3
――次の日の早朝、三島さんが迎えに来る一時間前、朝食を食べるためガスライトに向かう。
カランカラン
早朝の静寂に響く呼び鈴が心地いい、店内には紅茶の甘い香りが漂い、佑香さん以外にはあのゴスロリがいた。
このゴスロリは、本当に店の装飾の一部なのかもしれない。
「おはようございます」
「あっ、鈴森君おはよう。朝はワンメニューだけどいい?」
昨夜とは違い、可愛らしいエプロン姿の佑香さんがフライパン片手にコンロに火をともす。
「はい、お願いします」
卵が香ばしく焼ける中、僕は爺ちゃんの本を読むことにした。
【
ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるふ るるいえ うがなぐる ふたぐん。
なんだ、こりゃ? まったく意味が分からない。
「何を読んでるの? 勉強の本?」佑香さんが面白そうに覗き込んでくる。
「いえ、伊吹の本ですけど」
「あ〜、みのりちゃんの魔道書コレクション」
「ははは……あの、佑香さんも研究会の会員なんですよね?」
「ええ、こう見えても副支部長なの」
伊吹の下なんだね……
「いいんですか? なんか変な会にお店が使われてますけど」
「みのりちゃんは私の命の恩人だから、なんでもしてあげたいの」
「命の恩人、ですか? どんな事があったんですか?」
僕が尋ねると、佑香さんはいたずらっぽく笑いながら答えてくれた。
「悪夢を取り除いてくれたのよ♪」
僕がさらに聞こうとすると、カランカランという音とともに、青い髪留め、真っ黒いワンピースに白いトートバッグで身を固めた伊吹が入ってきた。
「鈴森くん、おはよ。今日はよろしくね」
「あぁ、おはよ、伊吹」
そう挨拶を返してやるとまた一つ空けた隣の席へ座ってくる。
「佑香さん、おはようございます。モーニングお願いです」
「は〜い」と佑香さんは追加の料理に取り掛かる。
「やっぱり鈴森くんが盗んでたんだ」僕の手元の本を見ると、伊吹はぷぅと頬を膨らませた。
「人聞き悪いな、伊吹が置いていったんだろ」
「それで、それで、その本の内容はわかるのかな?」
「さっぱり」
本を渡しながら答えると、伊吹は寂しげに目を伏せた。
「わたしも初めは全然わからなかったよ。でも今なら理解できる。京太郎先生に、ううん、世界の救世主に会わせてくれて、鈴森くん、本当にありがと」
お礼を言う伊吹の顔は、ノスタルジックな乙女といった表情だ。イジメから守るより、爺ちゃんと会わせたことに恩義を感じているのか。しかも救世主扱いなんて。
心の中でため息をつく。
こんな可愛い女の子が、僕のせいでどっぷりとオカルトにはまり、さらに怪しい研究会の支部長をやっている。支部長ってことは本部長とかもいるのか?
町内会の同好会やサークルじゃないってことか。
伊吹が大人を巻き込んで……いやその大人達が伊吹をそそのかしてやらせてるのかも。もしかしてかなり大きな組織だったり? 考えれば考えるほどため息しか出てこない。
このままじゃ、ダメだ!
僕は決意した。僕のせいで伊吹がこうなってしまっているなら、彼女をオカルト集団から遠ざけ普通の青春時代を送らせてやりたい、いや送らせてやる!
決意に燃えた目で伊吹を見ていると、それに気づいた伊吹は赤面し、うつむきモジモジしだす。
本当にいちいち、可愛い生き物だなぁ、おい。
「それで? これって何について書いてあるんだ?」
すると「しぃ〜」と指を口につけて黙るように促す。
そして、横の席にわざわざ移動してから、耳元に顔を近づけ小声で「本のことは仲間以外には絶対に内緒だよ」と言ってくる。
その息づかいが耳をくすぐり、心地よく感じた。
「うっうん」咳払いをして、こちらも耳元で「なんでだよ」と返すと。
「これには世界の救い方も書いてあるけど、滅ぼす方法も書いてあるから」
彼女の真顔を見ると、昨日同様、『正気値』がないようにしか見えなかった。
僕は戸惑いながらも無言でうなずき、佑香さんが用意してくれた朝食を受けとる。
「鈴森くん、驚かせてごめんね、でも大切な事だから」と伊吹が背中をスリスリしてくれた。
そんな時、また呼び鈴がカランカランと鳴る。
振り向くと、三島さんが店に入ってきた。
――「あらためて今日の仕事の話なんだが、昨日も言った通り、向かうのは山梨県の堕日市、しかもネットの航空写真で見るとかなりの山奥みたいだ。もっとも、屋敷のそばまで車でいけるようだからそこは安心していい」
「車は三島さんが?」
「俺が出すよ。目的は屋敷にいるという海洋学者が、
とスマホの画像を見せてくれる、能面の翁のようなお爺さんが写っていた。
えっ、若い時なのか、これ?
「電話じゃダメなんですか?」
「電話は通ってないようだ。わかっているのは住所だけ」
「留守だった場合は?」心配になり尋ねた。
「住んでる気配がないならそこで終了だな、もし人気があるなら張り込みになる」
「手荒なマネはしないんですよね」
「当たり前だろ、高校生になるかならんかのガキ二人連れてそんな仕事はしない、ただ探索者としては一人前として扱うからそこだけは覚悟してほしいな」
いや、僕その探索者の事とか、何も聞いてないんだけど。
「研究会からの難易度はいくつですか?」伊吹が手をあげる。
「星1個だ、遭遇しない可能性もある難易度だな」
「はい、わかりました」
探索者ってオカルト愛好者ってことで良いんだよな、これで晴れて僕も変な研究会員に仲間入りか……だいたい何と遭遇するって言うんだよ。野生動物とか?
「じゃ、今日はよろしく頼む」三島さんから握手を求められたのでそれに応じる。
「車を回してくる、ウカ様コーヒー代は帰ってからな」とカランカラン、堂々と飲み逃げしていった。
「みんなもモーニング代は帰って来てからでいいからね」と佑香さんが微笑みながら言う。
「でも」
「それがここのルールよ。ちゃんと払いに戻ってきてね」と食器をかたづけはじめた。
「ひとつ、お願いが」と突然声をかけてきたのはゴスロリ人形だ。
上品にティーカップを口元へ運び、紅茶の香りを楽しみながら、
「もし不思議な物があればお願い致しますわ」と続けた。
「
僕が困惑しているうちに外からクラクションが聞こえてきた。
「じゃ、いこっか、鈴森くん」と伊吹が恥ずかしそうに僕の手を取って言った。
――表にはワゴン車が止まっていた。助手席には僕、伊吹は後部座席へ乗り込む。
【
伊吹は後部座席につまれた荷物を遠慮もせずに物色している、ゴソゴソと。
「みのりん、あんまり仕事道具をいじらないでくれよ」と三島さんが軽く注意するが、
「あっすいません、つい癖で」といったん止めはしたものの、それでも積荷が気になるようでやっぱりコソコソ調べている。
【
この
「屋敷まで大体どのくらいですか」
「ナビによると高速使って二時間だな」
「鈴森くん、時間を気にするのは探索者の素質あるよ」と伊吹が、鼻息荒くバールのような物で突くふりをしながら話しかけてくる。まるで遠足に行く小学生のようで、かなりめんどくさい。
「夜までには帰りたいしな。って、おい! みのりんそのバール、スタンガンつきだからな」と注意されると、
「あっ、ごめんなさい」とモジモジ伊吹に戻っていった。
スタンガンつきのバールって一体何だよ! これは本当にまともな仕事なのか!?
そんな心の中のツッコミを必死に抑え込み、早くこんなことを終わらせたい僕はスマホを取り出した。海野幸人について検索する。
ネットに記載されていた情報によると、海洋学の元大学教授で現役時には太平洋の海流温度の変化を正確に予測したことで有名になったらしい。年齢は百六歳、生きてるのか、この人? まぁ、だからこそ調べに行くのか……。
【
おそらくここまでは
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299 名前:名も無き学者
海野先生、中年にしか見えないけど百歳こえてるってマジ?
300 名前:名も無き学者
この前、旅行費せびられたわ、貸すつもりなかったのに貸してしまった
301 名前:名も無き学者
あの爺さん最近欲しかった本を手に入れたって喜んでたな
302 名前:名も無き学者
俺も経験ある、それから学会で見かけても近づかないようにしてる
303 名前:名も無き学者
爺人気あるよな、話聞いてると洗脳されそうな感じになる
304 名前:名も無き学者
また調査資金集めてるらしい
305 名前:名も無き学者
政府とコネクションもあるしな
306 名前:名も無き学者
爺さん行方不明になったってよ、結局金返してもらえなかったわ
======================
こんな感じに悪口が並んでいる。金にだらしない人だったらしい、依頼主はお金を貸した人なんだろうか?
車は順調に高速にのり、山梨方面に走る。
「何か買いたい物があれば談合坂サービスエリアに寄るけど、どうする?」
「慶司さんのおごりですか?」と伊吹が身をのりだし聞くと「あぁ、経費で落とすからいいぞ」と大人な三島さん。
「やったね♪ 鈴森くん」と無邪気に伊吹が喜び、「鈴森くん、探索者が仕事前に買い物に行くのは大切な事なんだよ」とこちらに話を振ってくる。
僕が呆れるように「はいはい。それも爺ちゃんの教えなの?」と言ってやると。
「そうだよっ!」と頬を染めたドヤ顔で言い返された。
どうやら、こいつはこの依頼中に、僕に探索者の心得を叩きこむつもりらしい。
談合坂サービスエリアは大きな店舗で日用雑貨の類も売っている。
僕は三島さんから渡された千円札でペットボトルと菓子を、伊吹はライターと新聞紙を購入していた、何か燃やすんですか?
僕が不審そうに眺めていると伊吹は「屋敷系の依頼には念のために、これがいるんだよ」とにっこり笑いながら言った。
本当に何をしに行くんだろうか? だんだん不安になってくる。
それからトイレを済ませた三島さんと合流し、目的地へ向かうことになった。
――高速を降り、田舎の山道を走っていく。
故郷の奈良にどことなく似ているのがうれしい。
ガスライトを出てちょうど二時間、山深い別荘地の共同駐車場についた。
辺りを見渡しても人気はまったくなく、近場には古ぼけた山小屋の様な建物が見えるだけだった。
「ここから歩いて十五分くらいの場所だ、とっとと行こう」
三島さんが先頭で歩き出す。
天気は曇り、それに加え生い茂った木々が光をさえぎるため、朝と言うのにどんより暗い。
スマホを確認すると、もちろん電波は届いていない。
早く終わらせよう、僕の予想ではチャイムを押して海野が出てきて、「海野幸人さんですか?」「はい、そうですが?」で終わるはず、昼食は近場で何かおごってもらおう。
しばらく歩くと洋館が見えてくる。
背の低い柵が館を取り囲むよう地面に突き刺さっていた。
その柵の向こう側、つまり庭だと思われる領域……その草だけが枯れている。
洋館の周りは春の息吹を感じさせる淡い緑色なのに、ここだけが薄汚れた黄土色。少し不気味な感じがしたが、除草剤か何かをまいたのだろう。
二人はかがみながら枯れ草を調べだした。
【
僕は洋館の周りを歩いてみる、三階建てのようだが、意外と広くはない。
窓にはカーテンがかかっていて中を覗く事はできないが、案外普通の家だ。
それよりも、枯葉の上を歩く奇妙な感覚の方が気になった。
靴で足元をかき分けていると、伊吹が焦った様子で追いかけてくる。
「鈴森くん、単独行動は絶対にダメ!」
なぜか、真剣な表情で訴えてきた。
「家の周りを歩いただけだよ?」
「それでも必ず言ってからにして!」と意味も解らず、躍起になった伊吹にしかられていると三島さんもやって来た。
「早いところ済ませるか」そう提案してきたので、僕は困惑しながらも同意した。
玄関の前に立ち、三島さんがチャイムを押す。
何も聞こえない。
「壊れてるのか?」もう一度押した。
【
「鳴っていませんね」
「電気自体がきてないようだ、しょうがない。海野さん、おられませんか?」
ドンドンドン、と三島さんがドアをノックしながら大声を上げる。
それにも反応がない。これ、もしかして張り込みになるんじゃ? そう落胆しその場にしゃがみこむと、
【
おぉ? 急に発動した。というか、僕が見つける前にメッセージが出なかったか?
とりあえずメッセージどおりに紙を引き抜くと、二人も顔を寄せてきた。
【
おお、また分かった。さっきの発見といい、初めてこのメッセージを便利だと思った。
「お入りください、だって」
「よく読めたね、鈴森くん」と伊吹が不思議そうにメモを受け取る。
早く済ませたかった僕は、ノブに手を伸ばしドアを開けた。
「おいっ、待て!」「鈴森くん!?」メモを調べていた二人が驚き、大声を上げた。
この時、ドアを軽々しく開けてはいけないという探索者の心得を、僕はまだ知らなかったのだ。
――二人の方を振り向いた瞬間、洋館の中から顔を向けることのできない風圧と糞尿が腐ったかのような飛沫が暴風雨のように襲い掛かってきた。それと同時にドアが暴れ狂い僕の手を振り払う。
唖然とする間もなく、目に見えない何かに首を絞め上げられ、もがくことすら許されず、暗闇へ呑み込まれる。皮膚はブクブクと泡を吹き、脂肪はドロドロと流れ落ち、筋肉はチーズのように裂け、そして灰色の骨が現れる。
だが、その骨さえも砂のように崩れ落ちサラサラと消えていく、僕たちは脳と神経の塊となりそのまま捻り潰された。
【
【
そんな冒涜的な感覚に襲われ、意識を失ったのだ。
【
不安しか感じることのできない
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