第10話 放課後
定期テスト前一週間になった。部活はお休み。生徒会の会合もテストが終わるまではない。彰二と一緒に教室を出て、他のクラスメートも一緒にワイワイと下駄箱へ向かったが、うっかり資料集を忘れたことを思い出した。いつもは置いて帰るが、テスト勉強で使うのだ。
「あ、わりい。忘れ物した。先帰ってて。」
と、彰二とみんなに言って、俺は一人で教室へ戻った。
教室に入ると、なんと薫が一人で座っていた。
「あれ?帰らないの?」
と俺が言うと、薫はびっくりして顔を上げた。
「京一、どうしたの?」
「忘れ物さ。これ。」
と言って俺は自分の机の中から資料集を出して見せた。そして鞄にしまう。
「先生に質問しようと思って職員室に行ったらね、これから職員会議だから一時間くらい待っててって言われちゃったんだ。だからそれまで教室で勉強してようと思って。」
と、薫は言った。
「そうなんだ。何の教科の質問?」
「古文。」
「源氏物語、難しいよな。」
と俺が言うと、薫はうつむいた。
「どうかした?」
と俺が言うと、
「宇治十帖が嫌いなんだ。」
と、薫がポツンと言った。
「もしかして、薫、が出てくるから?」
俺はちょっと笑いながら言った。すると薫はちょっとふくれっ面をした。
「あ、ごめん。笑ったりして。」
俺は慌てて謝った。
「“薫”って、梅のようないい香りがするんでしょ。同じ名前を持ってると思うと、恥ずかしいっていうか。薫って名前の人がみんないい香りがするわけじゃないぞっていうか。」
ちょっとふくれっ面のまま、薫がそう言った。可愛くてちょっとからかいたくなる。
「“薫”も自分ではわからないんだろ?だったらお前だって、自分ではわからないだけかもよ。」
そう言って、俺は薫の机と俺の机とにそれぞれ両手をついて、薫の首筋に顔を寄せた。
「ほら、いい香りがする。」
「うわあ、やめてくれよ。」
そう言って、薫は両手で頬を抑えた。間違いなく顔が真っ赤だ。
だめだ。このまま引き下がれない。止められない。止まらない。
両手はさっきのまま。つまり、だいぶ顔が接近した状態のまま、俺は薫を見つめた。薫は頬に手を当てたまま、俺の目を見た。
「薫、好きだよ。」
「えっ。」
薫は頬に当てていた手をゆっくりと放した。
「中庭で、薫がヴァイオリンを弾いているのを見た時、ここをやられちゃったんだ。」
俺は自分の心臓を親指で指さした。
「・・・ほんとに?」
小さな声で、薫は聞いた。俺は頷いた。薫はしばらく何も言わない。
あ、俺ってばなんて早まったことを!異性からの告白ならまだしも、同性からの告白なんて、驚いて声も出ないのでは?というか、気持ち悪い、怖いって絶対思ってるよな!
「あ、えっと。急にこんなこと言われたら驚くよな。気持ち悪いよな。ごめんごめん。」
俺は、そう言って立ち上がり、少し離れた。あー、言ったこと後悔。
「薫、怖がらないで。お前が嫌がることは絶対にしないから。」
後ずさりしながら、両手をお手上げ、みたいに上げて苦笑いすると、薫が、
「僕は、もっと前から、好きだったよ。京一のこと。」
そう言って、そっと俺を見上げた。
「えっ?」
「あの時は本当にびっくりした。あの、中庭でヴァイオリンを弾いてた時。」
「何?」
「どうしたら好きな人に想いを伝えられるだろうって、考えてた。どうか、僕の想いを届けてくださいって神様に祈りながら恋の曲を弾いてたんだ。そうしたら、いきなり目の前に好きな人が現れた。心臓が止まるかと思ったよ。」
え?好きな人?って、俺の事か?
「でもお前、あの時俺をちらっと見ただけで、すぐに視線を反らして普通に弾いてたじゃんか。」
「びっくりして、すぐに目を伏せちゃったんだ。心臓がバクバクだった。」
「全然わからなかった。かっこよくヴァイオリン弾いてたから。」
「僕は、京一の事がずっと好きだったんだ。」
薫はそう言ってうつむいた。顔がまだ真っ赤だ。俺はまた薫に近づき、片手で薫の頬に触れた。
そこへ、スリッパの音が聞こえてきた。美也ちゃんが来るのだろう。俺は名残惜しかったけれど、薫から手を放し、改めて鞄を持った。
「じゃあ、また明日な。」
俺はそう言って教室を出ようとした。そこへ、美也ちゃんが入って来た。
「滝川君、お待たせ。あら?矢木沢君も質問があるの?」
「いいえ。忘れ物を取りに来ただけです。もう帰ります。」
俺はそう言って教室を出た。が、その時ににこにこしながら美也ちゃんが薫に近づいていくのを見て、思わず、
「美也ちゃん、俺の薫に手を出すなよ。」
と言ってしまった。美也ちゃんはびっくりして俺を見た。
「なんてね。良く教えてやってくださいね、美也ちゃん。」
と言い直して立ち去った。
気を付けていないと、顔がにやけてしまう。ああ、薫も俺の事が好きだったなんて。両想いじゃないか。これからは遠慮せずに話しかけていいんだ。思わず片手でこぶしを握る。よっしゃ。
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