第85話 〈音止〉出撃⑪

「入って大人しくしてろだとさ」


 〈音止〉から降りたトーコは、ユイに連れられて工場内にあった用具倉庫へと押し込められた。

 わずか2メートル四方の小さな倉庫で、鉄格子のかかった小窓が1つ。

 暖房も届かず、小窓からは外の空気が入ってきて肌寒い。

 それでもトーコは倉庫の奥へと歩いて行き、その場で座り込むと石壁に背を預けた。


「愚かなことをしてくれた。言っとくが〈音止〉はお前の棺桶じゃない。半人前のくせに勝手なことをするな」


 ユイのとげとげしい言葉にも、トーコは「うん」と小さく頷くばかりだ。


「あたしゃお前に死なれたら困る。お前には、これからも〈音止〉で戦ってもらう」

「……〈音止〉さえ動かせれば誰でも良いんでしょ」

「動かせればな。だがあれを動かせるのは、宇宙でただ1人お前だけだ」

「半人前でド下手クソの新米なのに?」

「今はそうだとしても人は変わる。だから強くなれ。それまではあたし達が守ってやる。〈音止〉の力は戦って死ぬためのものじゃない。戦って生き残るためのものだ。強くなるまで、生き残って見せろ。それが出来りゃ、お前も1人前だ」


 ユイの言葉に、トーコは夢で見たあの台詞を思い出す。


 ――戦って戦って、戦い抜いて、生き残ってやる。


 多分自分とは違う誰かのそんな言葉が胸に響く。

 戦争に負けたら死ぬしかない。だから、戦って死んでやる。トーコはずっとそう思っていた。

 自分には家族もいない。良くしてくれたレインウェル基地の人達も皆ハツキ島で死んだ。

 それでも生き残って、何があるというのか。


「――ユイは……ユイは何のために生きているの?」


 問いかけに、ユイは不機嫌そうに鼻を鳴らして、眉根を寄せながらも質問に対する答えを口にする。


「戦争のない平和な宇宙のため」


 不機嫌そうな顔でそんなことを言うものだから、おかしくなってトーコはふきだしてしまった。それでも反省中の身分で笑い声を上げるわけにはいかないので口元を押さえて必死に堪える。


「何がおかしい」

「だって、ユイらしくないことを言うから。戦争のない平和な世界なんてのは、夢とか空想の世界でしか存在し得ないものでしょ」


 尚も表情を緩めるトーコに向けて、ユイは羽織っていたコートを脱いで投げつけると、用具倉庫の1つしかない扉へと歩きながら小さな声で呟いた。


「それでも、友人と約束したんだ」


 言い残して退室しようとするユイ。トーコはどうしても聞いておかなければいけないことがあって、その背中へと声を投げる。


「ユイ。私の両親のこと、何を知ってるの」

「知るか」

「でも――」


 あの時、ユイは何か知っているようだった。


「お前の態度が気にくわなかっただけだ」


 出かけた声を遮るよう、ユイは捨て台詞のように言い放って、乱暴に金属製の扉を閉めた。

 1人になったトーコは、投げつけられたコートを羽織う。子供用のコートは小さかったが、それでも何かにくるまってなければ寒くてたまらなかった。

 扉に鍵はかかっていないが、外に出る気にはなれなかった。

 これは罰だ。命令無視をやらかして、ツバキ小隊を危険な目に遭わせた罰。

 レインウェル基地に居場所を失い、今度は――


 トーコは考えれば考えるほど自分のことが嫌いになった。

 どうしてこんなことになってしまったのか。

 ユイは戦争のない平和な世界のため生きると言った。

 ……でも自分は?

 自分は何のために生きて、何のために戦うのか。それがさっぱり分からなくなってしまった。

 頭を悩ませ考えようとするが、寝不足と戦闘の疲れが同時に押し寄せて来て、そのまま眠ってしまった。


          ◇    ◇    ◇


 金属の扉を叩く音が、用具倉庫に響いた。

 トーコが音に目を覚ますと、暗かった倉庫に鉄格子の隙間から日が差し込んでいる。

 どうやら夜は明けたらしい。

 立て付けの悪い扉は気味の悪い音を立てながら開いて、用具倉庫にナツコが入ってきた。


「トーコさんお休み中でしたか? 朝ご飯、持ってきました」


 ナツコはそう言って、保存食料とコーヒーの載ったお盆を運ぶ。


「ありがと」


 それ以外、何を言ったら良いのか分からなくて、トーコはそれだけ小さく声を出した。

 ナツコはトーコの目の前にお盆を置く。

 しかし、置いてもそこから立ち去ろうとしない。

 何か言いたいのだろうということはトーコにも分かっていた。

 せめて自分から声をかけないとと、トーコは言葉を探し、結局出てきたのは謝罪の言葉だけだった。

 謝ろうと顔を上げた途端、ナツコが飛びかかってきた。


「ちょっと――」


 トーコは最初殴られたのだと思った。自分は殴られても仕方のないことをしたのだから。

 でもそうじゃなくて、飛びかかったナツコは、トーコに覆い被さるように腕を背中にまわしてぎゅっと抱きついていた。

 トーコの耳元で、ナツコが言葉をかける。


「――トーコさん。私、怒ってます」

「うん」


 怒られて当然だ。頷くと、ナツコは続ける。


「トーコさんが誰にも愛されなかったって言うなら、私がその分、トーコさんを愛してあげます! だからっ――だから、孤児院で育ったから死んでも誰も悲しまないなんて、悲しいことはもう言わないで下さい」


 ぎゅっと抱きつくナツコの肩に、トーコは自分の額を預けて、泣き出しそうな彼女に謝る。


「ごめん。私、あなたを傷つけるようなことを言ってしまって――」

「謝らなくて良いです。だから約束して下さい」

「――うん。約束する」

「はい。絶対ですからね」


 ナツコはトーコから離れると、一歩下がって微笑む。

 その笑顔はトーコにとってはあまりに眩しかったが、それでも真っ直ぐに見据える。


「今日からトーコさんは、私のお姉ちゃんです」

「うん。いいよ」

「お姉ちゃんは妹の言うことを何でも聞いてあげないといけないんです」

「ちょっと待って」


 逆じゃないかとトーコは抗議を試みたが、ナツコは譲らない。


「駄目です。タマキ隊長のお兄さんだって妹の言うことはどんなことでもきいてくれます」

「あれは駄目な例だからお手本にするのは……」


 カサネは典型的なシスコンで、あんな家族関係を例にとってはいけない。

 それでもナツコは有無を言わさず話を進めた。


「トーコさんはもう勝手に死のうとしたらいけません。

 ツバキ小隊として、ハツキ島を取り返すんです。

 トーコさんにとっては嫌な思い出のある場所かも知れませんけど、私が育った故郷をトーコさんにも見て欲しいんです。

 だから、それまで、私のことを守って下さい。約束ですからね」


 約束。

 ユイは友人と、戦争のない平和な宇宙を約束した。

 私は――この約束を取り交わしていいのだろうか?

 一瞬悩んだ。でも、ユイが交わした約束を思い出すと、自然と受け入れていた。


「分かった。約束する」

「はい。よろしくお願いしますね!」


 ナツコが左手を差し出すので、トーコも左手を出してそれを握る。

 2人とも左利きで、黒い髪で、濃い灰色の瞳。

 育った場所は違うはずなのに、本当の姉妹みたいだった。


「タマキ隊長には上手く言っておきますから、安心して下さい!

 大丈夫ですよ。私も前に命令無視したことありますけど、その時も見逃して貰えたんです!」


 それはどうなのだろう。

 トーコは疑問に思ったが口には出せず、会釈して用具倉庫を飛び出していくナツコを見送るほかなかった。


 ハツキ島を取り返すまでナツコを守る。

 気の迷いで、荒唐無稽な約束を交わしてしまった。

 ユイも、友人と約束を交わしたとき、こんな気持ちだったのだろうか。


 馬鹿な約束をしたとは思うが、後悔はしてない。

 強くならないと。

 トーコはこれまで以上にそう思った。

 約束を果たすために、ナツコも、ツバキ小隊の皆も守り切れるように、強くならないと。ユイを見返してやれるくらい、強く。

 そのために、生き残らないといけない。

 ようやくトーコにも、生きている理由が見つかった。


          ◇    ◇    ◇


 用具倉庫には時計がなく、下士官用端末をタマキに取り上げられていたトーコは時間が分からなかった。

 それでも鉄格子突きの窓から差し込む日の傾きを見て、そろそろお昼だろうかと考えていたら、金属製の扉が叩かれた。

 短く2つ。ツバキ小隊隊長、タマキのものだ。


「失礼します。少しは頭が冷めましたか?」


 トーコは頷いて、それから口を開く。


「あの――」


 だが、喋ろうとするとタマキは手を突き出してそれを制止した。


「あなたに決定事項を伝えに来ました。あなたの意見も弁明も聞くつもりはありません。そのまま黙ってわたしの話を聞いて、理解出来たら頷いてくれたらよろしい」


 トーコは他に為す術もなく頷く。


「よろしい。まず最初に、事実確認をしておきます。トーコ・レインウェル軍曹。あなたは作戦行動中、隊長であるわたしの指示に背いた。間違いありませんね」


 トーコが頷いて返すと、タマキは満足げに続けた。


「よろしい。軍において命令無視というのはあってはならないことです。本来なら除隊させ、後方の懲罰部隊送りにするところですが、これはわたしもつい先ほど知らされたことですが、ハツキ島義勇軍ツバキ小隊の独自規則において、統合軍から派遣された監察官たるわたしには人事権は一切存在しないそうです」


 その言葉にはトーコも首をかしげる。

 義勇軍とは言え、そんなことがありえるのか。

 でも、多分ツバキ小隊の隊員達が、適当な規則をでっち上げたのだろうと納得して、小さく首を縦に振った。


「曰く、ハツキ島出身で、ハツキ島奪還のために戦う意思があるのならば、隊長と言えどそれを除隊させる権限はないと」

「ですが――」


 意見をしようとしたが、再度制止された。


「口は開かなくて結構。

 あなたの身元について、ハツキ島出身であるナツコ・ハツキが自分の姉妹だと主張しています。確認したいのですがハツキ島政府はハツキ島が帝国軍によって占領された際に解散されておりそれは不可能です。

 ハツキ島区役所に勤務経験のある隊員に尋ねましたが、確かに2人は姉妹だとの意見です。

 そこで確認させて下さい。あなたは、ハツキ島奪還のために戦う意思はありますか?」


 その問いには、トーコはしっかりと頷いた。

 タマキはため息半分、その答えに満足したようだった。


「よろしい。でしたらあなたを除隊させることはわたしには出来ません。あなたにはこれからもハツキ島奪還のために戦って頂きます。

 ですが、命令無視に対しては適切な罰を与えるつもりなのでその点は肝に銘じておくように。そして、2度と下らない裁定のために隊長の休憩時間を奪うようなことがないように。よろしいですね」


 2つ目はタマキの個人的都合だろうとは思いつつもトーコは頷く。

 それで話は終わりだと、タマキは後ろ手に金属製の扉を開けた。


「大変よろしい。では、デイン・ミッドフェルド基地へ移動するので準備をお願いします」


 そのまま立ち去るタマキの背中に、トーコは最後声を投げかける。


「ご迷惑おかけしました」


 それでもタマキは聞こえないふりをして、その場を立ち去った。

 トーコは羽織っていたユイのコートを持って、腰を上げる。ずっと座ったままだったので立ち上がると体がぎくしゃくしていて、ふらふらしながらも何とか扉まで歩く。


「ようトーコちゃん、さっきのタマちゃんの様子だと後送は免れたようだな」


 何故か機嫌良くイスラがやってきてトーコへと声をかける。

 トーコは固まっていた体を無理矢理伸ばして何事もなかったかのよう振る舞って歩く。


「どうも、おかげさまで」

「良いって事よ。ナツコの妹なら、あたしとも家族みたいなもんさ」

「あれ? 私が妹なの?」


 聞いた話では姉と言うことだったのだが、どこかで取り違えられていたらしい。

 ナツコ曰く、姉は妹の言うことを何でも聞かないといけないそうなので、妹のほうがありがたいと言えばありがたい。


「細かいことはいいんだよ。それより、これからもよろしく頼むぜ」

「こちらこそよろしく」


 イスラは大きく笑ってトーコと無理矢理肩を組んだ。

 まだ体が固かったトーコは突然肩を組まれて焦ったが、イスラはそんなことまるで知った風ではなかった。

 でも、トーコへと顔を寄せると小さく呟く。


「――1つだけ忠告。今回は大目に見るが、次にうちの名誉隊長を泣かせたりしたらたたじゃおかないからな」


 小さな声だったが、それは冷たく、威圧的な声だった。

 トーコは肩を組んだまま、頷いて返す。


「分かってる。もうナツコを泣かせたりしない。そのために私も、強くなるから」


 真剣なその答えに、イスラは組んでいた肩をといて大袈裟にトーコの肩を叩いた。


「分かってくれればそれでいいのさ。ま、しばらくはタマちゃんの罰とやらで忙しいだろうが、そこまで大したことじゃないだろうさ。あたしの命令無視の時も掃除くらいのもんだったしな」


 イスラも命令無視の前科があったと知ってトーコはこの部隊は本当に大丈夫だろうかと危機を感じたが、晴れてその命令無視仲間に名前を連ねてしまった以上、何も言えない。


「本当はしっかり叱って欲しいんだけど、あの隊長じゃそれは望めないだろうね」

「我らがタマちゃんは自分の仕事が増えるようなことはしないのさ。素晴らしい隊長じゃないか」

「そうだね。ホント、素晴らしい人」


 自分の仕事が増えるようなことはしない。

 そのはずなのに、どう考えても厄介者でしかないトーコを抱え込んで、手放そうとしない。

 もしかしたらユイよりも、あの人の方が何を考えているのか分からないかも知れない。

 考えてもみたがそれはあまりに失礼な考えだと思うに至って、首を横に振ってあらぬ考えを振りほどくと、イスラに1つ頼み事をした。


「ねえイスラ。皆に謝りたいんだけど、何処にいるか教えて貰って良い?」

「もちろんさ。イスラ姉さんに任せとけ」

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