7
――衣服が散乱していた部屋から梯子を持ち出し、全員で協力しながら組み立てていく。隅には海野らしい人物が放置されていた。
すでに老人の姿に戻っており、脇腹からは血が流れている。
かすかに動く口元に耳を寄せにいくと、急に老人とは思えない力で腕をつかまれ、耳元で錆びた声を囁かれる。
「思い出したぞ、坊主……」
「えっ?」
「貴様、京太郎の小倅だな……」
「どうして、爺ちゃんの名前を!?」
「ククク、京太郎に伝えよ、貴様のやり方では神の復活はなし得ないと……」海野の見開いた眼が閉じていくのと同時に腕の力が緩むのを感じた。
「どうした?」三島さんが駆け寄って来た時には、すでに息絶えていた。
「こいつが、僕の……」そこまで言って、僕は頭を振ると「なんでもないです」と呟いた。
今日は本当にいろんなことがあって疲れていた。爺ちゃんのことは気にはなるけど、今はもう何も考えたくない。伊吹の話していたことが本当なら、爺ちゃんは……。
梯子が完成すると三島さんが最初に登りだした。来たときの僕だったら文句を言っただろう、しかしそれが三島さんの勇敢さだと今では理解できる。
登りきった三島さんが手を振り安全だという事を伝えてきてくれた。
三島さんがロープをたらしてくる。万が一に備えての事だろうか?
「わたしはロープ無くても大丈夫だょ」と伊吹が軽快に続く。
それから丁字さんが「お先にどうぞ」と言ってくれたが「女性を置いてはいけませんよ」と答えると「ふふっ、じゃお言葉に甘えて」とロープを括り付けて登っていく、そして僕もそれに続いた。
登りきった先はどこか知らない山小屋の中だった。
先に登り終えた伊吹が、スマホを照らして祭壇のような所に置かれた30㎝くらいの奇妙な石像を調べていた。
頭はタコに似ていて触手のような物がヒゲのように九本伸びているのがわかる。そして人間のような手足には巨大な爪が生えていて、背中にはこぢんまりとした翼が備わっている。
「クトゥルフ」知らないはずの神の名前を、僕は声に出していた。
三島さんが僕に対し身構えたのがわかる。
「いえ、あの……昔、夢を見たことがあるんです、その……くとぅるふ……ふたぐん……」
爺ちゃんの書いた本、そして先ほど海野という怪物が唱えていた言葉を僕は昔から知っていた、そしてその意味さえわかる。
『死せるクトゥルフがルルイエにて夢を見ながら復活の時を待っている』
僕が見た夢、その神が巨石文明の発達した島『ルルイエ』に君臨し、あの膿汁のように臭く緑色にドロドロに溶けていく街の中をズドンズドンと闊歩するのだ……夢に臭い? 僕はなんでこんな事を知っているんだ?
急にガタガタと体が震えだす、それを見た伊吹がそっと優しく抱擁してくれた。
「キョウちゃん、怖い夢のことはもう思い出さなくていいんだよ? キョウちゃんたちの悪い夢はぜんぶぜんぶ、わたしが食べちゃったから」
なんだろうこの懐かしい感覚は。以前にもこんな事があったのだろうか。
「とりあえず帰るか」と三島さんが警戒を解いてくれた。
「皆さんは車ですか?」それに続くようにして丁字さん。
「そうですが」
「私、乗れるスペースありますかね?」
「えぇ、良いですよ」と三島さんが苦笑いしている。
あたりはすっかり夜になっていた。三島さんがペンライトで照らし、スマホのGPSで場所を確認し車まで案内してくれる。情けない事に僕は伊吹と丁字さん二人に肩を支えられながらの移動となった。
なぜ、丁字さんがあそこにいたのか……。
海野は言った「ちょうど3人来てくれるとは嬉しいよ」と。
そして伊吹は言った「3人分くらい」と。
この違和感の正体がわかるのは当分先のことになる。
――目覚めた時には倫敦荘の自室だった、おぼろげに三島さんに風呂に入れられて身なりを清められたのを覚えている。後でお礼を言わないと。
日差しがまぶしく感じる、生きている実感に喜びが湧いてくる。
僕は急いで着替えを済ませガスライトへ向かう、途中伊吹の部屋にいたずらのノックをしてやった。
カランカラン、心地よいベルが鳴る。
「いらっしゃい」と昨日と変わらず佑香さんが出迎えてくれた。
奥のカウンターに座っていた三島さんも「よっ、恭君、報酬はみのりんに渡しておいたから」と不吉な言葉で迎えてくる。
しかし、僕は生還できた喜びに満ち満ちているのだ。
「大変だったらしいわね」と佑香さんがメニューを差し出すとともに話しかけてくる。
「えぇそりゃもう、信じられない事ばかりで」と自分でも興奮しているのがわかる。まるであの伊吹のようだ。
「恭君、英雄譚を話すのはいいんだが、メンバー以外には内緒だからな、この店ときどき一般客もいるから」と三島さんが釘を刺してきた。
いつのまにか、呼び方が『少年』から『恭君』になっている。三島さんは気に入った仲間のことはあだ名で呼ぶんだろうか?
「ときどきじゃないでしょっ」と佑香さんが不機嫌そうに文句を言った。
カランカラン
その一般客が来たのかと思うと、伊吹と丁字さんが話しながら入ってきた。
伊吹はいつもの魔女スタイルではなく、青い髪留めに春らしい女の子っぽい姿だった。
「へ〜、ここが噂のガスライトね、いい雰囲気の店じゃない」
「はい、ここのコーヒー美味しいんですよ」とモジモジしながら答えている。
「いらっしゃい」
「鈴森君もいるのね」と丁字さんが僕の隣に座ると、あわてて伊吹も一席あけずに反対側へ座ってくる。
「なんだ恭君、羨ましいじゃないか」三島さんが茶化してくる。昨夜と同じく両手に花となった。全員変な人だけどっ!
注文を終えると、丁字さんが抱えてきた二冊の本を伊吹に渡した。
「預かってた海野の本、返すわね」
「あっ、ありがとうございます……いつの間に……」
「伊吹ちゃんから聞いたけど、鈴森君は京太郎先生のお孫さんなんだって?」
「ご存じなんですか?」
「もちろん、私の師匠ですもの」
「えっ! そうなんですか?」
「民俗学を学ばれていた京太郎先生が、太平洋全域の島々における巨石文明の研究をなさっていたのは知っているわね?」
「いえ……」
「まぁいいわ、京太郎先生はその起源を今はない失われた島だと断定された」
「はぁ……」
「その島の名前が『ルルイエ』、先生はその仮説を証明されるためにご自身でその島が存在したと思われる海域の調査をなさったの、今からちょうど五年前の事かしらね。それと同じ時期に、大勢の人が貴方と同じ夢を見たわ」
「えっ?」急な話に頭が追い付かない。
「画家や音楽家、小説家にカウンセラー、中には占い師って人もいたかな、その内容は石の都市を巨大なタコに似た怪獣が歩く、そして鼻には魚の腐った臭い、耳には『くとぅるふ ふたぐん』と残る」
「僕が見た夢と同じですね……」
「ダメ! 怖い夢の話はしちゃダメ」と伊吹が目をギュッとしている。
「ふふっ、ごめんなさい」丁字さんはやわらかく微笑んだ。
僕はもう少し、聞いてみたいと思った。僕の知らない爺ちゃんのことを。
「爺ちゃんはルルイエで何をしたんですか?」
「先生は教えてくださらなかったからもう誰にもわからない、同行した研究者、現地の案内人は全員帰ってこなかったの。先生一人だけが近くの島の砂浜で倒れていたらしいわ、当時は調査船の難破事故として処理されたのよ」
そして、こう続けた。
「でもあの時、『ルルイエ』は浮上した。先生は一体、何をされたのかしらね?」
冷たく笑うメガネ美人が僕にそうたずねてくる。それが、海野の最後の言葉と重なり、僕の中で薄気味悪く反響していた。
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