限界
話を終え、私は再び先ほど座っていた場所と同じところに腰を下ろした。
「ごめんなさい、不安にさせてしまったわね。安心して、この部屋には誰も入れないと誓うわ。ここはずっと、私と貴方の場所よ」
「う、うううぅ・・・・・」
私は、彼女の姿に思いを巡らせる。一体何があったのか、何が彼女を、こんな風にさせたのか。それを私は、足りない頭で考える。
だけど私の頭では、とても想像できなかった。彼女の味わってきた苦痛の、その一片さえも。蝶よ花よと育てられてきた私には、想像を絶するものだった。拷問という言葉を聞いても、言葉の意味を理解できるだけで、実際の行いは知るところではなかった。おそらく私の想像は的外れもいいところで、その恐ろしさをほんの少しも表現できていないことだろう。
一体誰が、彼女に、酷いことを。
苦痛を、強いたのか。
「・・・・・どうしてこんな、酷いことができるのかしらね・・・」
小声で私は呟く。彼女に酷いことをした者に、怒りがこみ上げる。同時に、悲しみも沸いてくる。どうしてこんな風に、人を傷付けることができるのだろう。人を傷付けるなんて、自分も傷付くだけなのに。
楽しいことなんて、ひとつもないはずなのに。
「貴方が傷付けられる姿を見るのは、本当に辛いわ。自分が傷付く以上に・・・心が締め付けられる」
今度は彼女に語りかけるように言う。
「やっと会えたのに、貴方に触れることもできないなんて・・・本当は今すぐに抱きしめてほしいわ」
自分の願望を吐露する。側にいながらも触れ合えないのは、彼女が側にいなかった時以上に、辛いように思えた。
「どうして貴方が、こんな辛い思いをしなければならないのかしらね。貴方はずっと、誇り高く生きてきたと言うのに。誰よりも正しく、誰よりも真っ直ぐ、生きてきたと言うのに・・・」
願望だけでなく、私の心の中にあった思いを吐露し続ける。その思いは次第に熱を帯び、私は感情を抑えられなくなる。
「誰が貴方を、こんな風にしたって言うの・・・?誰が貴方をここまで追い詰めたの?貴方がこんなことされる理由なんて、ないじゃない・・・・・!」
どうして。
どうして。
「一体、誰が、こんなことを・・・!!」
「ひ、ひぃ・・・・・!」
「あっ・・・ご、ごめんなさい、私・・・・・」
感情に火がつき、思わず私は大声を上げてしまった。その声に怯え、彼女は悲鳴を漏らす。自分が怒鳴られたのだと思い込み、彼女は必死に謝罪する。
「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!許して、許してぇ・・・・・!」
「ち、違うのシルファ!今のは・・・・・」
取り乱したのは私の方だった。自分の失言を後悔し慌てた私は、思わず一歩、彼女に近づいてしまう。
「いやああああああああああああ!!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!やめて、やめてぇえええええ!!」
彼女は泣き叫ぶ。怒鳴った私のことが、本当に恐ろしく思ったのだろう。気付けば、彼女の座りこんでいる床が濡れていた。それは止まることなく、床の絨毯を濡らしていく。私は一瞬何が起こったのか分からず、それを見て思考が止まってしまった。
「あ・・・・・シルファ、それ、」
「あ、ああああぁぁぁ・・・・・!ご、ごめんなさい、ごめんなさいぃ・・・・・!!す、すぐに、綺麗に、しま、す、から」
「は・・・・・・・な、なに、を」
そう言うと彼女は、何の躊躇いもなく床を舐め始めた。最低ながら私は、それに絶句してしまう。「そんなことやめて」の一言さえ言えなくなる。そもそも、彼女が一体何をしているのか、思考がついてこなかった。目の前で何が起こったのか、分からなかった。だから私は少しの間、彼女が自分の尿を舐めるその様を、見続けることになった。
「ん、んふ、く・・・・は、ぁ」
彼女は絨毯に染み込んだものまで綺麗に舐め取ろうとする。それは舐めると言うよりも吸い出すと言った方が正しいくらいだった。何度も覚悟したはずなのに、これが私の知るシルファなのかと、目の前の彼女を否定したくなる。だが、何かに怯え、泣きながら必死に醜態をさらす彼女を見て、私は体が引き裂かれるような悲しみを感じた。
「やめてシルファ!そんなことしなくていいの!」
「んん・・・んんんん・・・・・!」
私の言葉を聞き入れることなく、彼女は床を舐め続ける。
「お願いシルファ!やめて!そんなことしないで!そんなことしなくても誰も怒らないわ!誰も貴方を責めたりしない!」
「ん、ぐ・・・」
「お願いやめて・・・・・シルファ・・・・・・・・!!」
懇願するように、私は声を絞り出す。それでも彼女は、やめようとしない。その時、扉の向こうで声がした。
「アイシア様、どうかなされましたか・・・!」
食事を持ってきた執事が、私の叫び声に反応したようだった。ただならぬ状況だということを、声から察したのだろう。部屋の中に入ろうとしているのが分かった。
「入らないで!!」
「しかし、アイシア様・・・・・」
「いいから!!絶対に入らないで!!」
「・・・・・」
私の殺気じみた感情が伝わったのか、執事は扉を開ける手を止めた。こんな姿をしたシルファを、私以外の誰かに見せたくはなかった。それ故に私は、怒鳴るように声を荒げた。それから、シルファに向き直る。
「ご、ごめんなさい・・・!早く、はや、く、します、から・・・・・!」
彼女はまた私の怒鳴り声を、自分に向けられたものだと思ったようだった。必死に舌を動かして命令してもいない義務を果たそうとする。
私は。
そんな彼女の姿を見ることが。
もう、限界だった。
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