第4話【ダイエット】

 周りを雑木林に囲まれた高台にひっそりと建つ、私立ひととせ高校。そこに通う四人の少女たち……春陽、夏羽、秋桜、冬乃は特にこれといって代わり映えのない日常を送っていた。地域で大きなイベントもなく、あるのは田んぼと畑、それと……喫茶店ぐらい。今日も四人は放課後喫茶店に寄り、取り留めのない話に花を咲かせるのだ。

 カランカラン……

「マスター昨日ぶり! あたしは今日もジャスミンティーをお願いするわっ!」

「ヤッホー! うちも今日はジャスミンティーにするっしょ! もちろんアイスでピッチャーでね」

「ボ、ボクは……アールグレイでお願いします」

「私はいつものをお願いするわ。ただ、甘さは一甘でお願い」

「………………」

「ええ、一甘でいいわ。少し体調に気を使うことにしたの」

 点線で喋るマスターの言葉を冬乃だけは理解しており、会話が成立している。他の三人からしてみれば一体何を話しているのが気になるところで、冬乃の前後の発言からおおよその内容を各々予想していたりしていなかったりする。どっちなんだ。

 自他ともに甘党であると認める白髪ロングの委員長キャラ──白鳥冬乃であるが、本日のお茶会では甘さを控えたものにする模様。不自然な彼女の行動に、中学からの付き合いである元気いっぱい赤茶ツンツンボーイッシュガール──蓮実夏羽はその理由に心当たりがあった。

「ふゆのんもしかして太った? チョコパイにチョコソースかけるようなふゆのんが糖分抑えめなんて変っしょ!」

「しっ、失敬な! 太ってなんてないわよ! 憶測でものを言うのはやめて頂戴」

 腹を押さえながら冬乃は赤面する。どうやら指摘は事実だったようだ。

 しかしながら、太ったと言えど冬乃は四人の中では一番痩せているのである。この場で最も出るとこ出ててふくよかなフワフワピンク少女──小泉春陽がいつもの四人テーブル席に鞄を置くと口を開いた。

「でも、冬乃はもう少し太った方がいいと思うわよっ。身体測定だときっと『痩せすぎ』に入っているわよねっ?」

「そ、それは……確かにそうだけど」

 瞬間、春陽は目を輝かせ、キラーンと効果音を声に出した。

「アキっ! 今の聞いたかしらっ? 『痩せすぎ』に入ってるって言質が取れたわよっ! BMIの計算方法を前に調べたわよね? 思い出してっ!」

「えっ、ええっと……『体重を身長の二乗で割る』だった気が…………」

「アキくん、どうして正直に教えているのかしら……!?」

「ふええ……どうすれば良かったのさぁ……」

「ゴゴゴゴゴ……あたしの数学力は今日一番高まっているわっ!」

 幸の薄そうな橙色のお団子少女──藤守秋桜は目をくの字にしながら訴えた。とりあえず夏羽も真似して目をくの字にしていたが特に深い理由はない。冬乃は頬を赤くして怒りと羞恥が半々な表情で秋桜を怒るが、春陽はよくやったと彼の頭をワシワシと撫でた。

 一人称でお気づきかとお思うが、四人の少女というのは語弊がある。実の所、秋桜は見た目は可愛らしいか弱い女の子であるが、アレが付いてしまっているアレなのだ。いうならば藤森秋桜は百合の間に挟まる男。しかし、この場で最も百合百合しいのは家がお隣の幼馴染である小泉春陽と藤守秋桜であるため、百合に挟まるどころか彼自身が百合である。ノーマルともいう。

 そうこう言いながらも、四人はいつものように四人席に着く。春陽が空中に数式を立て、冬乃の体重がおおよそ四〇キログラムを下回っていることを計算し終えたところで、マスターが彼女たちの飲み物を運んできた。

 彼女たちのお茶会の始まりである。

 ピッチャーからジャスミンティーをコップに注ぎいい飲みっぷりでそれを飲み干す。会話のタネを生む元気潑剌な赤茶髪少女は割れないようにグラスをそっとテーブルに置くと口を開く。

「ちょうど体重の話題が出たからいうけどさ、女の子って体重を気にしすぎって思うっしょ。よくダイエットが云々って悩んでる女子高生がいるけど、もっと体重つけた方がいいって思うじゃんね」

「夏羽が突然まともなことを言い出したわっ。もしかして熱でもあるのっ?」

「ハルっちそれは酷いっしょ〜! うちだってこう見えてこの三人の次くらいには真面目なんだからね?」

「あはは……結局この中で一番不真面目……になっちゃうね」

「甘いじゃんねアッキー! 三人の次ってのは、うちのクラスで考えたときのことを言っていたっしょ! 真面目度ランキングを作るなら、ふゆのん、アッキー、ハルっちがトップスリーでその下にうち。そしてその下に有象無象のクラスメートがくるじゃんね」

「私たちのクラスはそんな世紀末なクラスじゃないわよ」

 練乳少なめのベトナムコーヒーに口をつけると、冷静に冬乃がツッコミを入れた。冬乃が委員長を務めるクラスは彼女のいう通り荒れたクラスではない。頻繁に強奪や殺傷の類いは起きないし、北斗神拳の使い手もいないのである。とは言っても、神拳はないが進研模試はある。『神拳』と『進研』、暴力の対極にある勉学をかけた非常に面白いジョークである。ちょっと、待ってくれ! ここで本を閉じないで!

「でも、女子が体重を気にするのは普通だと思うわっ! 気にしすぎというのはあるかもしれないけどねっ」

「おお、ハルっち分かってるっしょ〜。アッキーは女子の体重とか気にするタイプ?」

「えっ……えええ!? ど、どうして…………ボクに聞く……の?」

 むせながら秋桜は言う。上目遣いのそれはクラスの男子女子を全て『コスモスを愛でる会』に入会させた伝統芸。ちなみに前述の会は藤守秋桜の秘匿されたファンクラブである。校内でよく名前を聞くので秘匿されていないかもしれない。最近は部活の紹介と同様に貼り紙までされている。

「だってアッキーはうちらの誰よりも可愛いけど一応男の娘じゃんね。女子のことどう思うのかなって気になるっしょ!」

「コホンッ! た、確かに、せっかく男子がいるのだからその意見を聞くのは悪くないかもしれないわね。私としてもやぶさかではないわ」

「こらこら、夏羽、冬乃。あまりアキを困らせちゃダメでしょっ! ね、ね、アキ。お姉ちゃんにだけこっそり教えてっ!」

「あー! ハルっちズルいっしょ!」

「ふええ…………ボクに何を求めてるのさぁ……」

 目をくの字にして秋桜は悲鳴を上げる。可愛い。本日二度目であるが可愛いので積極的にこういうシーンを入れていきたい。しかしながら『天丼』という言葉に従って三度目はまた次回としておこう。

 春陽たち三人が、期待の眼差しを彼女に向ける。段々と強くなる彼女たちの眼力に負けて、秋桜は口籠もりながらも喋りだした。

「ボ、ボクは体重は気にしない……よ? でも、不健康な体重だったら……少し心配する……かも?」

「ふゆのん言われてるっしょ」

「これは私に向けての発言なのかしら!?」

「ち、違うよ……!? で、でも……冬乃さんが本当に痩せすぎなら……心配なのは……本当……かも?」

「うっ……そんな純粋な眼差しで私を見るのはやめて頂戴……」

 異性とは思えないほど愛くるしい秋桜の眼力にやられ、冬乃は思わず目を逸らした。女子がラメ入りのマスカラやアイシャドーで手に入れる輝きを秋桜は初期装備しているのだ。実際は輝いているわけではないが、小動物のように彼女が生まれながらに備えている見たものを魅了する雰囲気に我々の目が錯覚を起こしてしまうのである。

 春陽は熱いジャスミンティーを飲むと、ゆっくりと首を傾げた。

「でも不思議よねっ。冬乃のように痩せすぎの人でもダイエットってしたいのでしょっ? ……というか、そもそも冬乃のしているそれはダイエットと言えるのかしらっ?」

「そ、それは……どういう意味かしら?」

「だって、冬乃はもう痩せているのよ。痩せている状態でさらに痩せるのは健康に悪いって分かっているのだから、それは自傷行動に近い気がするわっ! ……でも、ダイエットといえなくもないし……どうなのかしらっ?」

「……確かに、私のすでに痩せている状態でさらに痩せたいと思うのは、ダイエットじゃないかもしれないわ。でも、春陽の言う通り直感的にはこれはダイエットで……これは、少し考え直す必要があるかもしれないわね」

 冬乃は顎を触りながら、神妙な面持ちでそう言った。場が暖まって来たところで春陽が秋桜にノートを取り出すように促した。

「それじゃあ今日の話題は決まったわねっ! 今日は『ダイエット』について考えていくわよっ!」

「ふゆのんのダイエットを阻止するためにもっしょ!」

「それが目的!?」

 こうして言葉の意味を探る、彼女たちの日課が始まるのだった。


 *


「それじゃあいつも通り定義の確認ねっ! 夏羽よろしく!」

「頼まれたっしょ! ふゆのんの贅肉を守るためにもうち頑張るじゃんね!」

「ぜ、贅肉じゃないわ!」

 冬乃は頬を赤くする。贅肉とは贅沢な肉と書くが、彼女の場合あまーいお菓子によるものであるため贅菓子かもしれない。

 電子辞書を開いた夏羽は、おぼつかない手つきでキーボードを打つ。普段ひらがな入力をしている彼女であるが、最近はローマ字入力をする練習をしているらしく秒間〇・五タイピングの亀さん入力を実現している。下敷きをタイピング表付きのものにするほどの努力家である蓮実夏羽に清き一票を。

「出てきたっしょ! 今回意味が二つあるじゃんね! アッキー板書よろしく〜」

「う、うん」

 秋桜は自由帳を開き、ペンを構えた。板書とは本来黒板に何かを書くことであるが、彼女の中ではノートに文字を書くこと全般を「板書する」という動詞で捉えている。案外このような意味で「板書」を捉えている人も多いだろう。(※筆者調べ)


【ダイエット】[名]

 1.健康または美容上、肥満を防ぐために食事を制限すること。転じて、なんらかの方法で減量すること。

 2.無駄や余分を削ること。


「今回は二つあるパターンねっ! 一番は分かるのだけど、二番の意味ってどういう状況なのかしらっ?」

「確かに、私も二つ目の意味はいまいち理解できないわね。アキくんはどうかしら?」

「ええっと……ボクも聞いたことない……かな? でも、多分……『スリム化』と同じような意味なのかな……って」

 秋桜は噛み砕いてそういうが、夏羽と春陽は顔を見合わせ首を傾げていた。

「スリム化? うちそれも知らないっしょ!」

「なるほど、確かにそれかもしれないわね。所謂、ビジネス語というものよ」

「ビジネス語って何っしょ?」

「それならあたし知っているわっ! 日本語でいいことをわざわざ英語っぽくすることで頭の良さをひけらかすビジネスマンが使うカタカナ言葉よねっ? 」

「春陽……貴方なんてひねくれた考えを」

「やばいやばいやばい! ハルっちの切れ味が鋭くなったら女子会が崩壊するからやめるっしょ! はやくふんわり成分を誰か供給するじゃんね‼︎ アッキー‼︎」

「ボ、ボク!? ええっと……これで良ければ」

 慌てふためく夏羽に、秋桜はフェルトで作ったクマを鞄から取り出した。小泉春陽は裁縫の趣味があるが、お隣さんであり幼馴染であり義妹である秋桜が彼女の趣味に付き合わないわけもなく、これはその一環で作ったものである。黒く輝くまんまるな瞳が可愛らしいクマを机の真ん中に置くと、夏羽はホッと一息ついた。

 冬乃はコホンと咳をすると、仕切り直す。

「話を戻すわよ。スリム化というのは、例えば私たちが今いるカフェ『BRIDGE』がカフェ事業と……えー、これにしましょう。この机にあるぬいぐるみを作る事業の二つを行っているとするじゃない?」

「あ、マスター裁縫とかしそうじゃんね。すごくイメージしやすいっしょ」

 四人がカウンターの方を見るとスキンヘッドにサングラスの怪しい色黒男性が、ヒュッと店の奥に消えていった。見た目は厳ついが中身はよわよわなのである。

「ここのカフェは全然人も来ないし、売り上げは基本赤字。だけど趣味で作っていたぬいぐるみは可愛いと評判になりネットショップでの売り上げは上々。状況を鑑みてマスターは赤字事業であるカフェ業務を縮小……例えば週に三日だけの営業にしてぬいぐるみを作る日を二日にすることにした。今やったことはつまり業務の無駄を省くことになるわ。これがスリム化と言われるものね」

「う、うん。他にも、ぬいぐるみを作る手順を変えて効率化したりすることもスリム化って……言われるかも」

「え、じゃあそれって効率化じゃダメなの?」

「ま、まぁ……それでも意味は通じる……よね。あはは……」

「とにかく理解したわっ! 二番の意味は何かを効率よくするために何かを削ぎ落としたりすることなのね。具体例を聞いたら少しイメージが湧いてきたわっ!」

「とはいえ、二番目の意味で『ダイエット』を私たちが使うかといえば、答えは否よね」

 四人はうんうんと首を縦に振った。女子高生が「夏休みの予定をダイエット化した」とか言い出した日にはきっと世界は滅ぶであろう。ノストラダムスもそんなこと言っていた気がする。

「次は一つ目の意味ね。『健康または美容上、肥満を防ぐために食事を制限すること』……冬乃はさっきこの意味でダイエットを使っていなかったわよね?」

「それを私に聞くのかしら!? ……コホン。ええ、そうね。はっきり言って、肥満じゃないわ。BMIで言えば、おおよそ十五よ。だからこの定義に則るのであれば、私のしようとしていることはダイエットではないわね」

 BMIとはボディマス指数といわれるもので、この指数によって肥満度を知ることができるものである。世界保健機構によると指数二十二が標準体重とされており、冬乃のBMI十五という数値は痩せすぎに分類されている。

 正確な数値を提示された春陽はカタカタと電卓を打つが、すでに計算式を忘れかけているため彼女の体重特定は難航しているようであった。

「じゃあどういう意味でダイエットするなんて言ったじゃんね?」

「それは少しお腹周りが……出てきてしまったからよ」

「側から見たら全然わからないっしょ」

「服を着ているんだから当然じゃない? 脱いだらすごいのよ。脱いだら」

「何言ってるっしょふゆのん! 脱いだらすごいのはこの中ではハルっちだけじゃんね!」

 夏羽はゆるふわピンクの膨らみを凝視する。冬乃も彼女の視線の先に気がついたようで、夏羽のおでこを中指でピンッと弾いた。いてっ!と夏羽はテヘペロして痛がった。

「とにかく! 少なくとも私は今回、辞書の定義通りの意味で『ダイエット』を使ってはいないわ。意味が不足していることは確かね!」

「それなら、この定義は少し意味が足りないのかもしれないわっ!」

 春陽はそう言うと周りに目配せをした。彼女たちにとって、毎度恒例の儀式が始まろうとしていた。最初の頃は恥ずかしがっていた冬乃も今では乗り気である。全員の準備ができたところで、冬乃はメガネをクイッと持ち上げると、咳払いをして始めた。


「全ての謎は『定義』の定義に隠れている」

「難しい大人は……色々考えているみたい……だけど」

「そんなの女子高生には関係ないじゃんね!」

「言葉は想いを伝えるものっ」

「ボクは知ってて……あなたは知らない……そんな何かを……伝えるもの」

「そしたら難しく考えることはないじゃん!」

「だとすれば定義とは『私たちの心に名前をつけること』でいいのではないかしら?」

「さあ、今日もノートの一ページを埋めましょっ!」


 各々が自分の飲み物を手にすると、それに口をつける。春陽と秋桜はいつも通りのジャスミンティーとアールグレイ。まるで本当の姉妹のように同じ動作で優しく啜る。夏羽は慣れないジャスミンティーをガブガブと飲み干した。冬乃が練乳の足りないベトナムコーヒーに少し不満を抱きながらもお茶会が再開した。

 いつものように、春陽が真っ先に切り出す。

「それじゃあ、ここまでの話をまとめるわねっ? 『ダイエット』には二つ意味があった。そして、二番目の意味は私たちは使わない。冬乃はこの二つの意味に属さない意味でこの言葉を使っていた……これでいい?」

「ええ、それでいいわ。それと一番目の意味なのだけど、この意味は普通に私たちも使うわよね?」

「う、うん……体重を落とすことをダイエットと表現するのは……普通のことだと思う……かな?」

「うちもそう思うっしょ! ここは異論なしじゃんね!」

「では一番の意味はそのままにしておきましょっ!」

 春陽がそういうと、秋桜はノートに書いてあった一番目の定義を赤ペンで四角く囲った。そして同時に二番目の定義に訂正線を入れた。

「体重を落とす以外の意味を……考えるんだね」

「そうねっ! それにしても日本語って不思議よね。同じ単語なのに意味がたくさんあるんだもの」

「あら、どの言語でもそのような例はあるんじゃないかしら?」

「はいはーい! うち英語でもそういうのやった記憶あるっしょ! 確かparkって『公園』の他にも『駐車する』って意味があるって中学で習ったじゃんね!」

 夏羽は自信たっぷりにそういった。英語に触れ始めたばかりの中学生の夏羽は、同じ言葉が複数の意味を持つことに相当驚いていた。英語圏の人からすれば日本の『やばい』の意味で同じ苦悩を抱えていることだろう。

 冬乃は眼鏡を持ち上げると言葉を続けた。

「中学で習う単語だと、個人的にはあれの意味が多い気がするわ。ねえ、アキくん?」

「わっ……えっと……rightかな?」

「そうね。まさにその単語だわ」

「確かに!rightって『右』『正しい』『権利』の三つを中学で習ったわよねっ?」

 春陽は手を合わせて目を輝かせた。灯台下暗し。彼女が中学の頃に勉強していた英語でも二つどころかそれ以上の意味を持つ単語が存在していたのだった。

 冬乃は髪留めのフェイクジュエルを触ると、嬉しそうに口を開いた。

「それと、実は『正しい位置に戻す』や『訂正する』という意味もあるのよ」

「えっ!? そうなの!? アキは知ってたっ?」

「う、ううん。それは知らなかった……かな?」

「あら、アキくんでも知らないこともあるのね」

 冬乃は小さくガッツポーズをした。冬乃は本来県内で一番いい高校に入れる学力があった。しかし、通学時間等諸々を考慮した結果高校を近場のひととせ高校にしたため、試験では学年一位を取れるのが当然だと思っていた。しかし、実際のところ彼女より頭のいい藤守秋桜が一位の座を掻っ攫っていったので、彼女に対してライバル心があるのである。

「ボクはなんでも知ってるわけじゃ……ないよ。でも、冬乃さんの言うとおり、rightに『正しい位置に戻す』や『訂正する』の動詞の意味があると……品詞の分類が……大変だね」

「確かに、そこは盲点だったわ。……なるほど、rightの品詞は四種類になってしまうのね」

「ちょいちょいちょーい! 二人だけで話を進めないで欲しいっしょ! 品詞ってなに!? 教えてプリーズ!!」

 夏羽は目をくの字にして訴えた。春陽は品詞の意味自体は知っているようであるが、二人の会話の意味がわかっていないようだ。

「品詞とは言葉をどのような役割で使うかという話よ。夏羽も動詞、名詞って聞いたことがあるでしょう?」

「あ、それならわかるじゃんね! それが品詞か!」

「名詞、代名詞、動詞、副詞、形容詞、前置詞、接続詞……えー、最後の一つは……」

「間投詞……だね。Hiとかの」

「そうそれ。良く覚えていたわね。すごいわ、アキくん」

「えへへ……ありがとう」

 秋桜は嬉しそうににペンをいじった。秋桜が暗記していることは大抵の場合、春陽も一緒に勉強していたりするのだが、当の本人はあまり暗記できていない模様。消えかけた記憶をたぐり寄せて、春陽はいう。

「たしか……副詞と形容詞の違いってどこに修飾しているかによって決まったのよね? それならやっと二人が言っていた意味が分かったわ!」

「ハルっちさん……いつの間にそんな遠くにいっちゃったっしょ……うちはまだ全然なのに!」

「あんまり長くなってもあれだから手短に説明するわよ。結論から言ってrightは名詞・形容詞・副詞・動詞で使える単語なのよ。名詞はさっき春陽が言った通り『権利』とかがそうよね。そして動詞として『正しい位置に戻す』『訂正する』。形容詞と副詞についてはアキくんよろしく」

「ええっと……例えばI answer rightで『私は正しく答える』だからこのときのrightは副詞。right handと言ったら……」

「あっ、それなら意味わかるっしょ! 『右手』ね!」

「う、うん。この場合、handという名詞を修飾してるから……形容詞だね」

 知らないうちに始まった文法の授業に思わず夏羽と春陽はノートを書き出していた。文法を詳しく気にする先生もいればいない先生もいて、たまたま春陽たちのクラスの英語の先生はあまり気にしないタイプの先生であったため、このような話は新鮮であった。

 ノートを取りながら夏羽はふとあることに気がつき、頭の上にエクスクラメーションマークを発生させた。こういうときの夏羽は大抵いらんことを話すのである。

「rightには『右』と『正しい』って意味があるじゃんね? じゃあ政治とかで良く聞く右翼って正しい人たちなの?」

 やめろ夏羽、同人作品に政治的な話を持ち込むんじゃない。偏った思想を持っているのではないかと合同誌をともに執筆する仲間たちに変な目で見られるかもしれないじゃあないか。

 夏羽のこの疑問は冬乃と秋桜の高学力コンビも想定外だったらしく、少し思考が固まった。しかし、少し考えたところで冬乃は閃いた。

「正しいかどうかはさておき、右翼は保守的な思想を持つ人たちのことよ。そう考えると、rightの正しい位置に『戻す』という意味はある程度、保守という意味に関連付けることもできなくわないわね」

「う、うん。でも、確か右翼の語源はフランス革命で意見が食い違ったときの話だったはずだから……英語のrightは関係ない……かな?」

「全然関係なかった! 中学のとき政党がたくさん出てきた範囲理解できなかったから、高校の日本史で絶望してるじゃんね!」

「そんな自信たっぷりに言わないの。おそらく夏羽は大正デモクラシーの範囲を言っているのね。確かにあそこは複雑な内容だったわよね」

「合っているかはさておき、単純な覚え方としてはいいかもしれないわねっ! 関連づけて単語を覚えると覚えやすいって言うじゃない?」

 うんうんと彼女たちは頷いた。学習内容を語呂合わせや連想で覚えてしまうことを嫌う人もいるが、覚えられるならそれでいいんじゃないかと大抵の学生は思っている。リアカーなきK村なんてどこにもないし、coldの語源は「凍るど!」じゃないのである。ちなみにヒンディー教において左手を不浄とし、右手を綺麗な手として扱うが、これもまたrightとは無関係。豆な。

「そういえば、話がすっごく逸れてしまっているわっ!私のジャスミンティーももうなくなりかけだものっ」

「ええ、そろそろ話を戻しましょうか。『ダイエット』の定義よね」

「どんなときに『ダイエット』を使うのか考えていきましょっ! 冬乃はすでに言ってくれてるから考えなくても大丈夫よっ」

 春陽が合図を出すと四人──特に三人は一斉に考え出した。

 彼女たちのこの日課は、大抵具体例から入る。具体例から言葉の意味を探っていくのだ。

 しばらく経ったあと、夏羽が勢いよく手を挙げた。

「はーい! うちから行かせてもらうっしょ!」

「元気がいいわね。いい案でも浮かんだのかしら?」

「その逆っしょ! 全く想い浮かばなかったからその報告じゃんね。だってうちダイエットなんて今までで一回もしたことないから」

 夏羽は立ち上がり、ジャスミンティーを一気飲みすると誇らしくそう言った。高校をスポーツ推薦で入った夏羽は小さい頃から健康そのもののスポーツ少女だった。そのため体型や体重を気にすることなんて、これまで一度もなかったのである。全女子の悩みだと思われていたダイエット問題を、継続的なトレーニングで蹴散らす夏羽に三人はたじろいだ。

「そ、そう。夏羽……あんたは昔からダイエットとは無縁の存在だったものね」

「それは……すごいね。夏羽ちゃん」

「夏羽ってすっごくスタイルいいわよねっ。痩せてるわけでもなく太ってるわけでもなく良い体型! 普段何して体型を維持しているのかしらっ?」

「なになに〜? みんなうちのこと羨ましいんじゃんね! じゃあ仕方ないから教えてあげるっしょ!」

 上機嫌になった夏羽は花を高くして普段のトレーニングを指折り思い出した。

「えっと、まず朝は新聞配達バイトにランニング五キロっしょ? あと腹筋と腕立て伏せスクワットとか諸々の筋トレをそれぞれ百回……夜はお風呂入る前に十キロくらい走って……」

「も、も、もう大丈夫よっ! ありがとう夏羽! これは真似できそうにないわね……」

「私からすれば信じられない運動量よ……もし夏羽がメロスなら一日で物語が終わってしまうわね」

 恐ろしいものを見たという様子で少女たちは肩をすくめた。走れメロスでは片道およそ四十キロを往復していたが、彼女であれば朝スタートで結婚式に参加して夜中には帰って来れそうである。襲いかかる盗賊はその瞬足でブチ抜くのだ夏羽。

 ダイエットと無縁な彼女はさておき、秋桜が力なく手を挙げた。

「えっと、ボクは……「少し太ったからダイエットしなきゃ」とかで使う……かな?」

「その使い方は確かにしっくりくるわね。ちなみに、太ったというのは体重の変化のことかしら?」

「あっ……うん。体重かな?」

 秋桜は少し考えたあと、そう答えた。そして二人の言葉を聞いて春陽はパァッと表情を明るくする。

「もしかしてあたしすっごく重要なことに気がついてしまったかもしれないわっ!」

「ん? それは外見的な太ったと数値的な太ったの二種類が混ざっているということかしら?」

「いいえ違うわっ! それはね……変化よっ!」

 ビシッと天高く指をさし、春陽は言った。台詞が決まったところで、彼女は残ったジャスミンティーを飲みきると、夏羽からアイスのジャスミンティーを少し分けてもらった。

「私たちがダイエットという言葉を使うとき、実際に太っているのかに関係なくそれを使っているのよっ! 問題となるのは、昔の自分や、理想の姿と異なっているかどうかっ! ふふーん! rightの動詞の意味で閃いたわっ!」

「あはは……『正しい位置に戻す』だね? たしかにハルお姉ちゃんのいう通り……かも。前より少し体重が増えたらダイエットしようって……なるもんね」

「太っているかどうかと言われれば、私たち全員太っていないわ。それでも痩せたいと思うのは、昔より体重が増えただったり、理想の姿があるからよね。すごくスッキリとした説明だと思う。流石ね春陽」

 納得しながら秋桜はノートに『過去』『理想』『変化』と書き込んだ。ここまでくればおおよそ定義は固まったようなものである。冬乃は思い出したかのように言葉を続けた。

「ということは、私が最初に言った『ダイエット』は、ダイエットということでいいのよね? 私は、過去の自分より太ったからダイエットしなきゃと言ったのだもの」

「そうなるわねっ。あたしも、最初の冬乃のダイエットが自傷行為でしかないように思たけど、今ならダイエットだって思えるわっ」

 すでに痩せている冬乃がさらに体重を落とすことが正しいことなのかはさておき、本人からすればこれまでの体重より増えたのだからそれを元に戻そうとする気持ちはわからなくもないであろう。そして、大抵そういう状況の場合、彼女たちはそれをダイエットと呼ぶのである。

 続けて、この場で一番体型がふくよかでダイエットと最も懇意になっている春陽はさらにもう一つの意見を投下した。

「最後にあたしねっ! あたしからは「ケーキをたくさん食べたからダイエットしなきゃ」よ」

「あっ、それ言ってる人よくいるっしょ!」

「なるほど。これはつまり、現在太っているわけでもないし、体重や体型の変化もないけどダイエットをするというというパターンね。使用例に違和感もないし、これはどういうことなのかしら?」

「え、今から太るからダイエットするってことなんじゃないの?」

 首を傾げる夏羽に、ちっちっちと指を振って春陽は答える。

「夏羽、でも私が言ったこのパターンって……大抵ダイエットしないのよ!」

「うぐっ‼︎」

 春陽の一言が冬乃を貫いた。なぜならば彼女にはあまりにも心当たりがありすぎたからである!

 彼女は恒常的に甘いものを口にしている。口にするたびに心の中ではダイエットをしないととは思っていたし、体育祭のときにはたくさん運動しているから『ダイエット』のことは考えずに甘いものを食べれると自分を肯定したりもしていた。しかし、彼女は口にするだけでそれを実行することはなかったのだ!

 今にも死にそうな目をしながらも、最後の力を振り絞って冬乃は言った。

「わ、分かったわ。つまり春陽の出してくれた例は……実際にそれをするかはさておき、甘いものを食べたときの免罪符として『ダイエット』という言葉を口にしている……ということね」

「詳しく言えばそういうことになるわねっ! 言っていて、あたしもなんだか普段の自分が恥ずかしくなってきたわっ‼︎ ががががーん……」

 謎の効果音を口にして春陽と冬乃は撃沈した。秋桜は大抵有言実行するタイプなので二人のようなダメージは受けていなかったが、それでも気持ちはわかるようで苦笑いを浮かべていた。

 秋桜は生気を吸われてしまっている二人を横目にノートに『免罪符』と書き込んだ。

「二人が死んでるからうちがまとめるっしょ! まず、ふゆのんが最初に使った『ダイエット』は体型が変わったって意味で言ってたじゃんね。それとアッキーの言っていた『ダイエット』は体重が変わったって意味だったよね?」

「う、うん……だから『体型と体重の変化』も定義に重要で……さらに、ハルお姉ちゃんの言っていた理想の姿というのも……」

「それと最後に免罪符っしょ!」

 夏羽は元気よくそういうと、最後のジャスミンティーを飲み干した。

 気付けば、もう全員の飲み物はなくなるほど議論は続いていた。

 まとめに入る中、机に突っ伏した冬乃がぬくりと起こす。

「ちょっと待って、このまま定義を追加するだけだと示す範囲に被りが出てしまうわ。所謂、ミーシーにしましょうということね」

「ミッ◯ー? ふゆのん何言ってるっしょ……消されるじゃんね」

「あの黒いネズミは別にヴォルデモート的存在じゃないわよ。ビジネス語が前半出てたから使いたくなっただけ」

「やめるっしょ! ビジネス語の話を出したらハルっちがまたトゲっちになっちゃうじゃんね!」

「あたしはそんなに刺々しくないわっ! そんなたまごっちみたいな名前嫌よっ」

「あはは……確かとげっちって本当にいた……よね」

 春陽は机から顔を上げて目をくの字にして言った。実在するキャラクター名にヘイトを向けるのはやめるのだ春陽。第三者を決め込んでいた秋桜だったが、姉から一緒に目をくの字にしなさいと言われたので、仕方なくそうした。二人でくの字になることで二倍の反対効果があるのである。三度目の天丼をお許しください。

「ダイエットの一番目の定義は……『健康または美容上、肥満を防ぐために食事を制限すること。転じて、なんらかの方法で減量すること』だった……から」

 秋桜はノートに書いた定義を読み上げる。そして、冬乃と秋桜はあれをどうするこうするというような話を二人で繰り広げた。

 いまいち話に入っていけない夏羽と春陽はじゃんけんでもして待っていた。細かい理屈の絡む話は、二人に任しておいた方がいいと、彼女たちは経験上分かっていた。これはある意味では彼女たちの日課の『ダイエット化』とでもいうのであろうか。趣味を効率化してどうする。

 ノートを書き終えた秋桜は新元号発表でもするかのようにして春陽たちに見せた。


【ダイエット】[名]

 1.太っている人が痩せること。

 2.太ってはいないが、理想の体型と異なっていたり体重や贅肉が増えたときそれを元に戻そうとすること。

 3.甘いものを食べた際の免罪符。


 カフェを出ると既に陽は落ちていた。外套に羽虫が群がっている。チラリと秋桜が時計を見ると、時刻はまだ午後五時半だった。夏が過ぎ、段々と日中の時間が短くなっている。彼女たちはカフェから出るたびにそれを実感していた。

「随分暗くなったわねっ。ついこの前まで夏だと思っていたのに」

「既に秋分の日は過ぎたもの。今年は確か九月二十二日だったわね」

「今年はってことは毎年違うのん?」

「ええ、大体九月の二十二日か二十三日で年毎に異なっているわ。秋分の日は昼と夜の時間が同じになる日ってよくいうじゃない?」

「でも毎年同じ日にならないのは変じゃんね? 神様の気まぐれ?」

「あはは……確かに突き詰めれば……神様の気まぐれかもね? ……閏年と同じ理屈……だから」

「ふむふむ、そういうことっ! 一年が三百六十五日と言っても多少のズレがあるから、昼夜が等しくなる日にズレがあるってことねっ!」

 感心した様子で春陽は頷いた。閏年の例が出たことで、夏羽の疑問も解消されたようである。

 思ったより時間が早かったこともあり、夏羽はある提案をする。

「そうだ! うちはダイエットと無縁の人生を送って来たわけっしょ? でも今日でたくさんダイエットのことを知ったじゃんね?」

「そうねっ。でもそれがどうしたのっ?」

「だから、うちも『ダイエットしなきゃ』って言ってみたいっしょ! 時間もまだあるし!」

 三人はそこでピンときた。夏羽が言いたいことを理解はしたが、三者三様のリアクションである。

 春陽と秋桜はやぶさかではない様子であったが、冬乃は露骨に嫌そうな顔を浮かべていた。

 冬乃はぎこちない態度で夜空で輝く月の方を向いた。

「そ、それはまた今度にしないかしら? ほら、女子高生はお金そんな持ってないし」

「じゃあ今日だけ特別、うちが奢ってあげるっしょ! うちはバイトしてるし、ふゆのんよりお金に余裕あるっしょ!」

「ぐっ……春陽とアキくんはいいの? お茶をして、尚且つお菓子なんて食べたら……!」

「あたしとアキは無糖の飲み物だったから問題なしよっ!」

「ご、ごめんね冬乃さん……ボ、ボクもちょっと……寄り道したい……かも」

「アキくんまで……これはもう、私も腹を括るしかないわね」

 冬乃は肩を落として降参した。彼女はきっと心の中で『ダイエットしなきゃ』と呟いていることであろう。それを実行に移すかは……無粋であろう。

 絶賛ダイエット中の彼女が折れたところで、夏羽は力強くその声を夜空に響かせた。

「よーし! それじゃあ、駅前のケーキ屋まで走るっしょ! そしてみんなでいうじゃんね!」

「「「「ケーキ食べたからダイエットしなきゃって‼︎」」」」

 四人の少女たちは口を揃えてそう言った。

 ケーキのカロリーに負けないようにできるだけ体を動かして冬乃は走り出す。

 免罪符を手に入れた少女たちの笑顔は、夜空の星より輝いているのであった。

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