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――永井さんは、田舎にもかかわらず整備されたアスファルトの道を、引き続きド派手な運転でご機嫌に走っている。
青い道路標識を見ると、あともう少しで花生村に入るようだ。
道路の脇には広大なキャベツ畑が広がり、遠目には青々しい山が重なり合っている。そして、その山の麓は一面黄色に染まっていた。
春だし菜の花かな? そんなのどかな光景が広がっている。
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そんなメッセージが流れたのは麓の村に近づいた時だった。
一瞬時間が止まったような違和感がした後、体中をチリチリとした緊張が走る。
「おい、伊吹大丈夫か?」
僕は車酔いの苦しさも忘れ、伊吹の無事を確認した。
「この世界よりは大丈夫だょ? それより、いま結界の中に入ったのかな?」
以前の僕なら馬鹿にするようなセリフを平然と吐いたものの、発狂はしていないようで周りをキョロキョロと見渡している。
ただ、髪留めは周りと同じく黄色に変化している。彼女にだけ感じる恐怖があったという事だろうか……結界と言っていたがそれか?
と思ったが、永井さんも何かを感じ取ったようで車はノロノロ運転に変わっていた。というかバシバシとタイヤで何かを踏みつけながら走っている。
それは沿道からはみ出していた、黄色い花たちだった。
菜の花と同じように背の高い茎に小さな花が無数に咲きついているが、一番先端に咲く花が一際大きくそれではないことがわかる。
気がつけば目に映る物すべてが黄色に染まっていた、すぐそばの畑や山、そしてこの道さえも身を乗り出してきた黄色の花々で埋め尽くされている。
「これでは道がわかりませんわ」永井さんが口をとがらせた。
「僕、見てきましょうか?」
「それはどうなのかな? これたぶん神話的現象じゃにゃいのかな?」
さっそくメンタルが不安定になりそうな伊吹が口を挟むが、このままではどうしようもない。
車が停止した後、僕が外に出るためにドアを開けると強烈な花の香りが漂ってくる。
脳天を直撃するような刺激臭でありながら、決して不愉快ではない甘ったるいバニラエッセンスのような芳香が車の中を蹂躙する。
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そんなメッセージが頭の中を駆け巡り続けている。
これ大丈夫なのか? 僕はそんな不安の中、車の外に出て永井さんを誘導する。
ある程度進むとガードレールが見えてきたので、また車内に戻ることになった。
「いやぁ、凄まじい匂いですね」
「えぇ、何か対策を考えた方が良さそうですわ」
「ところで、後どのくらいで着くんですか?」
「村にはもう入っております、行き先は月森さんというお宅です、小さな集落なので地元の方に聞けばわかるとのことだったのですが……」
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三人がキョロキョロと辺りを見渡して人影を探す、伊吹の奴が成功したのだからもう僕は探さなくて良いのだけれど。
「あそこに誰かいるょ」
と伊吹が指差す方向に、花の中にしゃがみこみ、もぞもぞと動く人影が見える。
どうやら農家のおじさんが鎌を持って何か作業をしているようだ。
三人とも車を降りておじさんとの会話を試みる。
やはり匂いの原因は間違いなくこの黄色い花だろう、車から降りるとシュワッと鼻につく。
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ふと見ると、細かい粒子が風に吹かれるたびに花からモワモワっと出ている。おそらく花粉だろうか? それが空へ広がって消えていく。
「この匂いの原因は花粉でしょうか?」
そんな事を永井さんに告げていると、吸い過ぎたのか頭の中がフワフワと花粉と同じように飛んで行ってしまうかのような気分になってくる。
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失敗したかと思うと、頭の中が空っぽになって何も考えられなくなる。
そして、なんとも言えない恍惚感と高揚感が心臓の奥底からこみ上げ、感じたことのない快楽と快感が血管を通して体全身に駆け巡る。
目の前には、この世ならざる美しい情景。
高名な画家たちがこぞって描き上げるような婉美の花々、その周りには羽の生えた美しい妖精たちが蝶のように舞っている。
彼女たちはこちらを見ると優しさに溢れた笑みをこぼしてくれる。
命に代えてでもこの理想郷を守らなければならないという使命感がフツフツと湧いてくるのだ……殺せ、花を汚すものは殺せ。
バチンッ! 耳元で大きな破裂音が聞こえる。
「しっかりなさいませ、鈴森さん」
バチンッ! バチンッ! そんな音と共に、頬に鋭い痛みが走る。
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フワフワしながらも視界がうっすらと晴れてくる、本気の連続ビンタをしているのは背伸びをしている永井さんだった。
「イタッ! いたいっ! もっもう大丈夫ですから」
僕はあわてて後退する。
「よかったですわ、気を取り戻していただけて」とニッコリ笑うその目は微妙に怒りを感じさせる物で怖かった。そして頬がヒリヒリとしみる。どのくらいひっぱたかれていたんだろうか?
「キョウちゃんもこれつけてっ♪」と伊吹の奴が変な物を渡してくる。
ハンカチにヘアバンドを組み合わせた物で、何に使うかは二人を見ればすぐに理解できた。
二人とも即席で簡易マスクを作ったようだ、もっと早く作ってくれていればビンタされずにすんだのに……。
装着するとこれは伊吹のハンカチだろうか? あの懐かしい花の香りがよけいに安心感を与えてくれる。
「これで少しはマシでしょう、どうですか? 到着早々突発性狂気に陥られたご感想は?」と冷たい目線で責めてくるのは永井さんだ。
「晶子しゃん、これは狂気じゃなくてたぶん魅了だょ、キョウちゃんのあの鼻を伸ばした恥ずかしい顔は間違いありませんっ!」と伊吹がドヤ顔で言い切った。
「みりょう?」と僕が説明を求める。
「だとすれば、村の方全員がやられている可能性もございますね」
「そうでぇす、それに長時間吸ってるとなると、回復は不可能かも」
と僕を完全に無視した女性二人が会話を続けた。
「では早速確認を」と永井さんは、麦わら帽子とタオルで顔を覆い、花の下に逃げ隠れ生命を営んでいる雑草を探し求めては、それを黙々と刈っているおじさんに近づいていく。
僕もおそらく真っ赤に腫れているであろう両頬を押さえながら後を追いかけた。
「少々よろしいでしょうか? この辺りに月森さんという方はお住まいでしょうか?」
おじさんは手元を止めて何かを呟いた。
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「返事がないようですわね、お亡くなりになられているのかしら?」
いやいや、どう見ても生きてますし動いてますから……このゴスロリもしやドSなのか? そうなのか?
「あの山のふもとに見える赤い屋根のお宅だってぇ」と唯一成功した伊吹が伝えてくれる。
「そうですか、伊吹様ありがとうございます」とおじさんに興味を失ったのか今度は花が密集している所へ歩いていく。
「あぶないですよ」という僕の制止は何の意味もなかった。
永井さんは茎をつかみ花を自分の方へ向けている。マスクをしているとはいえ直に花粉を吸いこめば、あの状態になりかねないだろう。
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「う〜ん、見たことのない花ですわね」
「どれどれ?」と伊吹も近づいていく。
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「ん〜、NASAが発表した写真に写りこんでた火星の花に似ている気がするぅ」
「なに、それ?」
「キュリオシティっていう火星無人探査機の撮った写真で、たぶん石英だっていわれているんだけどぉ、でもこんな風に黄色くなくてもっと透明だったかにゃ」
「火星ですか……」と永井さんが意味ありげにささやいた。
僕も花をよく観察してみる。
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おぉ? 僕は地学に詳しいわけではないので成功に驚いたが、わかったことと言えばたいした事ではなかった。
花と花との間の土がこんもりと線状に盛り上がっているのが見える、名誉挽回とばかりにそのことを永井さんに伝える。
「花の根は、地中で繋がってるんじゃないでしょうか?」
それを聞くと永井さんは花をグシャッと鷲掴みにする。
えっ? ちょっと永井さん? あわてておじさんのほうを確認すると、惚けた顔をタオルで拭った後、あからさまに鬼の形相へ変貌するのが見えた。
これはやばいんじゃないか? 先ほどの僕は人を殺してでも、この花を守らねばならない使命感に燃えていたはずだ、もちろんこのおじさんもそういう状況なのだろう。
「永井さん!」と声をかけ、首をクイクイとおじさんの方を見るように促した。
「あら? 失礼いたしましたわ」小さな口元へ手を添えながら、おじさんに一礼した後、彼女は場所を変えてまたグシャッと握る。
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おそらく本人は花を抜くところを隠したつもりだったのだろう、しかし失敗なのだ、僕はあわてて止めようとした。したのだが全てが遅かった。ゴスロリは腕を一気に振り上げ花を引っこ抜いた、するとズブズブズブと連鎖的に花の根っこが次々に姿を現す。
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「この花は根っこを共有しているようですわね、それにどこか一方向へ伸びているようですわ……」と頭をゆっくりと左右に振り、遠くの方を眺めている。
この人なんでこんなにマイペースなんだ!? 今は優雅に考察している場合ではない!
「ぐりゃぁなりょをしとっとさぁぐがぁぁぁぁ!!」と怒鳴りつけてきたのはもちろん伊吹ではなくおじさんだ。
この人どうみても正常ではない、目は虚ろで口元からはよだれが垂れ、服はだらしなく乱れ、土汚れがしみ込んでいる。
そして永井さんの前にガニ股でズカズカズカとやってきたと思うと、おもむろに持っていた鎌を振り上げた。
【
「とりゃ〜」
突然、間延びした声とともに、伊吹がおじさんにドロップキックをかました。
ドッ! と鈍い音とともにおじさんが崩れ落ちる。
「えぇぇぇぇ!!」
思わず叫んでしまった、伊吹の怪力っぷりもそうだが、そもそも花農家のおじさんが花を抜かれて怒るのは当然で……そりゃ鎌を振り上げるのはやりすぎだけど、いきなり伊吹の巨体で本気のキックをされるとは思いもよらなかっただろう。
「だっ、大丈夫ですか?」僕はおじさんに駆け寄った。
完全に白目をむいて気絶している。
おいおい、これどうするんだよ? と、おもわず女性二人の方を見るとすでに興味を失ったかのように車へ歩き出していた。
「伊吹様ありがとうございます、助かりましたわ」
「いえいえ、なんのなんの」と伊吹が再びドヤ顔で威張っているのが見える。
僕は腕に抱えていたおじさんをそっと置き、その後を追いかけることしかできなかった。
なんだろう、
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