最愛を拒む

 彼女が突然。


 悲鳴をあげた。


 まるで、恐ろしいものでも見たかのように、彼女は私を見る。


 その目は、酷く濁っていて。


 酷く、怯えていた。


 彼女がそんな目で私を見るのは、初めてだった。


「!?シルファ、どうしたの!?」


「ひ、い、いいいいいいいいいいいいいい」


 空を掻くように、彼女はベッドから逃げる。いや、私から逃げる。ベッドから転げ落ち、地面にみっともなく這いつくばる。それでも、一センチでも私から遠ざかろうと、泣き喚きながら必死に四肢を泳がせる。歩いた方が早いと言うのに、彼女はそうしない。まるで、歩くことすらできないかのようだった。


「あぁあ・・・あぁぁあああああ」


「シ、シルファ・・・・・」


 あまりの出来事に、私は呆然としてしまう。一瞬、彼女がシルファではないと、疑ってしまうほどだった。それほど今の彼女の姿は、私の記憶の彼女に一致しない。それは多分、私だけじゃない。私の後ろにいる、普段から慌てた素振りひとつも見せない執事も、驚いているようだった。彼女がここまで取り乱す姿を、私は知らない。だから私は、一体彼女に何を言えばいいのかが分からなかった。


「ひ、・・・ひ、い」


 部屋の隅っこに辿り着くと、彼女はそこで膝を抱えた。両手で顔を覆い片目で私を見る。私をまるで異形の生物だと、そう語るような目で。


 彼女にそんな目で見られたことが、私の心を抉った。何が、何が彼女を、そうさせたのか。何故彼女がそんな目で、私を見るのか。それが怖くて、苦しくて、私は言葉を失ってしまった。


「・・・・・ど、どうしたの、シルファ。わ、私よ、この国の王女アイシアよ!私は、貴方の・・・・・」


「あああぁああぁ・・・・・・あぁああああぁぁあああ・・・・・・・」


「貴方の・・・・・・・。私が、分からない、の・・・・・・?」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 彼女は答えない。ただ狂ったように、悲鳴をあげるだけ。私が目の前にいるのに、それをどうでもいいと言うかのように。いや、むしろ私の存在を恐れるかのように。彼女はただ震えながら、泣き叫ぶ。


「どういう、こと・・・・・?」


 私は後ろを振り返り、情けないながらも助けを求める。


「・・・・・おそらくですが、シルファ様のご様子を見る限り、彼女は外的な拷問ではなく、内的な拷問・・・つまり心に傷を負われたのかと思われます」


 狼狽えたのは一瞬だったのか、慌てふためく私を宥めるように、冷静に言う。その精神力を見習いたかったが、残念ながら私はそんな風に冷静ではいられない。


「心に・・・?」


「はい。一言で申しますと・・・洗脳のようなものかと」


「・・・・・・・・・・・・そんな」


 愕然とする。せっかく彼女が無事に帰ってきたと思ったのに、どうして、こんなことが。


 信じられなかった。彼女は誰よりも、強い人だった。だから、たとえどんなことがあっても、負けることはないと、そう思っていた。本当に、どんなことがあっても。


 でも、現実はこの目の前の光景だ。私を見て壊れるほどに怯え、泣き喚く彼女が。現実だ。


 重い足取りで、彼女に近づく。そのまま手を伸ばし、彼女の肌に触れようとする。しかし。


「いやああああああああああ!!やめて!やめてええええええええええええええええ!!」


 彼女は私の手を振り払うかのように、空を引っ掻く。手足をバタバタと振り回すその姿は、駄々を捏ねる子供の様だった。


「だ、大丈夫よシルファ!何もしないわ!だからお願い、私を見て・・・」


「こないでぇ!こないでぇえええええ!!」


「私を、見て・・・・・シルファ・・・・・」


「いいいいぃ・・・いやぁあああああ・・・・・」


「・・・・・・・・シル、ファ・・・」

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