小笠原貞弘君の質疑-七

(小笠原委員)

 分かりました。どうしても再稼働方針に変更はないと言うことですので、それではちょっと長くなるかもしれませんが、ある被災者の手記を読み上げます。聞いて下さい。

 執筆者は長野県佐久市から滋賀県大津市に避難した被災者です。大事な話ですからよく聞いて下さいね。以下は引用になります。


(二〇二X年十二月二十九日、私は年末の休業期間中でしたが、会社の一室におりました。新年簿冊の作成とか、自分の事務机周りの整理といった、どうでもいいような仕事のために出勤したことを今では激しく後悔しています。

 当時事務室には何人かの同僚が同じように出勤していましたが、普段と違って事務室内のテレビを見ながら、みんな自分のペースで各々の仕事をしたいたのではないかと思います。もちろん福島第一原発付近に巨大球体が出現した、というニュースは知っていました。球体は北上しており、私達の住んでいる地域からは遠ざかっていることが刻々と伝えられていたときだったので、事件は全く他人事のように考えていました。東北の人は大変だなあ、くらいにしか思っていなかったのです。

 整理も終わりかけた夕方三時ころのことだったと思います。帰り支度をしていると、事務室内が何やらざわついていることに気付きました。見ると、テレビの前に同僚達が寄り集まって人だかりを作っていたのです。私は仲の良い同僚の一人に声を掛け、何があったのか問いかけました。彼は青ざめた顔でこちらを振り向くと、「たった今、佐久市全域が避難指示区域に指定されたらしい。俺は今から大急ぎで帰宅する。君も帰れ」と言いました。

 ニュースを見ていなかった私には何のことか理解できませんでしたが、避難指示区域に指定された、というニュースと、それを告げた同僚の青ざめた表情から、これはただ事ではないと直感し、取り急ぎ荷物をまとめて車に乗り、家路を急いだのです。普段であれば会社から家まで三十分程度の道のりでしたが、酷い渋滞のために車は遅々として進みませんでした。ラジオでは「福島第一原発の使用済み核燃料が大気中で燃焼している」という信じがたいニュースが流れていましたし、車外では防災無線が放送されていることも分かりました。ウィンドウは閉じたままだったので、その内容までは聞こえませんでしたが、避難を呼びかけていたのだと思います。

 雪は数日来降り続いており、この日もそうでした。車外を見ると細かな雪がちらついておりました。ある住宅の庭には造りかけの雪だるまが放置されておりました。避難指示を受けて、雪遊びをしていた子供達を急いで家に呼び入れたのでしょう。

 私は運転中でしたが携帯電話で妻に連絡を入れました。妻は大掃除のため家中の窓を開け放し、子供達は外で遊ばせているときに防災無線を聞いたと言いました。私は妻に、今帰宅中だから帰り次第すぐ避難できるよう準備しておくことを伝えました。

 私が帰宅したのは午後五時ころのことでした。妻は既に荷物をまとめており、八歳の長男と四歳の次男はそれぞれリュックサックに自分の荷物を詰めて、いつでも避難できるように準備してくれていました。子供達にはジャンパーの上から、ポリ袋に頭や腕を通す穴を開けて作った上っ張りを着せて、肌が露出するところがないように措置し、不織布マスクを三重にも付けさせ、かよっていたスイミングスクールのゴーグルを付けさせました。子供達の小さい体をすっぽり覆うポリ袋がどれだけ放射能を防ぐことができるのか、私には分かりませんでした。あの時の子供達の異様な出で立ちは今でも忘れることはできません。

 長男は事態が異常であることを子供心に察していたのでしょう。おとなしく従いましたが、次男は激しく泣きながら、こういったポリ袋やマスクの着用を嫌がりました。私は無理矢理これらを装着させると、長男を抱いて車に乗せ、次いで嫌がる次男を抱えて車に乗り込み、避難を開始したのです。

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