第2話 火星の花(前編)
1
――あの事件から数週間。高校の入学式も無事終わり、かつてない希望に満ち溢れた僕の青春が始まろうとしていた。
田舎とは違う洗練された校舎にグラウンド、学食がレストランみたい! 購買部がコンビニみたい! こんな学校アニメでしか見たことない!
クラスの女子はみんな可愛かったし何よりスカートが短い、気の合いそうな男子も幾人かいそうだし進学校だけあって品行方正っぽい。
担任教師は女子の人気を独り占めするイケメンという事以外は優しそうな好青年で、初日には学級名簿も見ずに生徒全員のフルネームを言い当てクラスを沸かせていた。
伊吹の奴が同じクラスで嬉しいやら不安やらよくわからない感情が僕の中で芽生えていたが、当の本人と言えばわたし無口で暗い文学少女ですという雰囲気で、学校では僕に話しかけることすらなく、クラス一の可愛さに寄っていく女子も、クラス一の胸に引き寄せられる男子も、顔を赤らめながらうつむき本を読むふりでかわしていた。
髪留めの色はいつも青色だったし、僕も安心してその姿に見惚れることができた。それを真新しい友人たちが茶化しながら話しかけてくる。
この希望に満ちた日々がいつまでも続けばいいのに、僕は愚かしくもそう思っていたのだ。
金曜日の夜、スマホをいじっていると、頭の中にメッセージが流れた。
【
少しおいて、ドアがノックされる。だいぶこの能力にもなれてきた。
ドアを開けてやると、僕よりも背の高い美少女が、顔を赤らめモジモジしながら立っている。
「そろそろ、これ書いてくれても……」
そう言って、バレンタインチョコを渡すかのように入会承諾書を差し出してきた。
またかよ。
「もう、あまり関わりたくないんだけど……」
ただのオカルト趣味なら伊吹を元の世界に連れ戻してやることもできただろう。しかし、あんな現実を突きつけられると、どうしても臆病になってしまう。
僕だって高校生らしい青春を謳歌したいんだよ……出来ることならお前と一緒にな、伊吹。
「鈴森くんがそんなことを言ってたら、世界が終わってしまいますよ」
髪留めが青色なのに真顔でそんなことを言う彼女が、その長身を活かし僕を見下ろしてくる。
いやだ、今すぐにドアを閉めて追い出したい。僕が目を泳がせたのを察したのか伊吹は精一杯の示威行為と一歩前に出てきた。
彼女がそんなことをすれば突き出た巨乳が僕の顔に触れるわけで「ひゃっ」という可愛い悲鳴と共にこぢんまりと胸を押さえた美少女の塊が出来上がる。
こちらもかなり気恥ずかしかったうえに、真っ赤な顔でプルプルと震える子羊を無下に扱うことなどできず、結局のところポヨポヨの余韻に負けた僕は彼女を気遣う羽目になる。
「……わかったよ」
彼女をこの世界に引きずり込んだのは意図せずとも僕なのだ。うかつに出た返事が心のひっかかりを露にする。
『もう大丈夫だょ、キョウちゃん』
ここ最近なぜだかわからないが、五年前の伊吹の笑顔をよく思い出すのだ。
そのたびに伊吹に何か返し切れないほどの恩を受けた……そんな灯火のような記憶が頭にチラつくのだった。
思考と回想の渦の中、気が付くと僕は用紙を受けとっていた。
あっ! と思った時にはもう遅かった。表情がパァっと朗らかになった伊吹が、「鈴森くん、鈴森くん」と僕を机にひっぱり、研究会の心得を嬉しそうに説明しながら記入事項を埋めさせていく。これはもう逃げられない。
必ず生きて帰ること、真理を探求すること、などの簡単な説明から、伊吹や三島さんに教えられたことなど、項目は驚くほど多い。
伊吹は僕に体を寄せ、頬を染めながら楽しそうに教えてくれる。僕は
――――一夜明けた土曜日、僕はなんてことをしてしまったんだぁぁぁ!? と後悔していた。今さらどうしようもない。まるでテレビでやっていた『美人アンケート詐欺』にあったようだと頭を抱えつつ階段を下りていく。
ふと鼻にした香ばしいカレーの匂いに誘われカランカランと鈴を鳴らすと、佑香さんが楽しそうにカレーをよそっていた。誰と話してるのかな? と思い店内を見回すと、客はあのゴスロリ人形だけだった……。
二十分後、奢ってもらったカツカレーをかきこみ最後の一粒まで食した僕は、意を決してソファー席へ移動する。
「どうもカツカレー、ありがとうございました」完全に餌付けされてしまった。しかも恐ろしいことに彼女もまた深淵研究会の会員なのだ。
「いえ、三島様に認められた探索者とお近づきになるには安すぎる代価ですわ」
「はぁ……」やっぱりそっち関係の頼みごとかな? と彼女の顔をうかがいながら席に着く。
伊吹によると大学生くらいの年齢とのことだが、小学生に見える。
可愛い唇の横に先ほどまで彼女も食べていたカレーのソースがついていた。
【
「改めまして、
「鈴森恭平です、こちらに下宿しています」
「えぇ、存じ上げております」と紅茶をすすった。「わたくしが骨董店を営んでいる事はご存じですか?」
「はい、伊吹から聞いてます」
そう、彼女はこの近所で骨董店を経営している。小さなビルを丸ごと一つ所有し一階は古本屋、二階には小物や絵画、三階では古民具やアンティーク家具などが売られているらしく、伊吹はそこの常連客なんだそうだ。一体どんなものを扱っているんだか……まぁ想像は容易いけど。
「そうですか、実は九郎、いえ研究会の方から明日、栃木県の
「研究会ですか。あの、どうして僕なんでしょうか? 三島さんは?」
おそらく、あの人がこの支部で一番頼りになるんだろうに。
「三島様は古巣の方々との会合に出席なさっているご様子で、連絡が取れませんでしたわ」
古巣ってなんだろう? あんまり聞きたくないなぁ……散弾銃バンバン撃ってたし。
「あの、難易度は?」
「星1つです、隕石を鑑定するだけですので」
「伊吹はどうしますか?」
「支部長にもお願いしようと思っております」
やっぱり。
それを聞いて僕がう〜んと唸ったからだろうか? 見たことのないメッセージが頭の中を走る。
【
成功も失敗もでない謎のメッセージ。
「ご苦労なされているのですね」という永井さんの同情を帯びたセリフで、この技能の正体が大体理解できた。この人……他人の心が読めるのか……。
――出発は明日の朝、車は永井さんが出してくれることになった。
探索者は単独行動してはいけない、これは三島さんに叩き込まれた絶対条件だ。
だからといって高校生になりたての、しかも探索者経験一回だけの僕を駆りだすか? とも思ったが、伊吹が言うには「年齢は関係ないよ」とのこと。世の中には、小学生であの神話的現象に立ち向かっている子供たちもいるらしい。マジか。
けれど、入会書を提出してしまったし、何より海野が言っていた爺ちゃんのことも気になる。複雑な気分のままだけど、僕は伊吹に協力してやりたいとも思っていた。そんなぼんやりとした決意のもと行動に移る。
探索者の心得によると、事前調査はとても大切らしいのでその教えに従って花生村についてネットで調べた。
【
成功か、そんな事を思いながらサイトを眺めていく。
花生村は比較的新しい村で、明治時代に生け花用の花を栽培するために山の斜面を削って畑をはじめたのが起源らしい。
戦後の農地改革により小作人たちに畑が分け与えられ現在の村となった。
一時、花作りは小規模になっていたが昭和のバブル時に花産業が栄え、昔のノウハウを活かして栄華を極めたようだ。
しかしバブル崩壊後から過疎化が進み、また技術の老朽化により、最近は廃村間近になっているとのことだった。
さて、そんな事が知りたいのではないので他に何かないかと閲覧していくと、村人らしき人のブログに行き着く。
ある記事に1枚の写真がアップロードされており、「夜の怪奇現象? なんだろう?」と書かれていた。
写真には黒い影が星空に向かって一直線に伸びている様子が写っている。
【
あ〜きたよ、何に失敗したのかわからない失敗だ。
この写真は明日にでも伊吹か永井さんに見せよう。
そんな事を思いながらリュックにペットボトルとチョコレート、ビニール袋にガムテープなどを詰め込んでいく。
――早朝、カランカランとガスライトのドアを開け佑香さんに挨拶をしてモーニングを注文する。
永井さんはまだ来ておらず三島さんも不在のようだ、佑香さんがテキパキと慣れた手つきでハムエッグ搭載型トースト、チーズサラダと、甘い香りのコーンスープを出してくれる。
「なぁにぃそのリュック、もうここから出て行くの?」客が誰もおらず暇になったのか、早速僕をからかい始めた。
「いえ、永井さんから手伝いを頼まれまして」
何故か言い訳がましいことを言わされていると、カランカランと前回と同じく青い髪留めと真っ黒な魔女のような服装をした伊吹が入ってくる。
「佑香さん、おはようございます、わたしにもお願いします」
「はぁ〜い」とやる事ができた佑香さんは、すでに僕の目の前から消え料理を始めていた。
伊吹は僕のすぐ隣席に座り、頬を赤らめモジモジしはじめた。
探索している時は全く違う顔しているくせに……何が恥ずかしいのやら。
「あっ、このブログみて欲しいんだけど」
昨日見つけたサイトのブックマークを開いてスマホを見せると。
【
ハッとした顔で、伊吹の体が震えだす。
「これは、鈴森くんは知らなくていいよ」
「えっ、なんで?」
「ニャルラトホテプ……」
それだけつぶやくと彼女は黙って下を向いてしまう、ニャルラト……なんだって?
しばらく目をギュッと閉じていた彼女は、気合を入れなおしたのか小さくガッツポーズをすると、いつもの可愛らしい照れ顔を向けてくれる。
そうこうしていると、カランカランと永井さんが入ってきた。
「皆様おはようございます。本日はよろしくお願い致します、佑香様、紅茶を」
そういっていつものソファー席へ移動する。
はじめて見た、歩いているところ。
背が低いのは知っていたが、これほどとは……知らない人が見ればゴスロリ人形が歩いているとしか思わないだろう。
それとも伊吹と比べるのが悪いのだろうか? そんな事を思いながら伊吹と一緒に、食後の飲み物は紅茶にしてみた。
――前回同様、佑香さんに「帰って来てから払います」と三人で食い逃げした後、永井さんが店から回してきた真っ赤なスポーツカーに向かう。
女性同士のほうがいいだろうと助手席を伊吹に譲ろうとすると、「えぇ! わたしも後ろがいいよ」となぜか急にじゃんけんを求められた。
負けた伊吹はしぶしぶ助手席に座るのだが、どことなくしょんぼりしている。
スポーツカーの後部座席はせまくてあまり座り心地は良くないはずなのに、そんなに座りたかったのか? その謎は、すぐに解けることになる。
「晶子さん、運転する前にこれ、
「まぁ、伊吹様、感謝ですわ」永井さんはそれを大切にポーチにしまい込んだと思うと、「さぁ参りますわよ!」と喜び勇みアクセルを一気に吹かした。
「あっ、しまった。着いてからの方がよかった!」と伊吹が悲鳴をあげる。
【
ん? えっ? 事故るんじゃないのこれ!?
僕がそんな事を思った瞬間、タイヤを焦がす勢いで車が走り出した。
信号ごとに急ブレーキと急発進を繰り返し、舌を噛みそうになるのをなんとか耐える地獄のような運転が続いたと思ったら、高速に入った。
そこでもビュンビュンと他の車を追い抜いている。バックミラー越しに映る永井さんはクールな表情を崩さず、無理やり伸ばした足もアクセルを踏み続けている様子で、まさに恐怖のゴスロリ人形が運転してるかのようだった。
そして伊吹だが、顔面は蒼白で無理やりジェットコースターに乗せられた野良猫のように怯えている。
ごめん伊吹、これじゃ確かに助手席は嫌だね。そんな声をかけてやろうかとも思ったが、僕自身も車酔いの限界が近づいて……
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