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――叔母に紹介された下宿先は、
一階は英国の雰囲気が漂う喫茶店『ガスライト』になっている。
荷物整理を終えた僕は夕食をとろうと、ステンドグラスの入口を開けた。
向かいの公園から風が吹き、迷い込んできた桜の花びらと共に入店する。
カランカラン
心地よい鈴の音が響き、店主兼大家さんである
今朝挨拶をしたときも綺麗なお姉さんだと思ったけど、黒いカマーベストを着てバーテンダーのような姿をした彼女も魅力的だ。
「いらっしゃい」
店の中には先客が二人。一人はカウンターの一番奥に座るサラリーマン風の男性。もう一人は手前のソファー席に座る、黄色いゴスロリファッションの小さな女性だ。道ばたで遭遇すれば二度見してしまうような姿も、喫茶店の雰囲気のせいか飾り人形のように溶け込んでいる……不思議なものだ。
【
入口に近いカウンター席に座ると水とおしぼりを佑香さんが持ってきてくれた。
「鈴森君は会員価格の方だから」と営業スマイルを向けてくれる。
一通りメニューを確認した後、値段安めの「日替わりのご飯大盛りでお願いします」と注文した。
「は〜い」という声と共に佑香さんは調理を始める。
下宿していないと値段が倍である。やっぱりこちらは奈良の田舎と違って物価が高い、バイト見つけないとなぁ……
そんな事を考えているとカランカランと客が入ってくる。
青い髪留めに白いジャケット、背が高くモデルのような……と言うか伊吹みのりだった。
一日に何度変身するんだ、こいつは。と言うかそのまん丸なワッペン付きの髪留めは全色コンプリートしてるのか?
「あっ! すっ、鈴森くん……」と顔を赤らめモジモジと、席を一個空けた横へ座ってくる。先ほどまでのグイグイ迫ってくる感じとは対照的だった。呼び方も出会い頭のキョウちゃんから恭平くん、さらに鈴森くんへ変わっちゃったな。
「伊吹もここで食べてるんだ」
「うっ、うん。佑香さんすいません、日替わりお願いです」
「は〜い」と佑香さんは慣れた手つきで食器をもう一枚出す。
「布団、後で返しに行くから、あれないと困るだろ?」
「うん……えと、正気値ごめんね……」と再び顔を真っ赤に染め絞り出すような声でそう言った。
伊吹の態度がまるで違う、もはや別人なんじゃないか? いや、こちらが僕の知っている昔懐かしい伊吹なんだけど。
「布団? 大家としては聞き捨てならないわね、一応親御さんから預かってる身なんだから不純異性交遊はなしでお願いよ?」と佑香さんが言葉とは裏腹に興味津々で聞いてくる。
「いえ、そんなんじゃないですから」あせる僕。どう説明すればいいんだ?
「佑香さん、本当にそんな事ではないんです、えと……わたし初めて直接、正気値をわけてもらって……」そう告げながら頬を桜色に染め上げた。
おい、そんなこと言っていいのか!?
「そうなんだ。よかったわね、みのりちゃん」
「はいっ!」
えっ、なんですか? この二人はそろいも揃ってそっち方面の人なんですか?
サラダを受け取りながらそんなことを思っていると、電話が鳴る。
ジリリリリリリンと昭和っぽい音が店中に響き、先ほどのサラリーマンがそれを打ち消した。
「もしもし。あぁ、俺だ」
男が話し始めると、伊吹がそれに近づいていく。注意でもするのかと心配してみていると、どうやら堂々と盗み聞きしているようだ。男の方もそれを気にかけることなく会話を続けている。
【
聞こえてきた話を要約すると、誰かを捜す仕事らしい。
そう認識した後、男を見るとうだつがあがらなそうな求職中の中年男に思えてくる。
「おい、伊吹」心配になって引き戻そうと席を立つと、電話を終えた男と伊吹が仲よさそうに会話を始めた。
「
「あぁ、九郎の奴からの依頼さ。なんでも失踪中の学者から手紙が届いたらしい、その住所を確認してくれだとよ」
そう言うと、男はソファー席で紅茶を嗜むゴスロリの方へ振り返った。
「アッキー、明日仕事なんだが手伝ってもらえるか?」
「明日はわたくし買い付けがありまして。参加することはできかねます、申し訳ございません、
「お一人だと危険ですよ?」伊吹が心配そうに男に忠告する。
「だよなぁ。でもみのりんと二人きりだと毎回散々な目に遭うんだよなぁ」となぜか男は僕の方を見てくる。
伊吹と中年男が親しげに話しているのを見ると、なぜか急に不安になっていく。
なんだよ『みのりん』って……。
「そっちのナイト君はどうなんだい? もう入会してくれたのか?」
「あっ。えっと、鈴森くん。アルバイトとかどうかな?」とこちらに話を振ってきた。
いやいや、バイトじゃなくて、いま入会って言ったよな?
「ナイト君、バイト料は一万円出すよ」
「マジっすか?」
思わず声を出してから後悔する。伊吹がらみってことはオカルト仲間なんだろう? きっと世界を救うお仕事なんだろう、オカルト的ないかがわしい意味で。
「君が来ないなら、またみのりんと二人きりかぁ」と目を細めながら僕を見てくる。
このセクハラ親父みたいな男と伊吹が二人きりだと?
【
なんじゃこりゃ、けれども参加せずにはいられなかった。
「どんな仕事なんですか?」
「ああ、それはだな」サラリーマン風の男の説明を遮るように、食欲をそそる肉のいい香りが漂ってくる。
「はい、その話は食事が終わった後にゆっくりしましょうね」と佑香さんが出来たてアツアツの煮込みハンバーグを出してくれたのだった。
――佑香さん自慢の料理を堪能した後、僕は伊吹とその男に誘われるがまま、ソファー席の方へ移動する。
隣のソファー席ではゴスロリが相変わらず紅茶を楽しんでいた。
「さて、俺は三島慶司。探偵をやってる。君は?」
「鈴森恭平です。四月から高校へ通うためにこちらへ下宿させてもらいにきました」
男はタバコを取り出そうとするも、ゴスロリが咳払いすると慌ててそれを引っ込めた。
「……で、少年。行く先は山梨の堕日市の山荘だ。なんでも行方不明中の海洋学者が昔の借金を返したいと、突然知人に手紙を送ってきたらしい。その本人確認が今回の依頼だな」
「質問です」
「はい、どうぞ」
「どうして、三島さんだけじゃ駄目なんですか?」
「この案件が研究会からの依頼だからだ」
「鈴森くん、説明するね」と伊吹が口を出してきた。
「わたしたちが所属している、神話的現象を研究している探索者のための組合、それこそが深淵研究会だからだよ」
僕が頷くと、ぱたっと話が止まる。説明が終わったらしい。
いやいや何にも伝わってないぞ? なんで『言い切った』って顔してるんだよ。
「神話的現象ってなに?」
「えっ!?」伊吹が今までで一番驚いた顔をした。
「京太郎先生が研究してたことだよ! そんなことも忘れちゃったの?」
「いや……そんな、爺ちゃんは妖怪の研究を」
「妖怪じゃなくて、妖怪と云われるモノの中に神話生物がいるって事だよお」
「いや、ん〜、そんなのどうでもいいよ。それでその研究会が絡むとどうしてなんだよ?」ちょっとムッとしながら言ってしまった。
「みのりん、もしかしてこの少年は探索者じゃないのか?」
「そうみたいです、鈴森京太郎先生のお孫さんなんですけどっ!」物凄く残念そうに、彼女に似合わない皮肉まで言われた。
「あ〜、一般人を巻き込むのは気が引けるんだがなぁ」
「でも鈴森くんは
「へぇ、どんなの?」
「頭の中で何か聞こえる気がするだけです」
「おっ、誤魔化そうとするってことは、超能力系かい? それならもう聞かないよ、もし危険なタイプだと某国の
「はぁ? 何それ怖い」
「鈴森くん!」伊吹が不機嫌そうに見つめてくる。
「まぁまぁ、みのりん。一般人に自覚を持ってもらおうってのは無理さ。でもまぁ、そうだな」
男は短く笑うと、
「特徴もちなら、遅かれ早かれ遭遇するだろう。どうだい少年、金は欲しくないか?」
「そりゃ欲しいですけど」
「じゃ決まりだ、明日朝八時に迎えに来る、詳しい事はみのりんにでも聞いておいてくれ。では、おじさんは退散しよう、後は若い人におまかせってな」
テキパキとそう言って三島さんは勘定を済ませて出て行く。
「いい人でしょ、慶司さん」
「ん? うん、本当に大丈夫なの?」
「この世界よりは大丈夫だよ。でも死ぬ時は死ぬと思うから、鈴森くんも今日から日記はつけてね」
「えっ?」
「探索者は毎日、日記をつけて、もし死んだ時は、後に続く者に情報を託さないと駄目なんだよ。京太郎先生の本にそう書いてた」
「はぁ……どこまで冗談でどこから本気なのかよくわからないよ」
「全部本当だよ」ほほ笑みながらそう言う伊吹は、正気値がないようにしか見えなかった。
「あっ、そうだ鈴森くん、正式に研究会に入会してくれないかな……」
「えっ、やだ」
「お願いだよ〜、ガスライト支部の支部長はわたしなんだよ」
爺ちゃんのオカルト研究を続けていた少女は、なんだかよくわからない研究会の支部長だった。
とりあえず逃げよう、そう思って立ち上がる。
「伊吹、また明日な。あっ、布団は後で持って行くよ」
「う〜」と立ち上がった僕を上目づかいで恨めしそうにみつめてきた美少女を置き去りに、レジで財布を取り出すと「三島さんが払ってくれたから」と笑顔で佑香さんが告げてきた。
これはもう逃げ出せそうにないな、僕は覚悟を決めて「ご馳走様でした」とガスライトを後にした。
――部屋に戻り、やっかいな頭の中のメッセージについて調べてみることにした。洗脳的な何かじゃないならずっと付き合っていくことになるかもしれない。
荷物整理でとりわけ発動したのが『探す』という
例えば、僕の部屋で百万円の札束を探すとして、
一方、テレビのリモコンは
けれど、失敗した場合はいくら探しても見つからない、再度のチャレンジにしばらく時間を置かないと駄目らしい。
他にもテレビのように大きく、誰にでもわかるような物には発動しない。助かった、いちいちテレビを見る時に発動されちゃドキドキする。
【
この『聴覚』は、音を聞き取れたかの
便利だけどストーカーっぽいなこれ、そう思いながらも布団を抱え伊吹の部屋を訪ねる。
コンコン
「はいっ」と伊吹がドアを開けてくれる。
「あっ、鈴森くん、お布団ありがと」パジャマ姿の伊吹が胸のあたりを腕で隠し頬を染めながら招き入れてくる。
伊吹にまた変なことをされるかもしれないし、ここで布団を受け取って欲しかったんだけど、僕はその姿に誘われるがまま部屋に入ってしまった。
この娘、やりおる。またそう思わされた。
昼間見たおどろおどろしい黒魔術の儀式場のような部屋は、最初に期待した女の子らしい部屋に変化していた。
壁紙もカーテンもカーペットも全てピンク、やりすぎじゃないかと思うほどのピンクだった。
壁際に掛けられていた暗幕も取り外され、隠れていた可愛い収納ダンスが姿を見せてくれている。
「ここにお願いできるかな」と布団を置く場所を指定してくる伊吹。
布団を返した僕はジロジロと伊吹を見てしまい、気まずくなったので「じゃあ、おやすみ」と出て行ってしまおうとしたのだが、行く手を阻まれた。
「鈴森くん……」
伊吹が意を決したように手を差し出してくる。その手に握られているのは、かわいらしい封筒だ。赤面した美少女に封筒を渡されている、まるで恋する乙女がラブレターを渡してくるように。けど、現実は……
「何これ」
「入会書だよ。見てほしいの、お願いだよ」
「えぇ〜?」と拒絶したものの、その無言の瞳に負けて中を見る。
紙には名前、住所などを書く欄があった。二枚目をめくると承諾事項と書かれた文章が長々と続き、署名をする欄がある。
「本当に読まなきゃダメかな?」
「ちゃんと読んでね、大切なことだし。あっ、書き終わったらわたしか佑香さんに渡しといて」
「佑香さんもこのよくわかんない研究会の会員なの?」
「うん……」伊吹が悲しげに呟く。僕はその表情に戸惑ってしまった。「わたし、鈴森くんのことが、わかんなくなってきちゃったよ」
僕からすれば、伊吹のことのほうが分からないんだけど……
「明日じゃダメかな?」そう言うと、彼女は少しだけ笑顔にもどる。
「うん。じゃあ、また明日ね、おやすみ」
「おやすみ」僕はぎこちなく手を振って、部屋を後にした。
激動の下宿一日目が終わった。
部屋でシャワーを浴び、自分の布団を敷いて横になる。
これはこれで故郷の懐かしい匂いがして心が落ち着いた。
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