輝石隊 アンジェとホルムベルト

宇城和孝

未来永劫知る由もない山羊肉ステーキの味

 リズミーは帰ってこなかった。

 私が所属する五番隊には八名の女子がいるけれど、五番隊の女子部屋で寝泊まりしているのは私と女子部屋を持たない六番隊のリズミーだけ。今夜は一人、ベッドに潜った。

「おやすみ」

 承知の上だったけれど、返事がなかったことで途端に寂しくなった。寂しさを突き付けられたみたいになった。〝当たり前〟がなくなった時の喪失感は、強烈。

 ……死んじゃったわけでもあるまいに。

 ぷいっとねるようなモーションで寝返りを打つ。きっとそのうち帰ってくる。

 だってそうでしょ、どこで寝るっていうの?

 信じられないことに酒房『レオポルド・フォルド』には扉がない。あんな所で寝たら風邪をひいてしまう。輝石隊きせきたいに入って、ギルドハウスで寝泊まりできる特権を得て、むざむざ寒い思いをすることなんてない。

 ──ああ、そっか。

 リズミーが雨露をしのぐために輝石隊きせきたいに入ったとは限らない。自分がそうだっただけで、みんながみんなそうじゃない。

 それにしたって、寝込みを魔物に襲われでもしたら大変──。

 待って。

 どうして『レオポルド・フォルド』にいると言い切れる?

 私はお酒を飲まないのでよくは知らないけれど、お酒はストレス発散になる、という認識がある。普段からお酒をよく飲むリズミーだから、傷心の今こそ酒場にいるはず、と思い込んでいた。けれどよく考えたら、そんな情報はどこにもなかった。

 魔物に襲われていたらどうしよう。

 近頃は物騒な魔物討伐依頼が多い。くだんの〝ハーディン墓所にキメイラ〟には見劣りするものの、五番隊もつい先頃、マハチェット山脈のふもとでトロールを討伐したばかりだ。

 ギャー、ギャー。

 ベッテンカーナの空を行く鳥の声が不安を掻き立てる。〝心配〟は吸い込まれそうな闇夜に加速した。

 いよいよ目が冴えて、ベッドから降りる。ランプをけて、水筒の水を一口飲んだ。「よし」と腰に両手を当てる。

「六番隊の人にこう。同室の者として知る権利が私にはある」

 ローブをまとい、部屋を出る。同じく二階の六番隊の部屋に向かった。

 確か六番隊でギルドハウスに寝泊まりしているのは、リズミーとパトルシアン、あと六番隊隊長の三人。ホルム……ベルトだっけ?

 パトルシアンの名前がすっと出てきたのは、リズミーの話に必ず付いて回る単語だからだ。

 パトルシアンが──。パトルシアンもね──。パトルシアンったら──。

 最後のは私の創作かもしれない。

 とにかくよく出てくる。おかげですっかり近しい人だと錯覚してしまっている。現に、夜分に六番隊の部屋を訪ねることに躊躇ちゅうちょがない。パトルシアンがいる安心感がある。

 リズミーは恋仲を否定していたけれど、本当のところはどうなんだろう。

 ──こっそりいてみようか。

 好奇心に歩幅が広がった。



 さて、着いた。

 いざとなると、やはり緊張はする。

 六番隊の部屋の扉を、かしこまってノックした。

「なんだ?」

 扉を開けたのは六番隊隊長。私の顔を見ていぶかしげに尋ねた。

「こんばんは、五番隊のアンジェです。あの、その、リズミーが帰ってこなくて、ですね……」

 六番隊隊長の迫力にすっかり気後れし、早口になってしまう。近くで見るとすごく大きい人だ。

「ああ、やっぱり?」

「やっぱり、とは?」

「二個一のパトルシアンもいないんでね」

 いないんだ、パトルシアン。残念。

「どこに行ったかわかりますか?」

「さあな。大方『レオポルド・フォルド』辺りだと思うが」

「私、心配で」

「パトルシアンが一緒なら安心だ」

 そう言って、六番隊隊長は微笑んだ。

 すごっ、と面食らった。

 隊長から信頼されているパトルシアンも、信頼している隊長も。五番隊にはない文化だった。

「腹、減ってないか?」

 えっ。

 突拍子もない質問に、しばし目を丸めて絶句する。

「山羊の肉を焼いてるんだが、食っていくか?」

 いいにおいがするなあ、とは思っていた。しかし、食います、とは言えない。言えるわけがない。無礼にも夜中に突然訪ねてきておいて、どんだけ食い意地張ってるんだよ、という話だ。

 丁重に断ろうとした、その時だった。

 ぐう。

 お腹が返事をした。

 がっはっは、と六番隊隊長は笑った。

「さあ、どうぞ」

「おじゃまします……」

 きっと私の顔は、エポトの果実のように赤かったことだろう。



 六番隊隊長が床に胡座あぐらをかいて山羊の肉を焼いている。部屋に煉瓦れんがまきと鉄板を持ち込んで調理している。

 無茶苦茶な人だ、と私は立ち尽くしていた。

「大丈夫なんですか……?」

「なにがだ?」

「怒られないですかね……?」

「なんでだ?」

「だって、火事になったら大変じゃないですか」

「なるわけないだろ」

 がっはっは、と六番隊隊長は笑った。

 根拠を説明してよ……。

「万が一やばくなっても、『ヴェールアイス』を撃ち込んでくれればそれで済む話だしな。万事問題ない」

「私、聖術士です……。それに、そんなことしたらギルドハウスが壊れてしまいますよ」

「壊れるわけないだろ」

 だから根拠……。

「ほら、焼けたぞ。皿をくれ」

「あっ、はい」

 テーブルの上に置かれている皿を手に取る。

「あの、一枚しかありませんが?」

「君のだ。俺はこのまま食う」

「ナイフとフォークもひとつずつしかありませんが?」

 すると、六番隊隊長は腕組みをして唸った。

 感覚で生きているこの人も、考えることがあるんだ。

「こうしよう。君はフォークを使え。俺はナイフを使う」

 おお……かぶりつくのか……。

 いや、ここまできて恥も外聞もない。私はレイピアで突くようにして、六番隊隊長に食器を差し出した。

 皿の上に山羊肉ステーキが乗せられる。「完璧な焼き具合だ」という一言を添えて。

 わあ!

 おいしそう!

 私の目は山羊肉ステーキに釘付けとなり、そのまま六番隊隊長の隣にちょこんと座った。

 肉は鉄板を離れて尚、じゅう、と音を立てている。私の手よりも厚く、広い。

 あっ、と思った。

 ごめんなさい、私のせいでお肉が少なくなってしまいましたね。

 そう言おうと思って隣を見ると、六番隊隊長は私のより一回り大きい肉をナイフで突き刺して眼前に持ち上げていた。

 嘘でしょ? これら全部一人で食べるつもりだったの? この時間に?

 無茶苦茶な人だ。

「さあ、食おうぜ」

「はい!」

 六番隊隊長が大きく口を開けるのを見て、私もそれを真似まねた。

「あー」

 ん、を発音することは叶わなかった。

 世界が破裂したのかと思うほどの、ものすごい爆発音を聞いた。



(了)

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輝石隊 アンジェとホルムベルト 宇城和孝 @ushirokazutaka

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