⑩神の出迎え ~ナイフと蒼髪~
「おいおい、これは、どーいうことだ?」
「…………」
それは突然の出来事だった。
さあ帰ろうとなったところで女神がコロをベンチに繋ぎ『ちょっと来て欲しい』と言うもんだから、従ってみたらこの有様だ。
「随分と直接的じゃないか?」
「私は勇人を迎えに来たんだから、ね」
俺の首筋にはカッターナイフが押し当てられている。いまこれを思い切り引かれたら失血死はまぬがれないだろう。
「19時以降は転生禁止だろ、ボケたのか?」
「ボケてるのは勇人の方よ。こんなのはヤッたもん勝ちってもんよ」
「そーかい」
突如として牙をむいた女神はいつになく真剣なようで、その瞳は冷ややかな光を
押し当てられた金属の冷たい感触は温い風が吹く中でその存在 ―― 生命を害するだけの確かな鋭さを主張していた。
「ひとつ訊いていいか?」
「なに?」
「ここで俺が死んだとして、母さんはどうなるんだ?」
「天界のチカラで新しい家族をあてがわれることになると思うわ。いまとは何もかもが違う、それでも……幸せな家庭を築くとになるでしょうね」
そうか。俺が居なくなっても母さんが寂しい想いをすることはないのか。
けど、それだけじゃないんだろうな。
「父さんやコロあたりとの
「でしょうね。勇人のことを思い出さないための
やっぱりそうなるのか。そうか、そうなんだ。
「そりゃ、駄目だわ」
「はぁ?」
「父さんが死んで10年経っても父さんの席を残してる母さんのこの10年をなかったことにされてたまるかよ。コロだって爺ちゃんになってきたけどまだまだ元気だし、俺は元気真っ盛りだ」
それを全部あの人から丸ごと取り上げるなんて駄目だろう。
それに俺自身の都合だってある。俺は押し当てられたカッターを無視して女神を見据えた。
「俺だって
「…………」
「俺はいまの暮らしをけっこう気に入ってんだ」
「言っておくけど、
女神の淀みない言葉からして異世界に行った俺とやらはよほど凄いチカラを手にすることになるんだろう。
だけど、それは俺の毎日じゃないように思えて仕方がない。
「関係ないね。おはようからお休みまで一緒なのにご利益ゼロの駄女神がうるさくて、そいつの引き起こす騒動に巻き込まれてもケロッとしてる佐藤がいて、お前をシバく天使先輩がいる。そうやって回っていく日常に馴染んじまって、それ以外が想像も出来ないんだわ」
そしてそれを
「だから、結城勇人は
「勇人? さっきから選択権が勇人にあるみたいな調子で話してるけど、私が!」
「お前は俺を切らないよ」
「えっ?」
大概こいつもアホだよな。そんなの付き合いが長けりゃわかりきったことなんだけどな。
「19時以降は転生禁止。そう約束した。お前は大事な約束を破ったりはしないよ」
「なに、言ってんの……?」
「お前はアホでバカで学習しない奴で、とことん迷惑だけど無暗に誰かを傷つけたりはしない。ケチでこすくてプライドなんてかけらもない俗物のなかの俗物って感じだけど……誰かを苦しめるような裏切りはしない。そういう奴だよ、お前は」
女神の瞳が揺れる。バカ、なんて顔してるんだ。美人はコレだからずりぃよ。
「……ズルいな、勇人は……ホント、ズルい」
「それはコッチの台詞、って……おい?」
カッターが首元から離れると同時に女神の身体がグラつく。思わずその肩を抱きとめようとするが、女神の奴はそのまま胸に飛び込んできやがった。もう、何やってんだか。
「おい、女神、コノヤロー」
「いいじゃない、胸、貸しなさいよ」
そう言って女神はグリグリと顔を胸に押し当ててくる。さっきまでの威勢はどうしたんだよ?
「いいじゃない、勇人、髪フェチでしょ?」
それは否定しないし、目の前で揺れる女神の蒼髪はとてもいい眺めではある。けど、良くねぇよ。
「頭、胸にグリグリ当てなさんな」
「……優しくしてくれても、いいじゃない」
そう言って上目づかいで俺を見つめる女神。撫でろとでも言いたいのか、こいつは? 根負けした俺が手を伸ばすと女神は瞳を閉じた。その安心しきった顔に悔しさを覚える。
「…………」
「……勇人は女ったらしね。触り方が優しいけどヤラしい」
「どーいうことだ、そりゃあ……⁉」
どうやらこいつは殴られたいようだ。いつ俺が誰をたぶらかしたってんだよ?
「佐藤とか」
「……いや、あいつは」
言われてみれば確かに出会ってから今日までベッタリな感じはするけど、あいつは俺の周囲にスリルを求めているに違いない。というより今日のカミングアウトのせいで俺のなかの『佐藤=育ちのいい
「あとはあの天使ね」
「めったなことを言ってくれるなよ……!」
俺は天使先輩をわりとマジで尊敬してんだからなっ⁉
「いろいろ言ってくれてるけど、大体だな……」
「はぁぁぁ~、自覚ナシ。勇人は馬鹿だわ」
俺の言葉を待たずに女神はクッソでかいため息をついた。
よし、殴ろう。
いま殴ろう、すぐ殴ろう、さぁ殴ろう!
ぽかっ
「……えへへ」
「頭、どーかしてんのか?」
月明りの下、女神はかつて俺を迎えに来た日のように、はにかみ笑うのだった。
結城勇人にはそれがどういうわけなのかサッパリなのだった。
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