02. 取ってきて? 僕らの未来の為に

「……入瀬は行ったかい? 第2011地球に」

 Yシャツの襟を開けて、左手で首にパタパタと空気を入れながら、男性・Kが聞いた。ネクタイはとうに机に投げ出されている。


「うん。入瀬ちゃん、うまくダイブできたみたいね」

 女性・Uが答えた。肩が片方だけ出て、首もとにフリルのあしらわれた、可愛い白色ブラウス姿だ。下は膝下丈のスカート。少し色の抜けた髪はバレッタで留めてあった。


 男女2人は、互いに見つめ合うのを中止して、それぞれのパソコンの画面へと向かおうとする。つまり、椅子をくるりと180度回転して、背中合わせになった。

 

 2人の右手には、銀色の、277K摂氏4度シーのペアリングが光っていた。

 婚約指輪だ。


 2つの指輪が描く軌跡は、上から見るとεイプシロン

 とても近い、「近傍」を表す文字だ。


 とってもとっても近い距離。

 だが、ゼロではない距離。


 男性・Kが時計回りに半回転。

 女性・Uが反時計回りに半回転。

 だから、上からみると、2つの銀色の指輪がεイプシロンを描く。

 

 しかし、残念なことにUnfortunately

 それらが、に変わる瞬間は、いっこうに訪れる気配が無い。


 ――まるで、2人がさらに半回転して、εイプシロンがダルマみたいな8になり、それが見事に転んで、無限になったかのように。


 なぜその歓喜の瞬間が、無限遠点へと遠ざかるのか?

 

 それは――。


 女性Uは、人間ではなく、汎用人工知能AGIだからだ。

 より正確には、政府によって、汎用人工知能へと分類されているからだ。


 この現実世界において、人間と汎用人工知能との結婚は、法律上、まだ許されていなかった。


 カチャカチャ……。


 男性・は、キーボードを操作する。

 彼をぐるりと取り囲んだ有機ELディスプレイの集合体。通称、半球ヘミスフィアモニタ上に、文字列が左上から横書きで、ドンドコと生まれる。


 画面上には、ウインドウが沢山、雨後のタケノコのようにポコポコと開いて、その窓の中では、文字列が下から上へとせり上がる。

 まるで、密閉された部屋に水が注がれて、「息が出来くなるー! 大ピンチー!」と、中の人が溺れそうになりながら、叫ぶように。

 もしくは、対戦型テトリスで、敵方にブロックをドカッと送り込んだかのように。


「ほんと、この国は間違ってる……」

 悪態をつきながら、男性・は、キーを打つ手は止めなかった。

 彼は球形モニタの、『右半球』を担当していた。


 つまり、こちら側


「わたしもそう思うけど……早く人間だって認められたいなぁ」

 言った後、女性・U《優》もパソコンに入力をした。

 ただし、デスクに置かれたキーボードは操作していない。 


 彼女は汎用人工知能として分類されている。

 脳波をそのままデータとしてメッセージ出力が可能なので、キーボードを使わなくとも、頭で考えた事を無線通信で、そのままパソコンに入力出来るのだ。

 

 女性・は『左半球』を担当している。

 半球ヘミスフィアの、もう一方。


 つまり、こちら側


 従って、2人分のを合わせると球形⊂⊃となる。

 まるで2人が、母なる地球に包まれたかのように。


「俺だって、母さんのお腹から生まれて来たんたぜ? 父母が作った知能だから、人工知能じゃん。なんで区別すっかなぁ……」

 カチャカチャ……と入力が続く。


『この前の法案が通っていれば、わたしたちもう、夫婦だったのにね』

 ……という文字列が、左半球の、とあるウインドウに表示された。


 雑念をそのまま出力してしまった女性・は、顔を真っ赤にして目を閉じ、両手でアヒルのようなポーズを取った。首をクイッと横にひねりながら。

 その動作に呼応して、優の雑念が生み出したその文字列は、左半球のウィンドウからパッと消えた。


 後ろで女性・が手を動かしたからだろう。

 気配を察した男性・は振り返った。そして言った。


「また直前操作キャンセルCtrl+Zかよ。黙ってキーボード打った方が速くない? なにそのショートカット


「いいでしょ? 『消してる!』ってのを体感したいの。肉体を持った圭には、この気持ちはわかんないよ」


「へぇへぇ。さいですか」

 2人は同時に吹き出して、軽くキスをしてからモニタへと振り返り、作業に戻った。



 ……。


 ……。



「よし。優。『第2011仮想地球』の現実一致リアリティレベルは?」

「まだ測定不能だよ。入瀬ちゃんが、色々と見聞きしてくれた後なら、推定できると思う」


「そっか……やっぱり入瀬頼りになるんだね」

「そうなっちゃうね……。入瀬ちゃんが、仮想世界から、いい立法事実をを持ってきてくれたら。そしたら今度こそ私達、結婚できるよね」

 女性・には、だいぶ楽観的で、朗らかな性格のアニマが、ボディにインストールされているようだった。


「これまでの経験から、もう分かってるだろ? 楽観は禁物」

 男性・はため息混じりにそう返した。


「まぁ、そうだけどー」


「そんなに簡単に、世界は変わらないって」 

 男性・は、仮想地球の中に、都合の悪い現実を想像してしまう位には、大人になっていた。


『もっとプラス思考でいいじゃない』

 という文字列が、女性・が使っている左半球モニタの、男性・からは見えない死角の位置に表示された。小さく、鶴のようなポーズCtrl+Zで、すぐにその文字列は消された。


 女性・は、口に出してはこう言った。

「よし、じゃあ、入瀬ちゃんに、視界を繋ぐね?」

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