第3話 素直になれなくて

 弁当は、最悪な味だった。自分でも、食べながら嫌になった。いつも弁当を作るのは緑で、当たり前だと思っていたが、美味しく作るのがこんなに大変だとは知らなかった。私は、緑に頭が下がる思いだった。


 家に帰ると、弁当はテーブルに置かれたままだった。やはり、嫌いな父親が作った弁当など食べたくなかったのだろう。それでなくても最悪な味だったのだ。仕方がない。私は、洗うために弁当箱を取り上げた。


 軽かった。


 私は、急いでナプキンをほどいた。弁当は、空だった。


 透は、弁当を持っていったのだ。そして、食べてくれたのだ。私は、目の奥から熱いものが吹き出すのを感じた。そして、急いで目をぬぐった。

 人の気配を感じて、私はキッチンの戸口に目を向けた。ユニフォームを脱いで、ジャージに着替えた透が立っていた。

 「弁当、食べたのか」

 「食べた」

 透はぶっきらぼうに言った。

 「最高にまずかった」

 「そうか。すまん」

 私は、素直に謝った。すると、透はかすかに笑みを浮かべた。透が私の前で笑顔を見せるのは久しぶりだった。

 「二度と言わないからな」

 「なんだ」


 「……ありがとう」


 そそくさと、透は立ち去った。私は、また目をぬぐうはめになった。


 寝室に入ると、緑が冷却シートを額に貼って、すやすやと寝ていた。その様子を眺めながら、私は彼女にささやきかけた。

 「緑。透は、優しい子だよ」

 心からの言葉だった。

 「そして、いつも弁当をありがとう」

 私は、緑の少し枝毛が目立つ黒い髪を手ですいてやった。


 当たり前だと思っていることは、当たり前ではない。何かの拍子でそれがわかったとき、そこには、いつもと違う風景が見え、思いも移り変わる。


 透。お前が二十歳になって、また笑ってくれる時が来たなら、一緒に酒を飲もうな。

 私は、今日の記念に、今年できたワインを買うことにして、眠りについた。その眠りは、いつになく安らかだった。


(了)

********

【あとがき】

 モデルはうちの父です。料理がまったくできない父でしたが、一度だけお弁当を作ってくれました。幼稚園のときでしたが、風邪をひいた母にそばで教えてもらいながら、悪戦苦闘していた姿を、今でも覚えています。

 初めて作ってもらったお弁当。あなたは、その味を覚えていますか?


猫野 みずき

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弁当箱の絆 猫野みずき @nekono-mizuki

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