第6話 イワナ岬で浦島太郎

 海洋都市ハヌーンから北東に向かって約二時間。上空に浮かぶ雲を泳ぐ様にして渡りながら、雲の垣間に見える景色を見て位置を確認しつつ、今日一日起きた事を思い出していた。

「そろそろ、日が沈むね?ヴァーユ」

『野宿だけど、いいかなぁ』

 最初の予定では、ハヌーンに宿を取って、ゆっくりと町を見学するつもりだったが、トラブル続きで急遽変更。物騒な黒魔導士やら派手な女性の乱入のお陰で、全てお流れだ。

「火をおこさなくちゃ成らないよね?焚き火は野宿の必需品だし」

『寒くはないと思うよ?ツルギが僕にくるまって眠ればいいんだから』

「うん。お願いするかも。……でも、火は必要だよ?イワナ岬に着いたら、暖も取らなきゃ成らないし、第一貝と魚取って、焼いて食べるんだから」

『……そうだね』

 非常食料やら、衣類やらを失った現在、食料は自給自足をしなければ成らない。魚を多めに取って、燻製を作っておこうと思う。

 色々考える内に、最低でも二日はイワナ岬に留まらなければ成らないと思う。

 そこまでぶつぶつ考えながら、ふと顔を上げると、ヴァーユの表情が曇っているのに気付き、少し考える。

「……もしかして、生き物をどうこうするのって、苦手?」

 ヴァーユたち風蛇龍は、大気を生活の糧とする。風に乗り、全身で空を感じて大気中の自然の“気”を体内に取り込む事により、自身を生かしているのだ。

『……生き物の、悲鳴が聞こえるんだ』

 遠慮がちにそう告げたヴァーユに、つるぎは苦笑すると、提案した。

「…………じゃあ、その悲鳴が聞こえなくて、わたしが食べれそうな物を探してきてくれる?」

 すると、ヴァーユは途端に元気になる。

『うんっ! 僕、僕ね、頑張って沢山探してくるっ!』

「楽しみにしている。……そうね、わたしはヴァーユが食べ物探してきてくれてる間、貝殻拾いしていようかな」

『貝殻拾い、ぼくと一緒にするって、言った』

 ヴァーユの拗ねた様な口調に、つるぎは小さく吹き出すと、ぎゅっとヴァーユの首を抱き締める。

「そうだったね。それじゃあ、薪拾いでもしている。それで、どう?」

『うん! ツルギ、いっぱい、いっぱい薪、拾ってねっ!』

 嬉しそうに同意するヴァーユを可愛く思いながら、クスクス笑ってヴァーユの毛足の長い水色の毛皮に顔を埋める。

 ヴァーユは高度を緩やかに下げて飛行し始めた。イワナ岬がチラチラ見えてきたからである。そうして、そう時が経過する間もなく、ゴツゴツした岩が連なるイワナ岬にたどり着く。雨風が凌げて、暖の取りやすい安全な場所を確保すると、それぞれ一時、別行動を取った。ヴァーユはつるぎの食料探しにイワナ岬からそう離れていない森へ、つるぎも薪拾いに森へ行こうと思ったが、夕闇に紛れての薪拾いは少々怖かったので、浜辺に下りて薪に成りそうな物を探す事にした。

 そこで、つるぎは奇妙な物に遭遇する。



 沢山の人々の騒ぎ声と、微かに聞こえる馬の嘶き。つるぎは、人々の様子から見て、直接声をかけるのに躊躇った。見るからに、“荒くれ者に育ちました”と言えそうな風体で、こんな時間帯に顔でも見せればただで済そうには思えなかったのだ。それに、昼間ドタバタしたばかりだった。成るべく安全圏に身を置いておきたいと思うのは仕方ない。

 何がそうご機嫌なのか、酒盛りまでしていた。赤ら顔で、いかつい顔が歪みきっている。 つるぎは、初めその場を無視して帰ろうと思ったが、何かが興味を引いた。フワッとした青い光り。海を渡る潮の香りに乗って、流れてくる。つるぎはその青い光りの襞を目で追い……人々に会わない様に気を付けながら、そっと…そーっと、その場を覗き込んでみた。 そこに、真っ青な子馬が、怯えて嘶いていた。その細い首には、縄が括られていて、見ているだけで痛そうである。

(……どこか、変。だけど、奇麗だ)

 とても変わった子馬だった。全身がサファイヤの様な光沢の鱗に覆われ、背には魚の背鰭に似た鬣がある。

 エメラルドの奇麗な目が涙で潤んで、見ているだけで切なくなる様な哀しい表情をしていた。つるぎは、自分が隠れている事を忘れて、物陰からひょっこり顔を除かせた。

「……なーにを、騒いでいるんだろうね、おいちゃんたち」

 そーっと辺りを見渡して安全確認をしながら、一歩、その子馬の方へ近づいた。子馬はというと、益々怯えた様に嘶く。だが、先程から嘶いていたせいで、別に関心をこちらへ向けるという事は無い。時々「うるさいぞ」とでも言わないばかりに酒瓶が飛んできた。

 つるぎは口許に指をたてて「シーッ!」と言った。そして、蹴られるほどの距離ではない、ぎりぎりまで近づくと、正面に座り慰めるために、囁くような小さな声で歌いだした。


“ 花開く丘の向こうに、

 虹の架け橋がかかった。

  緑の揺れる草原に、

 雲雀の歌声が舞い上がる。

  花の丘の向こうへ行こう。

  大好きなみんなと一緒に。

  雨上がりの光の子供が、

 虹の架け橋を渡る。

  雲雀の歌を聞きながら、

 ぼくたちは行こう。

  誰もが憧れる、

  勇気の楽園へと……”


 自作自演で、目を瞑って歌った。

 つるぎは、はっきりいって、歌は上手い方でも下手な方でもない。中学の時の通信簿では、五段階評価で「3」を貰った事から、極普通程度の音感しか持ち合わせていなかったが、目を開けて見ると、いつの間にかじっとつるぎを見つめる子馬の目とぶつかった。

 そして……不思議な事に、淡い桃色の名も知らぬ花々に囲まれていたのだ。

『……オネエチャン、人間ニミエルケド、人間ジャナインダネ』

 子馬の言いように、つるぎは絶句する。

「あ……あのね、わたしは……」

『オネエチャンノマワリヲツツムキレイナキレイナ金色ノ光。人間ハ、ソンナ光ハモッテイナイハズダモノ。ソレニ、ミテ、コノ花タチハ、アナタガウミダシタモノダヨ?スゴインダネ』

 今まで怯えていた目の前の子馬が、脅えを払拭させて感嘆しながら話しかけてきた。

「みんな誤解している様だけど、本当に、ほんとーに、わたしは極普通の何の力もない人間だよ? この花の事は知らないけど……でも、綺麗だよね。……そうね、この辺りの人間と違う事と言えば、わたしはずっと遠い所から来たの」

 こちらに来て、変な疑われ方をするのが多くなったとつるぎは苦笑しながら思う。

 最初はこの異世界に来て初めて言われた“化け物”(今でもこの言われ様に腹が立つ)がそうだし、ヴァーユにも、只者じゃない様な事を色々言われた覚えがあった。

 しかし、こちらに来て、変な体験をした以外、向こう(つるぎの生まれた世界)では、極普通の一般的な人間だったはずである。

(わたしは、ちゃんとお母さんのお腹から産まれたんだし)

 キャベツから生まれた覚えも、コウノトリから運ばれた覚えも決して無い。証拠だってある。成長の記録を写した写真やそれに付随する幼い時からの記憶、つるぎの母親の洋服ダンスの上から二段目の小さな木箱には、へその緒だってあるのだ。……なんで生まれを疑わなきゃならなくなったのか、甚だ不本意であるが。

『……トオイトコロ?』

 つるぎの答えに納得いかないように首を傾げながら、不思議そうに別な事を聞き返す。

「そう。わたしの生まれたとこ……ゲッ!」

 そう言いながら殊勝にも逃がしてやろうと子馬の首にくくりつけられた荒縄を解いてやっていると、そう離れていない場所に長い影が映し出された。どうやら、酔いを覚まそうと酒宴の行われている焚き火から離れて来たらしい。

(あっちゃーっ! 見つかってしもうたわ)

「何だ、この花の群れは。……あっ、きさま……そこで、なにしてやがる!」

「……子馬ちゃん、逃げるよ」

 相手が武器を持っていない事を即座に確認すると、そっとその耳に囁きかけて、

「あっ! ……空飛ぶ子豚だっ!」

 大きいリアクションで相手の気を逸らし、逃げだした。

「おい、お頭っ! 泥棒だっ!」

 子馬は開放された喜びを全身で表しながら全速力で浜辺の方へ駆けていく。つるぎは懸命に走って子馬と同じ方向に逃げていたが、持久力の無い上に浜辺の砂に足を取られ、

『オネエチャンッ!』

 悲鳴の様な声が脳裏に響いたと思った。

「逃げなさいっ! お母さんに会うんでしょ」

 つるぎはそう叫んで無様に転倒した。子馬が海の中に逃れたのを確認した直後、

「……来てもらおうか」

 つるぎは後を追ってきた者たちに捕まってしまった。



 気が付くと、檻の中に閉じ込められていた。大きさからすると、動物専用らしく、似たような檻に見たこともない珍獣がわんさと詰め込まれている。辺りはその動物たちの唸り声や嘶きで満ちていて、賑やかなことこの上もない。

「わたしの何処が、動物なのよっ!」

 手足を荒縄で縛られ、ほとんど転がった状態である。檻の外で動物たちの番をしていた男に食ってかかると、男はニヤニヤ笑いながら、檻の中に手を差し入れ、つるぎの顎を乱暴に捕らえると、上向かせた。

「……あんたも立派な商品よ。顔も極上品だし、何より黒髪に黒曜石の様な瞳の人間だなんて、見たこともねぇからな。さぞかし高く売れるだろうぜ」

「……人身売買なんて。じょーだんじゃないわっ! わたしは家に帰るんだからっ! 馬鹿っ! おたんこなすっ!」

 顔を振って、手を振り払うと、どうにか縄を解こうと暴れるが、見ていた男に笑われる。

「運が悪いな、お嬢ちゃん。……あんたが逃がした馬はな? ただの馬じゃあなかったんだぜ? そりゃあ、たかーく売れる珍獣だったんだ。それを逃がしちまったんだ。逃がしたお前さんが代金を払うのが常識ってもんだろ? ……ま、諦めるこった」

 男は馬鹿にしたようにせせら笑うと、つるぎの入れられている檻を置いているテントを後にする。

「ああ、そうそう。明日、ここを立つから。……短い自由だが、満喫している事だな」

 捨て台詞を残して去った男に対し、思いつくかぎりの罵詈雑言を吐いたが、末は虚しくなって寝やすい様に転がり直した。

「……ヴァーユ。ドジっちゃったよ……」

 荒縄が擦れて痛いと思いながらため息をつく。

(……わたしが居ないって、泣いてなければいいけど……)

 無駄な足掻きは止めて、取り合えず寝る事に決めた。ウトウト、ウトウトと、浅い眠りを繰り返している時、騒ぎが起きた。

「うわーっ! 津波だーっ!」

 ぼんやりとした頭に、その言葉がゆっくりと浸透してきた。走り回る足音と、荷馬車を動かす音。

 人の声が騒音と言えるほど騒がしくテントの外で聞こえたが、しばらくしてその声が遠ざかっていく。その代わりに聞こえてきたのは風の唸りのような奇妙な音。それが、水が高く持ち上がり全てを巻き上げて音を出していると気付いた時には、自分が他の動物たちと一緒に見捨てられた事に気付いた。

 つるぎは、身動き出来ない上に、固い鉄格子の檻に入れられていて逃げる術を持っていなかった。じたばたしても無駄だと知っていたから、諦めて目を閉じた。

(…………溺死って、苦しいのだろうか?)

「ヴァーユ……御免ね……」

 冷たい水が頭上から滝のように降り注いだのを感じ顔を上げると、テントの梁が弾けて頭上に落ちて来る。それをまるでスローモーションの様に見ていた。だが、流石にそれを直視する事も出来ず、不覚にも気を失ってしまった。



 ヴァーユは、名を呼ばれた様な気がして、ふと顔を上げた。両手には沢山の木の実。側に浮かぶのは、風を編んで作った籠。その中に木苺や野苺を入れていた。木のウロに蜂蜜が溢れていたのを見つけ、蜂と交渉して竹の筒に少し分けてもらう事が出来た。

「……ツルギ?」

 心にさざ波が立っていた。ヴァーユはガサガサと低木の小枝や草を掻き分けて森を出た。その時、外海の方から陸へ向けて銀色の壁がきらめきながら近づいてきているのを見つける。

「……津波、だっ! 大変だっ!」

 蜂蜜を閉じ込めた竹の筒と、木の実を摘んで入れた風の籠を空へ避難させると、慌ててつるぎを探しに浜辺に駆け降りる。

「ツルギ……ツルギっ! 何処ーっ!」

 名を呼び、浜辺を駆け回りながら、一生懸命探すが、見当たらない。真紅の目に涙がじんわり浮かぶ。

「津波だよっ! ……逃げてよ、ツルギっ」

 右往左往している内に、銀色の壁は小さな浜辺を嘗めるように覆い被さった。

「きゃあっ! ……何処なの? ツルギ……」

 浜辺を呑み込み、森の一部を巻き込んで、水の壁は全てを連れ去る。ヴァーユは水を被る寸前、空中へ逃れた。

「ツルギ……ツルギ! 何処っ」

 ポロポロ、ポロポロ涙を零しながら、人身のまま、空中で立ち尽くしていると、水面の方から声が聞こえた。

「……その目は! ……ああ、お前は人間じゃあ無いんだね? 我らの幼子を捕らえようとした人間じゃ」

青い髪と瞳の無い緑の目の、かなりの数の男女が水面に立ち、空を見上げるようにして、ヴァーユに話しかけてきた。良く見ると青い馬の群れも見える。ヴァーユは、彼らが海の妖精“海馬”だと知った。

 ヴァーユは顔を顰めて見下ろした。

「貴方たちが、この津波を起こしたの?」

「ああ。我らの仲間を捕らえて、害をなそうとしたからだ。当然の報いだよ!」

 嫌悪を隠そうとせず、海馬の一頭が吐き捨てる。

「……酷い……酷い! あんまりだっ!」

 空中でじたんだ踏みながら叫ぶヴァーユに、海馬たちは不思議そうに首を傾げる。

「……風の子。何をそう怒っているのだ?」

「お前だって、人間が嫌いだろう?」

 人身の海馬の青年が、初老の海馬が疑問を投げかける。

「……そりゃあ、ぼくだって人間は嫌いだよ? だけど、無関係の者の命を奪うような行為には同意出来ない! 何よりボクの大事な人は、さっきまで浜辺にいたはずなんだよっ? 貴方たちが起こした津波で行方不明になっちゃったんだっ! ……彼女をどこにやっちゃったんだよ! もし、ボクの大事なツルギが死んじゃったりしてたら、たとえ眷属でも許さないからねっ」

 キラキラと目を輝かせながらヴァーユは叫んだ。風が唸り渦を巻く。感情の昂りが水面を騒がせた。困惑する海馬たちが、さざ波の様にヒソヒソと話している。その中にヴァーユと同じくらいの年頃の子供がいた。腰まで届く青い髪に、澄んだエメラルドの目の子だ。

「……ぼくを助けてくれた、トオイトコロから来たお姉ちゃんの事?」

 おずおずといった様子で、ヴァーユを見上げながら問いかけた。海馬の子供の問い掛けに、回りにいた者たちはギョッとした表情になる。

「……トオイトコロ?」

 聞き返すヴァーユに子供は頷いた。

「黒い髪に黒い瞳の綺麗な人間の事だよ。ぼくにお歌を歌ってくれたんだ」

ヴァーユが無言で頷くと、子供は一度確認するように背後に立つ両親の方へ振り返る。二人の男女は困った様に笑い、仕方無さそうに頷いた。子供は了解を得た事で、ほっとした表情になる。

「……ぼくたちの都にいるよ。案内する!」

 子供はヴァーユの方へ両手を背伸びする様に差し延べた。ヴァーユは一瞬迷ったが、つるぎの事が心配だったので素直に手を取った。



津波に飲み込まれた瞬間、テントの梁が折れて頭上に落ちてきたのを見た気がした。実際には、つるぎが閉じ込められていた鉄の檻のおかげで直撃は避けられたのだが、テントに使われている梁が、もう少し大きくて重かったら、完全につるぎの入った檻を潰し、つるぎは死んでいただろうと思う。

 気が付くと、奇妙な空間にいた。自分の回り、直径五メートルほどの閉じられた球体の中にいたのだ。つるぎ自身はというと、その中に設置してあるベットで寝ていたのである。 起き上がって球体の壁にさわるとスッと手が外気に触れる。触った感触は水を張った風呂に手を突っ込んだ様な物。……出ようと思えば出る事が出来る。だが球体の外は塩辛い水。……つまり、大きな泡の中にいる状態だという事が判ったのである。回りには誰も居なかった。泡から外に出ると溺れそうだったので、この場所から動く事が出来ない。仕方がないので、力入れて童謡を歌っていると、

「……ん?」

 ポンッと、空中に光が生まれ、それが足元に落ちた。落ちた光は淡い水色の花弁を持つ小さな花になる。その後、ポポポポポンッと沢山の光が生まれ、足元にフワフワと落ち、それがつるぎを中心に小さな花園を作った。「おおっ! これの事かぁ。あの子馬ちゃんが言ってたのは。……新たな特技とも言えなくもないけど、これじゃあ花咲か女子高校生よねぇ」

 見たことの無い種類の草花たちだったが、見ていると心が和む。どれも優しい姿をしていて、サラサラと澄んだ音をたてた。

(……おしっ! んじゃあ……)

 調子に乗って童謡から歌謡曲に趣旨替えして楽しんでいたが、ただ歌うだけでは“花”が生まれない事に歌っている内に気付いた。

(気持ちを優しく持つと“花”が生まれるんだ)

 歌うのを止めて、改めて辺りを見渡した。

 そっとその場に座り込み、記憶の整理に努める。

(……不思議な子馬を見つけて、それからその子を逃がして。ああ、わたしってば、ドジやったんだ。あの厭味なおっちゃんたちにあっさり捕まって、もう少しで売られる所だったんだけど、津波が起きて……波に浚われたんだけど……)

 首を傾げて俯く。手首や足首に縄で縛られていた跡が残り、ヒリヒリする。つるぎはその場所を無意識に摩りながら、考え込んだ。

「…………ここ、何処?」

 あんなにきつく自分を戒めていた荒縄も、立ち上がれないほど低かった鉄格子の檻からも開放されていたが、居場所が確定出来ない。

『海馬ノ海中都市ノ中ダヨ。人間ノ娘』

腕を組んで考え込んでいると、聞き覚えの無い声が降ってきた。声の方へ振り返ると、立派な馬が一頭その場にいた。先程までは誰もそこに居なかったはずだ。

「…………海馬?」

 海の中に住む馬という意味だろうかと考えながら聞き返す。

「……じゃあ、わたしを津波から助けてくれたのは貴方なの? そうだったら、お礼を……」

 表情を明るくして立ち上がると、海馬は鼻息荒く蹄で地を蹴った。

『俺デハナイカラ礼ハイラン! ……第一、俺ハ、人間ガ大嫌イダ!』

 つるぎは『人間が大嫌い』と言った海馬にムッとしたが、表情にそれを出さず、取り合えず海上へ出る事を模索する事に決めた。海中都市というからには、どこの辺りか知らないが、海の中に居るらしいという事だけが判る。

「……あのう。わたし、外へ出たいんですけど」

 そろそろと手を上げて言ってみたが、無視された。

「わたし、旅の途中で……。お世話になった事については、十分感謝しているのですけど、そろそろお暇したいなっ、なんて思うんですけど……」

 これも、無視された。

「ほ……ほらっ! 人間嫌いなんでしょ?一時も一緒にいたくないでしょ? だから、わたし……出ていこうかなぁ……なーんて……」

『……駄目ダ! オマエハ、一応虜囚ナノダゾ? 簡単ニ開放デキルカ!』

 ムカッとした。つるぎは、平和的に交渉しようと思って下手に出たのに、相手は取り合おうとしない。

「……誰が、虜囚?」

 声が地の底を這う様に低い物になる。

『オマエダ。人間ノ娘』

 優位を確信しているのか、態度がでかかった。巨大と言っても過言ではない。

「……罪を犯した覚え、無いんですけど」

 努めて冷静になろうと努めた。出会った度に怒ってばかりいても進展は無い。だが……

『人間デアル事実ガ、罪ナンダヨ!』

相手は嘲笑も露な声を投げかけるだけだ。つるぎは、どうにか歩み寄ろうと、そう努力しようと決意しかけて、やめた。目の前の海馬は、てんでつるぎの言葉に耳を傾けようとしないで、自分の都合ばかり押しつけてくるからだ。

「………わたしは、帰るんだから……」

『オマエニハ、一生涯自由ハ無イ。……ワレラノ仲間ガドレダケ人間ニトラエラレ、自由ヲウバワレタトオモウ? ……オマエハ“人間”トイウ罪ニツイテ、ワレラカラサバカレル。イイキミダ!』

水中にいるという事が、目の前の海馬の気を大きく持たせているらしい。高々と笑う声が、奇妙に反響した。つるぎは、相手が自分を開放する気が全く無い事を悟った。

「わ・た・し・が! 何の罪を犯したっていうのよ!」

 ダン! と足を踏みならすと目の前の海馬を睨み付けた。気分が徐々に高揚し、この世界に引きずり込まれた時に最初に遭遇した、フェスタスール王城で味わった様な奇妙な感覚が全身を支配する。キラキラとした金の光が目でハッキリ判るほど強くなり、水中のそれも泡の中だという限られた空間に、気流を発生させた。つるぎの短めの髪が煽られて舞い上がり、フワリと靡く。

(じょーだんじゃあないわ! 好き勝手言ってくれちゃってっ! 人間で生まれて何処が悪いのよっ! 八つ当たりはやめて欲しいわねっ)

 本人にはフツフツと沸き上がる怒りで自覚が無いが、妖精である海馬の目には、つるぎが見たこともない力の光輪で全身を覆っているのを見ることが出来た。つるぎの変貌に、海馬は引きつる。海馬は反射的に、自分で振るう事の出来る“力”を使ったが、あっさり無効にされて狼狽した。

『……オ、オマエッ……!』

 しかし、その行為はつるぎの怒りの炎に油を注いだ様な物で、つるぎを包む大気の気流が猛々しくなり、つるぎが呼吸をするため必要な大気の泡は損傷する事無く、回りの設置されていた家具がメキメキと音をたてて割れ裂かれ、破片が宙に浮き上がった。

「あの子馬ちゃんはとっても素直で可愛かったのに……あんたって何考えてるのっ、最っ低ーっ!」

 つるぎがこぶしを握りしめて、力一杯叫んだ途端、それらは霧散する。海馬は一歩、青ざめて後ずさる。と、海馬はおろおろしながら辺りを見渡すうちに外の光景が目に入ってギョッとした。あちこち悲鳴を上げながら、駆け回る海馬や人身の男女の姿。普段、穏やかなはずのこの辺りの海流が巨大な渦潮を幾つも作ってこちらへ向かって来ていたのだ。

『……貴様っ……人間デハナカッタノカ!』

 つるぎは、ギッと逃げ腰の海馬を睨んだ。

「何いってんのよ! わたしは人間だってばっ! 妙なこと言わないでよねっ、あんたっ」

 つるぎが叫んでじたんだを踏んだ瞬間、地鳴りが響いた。つるぎの足の裏が地を蹴る度に、大地が大きく揺れる。厭味を言って余裕をかましていた海馬は、とうとう立っておれず前に勢い良くつんのめった。

「わたしはここを出ていくの! 何処の誰であろうと、わたしを束縛する権利なんて無いんだからっ!」

 そう断言した時、懐かしい声が自分を呼ぶのを聞いた。

「……ヴァーユ?」

 声を聞いた途端、怒りを忘れた。ささくれだったつるぎの心に安堵が芽吹く。

 囁くほどに遠くから聞こえていた物が、段々近くなる。つるぎは、慌てて声の聞こえた方向に顔を向けた。頭上に開いた穴の向こうに、海が広がっていた。さらに高い場所には海面の煌めきが見え、チカチカと瞬いている。その方向から真っ直ぐ青い光がこちらへ向かって来た。

 つるぎの感情が落ちつくと、あたりを揺るがして海馬たちを恐慌に陥れていた地鳴りが途絶え、海馬たちの住まう海中都市に向かってきていた竜巻の様な渦潮の柱もなりを潜めた。茫然と半分腰を抜かした様子で、穏やかになりつつある景色を元凶である海馬は見ていた。

『…………タスカッタ』

 安堵のあまり、そんな呟きが漏れたその海馬に眼中無しのつるぎは、天井を仰いで目的の者に手を振る。

「ヴァーユーっ! ここだよっ!」

 嬉しそうに勢い良く手を振るつるぎの視線を追って、天井の穴から外を見た海馬は、一族の子を浚った人間に復讐するため、津波を起こしに行った海馬たちの他に、全ての発端である一族の子供と、水色の髪に真紅の目を持つ子供が連れ立って下りてくるのを目撃する。この辺りでは見たこともない種族だった。

「ツルギーっ! 心配したんだよーっ!」

 荒れ果てた室内に、天井の穴から器用に入り込むと、両手を広げたつるぎの腕の中に飛び込んだ。その隣で、ヴァーユを連れてきた海馬の子供が、その光景を嬉しそう見守っている。

「ツルギ、この子が連れてきてくれたんだよ」

 ヴァーユがつるぎの腕に自分の腕を絡めながら頬を赤くして言うと、つるぎは見覚えのない子だったので首を傾げた。

「……すごく可愛い子だけど、誰だったっけ?」

 つるぎの台詞に、瞬間、その子供は泣きそうになった。ヴァーユは慌ててフォローする。

「つるぎに助けてもらったって言ってたよ!……人身の姿は、初めて見たんでしょ?」

 つるぎはヴァーユに言われて、あの子馬が目の前の子供だと分かり破顔する。

「無事、お父さんとお母さんに会えた?」

 子供は、つるぎが自分を覚えていてくれた事が嬉しくて満面の笑みを浮かべると、大きく頷いた。つるぎは腕を延ばして、ヨシヨシとその子供の頭を撫でる。

「……お姉ちゃん、ツルギっていう名前なんだね?」

 子供の笑顔に弱いつるぎは、片手でしがみつくヴァーユをあやしながら、ニコニコ笑顔を返す。

「正確に言うと、風間つるぎっていうのよ。……さあて、お暇しなくちゃ! わたしたち、旅の途中なのよね」

 場が和んだその頃になって、つるぎのやや前方でへたり込んでいた海馬がどうにか立ち上がると、海上まで出掛けていた他の海馬たちと視線を交わす。

「お姉ちゃん、もう行っちゃうの?」

 妙に懐いた海馬の子供に、つるぎはぎこちなく頷いて見せた。

「……だって、わたしは人間だし」

 チラリと他の海馬たちを見渡したが、好意的とは言えない。人間を嫌いだといって憚らない一頭の海馬と先程まで口論までしていた。……つるぎを虜囚としてしか見ない者たちの側で誰が落ちつけるだろうか。対等の者として見てくれないこの場所では、つるぎの気が休まらない。それに、ヴァーユが回りに警戒しているのか、片時もつるぎから離れなかった。

(……人間に自分たちの子供が誘拐されそうになったんだもの。この痛い視線は仕方がないとはいえ、辛いな……)

「……あなたたちが嫌う人間だし」

 つるぎはそういって肩を竦めてみせる。そして、少し屈んで微笑んだ。

「でもあなたは人間と同種族だという事だけで、わたしを見なかった。津波に飲まれた時、助けてくれたのは坊やだよね? 有り難う。……あなただけは、大好きだよ」

「ぼくも、お姉ちゃんが大好きだからね」

泣きだしそうな表情で何度も頷きながら必死に言い返す。つるぎはくしゃりとそんな海馬の子供の頭を撫でると、ヴァーユを見た。 ヴァーユは笑顔で大きく頷くとつるぎの手を取り、床を大きく蹴った。

「元気でねっ!」

沢山の小さな白い泡がボコボコと音をたてながら、水流と共に上へ向かう。つるぎを包む大気の泡もつるぎについて床を離れた。海馬の子供は泣きそうな顔でそれを見送る。

 二人が海上へ消えていった時、壊れた辺りを見ていた海馬の長老が、つるぎを見張らせていた海馬の青年にため息をついてみせた。

「……長老。あのまま行かせてしまって良かったのですか!」

「……あの娘を怒らせたのじゃろ?」

 答えるかわりに逆に質問をした長老へ、海馬の青年は悔しそうな表情を向ける。長老は不満げな青年の表情を見て暗黙に答えを得ると、乾いた笑いを青年に見せた。

「……この程度で済んで良かったというべきかな?」

 長老の言葉に、海馬の青年はムッとした様子で叫ぶ。

「この程度? 都のあちこちに地割れは出来たし、多くの仲間を怯えさせたんですよ!この有り様をご覧になっても尚、長老はそう言うのですか!」

 長老は気色ばむ青年をなだめて、大きく頷いた。

「あの娘は、どうやら“言霊”を生み出す力を持つようだ。……陸上に住む、人間が使う自然の四大元素を操る魔導士や魔術師とは違うらしい。……ほれ、お前も聞いた事があるじゃろう?……なんと言ったかの」

 青年は短く息を飲んだ。

「……東の果てで、妖魔たちに守られてる少数民族“幻人”の事ですか?」

「そうそう。そうじゃった」

「……でも、かれらは人間じゃないのですか?それとも、違うとでも仰りたいのですか?」

青年の問いに長老は曖昧に首を振る。

「さあて。どちらに分類するべきか。かの地から伝え聞くカレラは、“時”を操り“過去や未来を見る”者がいるという。何も無い場所から創造し得る力を持つという。全ての色が溶け込んだ夜空の色の髪と瞳を持ち、悠久の時を生きるという。……そういう存在をはたして“人間”と呼べるのかどうか。甚だ疑問だがな? ただ言える事は、幻人と呼ばれる者たちの特徴と相似のあの娘が、我を失うほど激怒していたら、この都は無くなっていたかも知れんという事だ。……姿こそ人間だが本質はもっと違う存在なのだ。……死者が出なかっただろう? だから、儂は“この程度”と言ったのじゃ」

「…………」

 長老の言葉を聞いて、青ざめる。

「……悪い者でない事は、我らが幼子を野蛮な人間から救ってくれた行動といい、あの娘に惹かれて守護を申し出た眷属が居る事で判るじゃろう。あの娘に張り付いていた子供は、気難しい事で有名な古い一族の出身の様だし。……あの様子だと、かの一族からあの娘は“認められた”ようじゃからな? 子供とは言っても、強力な“言霊”に守られた“名”をその身に帯びている様だし。……他者から“名”を冠する事、即ち“守護”となる事じゃからな。……それに、どうやら我が一族にもあの娘に惹かれた者もいるようだし……」

 長老の言葉を聞きながら長老の示した方向を青年はのろのろと見た。そこでつるぎに懐いていた一族の子供が、親に泣き脅しをして説得しているのを見つける。

「……外側で判断してはいけないという事ですね?」

 深いため息をつくと、青年は呟いた。見ている内に、その子供の両親が子供に手を振って見送っている様子が映る。どうやら子供は説得に成功した様子だった。子供は元気良く海面に向けて泳い行き、とうとう視界からその姿を消す。

「……長老は、あんな幼子に外へ出る事を許したのですか?」

 青年は海馬の長老を非難を込めた眼差しを送ると、長老は軽く笑って受け流した。

「……まだ幼い事もあるし、陸上は危険が多いからな、気は進まなかったのじゃが、あの子の強い意思と、外界の勉強を兼ねて許した。ただし、両親から許可が降りたらという条件つきでな?」

「…………はあ」

 長老は青年に背を向けると、自分の館に足を向ける。

「……儂はあの娘にかけとるのじゃよ……」

 一度立ち止まり振り返る。

「我らの“心”を託すだけの者かどうか」

「…………」

 そして前を見て歩きだす。

「……我らは臆病になっておる。他種族に対してな? ……信じる心を与え得る相手が欲しいのかもしれぬ」

 長老の言葉に虚をつかれた様子を青年は見せた。

「……裏切られ、傷つく事を恐れていては、新しい出会いは無いかもしれぬ。……安全なる母なる海に住む環境を変えた我らに平穏はあるが、停滞してしまった一族には繁栄はない。……あの娘の旅が終わり、我らが幼子が無事ここへ帰ってくる事が出来たとしたら、外界に対する我らの問い掛けの全ての答えを得る事が出来るだろう」

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