ふたりではるまきをたべた

 すごくおいしかった



 この島には「農家」と呼ばれる金持ちがいる。農家は純百パーセントの天然野菜を作り高い価格で売り付けていた。なので、大規模な金が農家と企業の間で動いている。常に知らないところでネット世界は蠢き、人々は現実と虚構の境目を行ったり来たりしながら、時に薬に溺れ、時に電子世界に酔いしれる。

 そんな実験人工島「グラズヘイム」に一台の車が走っていた。

 白の塗装、ボロボロで常に走り続ける移動車をすり抜けるにも時間が掛かる廃車寸前の車、それを運転しているのは長身で髪を短く切った男だった。

「くせえ」

 と、男はぼやく。シートを取り除き、広い空間を作った後部座席にはありとあらゆる野菜が段ボールに詰め込まれていた。

 青年――は鼻を摘まみたい衝動に駆られた。土臭さと青臭さはこのグラズヘイムには無い異臭だ。我慢がならず、助手席に座る少女に声をかける。

「窓を開けろ」

 運転中なのに視線を逸らす。この島じゃ交通事故なんてものは無いので多少目を離しても平気だ。助手席に座り、律儀にもシートベルを着用している少女は人工的に造られた証拠である白髪に、どんな薬を浴びたのか蛍光色の瞳が携帯端末の画面をじっと見つめている。

 彼女は一応、同乗者、そして本人曰く運び屋助手である。

ついこの前までちょっとした出来事を起こし、巻き込んできた張本人だ。今は帰る家もなく、文字通りの天涯孤独となったので仕方なく助手席に乗せている。

「おい、ミハル」

「え、あ、はい」

 名前を呼ぶとミハルははっとなって、地図を広げた。人の話を聞いていないようだ。

「窓を開けてくれ。俺の方じゃ操作できない、そこのボタンを押すだけでいい」

「わかった……」

 ミハルは慌ててドアのボタンを押した。古い車なのでぎこちない音がしたがなんとか窓ガラスが開くと同時に、冷たい風が吹き込んできた。まだ寒さが残る、そんな春だった。



「アリガトゴザイマス」

 妙なイントネーションでお礼を言った店主は何度もお辞儀をした。

 車を止めたのは高級中国料理店の裏側、換気扇と排気ガスが有象無象に入り組む裏路地だった。

 店主が従業員に言うと、従業員が現れ段ボールをせっせと運んだ。ざっと十はあるだろう野菜の山をすぐさま店の中へと運び、すべて終わったところだった。ミハルは車内でじっと待っている。

「ほんと、農家さんにはカンシャしない、とね」

「金はいつものゴミ箱に入れておけばいいそうです」

「分かった。運び屋、あんた今腹減ってるか?」

「いえ」

「なんだ、食べてもらおうと思ったのニ」

「金がないんで」

 運び屋は質素で貧相だと何度も心の中で繰り返す。決まった収入が無い仕事なので、豪勢な食べ物などそうは拝めないのだ。こんな高い店で食事をするなら車を売らねばならない。だが今乗っているアナログの車は一円にもならないのだろう。

「じゃあちょっと待ってな! 今春巻き持ってくる」

 待ってくれ、と言う前に店主は早歩きで店の中へと消えていった。どんな煙なのかもわからないが、環境悪いところに立たされ、ミハルもじっとしていられないのか車から降りてくる。それから数分後、店主は豪快にもトングで春巻きを挟んだまま持ってきた。

「食いなさい! おいしいから!」

「……ありがとうございます」

 パックとかに包むのではなく素手で食べろということなのか目の前にずいと渡され、手に取ると揚げたてなのか思わず地面に落としそうになった。

「そこの人形にも食べさせてやんな!」

「人形じゃなく、同乗者だ」

 そうは言ったが店主の耳には届いていないだろう、ミハルは車に戻り髪ペーパーを持ってくると春巻きを包んでくれた。そして輝秋は一本、ミハルに手渡した。そのころにはもう店主はいなくなっており、「また頼むゾ運びヤ!」と言って店の中へと戻った。

「お礼だとさ」

 本当ならチップがほしいが、もちろん言わないでおく。

 助手席に座りなおし、物珍しそうに春巻きを見つめるミハル。ああ、そうだこいつは何も知らないのだと思い出し、冷まして食べるんだと一言言ってから輝秋は全て平らげた。



 はじめて地鶏してみた

 きょうもお仕事

 てるといっしょにくるまにのる



 グラズヘイムは太平洋側にぽっこりと浮き上がったように存在する。

 大きな「傘」が空を覆い、天井を破らんとするほど高くそびえた高層ビルの森、法は無く、企業が牛耳り、農家が金を搾取する。そんなよくあるSF映画の舞台がそのまま存在するかのような街は今日も静かに朝を迎える。

「傘」は天気を調整するために誰かが実験として建設したらしい、なので輝秋の実家がある日本が雨でも「傘」は太陽を見せる。もちろん造られた日差しと気温だが。

 ここは実験的に様々なことが許可なく自由に行える街でもあった、だから無人で走る移動車はあるし、空を飛ぼうとする自転車もある、人造人間、人体の機械化、ミクロマシン、動物移植、グラズヘイムは何をしても許される。そして咎める人間もまたいないのだ。

 だから、貧相な運び屋も許される。

「もしもし」

「あの、運び屋さん。ですか?」

「ええ」

「お願いがあって」

 電話がこればそれは依頼に決まっている。ランダム化された電話番号を探し当て、ようやく見つけるとなると本当に困っていて、早急に頼みたいという証拠にもなる。

 輝秋とミハルを乗せた車はグラズヘイムの中心街へと向かっている。道路を走るのは無人移動車(日本で言うタクシーのようなもの)が人を降ろしては次に待っている人を乗せて走っていく。その隅っこでふてぶてしく停車し、エンジンを切っていた。ミハルは相変わらず端末の画面をじっと覗き込んで何かを打っていたり、指でなぞったりしている。

 輝秋は依頼主に応じて、電話越しにも関わらずうなずいた。

「わかりました。一体何を運べば?」

「水です」

「水」

「はい……それを海に捨ててきてほしいんです」

「海に……」

 ――水、ねえ……。

 当然ながらグラズヘイムの周りは海だ、海面は廃油に染まり、水底には実験に失敗して沈んだ建築物の墓場が山積みになっていると聞く。ほんの一部だけ澄んだ海水があって、そこはリゾート地となり輝秋の所持金では何十年経っても行くことはかなわない。

 だが、海に行くことは規制などされていない。誰にだって海には行けるし、マンション出たらすぐなんて人も多いだろう。

 そんなもん一人で捨てろよ――と、本音が漏れそうになるが、もちろん言わない。

「わかりました。だが一つ訂正がある」

「はい」

「俺は便利屋でも処理屋でもない、運び屋だ。だから捨てる事は出来ない」

「では、海に運んでください。あとはそのままでもいいので」

 要は海においておけばいいということで、案外楽な仕事だ。色々と怪しいが元々運び屋に持ち込まれる物なんてほとんどが知ってはいけないものだ。

「では今から向かいます、どこで待ち合せますか」

「えっと……薬局屋って知っていますか? そこの裏にあるカプセルマンションの前です」

 輝秋はミハルの肩を叩き、地図を開けとジェスチャーした。ミハルは端末を鞄に仕舞いすぐに紙の地図を広げる。

「そこに十一時に来ていただけると、ありがたいのですが」

 輝秋は叔父にもらった腕時計を見る。三十分もあればすぐに到着できるだろう。

「わかりました。向かいます」

「お願いします。お金は、あの」

「現金のみで」

「はい」

「では」

 電話を切ると端末を胸ポケットに仕舞い、エンジンをかけて、ミハルに言った。

「薬屋を探せ」

「あった」

 ミハルはすぐに指をさす。

 

 

 オンボロ車はようやく目的地まで到着した。十一時ぎりぎりではあったが、どうにか間に合わせると一度エンジンを切った。バッテリーは本当に高く、貴重なのでこまめに切っておかないと無駄に浪費する。

「お前はここで待ってろ」

「うん」

 会話はそれだけに輝秋は車から降りる。薬局屋の裏、確かにカプセルマンションなる寝たきりの住居施設が墓のように並んでおり、人の出入りがあった。

 そして、依頼主であろう女、いや、女の子が立っていた。

 ボイスチェンジャーでも使って話していたのだろうか、どうにも近寄って来る女の子はミハルと同い年にも見え、グラズヘイムスクールが指定している臙脂の学生服を着た姿だった。

 試しに尋ねようとすると、目が合った。

「あんたか?」

「はい……」

 薄幸そうな少女。それが第一印象だった。

 消えてもおかしくないか細い声でうなずく。グラズヘイムで生きる少女にしては雰囲気が繊細でお嬢様という風にも見えた。

 なぜこんな子供が? と思って考えるのをやめた。輝秋が詮索するような事ではない。

「これです」

 少女が抱えていたのは紙袋だった。二の腕くらいの大きさをした水を入れてあるだろう容器が入っているように見える。

「これを海まで運んでください、お金もその中に入っています」

「わかった」

 紙袋を受け取る。確かに少女の細い腕ではかなり重い水に思える。たぷ、と音も聞こえ瓶のようなガラス瓶の質感を紙袋の上から感じ取った。

 そして別の重みも感じた、ちらりと封筒の中身は札束だった。しかもただの一般人が持つような額ではないのでもう一度少女を見るが、目線は泳いでこちらを見ようとしない。

「あの」

「なんだ?」

「聞かないのですか?」

 少女は後ろめたいことでもあるのか、視線を泳がせてはこちらの様子をうかがっている。

 輝秋は肩を大げさにすくめて、

「聞いたら答えるのか?」

 と、意地悪そうに尋ねると少女は肩が落ちるような勢いでうつむく。まずい、聞いてはいけなかったか……と言葉を向けようとすれば、少女は首を振った。

「ようやくこれで……」

 と、言いかけ我に返ったように顔を上げる。

「とにかく、よろしくお願いします……!」

「お、おい」

 明らかに今何かを言いかけたのだが、呼び止めてもすでに遅く、少女は細い道から逃げるように駆けだしてしまった。

 輝秋は車に戻って、助手席にいたミハルに声を掛ける。

「これ持ってろ」

「うん……」

 さっきから反応が悪い。

 車を発進させてから、ミハルは携帯端末の画面から目を離していなかった。

「何を見ているんだ?」

「えっ? 何も」

「さっきからずっと携帯画面見ている」

 まさかアダルト動画を見ているわけではあるまいか、妙に不思議に思えて画面を覗きこもうとすると、慌ててミハルは抱きしめるようにして隠す。

「み、見ないで」

「変なサイトとかクリックしてないだろうな……?」

「してないよっ」

 怪しい。が、まあいい。

「大事な物だ。ちゃんと抱えて持ってろよ。お年頃だろうからエロサイトに余所見して落としたりしたら大変だからな」

「……見てないし」

 ミハルは口を尖らせながら、大事に紙袋を抱えた。


  オンボロ車はようやく目的地まで到着した。十一時ぎりぎりではあったが、どうにか間に合わせると一度エンジンを切った。バッテリーは本当に高く、貴重なのでこまめに切っておかないと無駄に浪費する。

「お前はここで待ってろ」

「うん」

 会話はそれだけに輝秋は車から降りる。薬局屋の裏、確かにカプセルマンションなる寝たきりの住居施設が墓のように並んでおり、人の出入りがあった。

 そして、依頼主であろう女、いや、女の子が立っていた。

 ボイスチェンジャーでも使って話していたのだろうか、どうにも近寄って来る女の子はミハルと同い年にも見え、グラズヘイムスクールが指定している臙脂の学生服を着た姿だった。

 試しに尋ねようとすると、目が合った。

「あんたか?」

「はい……」

 薄幸そうな少女。それが第一印象だった。

 消えてもおかしくないか細い声でうなずく。グラズヘイムで生きる少女にしては雰囲気が繊細でお嬢様という風にも見えた。

 なぜこんな子供が? と思って考えるのをやめた。輝秋が詮索するような事ではない。

「これです」

 少女が抱えていたのは紙袋だった。二の腕くらいの大きさをした水を入れてあるだろう容器が入っているように見える。

「これを海まで運んでください、お金もその中に入っています」

「わかった」

 紙袋を受け取る。確かに少女の細い腕ではかなり重い水に思える。たぷ、と音も聞こえ瓶のようなガラス瓶の質感を紙袋の上から感じ取った。

 そして別の重みも感じた、ちらりと封筒の中身は札束だった。しかもただの一般人が持つような額ではないのでもう一度少女を見るが、目線は泳いでこちらを見ようとしない。

「あの」

「なんだ?」

「聞かないのですか?」

 少女は後ろめたいことでもあるのか、視線を泳がせてはこちらの様子をうかがっている。

 輝秋は肩を大げさにすくめて、

「聞いたら答えるのか?」

 と、意地悪そうに尋ねると少女は肩が落ちるような勢いでうつむく。まずい、聞いてはいけなかったか……と言葉を向けようとすれば、少女は首を振った。

「ようやくこれで……」

 と、言いかけ我に返ったように顔を上げる。

「とにかく、よろしくお願いします……!」

「お、おい」

 明らかに今何かを言いかけたのだが、呼び止めてもすでに遅く、少女は細い道から逃げるように駆けだしてしまった。

 輝秋は車に戻って、助手席にいたミハルに声を掛ける。

「これ持ってろ」

「うん……」

 さっきから反応が悪い。

 車を発進させてから、ミハルは携帯端末の画面から目を離していなかった。

「何を見ているんだ?」

「えっ? 何も」

「さっきからずっと携帯画面見ている」

 まさかアダルト動画を見ているわけではあるまいか、妙に不思議に思えて画面を覗きこもうとすると、慌ててミハルは抱きしめるようにして隠す。

「み、見ないで」

「変なサイトとかクリックしてないだろうな……?」

「してないよっ」

 怪しい。が、まあいい。

「大事な物だ。ちゃんと抱えて持ってろよ。お年頃だろうからエロサイトに余所見して落としたりしたら大変だからな」

「……見てないし」

 ミハルは口を尖らせながら、大事に紙袋を抱えた。

 


 グラズヘイムの昼は案外静かだ。暇つぶしに自動販売機を蹴とばす不良が拳銃を拾っては空に撃ちまくり、一方でスリ被害にあった老人は自警団に詰め寄っている。

 このまま届けてそのあとを考えた。連絡さえなければ久しぶりに車を洗おうか、それとも衣類をランドリーに預けるかミハルの服も買ってやらないといけない。こいつが同乗者として助手席に腰掛けてから、色々とやることが増えた。子供の世話などしたこともないし、面倒も見てこなかった。実家に妹がいるが、学校に入るまでずっと放置していた。その報いなのか、今更になって幼い娘の気持ちを察しないといけない時がある。

「水……なの?」

 ふと、ミハルが声を漏らし、紙袋を耳に近づける。

「らしいな」

「……ふうん」

 ミハルは試しに紙袋を横に揺らしてみせた。ちゃぷちゃぷといったような音が聴こえる。水、またはそれに近い液体とかそういうものだろう。あの娘は水とは言ったがどんな水かまでは言っていない。

「余計なことをするな」

「……」

「どうした」

「水が……しゃべってる」

 何を突然言い出すんだ。

「み、水って喋るの?」

「そんなはずないだろ」

「テル止めて!」

「うるせえぞ」

「いいから!」

 運転中だと視点が合わないのでブレーキをかけ、ミハルが抱えている瓶を見た。後ろを走っていた移動車が追突を避けサイレンを放ちつつ、車を回避していつも通りの速度で走りぬいていく中、二人はただただ瓶に入った水を凝視する。

 しばらくして紙袋がかさかさと動いた。

水――または液体――が少しずつではあるが、命を吹き込まれたかのように動き出している。瓶の蓋がかすかに見えたかと思うと、そこから染みだすようにして水が溢れ、そして蠢く。ミハルが揺らしたのかと思った。しかし、ミハルは抱えたまま身体を硬直させ、しまいには瓶から身体をのけ反りこちらの方へと抱き着く。狭い。しかし気持ちはわかる。

「離れろ」

「でも、み、水が」

 水はゆらゆらと左右に動きながら、立体的に浮かび上がって、瓶の淵に手をかけているように見える。しかしそれだけではなく、みるみる人の形をしていくのも分かった。

 どう考えても水が動いている。自然の法則とかあらゆるルールを無視して、自我を得て揺れている。

 そして、二人は何もできず呆然としたまま車内で水が蠢いている光景を見ていると、

「なんだ! ワシはなぜこんなところに!?」

 老人のような声で水がしゃべりだしたのであった。

 

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