ」


 ユイが1口囓って吐き戻したペースト状の物体をナツコに突きつけると、「戻さないで下さいよ」とは言いながらも律儀に答えた。


「それはモールブーチのペーストです」

「モールブーチって何だよ」

「トトミ星原産の海洋ほ乳類の肝です。珍味として有名で――」

「なんで地球時代の料理にトトミ原産の材料が混じってんだ」

「そ、それは! アレンジって奴です!」

「じゃあ完全再現じゃねーじゃねえか」

「な、な、なんてことを! ああ言えばこういう! 全くもう!」

「事実を述べただけだ」

「そんな程度じゃ、冷やし中華学会の入会は認められませんからね!!」


 いよいよ何だかよくわからない怒りかたをし始めたナツコを、トーコはなだめて席に座らせて、「私は好きだよ」と適当言って機嫌をとってフォークを手渡し食事するよう勧めた。

 ナツコはまだユイに対して不満げな視線を向けてはいたが、そのユイに対してタマキが問いかける。


「珍しいですね。あなたがそんなに他人に対して食いつくなんて」

「別に。冷やし中華にちょっとした思い入れがあっただけだ」

「それは是非聞かせて欲しいわ」


 タマキは微笑んで視線を向けると、ユイはうんざりした様子で口元を引きつらせた。

 それでも律儀に、言葉を紡ぎ始める。


「――あたしの昔働いてた工業人工衛星には人工的に調整された四季があって、夏場は暑いからよく冷やし中華の出前を取った。

 あるときロボットの設計の最終段階で徹夜してなんとか完成させたんだが、翌日顔を出した同僚にロボットの名前をどうするか尋ねた。

 しかしそいつらときたら仕事のことなんかまるで頭になくて、昼飯の出前の話だと勘違いして口々に「冷やし中華がいい」って言うもんだから、頭にきて〈冷やし中華〉で申請出したら当時の上司が「他では見たことのない斬新なアイデアだから採用」とかのたまってそのまま通された。

 なんて、下らない思い出話だよ」


 ユイの思い出話には隊員の何人から笑いが漏れ、尋ねたタマキも「そんなこと許されるのか」と若干引き気味の表情を浮かべた。


「とんでもない上司ですね」

「あたしの知ってる中じゃ最高の上司だった。今のボンクラ上司とは比べるのも失礼なくらいには」

「罰が欲しいならそう言ったらよろしい。丁度、これまでトーコさんに投げていた仕事がいく先を失って困っていたところです」


 その言葉にはトーコがユイへと「謝った方がいいんじゃない」と耳打ちする程度には恐ろしさがあったのだが、ユイは聞く耳を持たない。


「聞きたいと言うから話してやった思い出話に難癖をつけるからだ。少なくとも言えることは、これよりかはずっと、当時食べた冷やし中華の方が美味かったってこった」

「なんてことを!!」


 ナツコは勢いよく椅子から立ち上がり、勢いの余り机に膝をぶつけ、痛みのあまり飛び跳ねようとしたが、飛び跳ねたらまた何処かしらぶつけそうだからとトーコが押さえつけた。


「う、うう。ありがとうございますトーコさん」

「危ないから気を付けて」


 飛び跳ねるなとは言わずトーコはナツコの体を放し、解放されたナツコは涙目になってぶつけた膝を押さえながらしばらくぴょんぴょん跳ね回った。

 それから痛みが引くと、ユイへ向けて真っ直ぐ指を指し、宣戦布告する。


「そ、そこまで言うなら、ユイさんの知っている冷やし中華、私に食べさせて下さい! 冷やし中華学会学会長として、負けるわけにはいきません!」

「お前が学会長なのか……。悪いが食べたことはあっても作り方は知らん」

「む、つまり負けを認めるというわけですね! ふふふん」


 何故か勝ち誇った表情のナツコに対して、ユイは無視を決め込もうともしたが、あまりにその表情が腹立たしかったものだから、挑発に乗った。


「当時使用人をしてた女がトトミに来てる。再会できたらそいつに作らせてやる」

「約束ですよ! 絶対ですからね!」


 未だ憤慨するナツコをトーコはなだめて席に座らせ、ひとまずその場は収まった。

 そんなやりとりのことなど露知らず、黙々と冷やし中華を食していた元大学生のリル・ムニエは、全て食べ終わるとフォークを置いて、誰にも聞こえないよう小さく感想を呟く。


「微妙」

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