清冽の翊




通り過ぎていくだれかが咳をした。

透明すぎて冬に戻ったんじゃないかって朝、わたしより

ずっと早く起きて電車に乗って、

今降りてきた、だれかが。

つめたさに色はなくて、だからとうめい。

咳が、透明な朝にとうめいになって染みこんでった。つめたさ。

清冽せいれつを、何処かのだれかが求めるようになって、

千年とすこしと、二年が経つ。

そんな世界を、わたしは白く濁るみたいに感じていたのに

いつのまにか慣れてしまった。

眼鏡の傷もたくさん増えた。

取り替えるべきだと思うけれど、

わたしはそのやり方を知らないままだ。

知らないままに生きてきてしまって、今まだ白い。

咳がとうめい。

とうめいなほうがつめたいのか。

白いほうがつめたいのか。

考えることもできずにわたしは朝出かけて電車にも乗る。

とうめいではない場所ですこしばかりの仕事をして、

それで得たわずかな色を、次の朝までには失くしてしまう。

隙間だらけの表情がわたしの顔をかろうじて覆って、

とうめいがわたしを充たすのを、最低限度に防いでいる。

とうめいになりたいのだろうか。そうなのだろうか。

吊り革をじっと握って、咳をしない。

人工の暖気がゆっくりと、つめたささえも奪ってゆく。

だれかが咳をした。相対的に動き続ける、

わたしよりずっと早起きの、だれかが。



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