第5話 【同人誌】

 周りを雑木林に囲まれた高台にひっそりと建つ、私立ひととせ高校。そこに通う四人の少女たち……春陽、夏羽、秋桜、冬乃は特にこれといって代わり映えのない日常を送っていた。地域で大きなイベントもなく、あるのは田んぼと畑、それと……喫茶店ぐらい。今日も四人は放課後喫茶店に寄り、取り留めのない話に花を咲かせる……かと思いきや、なんと本日は学内の話である。

 春陽たちのクラスは絶賛ホームルーム中。教壇の前で眼鏡をかけた細身の教員が何やら浮かない顔をしていた。

「──連絡事項はこれで大体終わりか。念の為にもう一度言うが、今日の放課後、先生たちは会議があって十八時まで職員室には入れないから注意してくれ。はぁ……早く帰りたい」

「ははっ! 田中先生新婚っすもんね!」

 調子のいい男子生徒がヤジを飛ばすと先生は「その通りだよ!」と捨て台詞を残し教室を後にした。本日の日程が終了し、生徒たちは騒がしく教室を飛び出していく。狭い日本そんなに急いでどこへ行くという言葉があるが、彼ら彼女らは現在高校一年生。狭いとされる日本よりもさらにスケールの小さくなったひととせ高校の最低学年である一年生たちは、先輩よりも先に部活に顔を出すことを至上命題としているため急がざるを得ないのである。バタバタと慌ただしい生徒たちの大移動を終えた後、教室には四人の生徒が残される。

 教壇の上に立つピンク髪のふわふわ少女──小泉春陽は黒板掃除を終えると神妙な面持ちで仁王立ちをした。

「えー、本日はお日柄もよく……えーっと、春の朗らかな風が……なんかいい感じでとっても過ごしやすい季節となったわっ!」

 残る三人はぎこちない春陽の言葉に首を傾げながらも、彼女の続きをまった。

「春と言えば出会いと別れの季節……今年は本当にたくさんの出会いがあったわね。そして悲しいことに、出会いがあれば別れもあるのよっ……!」

 途中で面倒になり堅苦しい言葉遣いをやめ、春陽はいつものように語尾に「っ」をつけてキンキンとよく響く声でそう言った。彼女の言葉に思うところがあったのか、机の上に片足を乗せて柔軟をしていた赤髪の快活少女──蓮実夏羽はヒョイとその場で舞い上がった。

「ハルっちの気持ち……よく分かるっしょ……! 出会いと別れ……この季節は楽しいことばかりじゃないじゃんね!」

 夏羽は目元に涙を溜めてそう言いながら、隣の席で日誌を書いていた白髪ロングの学級代表──白鳥冬乃の肩に腕を回した。冬乃は迷惑そうにため息を吐きながらも、眼鏡をクイっと上げながら相槌を打った。

「確かにそうね。高校で春陽たちに出会えたことは、本当にいい出会いだったと思うわ。もし、来年クラスが分かれてしまっても、放課後はまた一緒に遊びましょう」

「そうじゃんね! そうじゃんね……! うちらは二年になってもズッ友っしょ!」

 号泣しながら夏羽はそのままに冬乃に抱きつく。冬乃は頬を赤ながら夏羽の頭を撫でた。普段はクールな冬乃であるが、血も涙もない冷徹少女というわけではない。言葉にはしてこなかったが彼女は春陽たちとの学校生活をひどく気に入っていた。

 何やら教室内が感動的な雰囲気に包まれる中、春陽は頭上にクエスチョンマークを浮かべる。

「んっ? 二人とも何か勘違いしてるわっ! あたし、そんなに暗い話はしてないわよっ?」

「えええっ? 絶対今のこういう流れだったっしょ! ね、ね、ふゆのん!」

「わ、私もそうだと思っていたわ。私なんて恥ずかしいことを口走って……あ、アキくんはどうかしら!?」

 冬乃は声を上擦らせてそう言った。話を振られた橙のお団子をつけた幸の薄そうな少女もとい少年──藤守秋桜が春陽の帰り支度をしながら苦笑いを浮かべた。

「あはは……ボクは先にハルお姉ちゃんに昨日聞いてたから……分かってた……かな」

「その通り! アキには昨日話したわねっ! と言うわけでアキ、あれを出してっ!」

 春陽は秋桜を指差しそういった。彼女たちは本当の姉妹ではないが家同士がお隣さんであり非常に仲がいい。小さい頃から姉妹のように一緒に生活してきた彼女らは当然の様に両者の家を行き来しており、昨日も夕飯を一緒に食べたし、なんなら一緒の部屋でも寝た。そんなマル秘情報はさておき、秋桜はスクールバッグを開けると未だに角がピンと立っている緑色のノートを取り出した。

 季節は二月。二月といえば学年の切り替わりの時期であり──新品のノートをお目にかかることが中々に珍しい時期でもある。通常この時期に微妙にノートが足りなくなった場合、ルーズリーフにしてしまうだとか、教科書に線を引くだけにしてしまうとか、無理やり余白を見つけて書いてしまうとか、そういう手段を多くの人が取りがちである。したがって、彼女の取り出した新品のノートは授業で使用するものではない。そのノートは……彼女たちが放課後に行なっている『辞書作り』とも言える一風変わった趣味で使用するものなのだ。『辞書作り』は違和感を感じた言葉の再定義を行うという趣味なのであるが、詳しい内容はこれまでの彼女たちの活動をチェックしてみてくれ! 当サークルの既刊や各種小説投稿サイトで読むことができるぞ! 宣伝終わり!

 春陽はノートを秋桜から受け取ると、表紙が三人によく見える様に掲げた。

「出会いもあれば別れもある……今週からノートが新しくなったわっ! ここに書かれた文字が読めるかしら、夏羽っ!」

「ボル5……五冊目ってことじゃんね! あれ、この『ボル』ってどういう意味っしょ」

「volumeの略よ。巻数を表しているわ」

「なーんだ。無双竜機の方かと思ったっしょ。八冊目に盛り上がりそうだったじゃんね」

「そんなわけないでしょ」

 冬乃は呆れた様子で追加ターンを取りそうな夏羽にツッコミを入れながら日誌を閉じた。

「無双なんとか?はさておき、もう五冊目なのよっ! ここまでこの遊びが続いたのはとても素晴らしいことだと思う。そして、それと同時にある問題が浮上してきたわ……!」

「ある問題? 遊びに問題も何もないっしょ!」

「それがそうでもないのよ。ね、アキっ?」

「う、うん……すごく恥ずかしいことだけど……えっとね……」

 秋桜は触覚をクルクルと弄りながら頬を染める。数秒の間を開けて、決意を決めた様子で話し出す。

「ノートが重くて毎日辛いな……って」

「へ? ノートが重い?」

「なるほど……確かにそれは盲点だったわ」

「そうよっ! 当然ながらノートを何冊も持ち運ぶのは大変! 五冊ともなると五教科分よっ! アキは今日からあたしたちの倍のノートを持ってくる必要が出てきてしまっているわけ! このままだとアキが筋骨隆々になってしまうわっ!」

「そ、それはヤバいっしょ! 筋肉付いたアッキーとかあんまり想像したくないじゃんね!」

「ふぇえ……これでもボク男なのに……」

 秋桜は目をくの字にして涙ながらに訴える。彼は『コスモスを愛でる会』というファンクラブが秘密裏に設立されるほど、クラスの……いや学年のどの女子よりも可愛い。そんな彼が突然!マッチョマンなどになってしまえば最後、ひととせ高校ではファンクラブを中心に暴動が起こり、なんやかんやあって上腕二頭筋を露出した男たちが廊下を闊歩するさながらヤンキー漫画の世界観になってしまうであろう。これなら秋桜きゅんが相対的に華奢な娘になって解決だね。

「つまり、アキくんに一任している使い終わったノートを私たち全員で分担しようって話ね。それなら早く言ってくれればよかったのに」

「そうっしょアッキー! 困った時はお互い様じゃんね!」

「いいえ、今回あたしが言いたいのはそういうことではないわっ!」

 冬乃たちが仲良しムードに入ろうとしたところを春陽はバシッと黒板を叩き流れを断ち切った。、黒板にはいつの間に書いたのか知らないがチョークで大きく本日の主題が書かれていた。

「今日はみんなで『同人誌』を作りましょ! ドヤッ!」

 春陽はセルフ効果音と共に自信ありげにそう告げた。夏羽は黒板に書かれた『同人誌』の文字を見て口を小さく開けてポカンとしていた。暫くして訝しげな表情で夏羽は言う。

「いやいやハルっちさん……えっちなやつは流石に高校生で作るのはダメじゃんね……」

「夏羽……同人誌は別にえっちなものだけじゃないわよ」

「えええ!? そうだったの!? 普通に恥かいたっしょ!」

「同人誌は出版社を通さず個人で出版するもの全てを指すのよ。なるほど、春陽の言いたいことが段々と分かってきたわ」

「つまりどう言うことっしょ?」

「春陽はこう言いたいのよ。『これまで私たちが作ってきたノートを一つにまとめた同人誌を作ろう』って」

「その通り! ノートが重くて大変ならまとめてしまえばいいっ! これなら全て解決だわっ!」

「いいじゃんいいじゃん! 自分たちで本を作るなんて、めっちゃ楽しそうじゃんね! アッキーのためにもなるし!」

「私としても異論ないわ。すごく楽しそうだもの」

「えへへ……みんなありがと……ね」

 夏羽と秋桜がハイタッチ。そのまま夏羽は秋桜の背中を押して冬乃と春陽とも順にハイタッチさせていった。なんだこれは。一連の流れが済んだところで春陽はパチンと手を叩く。

「とにかく今日の活動が決まったわっ! みんなで同人誌を作っていきましょう! あたしたちの未来と……アキのプニプニを守るためにもっ!」

「守るためにも!」

「ボ、ボクはそんなにプニプニじゃないよぉ……」

 秋桜の腑抜けた声が教室に響く。なんとも締まらないままではあるが、本日も四人の活動がスタートするのだった。


* * *


 デカデカと書かれた『同人誌』の文字をそのままに、四人は机をくっつけて会議をスタートした。席の配置は普段の喫茶店と同じく、春陽と秋桜、冬乃と夏羽が隣同士である。夏羽が元気よく挙手する。

「はいはーい!ところで同人誌ってどうやって作るっしょ! ウチ漫画家さんが締め切りが〜とか言って苦しんでる姿を漠然と知ってるくらいだからイマイチ分からないじゃんね」

「夏羽の中の同人誌象は随分酷いわね……とはいえ、私も同人誌を作ったことはないしどうやって作るつもりなのかしら?印刷会社の目星はつけているの?」

「ううん。確かに印刷をしてくれるサービスは調べてみたらたくさんあったわっ! でも、今回はせっかくだしデータ作りから印刷、製本まで全部自分たちでやってみようと思っているのだけど、どうかしらっ?」

 春陽は声を弾ませながらそう提案する。彼女の提案に秋桜は人差し指を唇にあて首を傾げていた。自分たちで一冊の本を仕上げる……こんなイベントにお祭り好きな夏羽は目を輝かせた。

「ウチはもちろん賛成っしょ! みんなで作業したりとか絶対楽しいじゃんね!」

「確かにそれは楽しそうね。私も賛成よ。印刷は学校のコンピューター室でいくらでもできるし、環境も整っているわ」

「あはは……あまり印刷しすぎると怒られちゃいそうだから……ほどほどにね」

「もちろん印刷は常識の範囲内でやっていきましょう! 今回、先生に目をつけられるのは勘弁だものっ!」

「何よその余罪がありそうな言い方は」

 冬乃が冷静にツッコミを入れると、春陽はテヘペロッとセルフ効果音を入れながら舌を出した。いいやテヘペロは効果音じゃないな?

「よしっ! とにかく作り方の手順を説明していくわねっ! 昨日アキと作戦会議をした結果、同人誌は大きく五つのステップに分けて作ることができるわ。これからみんなでこの行程に沿って話しを進めて行くわよっ! 説明はアキに任せるわねっ!」

「う、うん……!」

 秋桜はバッグからクリアファイルを取り出す。中には昨日準備したであろう資料が五枚ほど入っていた。秋桜はその中から最初の一枚を手に取り冬乃たちに見せた。文字の綺麗さと可愛さ、そして隅に描かれた謎の愛くるしいクマさんから秋桜の手書き資料であることがすぐにわかった。書かれた五つのステップの一番上を指差し、秋桜は続ける。

「まず最初は『データ作り』……かな。ボクたちの場合……ノートの中身をパソコンを使って……データにしないといけないみたい」

「じゃあここはウチの出番っしょ! ウチのタイピング速度は音速を……」

「そして、そのデータ化したものはここにあるわっ!」

「ハルっちさん!?」

 腕まくりをしてやる気十分だった夏羽を遮り、春陽はUSBメモリを胸ポケットから取り出した。

「夏羽悪いわね。データ作りはもう済ませてきたのっ! 昨日アキが資料作ってる間にあたし暇だったからっ」

「三分クッキングされちまったっしょ……ウチの音速を上回られたじゃんね!」

「あはは……夏羽ちゃん残念だった……ね」

「とはいえ夏羽がタイピングしたら相当時間かかっただろうからこれはこれで良い判断だったかもしれないわ」

「ちょっとふゆのんそれは酷いっしょ〜!」

「まずはローマ字入力にすることから始めた方がいいわね」

 夏羽は両手の人差し指を頭上に持って行き鬼のポーズ。何を隠そう彼女はひらがな入力人差し指タイピングの鬼なのである。すごく弱そう。

「話を戻しましょう。アキくん、2ステップ目は何?」

「ええっと……2ステップ目は『製本方法を決める』……だね」

「製本方法? それって何っしょ?」

「印刷した紙をどのような方法で本にするか、と言うことよね?」

「冬乃の言う通りよっ! アキ、例の紙も出してっ」

「う、うん……」

 クリアファイルから二枚目の資料を取り出す。二枚目も先ほど同様秋桜の手書き資料のようだった。先ほどと同様クマのイラストと共に本の製本方法が図解されていた。

「ええっと……代表的な製本方法が三種類……あるんだって。一つ目は『袋綴じ』……片面だけに印刷して、印刷面が見えるように折りたたむ……それを繰り返して最後に折り目が付いてない方をホッチキスで留めれば完成……だね」

「なるほど。つまり、最終的に一ページ一ページが袋綴じのようになるから袋綴じということかしら」

「た、多分そう……かな?」

 自信なさげに秋桜は言う。隣で春陽が裏紙として教室に置かれている藁半紙を使って簡易的に製本をしており、実物を見て夏羽は「確かに袋綴じっぽくなったっしょ」と呟いた。

「二つ目はあたしが説明するわねっ! 二つ目は『中綴じ』……まずは両面にデータを印刷してそのまま重ねるわっ! そして重ねたまま真ん中で折り曲げて、折り曲げた部分をホッチキスで止める! これだけよっ!」

「これは本を開いたとき……真ん中にホッチキスが来るから……中綴じ……なのかな?」

「きっとそうっしょ!」

 説明をしながらも春陽は藁半紙で六ページほどの中綴じ本を作成する。彼女は天真爛漫な性格をしているが裁縫が得意であったりと手先が非常に器用なのだ。あまりの手際の良さに冬乃はあごに手を当てて感心していた。

「そして、これが最後ね。『無線綴じ』でいいのかしら?」

「そ、そうだね。これはええっと……両面に印刷してから半分に折って、できたものを重ねていく。その後……重なった折り目のところに接着剤をつけて……最後に表紙で包んで完成……だね。あっ……最後に背表紙以外の三辺を裁断することが多いみたい」

「裁断!? いきなり本格的になったっしょ! そんなの流石にハサミじゃできないじゃんね!」

 夏羽は筆箱に入っていた鋏と糊と睨めっこした後、残念そうに肩を落とした。ここまでサクサクとお試し版の本を作ってきた春陽であったが、流石にこれにはお手上げといった様子だった。

「というわけで今回は袋綴じか中綴じのどちらかで製本をするのがいいと思うわっ! みんなはどう?」

「うーん、この二つだとウチは袋綴じの方が良さそうに思うっしょ。袋綴じって響きが魅力的じゃんね」

「あはは……ボ、ボクも袋綴じがいいのかな……って思うよ。それなりに……ページ数ありそうだし……中綴じだとできるか……不安かも」

「冬乃はどうかしらっ? 冬乃も袋綴じでいいならそれにするわよ?」

「いいえ、少し待ってちょうだい」

 冬乃はメガネを白く輝かせ、クイッと上げた。カッコいいメガネキャラのポーズだ。思いがけない冬乃の言葉に三人の視線が彼女へ集まる。彼女は人差し指で第三の選択肢を指差した。

「私は無線綴じがいいと思うわ」

「でもふゆのん、流石にそれは無理っしょ! だって道具がないじゃんね?」

「う、うん……道具を買うとなると……ちょっと大掛かりになっちゃうね。それこそ……印刷会社に頼んだ方が……お得になるかも」

「いいえ、問題ないわ。だって……」

 たっぷりタメを作り、冬乃は教室の外を指差す。

「裁断機なら学校の印刷室にあるもの」

「えええ!? それマジ!?」

 夏羽はオーバーにリアクションをとる。春陽、秋桜は互いの顔を見合わせて本当なのかと半信半疑の様子だった。

「数学の授業でプリントが配られる時、たまにこっちで切るまでもなくサイズが丁度良くなってることがあるじゃない?」

「あっ、確かにたまにあるっしょ。なんだかラッキーな気分になるじゃんね」

「あれは裁断機でクラス分全てのプリントを切っているのよ。手作業では無理でしょうからね」

「となると……これは投票のやり直しが必要になりそうねっ!」

 春陽の弾けるような笑顔を浮かべると、パンと手を叩いた。四人は互いに顔を見合わす。再投票をするまでもなく、彼女たちの結論は固まっていた。

 彼女たちは資料の同じ場所を指さすと、コンピューター室へと向かうのであった。


* * *


 ひととせ高校のコンピューター室は放課後開放されている。部活等で使用する生徒はおらず、かといって個人利用する人もいないため普段は電気すら付いていない。そんな穴場スポットに本日は四人の少女たちが集っていた。コンピューター室の後ろにある広いスペースで彼女たちはクルクルと回転する椅子に腰掛ける。パソコンの画面にはすでに春陽が作成した原稿が開かれていた。

「それじゃあ3ステップ目に入っていくわよっ!」

「次は……『データの編集』だね」

「なんでっしょ! もうハルっちがデータなら作ったっていってたじゃんね!」

「甘いわね夏羽っ! 確かにあたしはノートの中身を丸写ししてデータにはしたわ……だけどそれだと本にしたときにページが合わないのよっ!」

「なるほど。確かに無線綴じだと何も考えずに普通に印刷……とは行かなそうね」

「んんん? つまりどういうことっしょ……?」

 夏羽はこめかみを押さえながら首を傾げる。冬乃は教室から持ってきた藁半紙を二つ折りにすると、赤ペンで外側に右から①②、内側に右から③④と大きく書いた。

「つまりこういうことね。編集なしで普通に印刷するとするわよ。そうすると当然のことながら表面には右から①②、裏面に右から③④が来ることになるわよね」

「まあそうなるじゃんね」

「これを折り畳むわ。この紙を読むとすると最初に読むのは②……続いて③④①の順番になるのが分かるかしら」

「マジじゃん! なんだかややこしいけどなんとなくわかった気がするっしょ!それじゃあ、どういう順番にすればいいじゃんね?」

「ええっと……印刷順番が右から左だとして……④①②③の順番にすればいいかな」

 秋桜は藁半紙を二つ折りにすると冬乃がしたように赤ペンで印をつける。今回は外側は右から④①、内側には右から②③を書いた。視覚的に確認したところで夏羽は「なるほどっしょ」と言いポンッと手を叩いた。

「というわけで早速データを編集していきましょっ! 面倒だけど、作業的にはコピーアンドペーストだけよっ」

「うおおおおお! それならうちに任せるっしょ! ウチ、三度の飯よりコピペが好きじゃんね!」

「もっとちゃんとお米食べなさい。ともあれ、コピペに関しては夏羽に任せるのがいいと思うわ。集中力が必要な作業だと思うし」

「夏羽ちゃん……集中力すごいもんね」

 担当が決まったところで夏羽は腕まくりをして気合いを入れる。編集用の原稿を開き、最初の一枚目を秋桜に教えてもらいながら終えると、夏羽は鬼にでも取り憑かれたかのように作業に取り掛かった。そう、彼女はひらがな入力人差し指タイピングの鬼であると同時にコピペの鬼でもあるのだ。

「夏羽に編集を任している間にあたしたちは次のステップの準備に入りましょう!四番目と五番目一気にいくわよっ」

「ええっと……4ステップ目は『印刷』だね。これは……普通に印刷するだけ」

「プリンターの電源を入れておけばいいわね」

 冬乃がプリンター正面にある電源を入れる。あまり使われる機会が少ないがギギギと機械音がなり無事に起動した。

「あ、ありがとう……それで5ステップ目……これが最後だね。最後は……『製本』だよ。印刷した原稿を……本にするの」

「今回、あたしたちは無線綴じをするから必要なものが二つあるわねっ」

「う、うん……ボンドと裁断機……だね」

「裁断機はものによっては持ち運びできないし、実質準備が必要なのはボンドだけかしら? ボンドなら技術室にあるとは思うけど教室自体が開いているか不安だわ」

「もしダメなら印刷室に行ってみましょ! 色々ありそうだわっ」

 三人は夏羽に別れを告げるとボンド探しの旅に向かうのであった。


* * *


「夏羽、作業の進捗はどうかしらっ?」

「ボンドの方は……無事見つかったよ」

「結局、普通に技術室が開いてたわね。面倒なことにならないでよかったわ……って」

 冒険を終えた三人は上履きを脱いでコンピューター室へと帰還する。そんな彼女たちを出迎えたのはプリンターの前でサングラスをかけた夏羽だった。

「遅かったっしょ。例のブツなら……すでに用意できてるじゃんね」

「夏羽、何してるのよ」

「ふふふ……夏羽待たせたわねっ。こっちも準備万端よっ!」

「なっ、春陽まで……」

「あはは……突然のマフィアごっこ……かな」

 気付けば春陽もサングラスをかけており夏羽と謎の取引を始めていた。すでに印刷の終えた原稿とボンドを互いに受け取り互いに鑑定らしき行為をする。そんな彼女たちを見て冬乃と秋桜は揃って苦笑いを浮かべていた。満足したところで二人はサングラスを外す。

「冗談はさておき、早く終わったから印刷までやっておいたっしょ」

「ありがとっ! これであとは製本だけねっ!」

「確か二つ折りにして重ねた後に背中に接着剤をつけるのよね」

「う、うん。一人だと難しいから……紙を押さえる人とボンドをつける人で分担した方が……いいかな」

「はいはーい! ウチ、ボンドつける方やりたいっしょ!」

「あたしもボンドがいいわっ!」

 夏羽と春陽がいえーいと調子よくハイタッチ。残された冬乃と秋桜は恥ずかしそうに軽く手を合わせる。

「それじゃあ、私とアキくんが紙を押さえる係ということで」

「それじゃあ決まりねっ! 時間も時間だしすぐにでも始めましょう! まずは二つ折りよっ!」

 春陽は一度時計を確認した後、元気よく号令をかける。つられて冬乃も確認すると、時計の針は十七時を示していた。作業が始まり、四人はまず紙を分担して二つ折りにし始める。一年かけて作り上げた四人のノートをデータ化した原稿は全部で二十枚の紙に収まっていた。一人でこの量を折るのはそれなりに時間がかかるであろうが、四人であればそこまで時間はかからない。ものの数分で最初の作業が終わり、接着作業へと移行した。

「二つ折りはもう終わりね。ではアキくんと私が押さえているからボンドをつけてちょうだい」

「よーし、まずはウチからいくっしょ!」

 ボンドを右手に夏羽が立ち上がった。冬乃が重ねた紙の端を押さえると、秋桜は紙をグイッと曲げる。背中が広がった紙に、夏羽はボンドを少しつけ、指でそれを広げた。

「うへ〜! ヒヤっとしてて気持ちいいっしょ!」

「ちょっと夏羽、ズレてるわよっ! ズレたら本が開けなくなっちゃうわっ!」

「あっ、それはヤバいっしょ。集中集中……」

 秋桜たちの補助があっても作業は繊細かつ高難易度のようで、普段破天荒な夏羽もかなり慎重に取り組むこととなった。ボンドを塗り、しばらく時間をおいて少し固まって来たのを見計らい、逆側の接着作業へと移行する。

「次はあたしの番ねっ! 冬乃、アキ、頼むわよっ!」

「ま、任せて……」

 紙を押さえる係も役割を交代し、逆側も同様にボンドを塗っていく。背中の部分を二方向からボンドで固めた後、半乾燥させ最後は手がボンドで汚れていない冬乃が表紙を被せた。完成形ではないものの、概ね本と呼んで差し支えない形状になったそれを見て、冬乃は一息つく。

「……ふぅ。これは難しいわね。四人なら簡単にいくと思って甘く見ていたわ」

「そ、そうだね。なるべくズレないように頑張ったつもりだけど……あはは……」

 秋桜は出来上がったそれを見て苦笑いをした。途中段階の彼女たちの同人誌は紙が所々微妙にズレており、ガタガタの状態だった。表紙に至っては横の長さが足りず大きくズレている。落ち込み気味だった冬乃たちと対照的に春陽は満足そうに笑顔を浮かべていた。

「いいえ、上出来だと思うわっ! そもそもこうなることが前提で裁断作業があるんじゃない!」

「なにっ!? そういうことだったの!? ウチどうして裁断なんてするんかな〜って少し疑問に思ってたじゃんね」

「そういえば、裁断作業のことを完全に忘れていたわ。確かにそれであればこの段階で綺麗でなくともよかったのね」

「あはは……ボクも忘れてたかも」

「とにかく、これで今できる作業はこれで終わりねっ。後はボンドが固まるのを待ちましょう!」

 作業が一段落つき四人の緊張の糸が切れる。今日は喫茶店ではないが各々持ち寄った水筒で暫しのティーブレイクとなるのだった。


* * *


 ひととせ高校では印刷室と職員室が隣接している。印刷室は通常授業の準備のために使われるので当然といえば当然であるが、春陽はそのことに運命的な何かを感じていた。職員会議を終えた春陽たちの担任──田中先生が疲れた顔をして職員室から出てきたところを春陽たちは呼び止める。普段、放課後に見ることはない四人がここにいることに田中先生は驚いていた。普段と打って変わって落ち着いた声で春陽は言葉を紡ぐ。

「田中先生、職員会議お疲れ様です」

「ああ小泉……ありがとう。それに、蓮実に藤守に白鳥、四人でどうしたんだ?」

「本日の日誌を返しにきました。どうぞ」

「ああ、わざわざ待っていてくれたのか? 明日提出でもよかったのに」

「いえ、他の用事がありましたので、ついでに提出したまでです」

「他の用事?」

「ええっと……裁断機を使いたくて……無断で使うのは……ダメかなって……思ったんです」

「ああ、そんなことか。分かった。危険があるから付き添うよ」

「ありがとうございますっしょ!」

「ありがとうございます、だぞ蓮実」

 田中先生は四人に先行して印刷室へと入る。印刷室には三つのプリンターが壁沿いに設置されており、逆側の壁には未使用の紙が棚に大量に積まれていた。部屋の真ん中には大きな机があり、その上にお目当ての裁断機があった。ボタンが二つついているかなり大きなものだ。田中先生は裁断機の電源を入れる。立ち上がるまでに少々時間がかかるようだ。

「ところで裁断機なんて何に使うんだ、白鳥?」

「同人誌を作ったのでそれの裁断をしたいと思っていまして」

「ど、同人誌? お前らいつも仲がいいと思っていたがそんなの作ってたのか。あれ、四人は文芸部だったか?」

「違うっしょ! ウチらは帰宅部じゃんね! でもいっつも放課後秘密の会合をしてるんだ〜」

「会合をしているんです、だぞ蓮実」

「あはは……夏羽ちゃん先生相手なのに……」

「そうなんです。あたしたち放課後集まって『辞書作り』をしているんです」

 春陽はそういうと、側面がガタガタの未完成品を田中先生に手渡した。彼は慎重にめくると、興味深そうに中身を読んだ。

「旅行……楽しむために遠くへいくこと。家に帰るまでが旅行です……? ん、議論の流れ? ああ、なるほど。言葉を自分たちで再定義してるのか。随分独特な趣味をしてるな」

「驚いたっしょ、先生! ウチらこう見えてもかなりクリエイティブじゃんね!」

「驚きましたか、だぞ蓮実。よし、準備できたみたいだ。もう使っていいぞ。はいこれ、小泉」

 田中先生は春陽に本を返すと彼女たちの後ろに立ち裁断を見守った。春陽は額の汗を拭うと裁断機に本をセット。夏羽、冬乃、秋桜は左右から位置をチェック。そして恐る恐る三辺を裁断機で化粧断ちした。

 出来上がった同人誌を春陽は確認する。裁断機の切れ味は想像以上でまるで新品の紙の側面のようにピンと立っていた。春陽の後には秋桜、冬乃、そして最後に夏羽が確認し、完成したそれを両手で誇らしげに掲げた。始めて自分たちの手で作る同人誌。彼女たちにとっては赤子同然の代物であった。

「うおおおお! ウチらの同人誌ついに完成っしょ!!」

「う、うん……! よく出来てる……と思う!」

「想像以上ね。これを私たちだけで作ったのよね」

「その通りねっ! ありがとうございます、先生!」

「いいや、うまく行ったみたいでこっちも嬉しいよ」

 無事、完成した同人誌を胸に四人は印刷室を後にする。たった二時間ほどの製作時間だったが、完成したそれにはこれまで一年間の思い出が存分に詰まっている。これからは埋め終わったノートに変わり、この同人誌が彼女たちの軌跡となるのだ。

 生徒たちの作業が終わったところで田中先生が部屋の電気に手をかける。同人誌作成が終わり、さて帰宅……といった雰囲気の中、春陽が口を開いた。

「そういえば田中先生、もう一つご相談があるのでした」

「ん、まだ何かあるのか?」

 春陽の突然の切り出しに冬乃と夏羽は首を傾げる。秋桜はゴクリと唾を飲み込み、春陽の出方を伺っていた。三人の反応を見て、春陽はイタズラっぽい笑みを浮かべると、先ほどまでの落ち着いた声音をやめ、いつもの調子で続ける。

「あたしたちこの活動を二年生でも続けようと思っているんですけど、どう思いますか先生?」

「ん? いいじゃないか? 先生は応援してるよ」

「ありがとうございますっ! そこで先生、一つそれに関して相談があるんです。四月にはあたしたちは二年生に上がってクラスが変わってしまう……もしこの四人が離れ離れになったら、活動どころじゃなくなると思うんですっ」

 春陽はそこまでいうと、冬乃たちに目配せする。一年間ずっと一緒にいた彼女たちである。春陽の言いたいことなど、それだけで十分理解ができた。冬乃が一歩前に出て春陽の次の言葉を代弁した。

「つまり先生、もし来年この四人が別のクラスになった場合、私たちは新しい部活動を設立しようと考えているんです。名前はそうですね……『辞書製作部』とかがいいかと考えています」

 秋桜は胸ポケットから生徒手帳を手に取りパラパラとめくる。

「ええっと……部活動の設立には最低四人の部員……それとこれは必須ではありませんが……何かしらの実績が必要……だそうです」

 段々と話の流れが分かって来たのか、田中先生はジリジリと後ずさりをする。一歩、また一歩と少女達は田中先生を追い詰めていく。夏羽と春陽はポケットからサングラスを出した。

「アッキーそれだけじゃないっしょ! 部活動といえば顧問の先生が必要じゃんね!」

「人数が規定の人数に達していて、そして実績なら今まさに……これがあるわっ!」

 春陽はサングラスをかけたまま、完成した同人誌──『ひととせのーと』と書かれたそれを先生に見せつけた。

「ぐへへ……取り引きと行くっしょ、先生」

「こらこら夏羽っ! その言い方だとまるであたしたちが脅しているみたいじゃないっ!」

「あはは……言っちゃった」

「全く二人とも……本性が出てるわよ」

「田中先生……これはもしもの話、もしもの話よっ? もしも、仮に、不運にも……二年であたしたち四人が別のクラスになってしまった……そのときには」

 二人はサングラスを外す。春陽達四人は田中先生を囲い込み、声を合わせて言った。

『辞書製作部の顧問の先生になってくれませんか?』

「ぜ、善処するよ」

 悪い笑みを浮かべた四人の少女たち。新婚の彼にとって部活動の顧問はなんと残酷な役回りなのであろうか。田中先生は脂汗を浮かべ、そそくさと職員室へと逃げ帰るのであった。

 先生がいなくなったところで、四人はハイタッチ。皆一様に笑い声を上げた。

「ハルっちすごいっしょ! 策士じゃんね!」

「春陽、一体いつからこんなこと計画していたのよ。アキくんは知ってたのかしら?」

「あはは……ボクも聞かされてない……かな? でも……予兆はあったから……ドキドキはしてた……よ?」

「部活動の話は今日の帰りのホームルームで考えたわっ! ほら、あたし言ったでしょ『あたしたちの未来を守るためにも』同人誌を作ろうって!」

 三人は今日の春陽の発言を振り返る。思えば今日一日の春陽の言動には少しばかり違和感があった。季節は二月。二月といえば学年の切り替わりの時期であり──次学年のクラス決めの会議の時期でもある。本日の職員会議が果たしてクラス決めの会議であったかは定かではないが、まだ完全には次学年のクラスは決定していないはずである。今回の春陽たちの交渉によって、彼女たちの未来に変化が起きることは間違いないであろう。

「というわけで、冬乃、夏羽、アキ……」

『来年もよろしくね!』

 日は既に落ちている。蛍光灯頼りの帰り道であったが、彼女達の歩く道は少しばかり明るく輝いているのであった。

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ひととせのーと 〜 Dictionary of girls 〜 長雪ぺちか @pechka_nove

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