⑨在りし日のパンドラの箱は段ボール

「勇人~、コロちゃんの散歩お願いね~」

「へーい」


 夕飯を終えてまったりしていると母さんが洗い物しながら声をかけてきた。

 今日の放課後はイベント盛りだくさんで後回しにしていたが、コロの散歩がまだだった。


「じゃあ、私も! 夜の一人歩きは危ないもの」


 すると、俺の隣で女神が元気よく挙手する。俺にとってはこいつが最も危険な存在なんだけど。

 俺はちらりと壁時計で時間を確認すると女神とコロを伴って家を出た。

 天界との協定で19時以降に女神が俺を襲ってくることはないのだから安全だと思うんだけどな。


「よろしくね~、女神さん」


 母さん、その女神さんが一番危険なの分かってる?


○●○●○●


「へーい、コロ公! こいこいっ!」


「へっ、へっ、へっ……!」


 近所の公園にて。蒼髪の女神と白い柴犬が元気よく走り回っている。食後だってのに元気な奴だ。

 俺はベンチに腰かけて、月明りの下でキラキラとなびく蒼髪とヒョコヒョコ駆け回る白い巻き尾を眺めながらノスタルジックな気分に浸っていた。


「コロ公! コロ公! カムカム!」

「へっ、へっ、へっ……!」


 女神はいつもうるせぇな。

 思えばこいつが俺を迎え殺しに来たのもこの公園が始まりだった。あの時からこいつは騒がしかった。

 ジャングルジムの天辺てっぺんに仁王立ちした蒼髪の女が『迎えに来たわっ!』と言い放った瞬間は一体何事かと思ったな。


「コロ公! ボールいくわよっ!」

「ウォンっ‼」


 女神がボールを投てきした。そして何故か自身も走り出しコロとボールの争奪戦を繰り広げている。

 あの日、月下で光り輝く蒼髪をなびかせた女神は天を指さし ―― そして降り注いできた無数のトラック。いまにして思えばあの時コロがいなかったら俺はとっくに死んでいたことだろう。当時のコロの見せたハリウッドじみた回避行動には度肝を抜かれたもんだ。


「はははっ、私の勝ちよ! 老いたわねコロ公!」

「ウォン! ウォン!」


 女神はボールを天に掲げ勝利宣言している。そりゃ、お前が投げたんだからドコに飛んでいくか知ってるお前が有利だろうよ。

 俺を殺すことに失敗した女神はその後『君を在るべき場所へ連れていくまで、私は現世ここにいるわっ‼』と恰好良さげに宣誓して……そして我が家に3年以上居候いそうろうしている。


「さぁ! ボールを奪ってみせなさい!」

「ウォン! ウォン!」


 女神と柴犬の遊びはカバディじみた動きに移行した。おいおい、あんまり老犬をおちょくるな。

 しばし女神のくれだましに翻弄ほんろうされていたコロだったが流石にイラッときたのか、突如女神の腹に頭突きをくれた。


「おぅふっ‼」

「へっ、へっ、へっ……!」


 よーしっ! ナイスだコロ‼

 女神が落としたボールを咥えてコロが俺の元へとやって来る。よーし、よしよし‼

 俺はコロをわしゃわしゃ撫でながら運命の皮肉を感じた。

 我が家にコロが来ることはなかったのだから。


○●○●○●


 これは俺が小学校にあがる少し前の話だ。

 当時の俺はどうしても犬が飼いたかった。理由は覚えてないけど、とにかく飼いたかったのだ。

 けど、当時存命だった父さんも含めて親は首を縦には振ってくれない。だから俺は考えた。


「飼う犬を先に見つければいいんだ……!」


 父さんは割とノリ気だったけど、母さんが強敵だった。

 だけど母さんは押しに弱いところがある。子供ながらにそれを察していた俺は飼う犬を連れてきてさえしまえば、なし崩しに犬を飼うことが出来るに違いないと思い立ったのだった。我ながらこすいな。

 そうなると捨て犬を見つけなければならない。こうして俺は捨て犬が入った段ボールを探し回る変な子になったのだった。


「あった……‼」


 そして、それを見つけたのがこの公園だった。

 茂みの傍に鎮座した真新しくて大きな段ボール。生き物の気配を感じた俺はそこには捨て犬がいるに違いないと確信してためらいなく開封したのだった。


「あれ……?」


 初めに目に飛び込んだのはコバルトブルーのあでやかな髪。膝を抱えてうつむき虚空を見つめていたそれは人だった。

 こうして結城勇人と女神は出会ったのだった。それは多分、たった半日くらいの出来事だったはずだ。


「なにしてんの? お姉さん?」

「……ぁ」


 当時女神とどんなやり取りをしたのかはよく覚えていない。

 その後に俺が『今度は蒼い髪のお姉さんじゃなくて犬を拾うぞっ‼』と息巻いてることを両親が知り、犬を飼おうという運びになったことだけが記憶に残っている。

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