第14話 会えない間


 夏休みがやってきた。関東平野の夏は暑い!ウイーンにいる薫がうらやましい。俺は予備校の夏期講習に行ったり、友達と出かけたり、家族旅行にちょこっと出かけたり、そして頭を悩ます宿題をやったりして過ごした。八月の下旬には、体育祭と文化祭の打合せや飾り門の作成のために毎日学校に通った。

 薫からは、週一くらいでEメールが届いた。おそらく現地でパソコンを借りて俺のスマホに送っているのだろう。俺もあまり筆まめでなく、LINEを交換してもほとんど使わない。薫とも、毎日会えるのだからとお互いにメールやLINEのやりとりはほとんどしていなかった。薫もそんな感じだから、海外でスマホが使える状態にはしていないのだろう。そもそも時差があるし、あいつもヴァイオリンの練習に忙しいだろうし、こまめに連絡は取っていなかった。それにしても、かつての名無しのラブレターもそうだったが、シンプルというか、味気ないというか。

「京一、元気ですか?僕は今日もヴァイオリンを一日中練習しました。」

とか、

「昨日はオーケストラのコンサートに行きました。」

とか、ほんとにそれだけのメールだった。俺もそのアドレスに返事を返した。

「今日は、予備校に行って、その後彰二とプールに行きました。」

とか、そんな感じ。早く薫に会いたいなあ。毎日そんな事を思いながら過ごしていた。


 そして、やっと九月一日がやってきた。待ちに待った、薫に会える日だ。朝からワクワクして早めに登校したが、薫はなかなかやってこない。始業式ではまた役員は早めに体育館に行かなければならないのに。

 仕方なく、薫が登校する前に体育館へ移動した。具合でも悪いのでは、と心配になった。檀上で我がクラスの入場を見守っていると、薫はちゃんとそこに並んでいた。よかった。

 教室に戻ると、クラスメートはすでに席についていたが、薫は机に突っ伏していた。

「薫、どうした!具合でも悪いのか?」

俺が駆け寄って薫の背中に手を置こうとすると、

「違うよ、時差ボケなんだって。本気で眠ってるよ。」

と、薫の前の席の奴がそう言ってくすくすと笑った。俺は手を引っ込めて、起こさないようにそのまま自分の席に座った。せっかく会えたのに。でも仕方ないか。昨日帰ってきたばかりだもんな。


 「おい、終わったぞ、薫。」

担任の話も終わり、今日はこれで下校だった。俺より先に、津田が薫を起こした。俺はこの後帰らずに生徒会室へ行くので、薫と一緒には帰れない。薫も部活があるのかどうか、これじゃ部活どころではないだろう。

「ん?あれ、終わったの?」

薫はやっと起きて、眠そうな目をこすった。まだ目が半開きだ。

「お前、そうとう眠いな。」

俺がくすくす笑うと、その半開きの目で俺を見たが、次の瞬間目を見開いた。そして、うつむいた。あれ、なんでだ?

「俺は生徒会室に行かないと。薫、居眠り運転するなよ。」

俺は、そう言って薫の頭をポンポンと叩いた。

「俺が一緒に帰るから大丈夫だ。」

と、津田が言った。仕方ない。今日はこれでお別れか。俺は生徒会室へ向かった。


 翌日、とうとう席替えになった。まあ、そりゃそうだろう。そして、やはり薫とは離れてしまった。でも、もう話しかける口実もいらないし、席が遠くたって大丈夫。と、思ったのは甘かった。時差ボケというのはどのくらい続くのか、毎時間、十分休憩には机に突っ伏して寝ている薫に、俺は話しかけるチャンスがなかった。昼休みは薫が部活、放課後は俺も生徒会の仕事。なんと、本当に挨拶すらままならぬ日がもうすぐ一週間になろうとしていた。

 このままじゃいかん、と焦った俺は、生徒会の仕事の合間に室内音楽部のいる音楽室に赴いた。薫は、ちゃんと起きてヴァイオリンを弾いていた。俺は音楽の事は良くわからないが、薫が一段とかっこよく弾いているような気がした。すると教師の松永が、

「薫、腕を上げたな!」

と、言った。また、薫と松永は仲良さげに話をしている。そりゃあ、二人はヴァイオリンの話で盛り上がるだろうよ。ふん、面白くない。

 結局話しかけるタイミングはなく、俺はその後校門のところへ行き、K高祭の看板の作成に取り掛かった。あまり仕事をさぼって他の役員に押し付けているわけにもいかない。しかしこれは時間がかかるがけっこう楽しい作業だ。体育祭は明後日、文化祭はその翌日の土曜日と日曜日だ。生徒会役員は、とにかく明日までに門を作らなければならない。下校する生徒が脇を通る中、我々はあーでもないこーでもないと言いながらペンキを塗ったり釘を打ったりしていた。

「矢木沢さん、これでどうですか?」

後輩が出来栄えを聞いてきたが、そいつの顔を見たら黄色いペンキが鼻の頭に付いていて、思わず噴き出した。

「お前、鼻に付いてるぞ。」

笑いながらそう言うと、その後輩は

「えっ?」

と言って焦って手で鼻をこすった。が、そもそも手にペンキが付いていたので、当然更にペンキが広がる。

「ああ!バカ。こするな!」

俺はそう言ってそいつの腕をつかんだ。周りの役員も彼の顔を見て大笑い。と、そこへ須藤が通りかかった。

「矢木沢君、お疲れ様!また明日ねー。」

須藤は無邪気にそう言って手を振った。

「おう!」

俺はそう言って、周りをさりげなく見渡した。室内音楽部の面々が門を通り過ぎている。薫は・・・なんと、もう門の外に!自転車を押しながら、他の生徒と話している。俺に何も言わずに素通りか?いくら仲良くしているのを周りに悟られないためとはいえ、須藤だってこうやって挨拶してるのに!

 だが、なんだろう。俺も薫に声をかけられなかった。避けられている・・・多分そうだ。そうでなかったら、こんなに話もできずに何日も過ぎるはずはない。なんでだろう。まさか、他に好きな人ができたとか?すごく、胸が苦しい。そして、それを確かめるのが怖い。


 長く離れていると、自然消滅することもあるのか。あんなに会いたかったのに、会ってみたら会えなかった時よりももっと薫を遠く感じる。電話をしようか。でも、もし出てくれなかったら。そう思うとかけられない。そもそも、電話とかメールとか、俺には向いてない。学校で会えるんだから、ちゃんと顔を見て話したい。明日こそ、どうにか薫を捕まえて話そう。

 翌朝、薫はもう机に突っ伏して寝てはいなかった。俺は、教室の真ん中辺りにある薫の席まで歩いていこうとした。机と机の間は狭い。が、そこで他の友人に捕まる。

「矢木沢、文化祭の出し物のことなんだけどさ。」

相談を持ち掛けられては無視できない。そこで立ち止まって話をしている間に、先生が来てしまった。うう。自分の席へ戻る。

 次の休み時間、今度こそと思って薫の席へ向かった。何とか無事にたどり着く。

「薫。」

そう声をかけると薫は俺を仰ぎ見た。ああ、やっぱりなんて美しい目をしているんだ。が、その後なんて言っていいのか分からない。

「えーと。」

薫は何も言わない。困った。このままだと周りが俺を変に思うぞ!どうしたら。

「滝川、夏休みにウイーンに行ってたんだって?どうだった?」

急に俺の肩に手を回し、薫に話しかけたのは彰二だった。彰二!俺を救ってくれたんだな!

「うん。まあ。」

薫はそっけない。あまりにそっけない。それで、どうしようかと思っていると、彰二は俺を押して教室の後ろの方へ移動した。何か聞かれるかと思ったが、彰二は何も言わずに俺を見ている。

「なんだよ。」

俺はその視線に耐えかねてそうつぶやく。

「お前、何かやらかしたのか?」

「え?いや、何もしてない、はずだ。」

「ありゃあ、どう見ても怒ってるぞ。うん。嫌われてるっていうより怒ってるな。」

「え?そうなのか?」

そう言われて俺は腕組みをして考えた。何か怒らせるような事をしたのか、俺は?

「ちゃんと電話とかしてるか?と言っても、お前らは学校で会えるしなあ。」

「なるほど、お前は電話しないと彼女に怒られるってわけだな?」

「そうそ、女とはそういうものだ。が、薫君は女ではない。俺にゃ分からん。」

彰二は肩をすくめて自分の席に戻った。俺はちらっと薫を見た。薫はこちらを見もせずに教科書を机から取り出していた。俺も自分の席に戻り、考えを巡らせてみる。しかし、ちっとも怒らせた原因など思い当たらない。どうやら、ただ話をすればいいという問題でもなさそうだ。声をかけても話してもらえない可能性がある。人前でそうなるとさっきのように窮地に立たされる。彰二が助けてくれなかったらどうなっていたことか。

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