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「だっ、大丈夫ですか?」僕が猿轡を外してあげると、女性はせき込みながら「海野は?」と尋ねてくる。
「死んだ」と三島さんが短く答えた。
「そう。これも外して」と女性が手足を示しながら催促する。
そして続けて「それでしょうらいはどこまで進んでいるの?」と聞いてきた。
「かなり進んでる」と三島さんが銃をガチャと鳴らしながら答えた。
その返答を聞いた女性の顔つきが明らかに変わった、疑いの目をこちらへ向けてくるのがわかる。
「しょうらいって?」僕が伊吹に聞くと。
「招来、神話生物を呼び出すことだょ」とまだ少し頬を赤くしたままドヤ顔で答えた。
なるほど、この女性もこっち側の人、で僕らも仲間と思われたってわけだ、間違ってないけどね。
「悪いが急いでるんだ、何か知っている事があれば教えてくれ」と三島さんが口を挟む、その銃口は女性へ向けられていた。
「そうね、私もあれが完全に招来されるのは本望じゃないわ、ただ知っていることも少ないわよ、海野が狂信者でここに神格を招来しようとしていたこと、そしてそれがものの見事に失敗したと言う事だけよ」
「じゃあれは何が招来されようとしてるのですか?」と伊吹。
「ルルイエの一部」
「あの中で泳いでる神話生物はなんですか?」
「深き者かしらね」
意味不明な会話が繰り返される中、女性の縄を解き終わった僕は部屋の探索を開始する。
「あんたも探索者か?」三島さんが銃を構えたまま女性への尋問を開始した。
「えぇ、そうよ」
「名前は?」
「
「あっ? ああ、三島慶司、深淵研究会に所属してる」と珍しく三島さんが狼狽しこう続けた。
「もしかして、あの
「えぇ、知っててもらえて嬉しいわ」
「業界の有名人にこんなところで会えるとはね」と三島さんは銃口を下ろした。
「時間がないのでしょう、私たちも手伝わないと」
「いえ、もう終わりました」
僕はメモ、伊吹が1冊の本を見せた。
けれど、御須門大学と言ったかこの人、僕たちが春から通う学園と同じ名前なんだけど。
「優秀なのね、貴方たち」丁字さんがうっすらと笑った。
メモには、『呪詛対策の研究は明日中にも終わる、体系を本にまとめる』『他者の生き血を精神に変換するナイフで儀式を進めることができる』。
本には、題名が『異本解読書』、作者は『海野幸人』と書かれていた。
「わたし読みたいっ!」伊吹がそう言いながら本を開いた。
【
【
ページをめくるのが速い、本当に読んでいるのかと思うくらい。
読み終えたのか、日記を閉じると指で空中に何かを描きながら、言葉にならない音を唱え始めそれが終わると両手を目に押し当てた。
何も知らなければ馬鹿にしか見えないその動作も、なぜか今では頼りがいがある、すべて終わったのか伊吹はトートバッグからあの本を取り出した。
『ルルイエ異本』
全員が見守る中、伊吹はそれを読み始める。
伊吹がページを開くと本の表面に黒い湯気のような物が漂っているのがわかる。
これ以上見てはいけない、そんな感覚がバリバリと伝わってくる。
【
【
次々と
「あった!」伊吹がそういうと「招来と退散の方法がわかりましたょ、あの床の魔法陣を使うみたい!」とドヤ顔で言い切った。
「よしっ! 退散させよう」と三島さんが続けたが、
「でもね問題があるんですよね。じ・つ・はっ、精神力がまったく足りませんっ!」と伊吹が手をバタバタさせながら答える。
「どのくらいです?」と丁字と名乗った眼鏡の美人が問いただす。
「人間で言うならちょうど3人分くらいですかね」
この人たちは何を言ってるんだ? 完全に蚊帳の外だった。
「海野はナイフを使う気でいたようだけど」と丁字さんが助言を出した。
「えっと、これですか?」とあのナイフを取り出すと伊吹がサッとかっさらった。
「これで刺すのか……」三島さんが嫌そうな顔をする。
「時間が惜しいので、誰かお願いなのですょ」と伊吹がナイフを構え、目をランランと輝かせながら僕たちを見回した。
ん? これはまさかこういう事か?
あの天井にいる化け物を退散させる、つまりやっつけるためにはあの魔法陣を使用しなければならない。
しかし、その魔法陣を使い退散させるには伊吹の精神力、ゲームでいう所のMP《マジックポイント》が足りない。
足りないので補充しなければならない。足りない量は人間3人分のMP《マジックポイント》。そしてここには僕、三島さん、丁字さんのちょうど3人。
目を閉じて思わず唸ってしまう。
伊吹はわかってるみたいだけど、このナイフで人を刺せば精神力を吸収できるようだ。
今日は色々怖い目にあった、そのあげく僕は伊吹にあの奇妙なナイフで刺されるのか……本当にゲームみたいに嫌な展開だ。
ため息しかでなかった。
けれど、時間がないのは分かっている。刺す場所は三島さんの指示で手の甲になった。
伊吹がまず三島さんを刺した、傷口からは血がにじむもののナイフがそれを吸い取っていく。
【
「すごい、すごいですょ!」と伊吹が嬉しそうにはしゃいでいる、こいつ絶対
「みのりん、もう抜いてくれ。これ以上は……」三島さんが苦しそうに懇願する。
三島さんが音をあげるレベルなの!? もうやだよ。
「は〜い、じゃ次はキョウちゃんお願いします」その目はますますキラキラと輝きだした。
覚悟を決める前に僕の手に錆びたナイフが突き刺さる、意外と痛みはないが血液がとんでもない勢いで流れ出していく感覚に襲われる。
「伊吹っ! 終わり、抜いてっ」
伊吹は名残惜しそうにナイフを抜くと「まだ足りないょ、もう1人分、足りないのですょ、ぐふふふふふふ」と視線をメガネ美人に移した。
「えぇ、もちろんかまいませんよ、狂気のお姫様」
彼女はそういうと僕らと同じように手の甲を差し出した、堂々としたものだ。
伊吹はナイフが血液を吸収していくのを楽しそうに眺めていたが、丁字さんは伊吹の顔を優しくじっと見つめている……。
その時間は、明らかに僕らより長かった。
「おい、もういいんじゃないか?」止めたのは三島さんだった。
「えぇ、もうこのくらいで」とメガネ美人が手を下げる。
「流石、御須門大学の
「精神力がものすごいことになってるんですよ」と自慢のロングヘアーを静電気が溜まったかのようにモワァ〜と浮かせながら伊吹が歓喜している。
丁字さんを除く、男二人はヘトヘトである。
「足りてるならさっさと退散させよう」と壁にもたれながら三島さんが提案する。
調理室を通り、海野の死体を確認しつつ……いや死体はどこにもなかった、もちろんその姿も。
三島さんもそれに気づいたのか、伊吹に精神力をとられたせいか、顔面を蒼白にしながら「急いだ方がいい」と呟いた。
――「かなり下がってきてるな」
広間に戻ると、海面は三島さんの肩の高さにまで降りてきていた。
このまま放って置くとどうなるのか少し気になったが、そんな事を言ってる場合ではないだろう。
「みのりん、頼んだぞ」三島さんがしゃがみながら周囲を警戒する。
「まかせたまえ」ふざけた声でそれに伊吹が答えた。
伊吹が台の前に進み、その下に本を置き、かがみ込みながら手をかざし精神を集中させ、目を閉じている。指で宙に何かを描きながら、ブツブツと呟いている。順調に儀式とやらを進めているようだ。
僕は海野がどうなったのか気になっていた。丁字さんも何か考え事をしている様子だ。
やがて魔法陣が明るく光り始め、ジュワジュワと海でできた天井の中に気泡がゴボゴボと上がっていくのが見えた。
その気泡が徐々に大きくなっていき、海水が溶けるようにして天井の高さが増していく。
その時、ふと何かが頭の中をよぎった。
【
「あっ! 伊吹、魔法陣は確か不完全じゃ!?」
そんな僕の声と共に、消えていったのは海水だけだった。
完全に海がなくなると天井の一番上からそれが落ちてきた。
広間に鈍い落下音が鳴り響く。バタバタと魚がもがくかのように跳ね上がり、鱗の付いた人の手足を使い立ち上がった。
人の背丈の三倍はあろう巨大な半魚人、そう表現するのが相応しいだろう、緑と灰色のまだら模様の鱗に覆われた体をもち、腹はカエルのように白く顔についたエラと連動するように気持ち悪く膨張収縮を繰り返している。顔がどう見ても魚のような化け物がまばたきを一切しない魚眼でこちらを睨みつけてきたのだ。
【
【
名状しがたい恐怖が体中を駆け巡る、『閃き』の
「ダゴン」と丁字さんが呟いた、おそらくこの化け物の名前だろうか。
「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるふ るるいえ うがなぐる ふたぐん」
それとほぼ同時に、どこか聞き覚えのある言葉が広間に響く。
声がするほうを見ると、僕たちが最初倒れていた辺りにドロドロに溶けかかった海野幸人がいた。
「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるふ るるいえ うがなぐる ふたぐん」
意味のわからない言葉を死にそうな声で必死に繰り返し唱えている。どことなく人生の最後に赦しを乞うているように見えた。
【
「あいつ、魔法陣を消そうとしています」
「おう、丁字さん、出口はご存じで?」と三島さんが聞くと、
「一応、あそこよ」と天井を指差す。ドーム状になっている天井の中心に出口らしい穴があるのがわかる。
「どうやって行くんですか?」
「梯子があるはずだけど、大人しく上らせてくれるとは思えないわね」
僕はゆっくりと暗闇に照らし出される濡れた鮫肌を見上げていく。妖気のような靄を出す威圧的な巨躯。目の前で梯子など上ろうとするものなら、足を摘み取られ悠々と裂かれてしまうことは想像に容易かった。
そりゃそうだ……こんなところで死んでしまうんだろうか? そう思いながら化け物の顔まで見上げると少々様子がおかしい、酸欠なのか苦しそうに口をパクパクさせて顔が苦渋に歪んでいる。
「ロゥヘェルゥ クラーラ」と気持ち悪い鳴き声をひねり出している姿は今にも倒れそうな気配を感じさせ、体中から出ている靄も化け物の体をチリチリと燃やしているかのように見える。
「もう一度、退散を試みるょ」と伊吹が言った。
「精神力は足りるのか?」と三島さんが確認する。
「まだまだ、有り余っていますょ!」
「どのくらいかかる?」
「消された部分と、もともと足りてなかった直線が三本なので数秒で事足ります、詠唱には先ほどと同じくらいですね」と手にはチョークが握られていた。
「それなら私も手伝うわ」丁字さんが頼もしく返事をし、チョークを受け取った。
魔法陣が不完全だったので化け物だけが残ってしまったのだ。そして不完全とはいえ効果はあり、徐々に化け物を消滅させている。それを防ぐために海野の奴は魔法陣を消しているのだ。
希望が見えてきた、要は伊吹を守れば勝ちなのだ。
「化け物の気は僕が引きます。三島さんは海野を頼みます」
「あぁ、わかった」三島さんは驚いた様子だったが、フッと笑うと壁沿いに進んで海野に向かう。
僕は伊吹からランプをもらい受けた。
化け物は回り込んでいく伊吹たちをジロリと見ている、僕は急ぎ調理室のドアを開き、そこからオイル式のランプを化け物へ投げつけた。
【
「ザァァァノバァガァァァァァァァァァ!!」
効果はバツグンだった。燃え上がる手足を振り払い、怒り狂った化け物は巨大な咆哮を上げながら伊吹たちの存在など忘れて、襲いかかってこようとする。
急ぎ扉を閉め奥へと駆け込む、その瞬間ガジャンと両開きのドアが吹き飛ばされた。
【
化け物が調理室の中に侵入しようとする、その間に僕はさらに書斎へ逃げ込んだ。
金属製の重いドアを閉め、部屋の一番奥で大声を上げ虚勢を張るものの体は恐怖に震えているのがわかる。
「僕はここだぞっ! 悔しかったら襲ってきてみやがれサカナ野郎っ!」
それに反応するかのようにガシャン、ガシャンとドアを叩き続ける音がする。
「ウァンカァァァザァノバァガァァァ……?」
どのくらいたったのだろうか、一瞬だったのか一時間だったのか時間の感覚が全くない中、1発の銃声で我に返ることができた。
見るとあの頑丈そうな扉はグチャグチャにひん曲がり、隙間からようやく這い出られる感じになっていた。
どうやらあの化け物はいないようで静かなものだ。おそるおそる膿汁まみれの床を這いながら広間の方へ向かう。
両開きの扉があった壁は崩れ、そこから人の足が見える。
「よっ、無事だったか? 少年」とにこやかに猟銃を担ぐ三島さんが立ち尽くしていた。
その後ろでは伊吹と丁字さんが微笑みながら僕を見ている。
「立派だったぞ。ほら、しっかし、きったねぇなぁ」膿汁まみれの僕を三島さんが抱き起こしてくれる。
「化け物は?」
「もういないょ、わたしが、このわたしが! 退散させたんだょ!」と伊吹がドヤ顔で言い切った。
「終わったの?」
「えぇ、終わったわ、ご苦労様」と丁字さんがそう言った。
僕は安堵感から崩れ落ちるように腰を抜かしてしまう。
「おっと、しっかりしてくれ」三島さんが手を僕に差し出し笑った。
「これから梯子を組み立てなきゃならんのだからな、少年」
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