プロローグ

「もー、靴の中濡れてるー」

「わかる、あたしもだわ」


 彼女らは学校から帰宅している途中であった。天気はあいにくの雨。学校を出る時は小雨程度だったが、時間が経つにつれて雨脚が強くなっていった。

 時刻は現在7時半。

 ただでさえ暗くなる時間帯であり、雲により夕日すらも遮られている状況の上、雨脚の強さも相まってかかなり視界がひらけない。


「やっぱり安物の折り畳み傘はダメだね」

「明日から置き傘すっかなぁ」

「置き傘なんてしたら盗まれちゃうよ」

「そういや前にビニ傘盗まれたことあったな………ちっ、思い出すとムカついてきやがった」

「涼子ちゃん落ち着いて……!」



 彼女たちは親友であった。

 黒髪の気の弱そうな娘が白藤ゆかり。金髪でいかにも不良という感じの先程から少し口の悪い娘が武田涼子である。

 ヤンキーとそのヤンキーに虐められてる子、という風にしか見えないが、彼らは正真正銘対等な関係の友達、いや、親友であった。

 思い出しムカムカなるもので気が立った涼子をなだめようとするゆかり。晴れの日ならまだいいが、下に水たまりがあるのに地団駄など踏まれたらたまったものではない。

 なんとかこれ以上濡れないよう、ゆかりは彼女の機嫌をなだめようとしていた。


 しかし

 突如ブォン!という音と、遅れて顔面を強打する大量の水。一瞬間が空いたのち、車が通り過ぎて水が跳ね上がったのだということに気づく。


 涼子とゆかり、仲良く傘をさす意味がなくなった瞬間であった。


「あー!!?!??!さいあく!!!!」

「びしゃびしゃだね……」

「あの車追いかけて運転手ぶっ殺してやろうか!?」

「いや……涼子ちゃん……それ無理だからね?」

「んなことわかってるよ!あー!クソっ!さみぃ!風邪引くわ!とりあえずあそこのコンビニ行こうぜ!」


 もう用無しである折り畳み傘をさっさと畳んでビニールに入れて鞄にしまう。バシャバシャと水たまりを踏みまくって走り抜けた。

 ブラが透けてようが関係ない。もう夏は終わり、季節は秋に近い。要は寒いのだ。

 彼らはとにかく雨宿りがしたかった。

 目指しているコンビニは今いる歩道と反対の方にあった。そのため横断歩道を渡らなければならない。


「うわ、点滅し始めやがった!」

「急ごうっ涼子ちゃんっ」


 点滅し始めた信号を睨みながら走り抜けようとするゆかりと涼子。と、その時


「あっ………!」


 ゆかりが、家の鍵を落としてしまう。慌てて取りに戻った。しかし、それが仇となった。


「は!?おい!ゆかり!!!」

「えっ?」


 バッと振り返り、声の主がある方向に顔を向けるが、違ったらしい。ふと、横からライトが当たる。それは、巨大なトラックのものであった。



「ゆかり!!!」


 あ、死んだなわたし。

 と考える。ほかに考えることがあるのだろうが、驚くほど何も出てこなかった。

 走馬灯とやらも見ない。どうやら、走馬灯を見るのは個々人によって差があるようだ。


 本来聞こえるはずの音も聞こえない。

 雨の音、トラックのクラクション、そして、親友である涼子の声。

 この一瞬の時間が、何分にも感じた。トラックの運転手の驚いている顔がよくわかる。

 ゆかりは、あぁ、もっと生きたかったななどと呟いて、次に来る衝撃を待った。

























 が。






 急に感じる浮遊感。

 どうやら、わたしは宙に浮いているらしい。意識があるということは生きている証であろう。

 彼女は未だ浮遊感を感じるその体の閉じていた瞼を開ける。すると


「え?」


 知らない男がわたしの代わりにトラックに跳ねられるところを見た。





 ☆☆☆☆☆☆☆




 目の前に広がっていた光が薄まっていき、風景を視認できるようになっていく。

 体に打ち付けるこれは、雨であろう。

 の世界で鋭敏化された鼻で空気を吸い込んだ。排ガスの臭いが、大気の汚さが、自分を元いた世界へと戻ってきたことを身に知らせてくれた

 直後、


「‪─‪‪──‬──‬─‬あ?」


 真横からかなりの衝撃。

 肋骨は折れただろう。頭蓋骨は大丈夫だろうか。脳が揺れ、内臓がぐちゃぐちゃにかき混ぜられたかのような感覚。右肩から先の感覚がない。神経が途切れたのか?口の中に鉄分の味が広がり、吐きそうになる。

 と、よくわからない分析をしながら思い出す。


 あぁ、そうだ

 俺は

 トラックに轢かれそうになっていた女の子を助けてる途中だったな。

 となれば後は簡単だろう。

 自分はまだをを死なせたくない。

 全体に魔力で衝撃を和らげるよう障壁を張り、頭部は特に重点的にやる。

 人間の体は脆い。できる限り重ねがけする。

 ふと、意識が遠のいていくことが客観的に理解できた。

 つまり、魔力で障壁を張る前、ドラックからの直接的な衝撃によるダメージが今やってきたのである。

 まあ、ここまで障壁を張っておけばこれ以上ダメージは喰らわないだろう。

 ……さて、覚醒するのにどのくらいかかるやら………。



 そうして、彼は意識を手放した。






 ☆☆☆☆☆☆☆







「おい!ゆかり!大丈夫か!?」

「え、あ、うん……そんなことより!あの人だよ!」


 ゆかりは自分の代わりにはねられたその人の元へと駆け寄った。


「あっ………」


 そこへたどり着いて気づく。右腕が複雑骨折、周辺が濃い赤色に染まるほどの出血、おそらく、これは…………


「おいおい、こりゃあ素人目からしても助からんだろ……」

「っ……!」


 ゆかりはうつ伏せに倒れているその人を仰向けにし、膝の上に乗せる。

 その人は20代前半くらいの若い男であった。かなりラフな格好で、こんな雨も降っている寒い日にする格好ではなかったが、そんなことは気にならない。


「ねぇ!起きてよ!なんでわたしを助けたの!?ねぇ!?なんでよ!?」

「おい!ゆかり落ち着けって!」

「だって…、だって……!!」


 なぜ、わたしを助けたのか。

 いや、助けてくれたのは感謝している。あのままだとわたしは死んでいたのだ。

 だが


「あなたが死んじゃったら夢見が悪いじゃない!?なんで死ぬべき人が死なずに死ななくてもいい人が死ぬのよ!おかしいでしょ!?」

「ゆかり……」

「そうやって助けられて残された人の気持ち、助けようとした時考えなかったの!?!?これなら助けられなかった方がマシだよ!!!」


 そう言いながら男の体を揺さぶる。言っていることは無茶苦茶だ。八つ当たりである。しかし、こうでもしないと、いや、こうしても、彼女の気持ちは未だ収まることを知らなかった。


「なんでよ!なんでよ!なん………でよ!!なんでよぉ……」


 ガバッと、ゆかりはその今もまだ意識がない男の体を抱きしめる。


「わたし……わたし、あなたの顔も名前も知らない!!!今も!!あなたもでしょ!?ねぇ!なんで赤の他人を命張って助けるのよ!!ねぇ!なんでよ!!教えてよ!?」

「……ぅ…………」

「!!!」


 パッと離し、彼の顔を見る。


「この人生きてる!ねぇ、涼子ちゃん!救急車は!?」

「もう呼んでるから。そんな大声出してやるな」

「まっててね、今救急車呼んでるから!」

「水を、くれ」

「え?」

「水だ…水を」

「わ、わかった!!」


 そうして自分の水筒を取り出し、カップに入れようとすると、彼は上半身を起こした。


「う、動いちゃダメだよ!安静にしとかないと!」

「いや、いい。大丈夫だ。それより、水を…」

「ど、どうぞ…」

「あら?それって……」


 ゆかりは水筒ごと手渡した。

 彼は、蓋を取り、ゴクゴクとそれを飲み干す。


「ンゴッふ、がは!」

「ゆかり、お前それ味噌汁だろ」

「あ、あれ?」


 彼は水筒を回して、側面に書いてある『味噌汁用』の文字を見つけた。


「はは、いや、おも、しろいね」


 ゆっくりと立ち上がるその男。慌てたのはゆかりである。


「ちょ、ちょっと!!まだ安静にしてないと…!」

「いや、悪いが、病院に行くわけにはいかんのでね」

「大丈夫だよ!お金なら払うから!」

「はい?」


 ゆかりは、彼が保険証がないから、病院にはいかないのだと考えた。


「ははっ、いやぁ。参ったな。君、名前は?」

「え!?わ、わたしは白藤、ゆかりです」

「ゆかりちゃん、今度からは気をつけてね」

「は、はい…」


 返す言葉が見当たらない。元はと言えばこれは彼女が引かれそうになったから起こったことであるからだ。この事故に関して、彼女は彼に反論することができなかった。


「君は?」

「あ?あたしに言ってんの?」

「そう。君だろ?救急車に電話入れてくれたの」

「まあそうだけどさ……」


 涼子は、ゆかりが放心している間に、即座に救急車と警察に連絡を入れていた。

 ゆかりはこの調子であるし、トラックの運転手はというとすごくうろたえた様子で使い物になりそうになかったため、彼女がさっさと通報していた。


「武田涼子だ」

「涼子ちゃんか、ありがとう。まぁ、救急車のお世話にならないけどね」

「あんた……本当に大丈夫なのか?」

「異世界ならこんなの日常茶飯事だよ」

「異世界?」

「いやなに。こっちの話だ」


 彼は荷物を持って、肩に掛けた。


「じゃあ、また会う機会があれば」

「あっ…!待って………!?!?」


 彼は、ものすごいスピードで走り、その場を去った。立つ鳥跡を濁さず。流れた血は雨ですでに排水口に流れていた。


「あいつ……本当に人間か?事故直後であんなに走れるか普通?あんなに血流しておいて………というかプロ並みじゃねーか?今の速度」

「あの人の名前聞いてない……」

「えぇ……そこかよ。ま、また会うかも知らねーし?その時にでもまた聞けばいいだろ」

「そう………だね。あれ?」

「どうした?」


 立つ鳥は忘れ物をしていたらしい。手帳らしきものが、そこに落ちていた。呼んだ救急車とパトカーのサイレンが近づいてくるのをbgmに、彼女らはその手帳らしきものを開く。

 それは、近所の高校の学生手帳であった。


「これ、あの人の若い頃の?」

「もしくは弟のかもな、えーと?名前は……」


 顔写真付きの学生手帳。


 名前は、八神兎亜。

 2年C組、八神兎亜とあった。




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