4章

穏やかな時間

 それから数日が過ぎた。相変わらずシルファは何も答えてはくれなかったが、私はそれなりに幸せな日々を送っていた。もちろん彼女が心を取り戻してくれることが何よりだったが、側に彼女がいるというだけで、私は嬉しかった。そして、彼女の力になれているということも。私は彼女といるだけで、心が満たされていた。どんな行いも彼女のためなら、苦痛を感じることはなかった。


「何度も言っているでしょう。私はこの部屋を出て行くつもりはないわ」


 その日私は部屋の外で、執事と言葉を交わしていた。


「しかしアイシア様、いつまでもこのようなことを続けるのは・・・」


「何を言われたって私は自分の意思を曲げるつもりはないわ。諦めて頂戴」


「シルファ様を想う、アイシア様の気持ちも分かります。ですがやはりここは、専門的な知識を持った者に任せるのがシルファ様のためです」


「シルファには私が必要なの。私が、私が側にいることが、シルファのためなのよ」


「アイシア様、それは・・・・・」


「・・・確かに、これは私の我が儘かもしれないし、自分勝手な思い込みかもしれない。けどね、それを分かった上で私はそう言っているの。だからお願い、彼女のことは、私に任せてほしいの」


「しかし、リオル様もご心配されているかと・・・」


「いいのよ、お父様のことなんて。お父様は私のことなんて、これっぽっちも心配なんかしちゃいないわ」


「そんなことは・・・」


「そうなのよ。いつだって自分のことばっかり。私のことを気にかけたことなんて、一度もない」


「そんなことはありません。リオル様はとてもお優しい方です。いつも民のことを一番に考え、国をよくするために努力を惜しまない方です」


「それが自分のためって言ってるのよ。もし仮にそれが人のことを考えていたとしても、結局そこに私は含まれていないわ。面倒なことは全部お母様に押し付けて、お母様が亡くなった後は、今度はシルファに押し付けて」


「・・・・・」


 私は低い声で言い放つ。


「もう私の前でお父様の名前を出さないで頂戴。あんな人を私は親と認めないわ。私を育ててくれたのはお母様と・・・・・シルファだから」


 それだけを言い残して、私は部屋へと戻った。シルファは怯えていたが、私の姿を確認すると、私を求めるように表情を変えた。


「待たせてしまってごめんなさいね。大丈夫よ。心配しなくたっていなくなったりしないわ」


「ん・・・・・ん・・・・・!」


 近づくと、彼女は私に縋り付く。最初の頃は私の存在に怯えていたが、今となってはすっかり私のことを信頼してくれていた。それは信頼と言うよりも依存に近かったが、拒まれるよりはいいと、そう思えた。


 縋り付く彼女の体を抱きしめ、安心させる。依存しているのは、私も同じかもしれない。私も彼女に、彼女の存在に、心のよりどころを求めている。


「さ、今日も体を拭かなきゃね。湯船に浸かれたらそれが一番なのだけれど・・・」


 彼女はブンブンと首を横に振る。


「分かっているわ。湯船に浸からなくても大丈夫なように、私が綺麗にしてあげるわ」


 彼女のために私は、彼女が生きていく上で必要な全てを手伝う。それは食事から排泄に至るまで、文字通り全てだ。入浴ももちろんそのひとつだが、熱いものを怖がる彼女を湯船にいれることはできないため、私が毎日彼女の体を布で綺麗にしていた。


「服、脱がすわね」


 言いながら彼女の着ているものを脱がし、丁寧に彼女の体を拭く。こんな時間を過ごすのも、もう何回目だろう。穏やかに過ぎていくこの時間が、心の底から幸せだった。


「どう、冷たくないかしら?もう少し温かい方がいい?」


 彼女は口では答えないが、私の問いに頷いてくれたり、或いは否定したりと、少しずつ自分の意思をはっきりと見せるようになった。だから私は必ず、彼女にイエスかノーで答えられる問いを投げかける。今回彼女は首を横に振った。「ちょうどいい温度だから大丈夫」と、そう言いたいのだと私は解釈する。全身をくまなく拭き取ると、私は彼女に服を着せてあげた。

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