第12話 過去


 テストも終わり、部活動も再開し、新しく発足した役員会もほぼ毎日のように会合を開いた。夏休みが明けたらすぐにある、体育祭と文化祭の準備が始まるのだ。講演会に誰を呼ぶか、特設ステージでは何をやるか、まずそこから。そして交渉したりタイムスケジュールを決めたり、各部やクラスの長たちを呼んで会議もしなくてはならない。やることは山ほどある。

 薫と一緒に帰ることは、毎日続けていた。薫の部活が終わる頃に自転車置き場で俺が待つ。一緒に帰るくらい、仲の良い友達同士なら普通にやることだよな、と思って。話はそうやって毎日できるけれど、触れることができない。普通に肩とか背中とかを触ることはできるけれど、もっともっとくっついていたいのに。そして・・・恋人同士ならする、キス、とか。いやいやいや、そんなこと、薫だって望んでるかどうか。でも、やっぱり、してみたい。考えただけでドキドキする。


 ある日の休み時間、いきなり教室に元生徒会長の秋元さんが来た。有名人なので、クラスメートの注目度も高い。

「矢木沢、ちょっと。」

と、やはり俺に用事があるようだ。

「何ですか?」

俺は、そう言いながら教室の後ろの戸口へと向かう。秋元さんも教室内に入ってきて、教室後ろの真ん中辺りで落ち合う。

「文化祭の準備は順調か?」

「はい。任せてください。」

「そうかそうか、まあ、心配はしてないよ。それはそうと、お前最近仲良くしてる子がいるそうだね。」

そう言って、秋元さんは教室を見渡した。みんな注目中だから、顔が全員見えるようなもの。そして、薫の上で秋元さんの視線が止まる。

 すると、おもむろに秋元さんは俺を後ろの壁に押し付け、手をついた。壁ドンってやつだ。そして、なぜだろう、なぜ体が動かなかったのだろう。俺は、唇を奪われた。秋元さん、わざと薫に、とかいうレベルじゃない、クラス中に見せびらかすために、わざわざここへ、俺にキスをしに来たのだ。受験勉強でおかしくなっちゃったのか?生徒会活動ロスか?

 秋元さんは、俺にキスをすると、そのまま何も言わずに帰っていった。ご機嫌な感じで。クラス中の奴らが、唖然とした表情で俺を見ていた。薫は、泣きそうな顔で見ていた。そして、

「京一、大丈夫か?」

と、ちょっと笑いながら彰二が、壁に倒れ掛かっている俺を起こした。

「笑い事じゃないから。」

俺、初めてだったのに・・・。ひどいよー。セクハラだー。いくら俺でも泣くわ、泣く。

 だが、ここで取り乱したりしたら、かっこ悪すぎる。クラス中が注目しているのだ。キスの一つや二つ、大したことないしって顔を何とか作らなければ。

「いや、やっぱ笑い事だな。あはははは。なんだよ、秋元さん、何しに来てんだよって、はははは。」

「そっか、お前・・・。」

彰二は何かに気づいたようだ。そう、たぶん俺が今までに彼女とか作ったことないって事に気づいて、気の毒だと思ったようだ。

「元気出せ、今のは事故だ。数のうちには入らないよ。」

と、慰めにもならんことを言った。


 昼休み、いつもは教室にいるけれど、さっきのショックからまだ立ち直れず、俺は一人で人のいないところへ向かった。屋上は鍵がかかっているので、屋上へ続く階段は誰も来ないのだ。しかし、上っていくと声が聞こえた。津田の声だ。

「薫、忘れたのか?中二の時のことを。矢木沢はやめとけ。あんなチャラチャラした奴は絶対にダメだ。また同じ思いをするぞ。」

何?聞き捨てならないことを言ってるぞ。俺は隠れて話を聞いた。

「京一は、同じじゃないよ。」

薫が口を挟むが、すぐに津田が言葉を繰り出す。

「薫、秋元先輩から何度も脅されてただろ。他にも、誰かに何か言われてんじゃないか?」

「そんなの全然平気だよ。」

俺は、思わず階段を上った。

「薫、本当か?」

「矢木沢、聞いてたのか?」

津田が驚いて振り返る。薫もびっくりして俺を見た。

「薫、俺に何でも話してくれよ。じゃなきゃ、守れないだろ。」

俺がそう言うと、津田は俺の方へ詰め寄って、胸倉を掴んだ。

「お前みたいなチャラチャラした奴には、薫は任せられない。薫は俺が守る。」

「津田、お前も薫の事が好きなのか?」

「友達として好きなんだ。薫はな、中学の時につらい思いをしてんだよ。二度とあんな目には遭わせられない。」

「つらい思いって何だよ。」

津田は、俺の胸倉を離した。

「薫の背がまだ低かった中二の頃、三年生の先輩で、全国レベルのランナーがいて、みんなの憧れだったんだけど、急に薫のことを可愛がるようになったんだ。その先輩、どことなくお前に似てるんだけどよ。ある時、部室でその先輩が薫にキスしたんだ。俺はたまたま目撃しちゃってびっくりしたけど、もっとびっくりしたのは、それを他の三年生の先輩たちも見ていて、急にはやし立てたんだ。彼らは、薫が嫌がらずにキスさせてくれるかどうか、賭けをしていたんだ。あの先輩が賭けに勝ったというわけだ。そして、それ以来薫の事はポイだよ。」

津田は苦々し気に吐き捨てるように言った。

「明るくて快活だった薫が、それ以来すっかり変っちまって。他の二年生には知られてなかったから、みんな薫はどうしちゃったんだろうって言ってた。俺は、俺だけが知ってるから、何とか薫を元気づけようと思って。」

「達也、ありがとう。達也には感謝してるよ。」

薫は微笑を浮かべながら言った。

「でもね、達也。京一は大丈夫だよ。前に確かめたんだ。ラブレターを下駄箱に入れたことがある。」

「え?」

俺も驚いたけれど、津田も驚いたようだ。

「何?いつの事だよ。」

「三月の中頃。名前は書かなかったけど、ラブレターってわかるように書いたつもり。それを、京一は読んでたけど、人に見せたりしなかった。面白がって周りに見せるかなと思ったけど、森村君にも見せていなかった。だから、京一は大丈夫。あんな先輩たちとは違うよ。」

あのラブレターは薫が入れたのか?そうだったのか。薫だったのか。もう既に、俺はあのラブレターで薫にやられてたんだな。いやしかし、あそこで試されていたとは。

「京一は、見た目ほどチャラチャラした奴じゃないぜ。」

いきなり、彰二が現れた。お前こそ、いつから聞いてたんだよ!

「こう見えて、今まで彼氏も彼女も作ったことがない。卒業式の時のボタンの話しただろ?あいつはそうやって、誰にもボタンはあげなかった。プレゼントとか用意してる女子がたくさんいたのに、受け取らずに走って逃げ帰ったんだぜ。こう見えて硬派なんだ。」

誉められた気がしない。経験がない、とはっきり言われるのは、あまり嬉しくない。

「本当か?女にモテすぎて女嫌いになってるとかじゃないのか?」

と、津田が言う。彰二はさあね、と肩をすくめた。

「だから、今日のファーストキスはひどい。セクハラだ。滝川、何とか京一を慰めてやってくれよ。」

彰二はそう言って、津田を引っ張って行った。今、薫と二人きりになるのは、なんだか気まずい。俺が秋元さんとキスしたという事実は消えいないし。薫とよりも先にしちゃったんだし。あ、薫はつまり、その先輩とやらにキスされたってわけだから、もうファーストキスは済ませてしまったということか?つまり・・・

「同じだね。おあいこ。」

薫がそう言って笑った。

「え?何が?」

俺が聞き返すと、

「先輩にファーストキスを奪われちゃったもの同士。」

そう言われて、俺は力が抜けて笑えた。

「意外に明るく言うじゃん。」

俺は壁に寄りかかって、そのままストンと腰を下ろした。薫も隣に座った。

「京一を好きになったから、もう過去の事はどうでもいいんだ。」

「そうだ、秋元さんに何か言われてたのか?」

「うん。一緒に帰るのをやめないと、京一の事を奪うよって。」

呆れた。でもまさか公衆の面前でキスとは。あの人やっぱり怖いわ。

「でも、京一がキスした事ないなんて、思ってなかった。ずいぶんモテるから、とっくに経験済みかと思ってたよ。」

薫はいたずらっぽく笑った。確かに、四月の頃よりも明るく笑うようになったと思う。この笑顔を、俺が取り戻したのか?

 俺は、少し薫の方へずり寄って、体をくっつけた。せっかく人がいないんだから。そして、片手で薫の頭を引き寄せ、俺の方へ寄りかからせた。幸せ。

「薫は、キスした先輩の事、好きだったの?」

「よくわかんない。みんなの憧れの先輩が、急に僕にだけ優しくなって、舞い上がってたのは確かかな。キスされた時は、ただびっくりして体が動かなかったっていうか、頭が働かなかかったっていうか。」

「分かるわー。なんでよけなかったんだろうって、後になって思うけど、その時は動けないんだよな。」

「そうそう。」

薫はそう言って笑った。そして、少しの間二人は黙って寄り添っていた。

しばらくして、俺は思い切って言ってみた。

「キス、しよっか。」

ものすごく手に汗をかいている。薫は寄りかかっていた頭を起こして、俺の方を見た。

「うん。」

そう薫は言って、またこぶしを胸に当てた。ドキドキしてるんだな、お前も。

 俺は薫の肩に手を置き、少しずつ顔を近づけていった。すると、

「京一!何やってんだ、先生来たぞ!」

彰二が下から叫んだ。そういえば、さっきチャイムが鳴ってたような。残念。俺と薫は走って教室へ戻った。

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