揺れる心

「はい、おしまい。お疲れ様」


 そう言うと彼女は私の腕の中にすり寄ってくる。それはまるで猫のようだった。こういった意思表示をしてくれることは、彼女が少しずつ自分を取り戻している証拠だろうか。


「今日はどうする?部屋の外に、出てみる?」


 彼女を抱きしめながら、一応聞いてみる。今までも何度も同じ質問を繰り返しているが、残念ながら彼女は一度も首を縦に振ることはなかった。だから今回も私は、断られることを承知で機械的にそう言った。


 が、しかし。


「どうしたの?」


 彼女は顔を動かさなかった。いつもならすぐに嫌という意思表示を見せていたのに、彼女は困ったような、迷ったような表情をしていた。


「・・・もしかして、出たいって思っているの?」


 その質問に、彼女は僅かに肯定を返す。私はそれに少しだけ驚いた。彼女が意思を示すようになった時は大きな一歩だと思っていたが、この肯定もその一歩と同じくらいのものだった。どうやら彼女は、心の中では部屋の外に出たいと思っているようだった。しかし実際に出るほどの勇気が出ず、うまく肯定を返すことができなかった。だからこそ彼女は、困ったような表情をしたのだろう。


 その彼女の前向きな気持ちに、私は戸惑う。彼女に辛い思いをさせたくない私は、その前向きさが心の傷を深くしてしまうのではないかと心配だった。


「無理をする必要はないのよ。私は貴方に強要はしない。貴方は本当に自分がしたいと思うことだけ、すればいいわ。『立ち直らなきゃいけない』って気持ちに押されたなら、きっと辛い思いをするだけになる。時間をかけてゆっくりと取り戻していけばいい。だから、無理をする必要なんてないわ」


 私は念押しをするように、彼女に言い聞かせる。その上でもう一度聞く。


「それでも、部屋の外に出てみたい?」


 彼女は少しの葛藤を示す。心の中で思いが揺れ動いているようだった。だが最後にはちゃんと自分の意思で、首を縦に振った。


「・・・分かったわ。怖いかもしれないけど、大丈夫。私がついていてあげるわ。だから心配しないで」


 部屋の外の世界を恐れているであろう彼女。だがそれでも、彼女は外に出たいという意思を示した。なら私は、それに従うまでだ。従った上で、できる限り彼女の助けとなる。少しでも彼女が、怖がらないように。そのために私は、彼女の側にいるのだから。


「それじゃあ行きましょう?立てるかしら」


 彼女の手を握り、私は立ち上がる。しかし当然、彼女はすんなりとは立ち上がれない。私は無理矢理立ち上がらせたりはせず、彼女が自分の力で立ち上がることができるのを待つ。握っている彼女の手は震えていたが、その震えには今までにない強い意志を感じられるようだった。


「・・・・・・・・ん、ん・・・!」


「ゆっくりで構わないわ。貴方のペースで、頑張ればいいの」


 だから私はもう「頑張らなくてもいい」とは言わなかった。立ち直ろうと必死になっている人を前にしてそんなことを言うほど、私は無粋な人間ではない。ただ優しく、その姿を見つめる。ほんの少しだけ手を貸しながら、彼女が成し遂げるのを見守る。それが唯一私にできることで、私のすべきことだった。


 時間はかかったが、彼女は自分の力で立ち上がる。すると、そのまま私の胸に飛び込んできた。


「あっ、大丈夫?よく頑張ったわ。流石よ、シルファ」


「ぁ、う」


 彼女を受け止め、何度もしてきたようにその体を抱きしめる。


「それじゃあ今度こそ、行きましょう?」


 もう一度彼女の手を握り直し、私は歩き始めた。すると彼女は私の腕に縋り付きながらも、自分の足で歩く。震える体をほんの少しでも安心させてあげようと、私は彼女の手をぎゅっ、と強く握りしめる。そして私はゆっくりと扉を開け、部屋の外へと出た。彼女は怯えながらも、その扉を超える。

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